93、ミカンには婚約者がいた
「と、突然ですね……」
私が慌てていると、ダークロード家当主……父親は、ニヤッと笑みを浮かべた。
「突然ではない。おまえが名を授かった日に、王家を経由して婚姻の申込みがあった。相手は、王位継承権を持つ王族、セレム・ハーツ様だ」
(誰? そんな人、知らない)
「ふぅん、セレム・ハーツ様か。ミカンさんは、そんなにも前から目を付けられていたのだな」
ギルドマスターが、妙にニヤニヤしてる。目を付けられていたって、そんなに変な人なのかな。ってか……この話をりょうちゃんに聞かれてる!
りょうちゃんの方に視線を移すと、感情の読めない笑みを浮かべていた。女装してるからわかりにくいけど、あまり驚いているようには見えない。
エリザは事前に知っていたみたい。だから複雑な表情をしていたのね。私がレグルス先生のファンだからかな。
貴族の娘なら、婚約者がいることは普通なのかもしれない。レオナードくんにだって婚約者がいるんだもの。でも、なぜ今まで黙ってたの? そんな人がいるとわかっていたら、私は……。
(やだ、泣きそう……)
私は、りょうちゃんのことが好き。イチニーさんのことも好き。レグルス先生も好き。この話は、気が多すぎる私への罰なの?
婚約者がいると知ってたら、私は恋なんてしなかった。少しは好きになったかもしれないけど、ふわふわした気持ちは気づかないフリをして、好きにならないように距離を取ることもできたのに。
まぁ、3人とも、私が好きになってもその先はない。りょうちゃんは過去の心の傷があるし、イチニーさんは平民だし、レグルス先生にはそもそも相手にされてないけど。
でも、やっぱり私としては、会ったこともない人と結婚なんてできないよ。
「あの、でも、私は……」
「ミカン、おまえには拒否権はない。貴族の家に生まれた者が家のために働くのは当然のこと。しかも、これはエリザのためでもある。わかるな?」
「えっ……」
(政略結婚なんだ!)
エリザと母親が同じ私が王族に嫁ぐことは、エリザが次期当主になったときには、確かに……。
(でも、悪役令嬢はどうするのよ!)
私は、ギルドマスターの方に視線を向けた。だけど、彼はニヤニヤしているだけで、何も察してくれない。
王族に嫁ぐ私が悪役令嬢を演じることは、はっきり言ってマズイんじゃないの? そう気づくと、私は少し落ち着いてきた。私には拒否権はなくても、先方から断ってもらえばいい。
「ギルドマスター、私は異世界人との交流で……」
「ん? あぁ、それも頑張ってくれよ。来年の今頃には、その仕事も落ち着くだろう」
(悪役令嬢ってダメじゃないの?)
この場には、乙女ゲーム『フィールド&ハーツ』を知らない人が大勢いるから、私が言いたいことが伝えられないよ。
(あれ? フィールド&ハーツ?)
さっき、私が嫁ぐ相手の名前を……。
「ハーツって……」
私は、ただのゲーム名だと思っていたけど、ハーツって……。
「ミカンは、知らないのか。エリザは何も教えていないのだな」
思わず、私の口から声が出ていたみたい。
「お父様、ミカンには話すなと口止めされてましたわよね? 婚約の公表も、先方の許可があるまではしないと」
「あぁ、そうだったな。先日、ミカンの9歳の誕生日に公表すると連絡をもらった。今日から正式に婚約者となる。だから、ミカンに護衛をつける必要があるのだが……」
護衛を増やすの? 私にダークロード家の監視がつくってこと? ってか、ハーツの意味は何? ゲームの名前は、家名から取ったってこと?
「あの、少しよろしいかしら?」
ずっと無言だったりょうちゃんが、ダークロード家当主に話しかけた。
「あぁ、神託者さん、何かな?」
「先程、ミカンさんが10歳まで無事に生き延びたら、という条件があるとおっしゃっていましたわね。それなら、特別の配慮は不要なのではありませんか?」
「いや、だが今日、王家から公表されるなら、ダークロード家としても責任がありますからな」
「なぜ、これまで口止めされていたのでしょう?」
女装したりょうちゃんの妖艶な笑みには、ダークロード家当主も少し惑わされているみたい。ちょっとデレッとしてる。
「神託者さん、実はその理由は知らされてなくてだな。まぁ、弱い女児は、流行病にかかりやすいからかもしれないが」
(紅茶病のことかな)
「おそらく公表すると、命を狙われるからではないかしら? だからミカンさんがある程度強くなるまで、隠されていたのでしょう。今日、婚約を公表するということは、ミカンさんへの信頼の証ではないでしょうか」
「王族の婚約者の命を狙う者がいるのですか?」
(あれ? なんだかズレてる)
さっき、私に護衛をつけると言っていたのに、王族の婚約者は安全だと言ってる? 何のための護衛なの? あっ、ダークロード家としてのプライドなのかな。私を大事にしていると見せかけたいの?
すると、ギルドマスターが口を開く。
「ダークロード殿、それは当然だろう? そのために護衛をつけると言ったのではないのか? 相手は、セレム・ハーツ様なのだろう? 王家に絶大な力を持つ多才な方だ。婚姻関係を結びたい貴族はどれだけいると思う? 彼は、王位継承権を持つ中では、最も王家への影響力が強い。まぁ、王位は彼ではなく、王子の誰かが継ぐだろうけどな」
(何、その人……)
なんだか、王家を操るとんでもないチカラを持つ人に聞こえた。きっと、すっごく頑固で権力を振り翳す老人よね? 私が名前を授かった日に申し込みがあったってことは、4年前か。今になって公表するってことは、私はずっと監視されていたのかな。
「そうか。確かに、セレム・ハーツ様との縁を結びたい貴族は……あっ、そういえば、ブライトロード家からも嫁いでいたな? 全く姿は見ないが」
(他にも奥様がいるのね)
ギルドマスターは、チラッとりょうちゃんの方に視線を移した。りょうちゃんも、セレム・ハーツ様を知っているみたい。
だけど、りょうちゃんは表情の読めない笑みを浮かべているだけだった。話せないことなのかもしれないな。
「お父様、そのような話は、昼食を食べながらで良いのではなくて? 私もミカンも空腹なの」
「あぁ、そうだな。お二人の分の席も用意している。ミカンの誕生日祝いと婚約祝いだ。遠慮はいらない」
「それは嬉しい。俺も空腹だったんだよ」
ギルドマスターは、明るい口調でそう言うと、りょうちゃんの腕を掴み、扉の方へと歩き出した。




