きっかけ
ドクが竜について研究を始めたきっかけ――。
それは、竜騎士になってしばらくした野外演習の時だった。圧倒的に体格差のある大型種の竜を、ファルクムアグリコラ種が引きづり回していたのだ。
物理的にありえない光景である。
筋力差は明らか。痛みで相手をコントロールしていたわけでもない。なら、どうやったら自分の倍以上もある相手を振り回せるのか……。
本当は、大して興味があったわけじゃない。だが、能力的に平均以下の自分が、騎士団の中で生き残っていくためには「特別」を持つ必要があった。
いや、ちょっと違うか。
ドクは特別になれなかった。だから、特別になろうとしただけだ。
身体能力も高くない、学力もない、ただの青年が、人気の一見派手な職種に入れば大衆に埋もれるのも仕方がない。同じ土俵で勝てないのなら、他人が目を向けていない所へ手を伸ばせばいい。そんな超消極的な理由で、ドクはそれを追求した。
その考えは誰も得をしないエゴであるし、当然のことながら、しばらくドクを不幸にした。彼が自分の能力とプライドとの関係を整理できたのは、もっと後になってからだ。
彼は、他人にとっても、自身にとっても、扱い難い人間だった。
ただ、「原因と結果の関係」は、常にイレギュラーなバウンドをおこす。
研究という自己研鑽はドクの精神を安定させ、副次的に竜の戦闘についての理解を進めたのだ。結果的に、ドクは騎士団の中で立ち位置を確保できた。今、ドクは「騎士にして研究家」として一目置かれており、奇妙な発言力を持っている。
そんな、自分を救ってくれた研究に、一つの答えが出ようとしている。長らくつっかえていた疑問が、今、目の前のかび臭い本の中で霧消していくのだ。興奮を隠せない。
――分かるぞ……意味が……
ドクは、一見無意味な模様の羅列を見ながらつぶやく。
その図は、かつて捉えられた竜騎士達の背中に彫られていた入れ墨を、正確に写し取ったものだった。計10人の不幸な竜騎士たちの背中の絵が、見開きのページにスケッチされている。
――思ったとおりだ。500年前、彼等は竜の力の根源を知っていた。そして、それの利用方法も……。
ドクはノートを引っ張り出し、そこに書いてある奇妙な表と、本のスケッチを見比べる。
――図柄が違うのは、個人の血管と、竜の種類によるものだろう。興味深いのは、各図柄が独立しないで、曲線で接続されているところだ。接続記号を使って、各システムがスムーズに働くようにしている。いや、現物を見れてよかった。理論だけで直接やっていたら、機能しなかっただろう……。
ドクは夢中でペンを動かした。
正確を期するため、何度も書き直したが、不思議と疲労は感じなかった。閑散とした館内に、乾いた音が途切れる事なく響いていた……。
気が付くと夕方。
ドクは、本を返却しにカウンターへ向かうと、明日も閲覧する旨を伝えた。許可は一週間分出ているが、このぶんなら早めに終わりそうである。
不愛想なおば様司書の視線をかわしつつ外にでると、すでに日は完全に落ちていた。
――いかん、店がしまっちまう。
ドクは早足でキハチヤへ向かった。上手くいけば、焼き菓子の一つや二つを買えるかもしれない。タフな交渉には袖の下が必須であることは、夫婦間でも変わらないのだ。
――しかし、「刺青を入れたい」なんて言ったら、リンダはどんな顔をするかな……。
そう。
ドクの研究を実証するには、ドク自身に本から写し取った刺青を彫る必要があった。当然、奥さんは良い顔をしないだろう。
金銭の話だけじゃない。ガラも悪くなる。
温室育ちというわけでもないリンダだが、荒っぽい文化とは縁が無かった。夫であるドクも竜騎士らしくないので、よけいである。
だから、いくら研究に関係するものだといっても、抵抗は必至。交渉は難航を極めるだろう。
――最悪、今日も身体と心を捧げよう。もしかしたら、大事な何かを失ってしまうかもしれないが、ここ数年にわたる研究がパアになるよりはましだ!
ドクは、満天の星空の下、これまで培ってきた「ノーマルな性癖」を生贄にする事を決意した。
苦渋の選択である。




