脱落者(エミリネート)
午後、予報が外れて天候は悪化し、ロサンゼルスの空から珍しく雨が降った。
フライトスクール内にある小さな会議室。
プロジェクトメンバーである勲子、任、遙香の3人が丹治を交えて話し合っている。
話し合いは終盤、室内の空気は重い。
「任が最初に言った通り、推薦したのは私の失敗だった。矢浪くんはプロジェクトの意味と、自分の命の価値が分かってない」
勲子の表情には憤りと悲しみが入り混じっていた。
「そんな昔のことを……。俺は逆に感心しましたけどね」
「そんな。入鹿くんみたいに、人と逆のことを言わないでよ」
「違いますよ。俺があのとき反対したのは無謀なフライトでポイントを稼ぐような奴は、現実のレースでは二流になるのが落ちだと思ったからです」
任は怒りと後悔で冷静さを失っている勲子に向けて、淡々と自分の意見を告げた。
「俺は良くも悪くも、土壇場であんな判断をできるとは思ってなかった。それに、最低高度は守ってるし、Gオーバーと言っても、最後の瞬間に僅かに今回の規定を上回った程度です」
実際、Gオーバーは僅かで、本番ならともかく今回の審査においてフライト止めるほどではなかった。
それでも、ストップを掛けたのは勲子の判断だった。
「でも、危険なフライトを行った。誰が見ても、シングルパイロン前の高度は不足していた」
丹治が厳しい表情で口を挟む。
「軽々しく命を捨てるような行動をするようでは、今後事故が起こらないとも限らない。仮に命が助かったとしても、事故が起きた時点でこのプロジェクトは終わりです。彼らの未来は断たれる」
丹治はフライトスクールの教官ということもあり、事故の危険性を誰よりも知っていた。
「命を捨てる気はなかったと思いますよ。あくまでルールの範疇内で、勝つためにやった行動だ。エアレースのパイロットを目指す以上は必要な資質でもある」
「……遙香は、どう思う?」
勲子は少し落ち着き、2人の議論を静観している遙香に意見を求めた。
「……あのフライトを見て、そう感じただけなんですけど。私は矢浪くんが本気なんだと思いました。きっと、私が思っているよりもずっと本気であのレースに臨んでいた」
遙香の言葉に、任と丹治は議論を止めて静かに耳を傾ける。
「もしも、丹治さんの言うように、矢浪くんが命を捨てる気でも勝ちたかったのなら。矢浪君にとって、このレースは命を賭けるだけの理由があったんだと思います。私には、それが何かは分からないけど――」
遙香がそう言い終えると、会議室に沈黙が降りる。
そのとき、タイミングを見計らったかのように、勲子の携帯電話が振動する。
同時に、ドアをノックする音が聞こえた。
▲ ▼ ▲ ▼ ▲
フライトスクールのラウンジでは、候補生たちが適正審査の結果を待っていた。
午後5時20分、勲子たちプロジェクトメンバーと丹治、3人の教官たち、取材班の大浦たち、それに加えてエアレースの創始者ベネディクト・バゴイが集まった。
すでに帰ったと思われていたので、同席することに驚きが隠せない。
「これより適正審査の発表を行うわ」
勲子は候補生たちを座らせたまま、早速本題に入った。
「結果から言えば、適正審査の結果、脱落者となるものはいなかったわ」
候補生たちの中から安堵の声が聞こえる。その中で、颯はまだ浮かない顔をしている。
「バゴイさんが最初に言った通り、このレースはあくまでも審査の1部で、あなたたちに目標を与えるためのものだった。本当の審査は1週間前、模擬レースの通知がきたときから始まっていたの」
「はっ。やっぱりか……」
入鹿が予想通りといった様子で笑った。
「そんなのサイラスの顔を見れば分かったぜ」
「…………」
サイラスはため息をついて肩をすくめて見せる。颯はそのリアクションを見て、初めて審査がどのように行われていたのか理解した。
「入鹿くんがレースで余裕だった理由は分かったわ。黙っててくれてありがとう。……そう。ブルーカウ側の審査は、派遣されたサイラスに一任されていたの。この1週間、サイラスはレースに向ける練習を見て、それぞれにレースの適正があるかを判断した」
「一応言っておくが、甘い審査はしていない」
サイラスは訓練生に向けて力強く言った。
「勝負の世界での情けは、後々本人を1番苦しめることになる。俺は本気でパイロットの適正は全員にあると判断したし、今日のレースを見ても間違いなかったと思ってる」
颯は虚無感に占められていた胸の奥が、じんわりと熱くなるのを感じた。
「レースの課題点は各々分かってると思うから、今日は言わないわ。でも、あなたたちの価値は自分で思うほど低くない。それだけは分かって欲しいわ」
勲子の言葉は切実な響きを持っていて、颯は自分の行動を心から後悔した。
「……こんな話をした後に、残念だけど。適正審査とは別の理由で、2人、このプロジェクトを抜けることになったわ」
その言葉に仁奈が小さく悲鳴を漏らした。
勲子の視線は颯を真っ直ぐに見つめている。
颯は安心しかけていたこともあり、急に奈落に落とされた気分になった。
「まず、矢浪くんにはこのプロジェクトを一旦離脱してもらうわ」
「……一旦?」
「それについては、後でバゴイから直接話してもらうわ」
颯は生きた心地がしなかったが、それ以上にもう一人の脱落者の方が気になった。
「もう1人は――」
「僕からいいですか」
不意を突かれ、候補生たちの視線が弥勒に集まった。
「ええ、いいわよ」
嫌な予感で背中に汗が浮かぶ。
「この場をお借りして話します」
弥勒の目は正面を向かず、口元に彼らしくない不器用な笑み作っていた。
「みんな、ごめん。僕はこのプロジェクトを辞退するよ」
▲ ▼ ▲ ▼ ▲
「――どうしてだよ?」
翌日、颯は弥勒の部屋に訪れて直接問いただした。
「おはよう。いきなりだね」
弥勒は荷造りを始めていて、すでに部屋着からも着替えている。
「昨日も言っただろう。他人がどう判断するかはともかく、僕は自分自身に可能性を見い出せなかったんだ」
颯は何も言わずに弥勒を見た。弥勒は淡々と説明を続ける。
「厳しいよね。この世界はいつでも、結果を求められる。なにもパイロットだけじゃない。大会で成績を残さなければ練習しなかったのと同じで、新卒で内定が出なければ遊んでいたのと同じだ。努力は結果が出なければ無かったことにされる。過程を示す言葉なのに、結果ありきでしか評価されることがない」
颯は自分が抱えているような薄暗い気持ちを、弥勒が抱えているとは思わなかった。
いや、そう思うのはこれまで古門弥勒という人物の上辺だけの、上手くいった部分だけしか見てこなかった結果なのかもしれない。
「就職のこと、後悔してるのか?」
颯は遂に以前の会話を思い出しながら、もう1歩踏み込んだ。
「いいや、してないよ。今言った話だけど、僕はこれまで、それなりに結果を出して来てたんだ。部活では地区大会ベスト4までいったし、受験も成功したし、内定だって同級生の中ではかなり早く出した方だった。まあ、目標であるインターハイには出れなかったし、受験も就職も第一志望は通ってないけど……。それでも、他人に認められるような結果を出してきた。――でも、今回はそれとは違うんだ」
弥勒は脱力したように、玄関の壁にもたれ掛かった。
「初めて規定のルートから外れた。後悔はしてない。だけど、僕はこんな生き方をできる人間じゃないと、もっと早く思い知るべきだった」
「……それは違うだろ」
颯はいい加減に苛立っていた。
それは弥勒の言葉が、真から出ていないのが分かるからだ。
「弥勒は規定のルートを自分の意志で外れたからこそ、他の誰よりも本気だったはずだ。可能性があるうちから、諦められるような覚悟じゃなかったはずだ」
「……ああ、そうだね」
弥勒は笑みを消して、悔しそうに顔を歪めた。その声は震えていた。
「本当のことを言うと……怖いんだよ」
颯は弥勒の告白に言葉を失う。頭の中が真っ白になった。
「サイラスとの最初のフライトの後、颯君は『最高だった』って言ったよね。僕が持った感想は違う。『怖かった』だ」
颯は弥勒が今まで戦っていた物の正体を知って震えた。
それは昨日の模擬レースの中で、颯が失格直前に抱いた感情と一緒だった。
「曲芸飛行の練習が始まってからも、ずっとそうだった。でも、恐怖は大小の違いはあっても全ての人が持っているもの。そう言い聞かせて、僕は訓練を続けた」
どれだけ辛かっただろうか。
約束された進路を捨ててまで選んだ夢への挑戦。
それが、恐怖という抗えない感情によって閉ざされていくのは――。
「少しずつ克服はできてたのかもしれない。でも、生きた心地はしなかった。免許訓練のときはそんなこと考えもしなかったのに、いつの間にか、毎日生きて帰ることだけを願うようになっていた。それでも――」
――勝ちたいという気持ちは残っていたんだ。
弥勒の途切れそうな声を聞いたとき、颯はもう彼を引き留める意志を失っていた。
テーマパークでの遊びのような勝負を、弥勒がどんな気持ちで挑んでいたのか、勝負の後の疲れ切ったような表情の意味を、分かってしまった。
「僕は勝つか負けるかの場面で、引き金を引けない――勝負に出れなかった」
そんな風に決めつけることない、と颯は言うことが出来なかった。
「僕が知る限り、矢浪颯は違う。恐怖を捨てて、勝ち負けの世界に身を置くことが出来る。それは才能だよ」
「弥勒……」
「バゴイもそれが分かってるから君を拾ったんだと思う」
颯には脱落しないために一つの条件が与えられた。
それはプロジェクトを一旦離脱して、バゴイの元で2週間指導を受けること。
その結果を、勲子や教官たちの前で披露することだった。
「君ならタカにだって勝てる。頑張れよ」
「……ああ、やってやるよ。ありがとう」
颯は弥勒の精一杯の言葉を受け止めた。
そうすることでしか、彼の優しさに応えることが出来なかった。




