第3話 『オールド・ワールド・ブルース③』
梅田地下街での軍用ドローン、アキアカネとの戦闘後。
ひと通り地下街の探索を終えたリイナとアスタは手に入れた戦利品を整理すべく、アスタが所属している会社の事務所へと向かっていた。
かつて、大阪市北区の中心だった梅田を後にして南下。
中之島を挟んで流れる堂島川と土佐堀川、そこにかかる大江橋と淀屋橋に差し掛かった。
大江橋には自動小銃を持った兵士が数人おり、橋の車道上に建てられた監視塔ではボルトアクション式の狙撃銃を構えた狙撃手が目を光らせていた。
本来、八車線もあった道幅は監視塔と積み上げられた土嚢によって大幅に狭められ、左右両側の二車線しか使えない。
検問所、という表現が相応しい物々しさであった。
その場所を、特に表情も変えずに通過するアスタ。
梅田地下街で見つけた大きいリュックサックを軽々と背負うメイド服を着た銀髪の美少女という、崩壊後の世界ではかなり目立つ出で立ちのリイナも、アスタの同行者ということで通行を許可される。
監視塔の上ではためく双頭の虎が描かれた旗を見ながら、つくづく物騒な世界になったものだとリイナは思った。
こういった軍の検問所に掲揚されるはずの日の丸国旗も、国民を守る日本国防軍も、既にこの世界には存在しない。
「左手に見える、あの左右対称で妙に角ばったデザインの建物。アレは僕たち回収者の大半が所属してる、回収者連盟の本部だよ」
一方、楽しそうに崩壊した世界の案内をするアスタ。
「……あの建物はかつて、大阪市役所と呼ばれていたものなのですが」
「えっ、そうなの? あんなにゴツい見た目をしてるから、てっきり軍関係の建造物かと思ってたよ。ここにも後で顔を出すけど、まずは僕らの事務所に戻らないと。多分、所長が首を長くして待ってるからさ」
二人は回収者連盟本部の前で開かれているバザーの雑踏を抜け、中之島の南側に位置する淀屋橋も渡りきる。
大江橋と異なり、淀屋橋には二人ほど兵士が立っているだけで、それ以外に防衛用の設備と呼べるものはなかった。
橋の南側の備えが薄いのは、この中之島より北側は各勢力が領有を目論む係争地帯であり、ここより南側は文明崩壊後の関西圏で最大の勢力を誇る組織、『共和国』の支配下にある土地だからだと、アスタはリイナに説明した。
アスタ曰く、『共和国』とは文明崩壊の直前、或いは直後に結成された日本国の有力政治家や企業家たちの結社を前身とする組織であり、崩壊前の社会構造や政治体制、文化などといった在りし日の文明的なものを重んじるという。
そして、この関西圏で割拠する勢力の中では最も会話が成立し、理性的かつ合理的な組織であることも重要だと、アスタは語った。
ひとしきり説明を終えたアスタは、リュックサックから水筒を取り出し、そこに入った水をごくごくと飲んだ。
そして、聞いてばかりは退屈だろうと、彼は歩き続けながらリイナに話を振る。
「さて、と。まだ事務所までは少し距離があるし、次はリイナさんの話を聞かせてほしいんだけど、良いかな?」
「出会ったときにもお話したように、ワタシはかつて日本政府が主導した、とある計画によって作られた軍用アンドロイドの試作型です。それ以上のことは現在、喋ることを許可されていません」
会話、終了。
「そうかぁ、まぁ喋れないんじゃしょうがないね」
そして特に疑問も質問もなく、するりとリイナの説明を飲み込むアスタ。
このあっさりさに、発言したリイナが逆に驚いた。
「……いやいや。そこはさらりと流すところではありませんよ、アスタ様。本当かと疑ったり、何故いままで黙っていたんだと怒ったり、何か崩壊前の軍事機密や有益な情報を知っているはずだと問い詰めたりするところですよ」
元々、そこまで表情を変化させる機能が備わっていないのか、リイナは表情こそいつもの仏頂面である。
しかし、言葉の節々にアスタという少年の純粋さ、もしくは人を疑うことを知らぬ善性に対する驚きが表れている。
「うーん。けど、リイナさんは話したくないから、話してないんだよね? なら、別に無理に話さなくていいよ」
「いや、それは、その通りですが……」
いつもはアンドロイドらしく、なにひとつ言いよどむことなく、空気も読まず単刀直入に物を言うリイナが、珍しく言い淀んでいる。
この少年は、こんなあっけらかんとした性格でどうやってこの崩壊した世界を生き延びてきたのか。リイナは疑問に思っている。
端的にいえば、人が良すぎるのだ。
出会ったばかりのアンドロイドであるリイナに同情の涙を流して抱擁し、彼女の詳しい事情も尋ねず、親切に崩壊した世界を案内する。
あまりにも、リイナにとって都合が良すぎるのだ。
自分に都合よく物事が運びすぎているときは、罠に嵌められているときだ。
文明崩壊前にリイナが読んだ漫画の台詞が、リイナの脳裏をよぎる。
じぃ、と据わった目でアスタを見るリイナ。彼女の中に、アスタ少年に対する疑いが沸きあがる。
もしやこの少年は、自分の高い戦闘能力を利用して、この崩壊した世界で一旗揚げるつもりではないか。
もしくはとんでもない変態で、自分のこの芸術的な美しさを持つ肉体をあの手この手で弄ぼうとしているのではないか。
リイナの疑念が凝縮された視線に気づいたのか、アスタはばつが悪そうに頭を掻く。
「あー……、うん。たしかに怪しいかもしれないけど、僕は僕なりに頼みたいことがあって、リイナさんと一緒にいるんだ。それに……」
「それに?」
「それに、いかにもワケありな強い女性には慣れてるんだ。まぁ、事務所で所長に会えば分かるよ」
立ち止まり、しばらく疑いの眼差しをアスタに向けるリイナ。
アスタもまた、これ以上は何も言わず、黙って申し訳なさそうに視線を伏せている。
────ごめん。泣きたいのは、君のはずなのに。こんな寂しい場所で、一人ぼっちで、まったく見知らぬ世界で目覚めて。大丈夫、大丈夫だから。
しかし、リイナの記憶には、しっかりとアスタが初めて彼女と出会ったときに見せた涙と、震える声で必死にリイナを慰めた言葉が残っている。
あのときにアスタが見せた涙を、語った言葉を、リイナは嘘だと思えなかった。或いは、思いたくなかったのかもしれない。
リイナはアスタの涙と言葉に、自身を作り上げた夢島恋博士の面影を見ていた。
そして、情報の蓄積と分析によって生み出された偽りの感情しか持たないはずの彼女が、かくも生々しく、そして複雑な感情を抱いたことに、何よりもリイナ自身が驚いている。
「……とにかく、博士はワタシに、こんな世界でも生きろと言われた。命令ではなく、まるで願望のように。なら、ワタシはそれを叶えたいと思っている」
ぽつりと、リイナが呟いた。
かと思えば、リイナはアスタに向かって深々と頭を下げる。
「疑ってしまい、申し訳ありません。やはり今のところ、ワタシがこの世界で生きていく助けになるのは、アスタ様以外にいないようです。今度とも、よろしくお願いします」
「あ、頭なんて下げなくていいよ。事情を詳しく説明していない、僕も悪いんだから。とにかく、事務所に行こう。そこで、色々と説明するからさ」
「わかりました。この際、アスタ様が多少の変態でも、許容することにします。ちなみに、ワタシの肌や胸部、臀部が柔らかい理由は人工皮膚と────」
「何の話!?」
かくして、アスタとリイナは移動を再開し、淀屋橋を通過して北浜へ。
崩壊前の大阪市では中央区と呼ばれた場所にある、七階建ての雑居ビルまでやってきた。
赤いレンガの壁が目立つそのビルの入口前で、リイナはきょろきょろと辺りを見回している。
「この辺りには、人が住んでいる建物もあるのですね。で、事務所というのはこの建物ですか?」
「共和国の勢力圏でも、この周辺は特に治安が良いからね。事務所はこのビルの二階。窓の外に無理やりワイヤーを張って、洗濯物を干しているのが目印だよ。……今日も、所長の下着が堂々と干されているから」
否が応でも目立つ赤いブラジャーを見て、下手な看板より目立ちますねと感嘆するリイナ。
一方、アスタは頬を僅かに赤らめながら、ビルの内部に入っていく。
リイナもそれを追いかけ、二人はビル内部の階段を上がった。
そして、二階の扉に立ち止まったアスタは、こほんと咳払いをすると、芝居がかった動作で『ニイロ史料編纂所』と書かれたプレートが貼られた扉をがちゃりと開ける。
「──それじゃあ、改めて。ニイロ史料編纂所へようこそ、リイナさん」
扉を開けた先。
部屋の中には、一人の女性がいた。
「待ってたよ、少年。今日こそは私を楽しませてくれるもの、あるいは万年赤字を垂れ流すわが社の経済事情を潤してくれるものを持ってきたかい?」