ロサンゼルスの休日 ①
8月末、颯たちは訓練が始まって以来、初めて同時に長期休暇を取った。
短い休みはこれまでもあったが、練習機体や教官とのスケジュールの都合上、候補生六人が同時に休むことは出来なかった。そういった事情を考慮してか、勲子の計らいで、連休のうち一日は一部費用を会社の負担でどこかに遊びに行けることになった。
多数決の結果、レンタカーで近くにあるテーマパークに行くことが決まる。
「クリスとオーウェンが本職のエアショー、サイラスは便乗してアイオワで自主トレか――」
冷房の効いた車内、入鹿はサングラスを頭に乗せてすっかり休暇モードだ。
「クリスさんは、今年は全てのエアショーをキャンセルして、みんなの訓練を見る予定だったみたいだよ。でも、勲子さんがみんなにも息抜きは必要だって説得したらしい」
後部座席の遙香は珍しく私服で、傾けたシートに寄り掛かって羽を伸ばしている。
「あの鬼教官説得したのか、チーフには頭が上がらないぜ」
「クリスさんはそんなに怖い人じゃないよ……」
遙香の言葉に候補生たちは沈黙を貫く。
それは訓練を受けてないから言える言葉だと、全員が思っていた。
「おかげで、遙香さんも休暇取れたんですよね? いつ以来ですか?」
「……連休は3月以来かな。忘れちゃったよ、ははは――」
「大概ブラックですね」
「まあ、勲子さんも任さんも同じだからね。文句も言えないよ」
雪兎は同情の視線を向けるが、当の遙香はそんなに嫌そうではない。
「私もみんなと一緒で、このプロジェクトに夢を見てるから。毎日仕事も訓練も楽しいよ」
(いいこと言うなー)
颯は内心遙香を賛同したが、入鹿が小さくブーイングが起こした。
「俺はなぁー……。どうせライバルは身内なんだから、もう少し楽にしても問題ないと思ってるぜ」
「う……そりゃ、みんなは仕事じゃないもんね……」
初奈と入鹿の反応に遙香は申し訳なさそうに俯いた。
「でも、入鹿くんには感謝してるよ。ありがとう。勲子さんに一緒に休めるように言ってくれたんでしょ?」
「はっ。男女比4対2じゃ、男同士で組むことになるからな」
遙香にそんな風に言われても、入鹿はまるでいつもの調子を崩さなかった。
「――今、どこぐらい走ってるんだろ」
「スタントン図書館を超えた。あと10分くらいで着くぞ」
颯の隣に座る貴広が、ガイドブックとカーナビを照らし合わせて答える。
「やっぱ、すごい近いなー。それにしても……」
颯は運転席の弥勒と、助手席に座る初奈が話す様子を見て思う。
「(――なんか、あの2人。最近仲良くないか?)」
颯が耳打ちすると、貴広も小さく頷いて同意した。
「(最初は初奈の片思いと思ってたけど、弥勒も満更じゃなさそうだ)」
「(やっぱあれか? 試験のとき勉強教えてたから?)」
「(かもな。お前と北上よりは進展してそうだ)」
「(……あのな。余計な口出しすんなよ。同じグループ内で恋愛って後が大変だろ。俺は気を使って様子を見てんだよ……)」
貴広は無言で、呆れたような目付きで颯を見る。
颯自身、言外に指摘されると、自分がただのヘタレな気がしてならなかった。
「そろそろ着くよ」
運転する弥勒が後ろの面々に向けて言った。
「きたーー!」
目的地のテーマパークの雰囲気に当てられ、初奈は早速声量が大きくなった。
▲ ▼ ▲ ▼ ▲
「さて。到着したし、早速ファストパスを巡りに行こうぜ」
入鹿はサングラスをセットすると、仲間たちを先導してテーマパークを早歩きで移動する。
「ああ、ここからは1分1秒の勝負だ」
貴広もまるでレースに臨むような張り切り方だ。
意外とテンションが上がっているらしい。
「あぁ~、やっと海外旅行らしいイベントだ~。泣けてくる……」
その後ろを、初奈は周囲を見渡しながらフラフラと移動する。
「最速を目指すパイロット候補としては、これくらいこなせなきゃな」
「まあ、トイレの時間まで計算するのは流石にどうかと思うけど」
颯と雪兎もそう言いながら、早歩きで入鹿たちの後に続いていた。
「のんびり楽しむとか、そういう選択肢はないんだ……」
「なんか、昨日の話し合いの途中からこういう雰囲気になっちゃったんですよ」
遙香は困ったように汗を拭き、それを最後尾の弥勒がフォローする。
颯たちは前日、アパートのラウンジに集まり、ガイドブックとインターネットを頼りに翌日のプランを練ることにした。しかし、想像以上に意見は割れ、それぞれに自身の意見を曲げるという努力はほとんど見られなかった。
その結果、全員の意志を極力尊重するため、行列の時間や昼食の混み具合まで考慮した、分刻みスケジュールが出来上がってしまった。
「ワールド・オブ・カラーのファストパスゲット!」
「すぐにグリズリー・リバー・ランに行こう」
ファストパスの発券時間を計算しながら、アトラクションを乗り継ぐ。当然、多少のズレは出てくるが、そこは待ち時間を利用して適時修正していった。
「面白いほど、テンポよく乗れてるね……」
「昼飯まで油断するな。とっとと、カーズランド行こうぜ」
こうして、颯たちはTAでもするように、次々と名物アトラクションを堪能していった。
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午後になって人が増えてファストパスの時間間隔が空き始めると、流石にアトラクションに乗るペースは落ちて、列での待機時間が長くなった。
「それにしても、本当に暑くなってきたよね……」
雪兎は気温が上がるにつれ、白い頬を上気させ、見るからにパワーダウンしていた。
「雪兎ちゃんは北海道出身だからきついんだね」
「うん。この暑さが訓練で1番辛い」
颯にとっては湿気が少ない分いくらか過ごしやすいロサンゼルスの気候も、雪兎にとっては耐え難いものなのだろう。
雪兎は服を捲り、愛用の小型扇風機の風を入れる。
颯はその白い肌を見ないように努力しながら、1つの提案をした。
「もしきつかったら、カフェで休憩するか? 俺も少し寝不足で疲れてきたんだけど……」
現在のアトラクションは1時間待ち。午前でアトラクションも大分消費した。
もちろん、雪兎を気遣いつつ、2人切りになりたい気持ちもあったが、颯自身、そろそろ休みたいと思っていたところだった。
「……ごめん。気を使わせた?」
「そんなことは――」
「でも、ありがと。休んどくよ」
雪兎は意外にもあっさり、その提案を飲んだ。
「ああ、私も休もうかな……」
「おっと、遙香までいくのは駄目だぜ。ほら、携帯椅子渡すから」
入鹿は一緒にリタイアしようとする遙香を強引に引き留めた。サングラスの奥の瞳がちらりと颯のことを見た気がした。
(入鹿の奴、気を使ったのか……。助かる!)
颯は普段の揶揄いも忘れて、内心で感謝した。
▲ ▼ ▲ ▼ ▲
颯と雪兎は列から抜けて、近場にあるカフェに向かった。
室内席を何とか確保し、ようやく一息を着く。
雪兎は席に座った途端、背もたれにぐったりと寄り掛かって白い帽子で顔を覆った。
「あー、しんどかった……」
どうやら、先程の暑いという発言は、強がりな雪兎なりのSOSサインだったらしい。
「そんなに辛かったらちゃんと言えばいいのに。休暇で熱中症になったら元も子もないぞ」
「…………」
雪兎はリアクションを一切返さず休んでいる。
せっかくの二人切りだったが、肝心の雪兎はダウンしたままで颯は暇を持て余した。
注文したジュースとパフェがテーブルに届く。
颯は注文品が来ても動かない雪兎を見て、一つの恥ずかしいアプローチを思い付いた。
そして、僅かな葛藤の後、浮ついた気持ちでその思い付きを実行に移す。
颯は静かに席を近づけると、スプーンで雪兎のパフェをすくった。
「雪兎、口開けて。あーん」
「……あ、むっ」
スプーンに乗ったパイナップルとクリームを、雪兎は反射的に口に入れて咀嚼する。
「美味しい?」
「…………」
雪兎はなおも無言で、こくりと1回頷いた。
颯は気恥しさで体が熱くなったが、引き返せずに、更に雪兎への餌付けを続ける。
「雪兎」
「……んむっ」
雪兎は差し出されるがままに、パフェを食べ続ける。その頬も徐々に心なしか徐々に赤くなっていく。
しかし、次第に周囲の視線が集まり、雪兎を見続けているうちに変な気分にもなりそうだったので、居たたまれなくなって手を止める。
最も、その頃にはパフェはほとんどなくなっていた。
「……す、少しは元気になった?」
「……う、うん。ありがと」
雪兎は寝返りをうつように颯から顔を背け、小さな声で返事をした。
颯は自分で始めたことなのに、どうやって元の空気に戻せばいいか分からずに焦った。
颯は間を埋めるように、ゆっくりと自分の注文したジュースを飲み始める。
ジュースの氷は溶けていて、オレンジの味が少し薄く感じた。
薄まった酸味が、雪兎しか見えてなかった意識を周囲の景色に連れ戻す。
行き交う無数の人々。母親に手を引かれ、その反対にハート型の風船を持つ小さな女の子。遠くで日本人観光客がパンフレットを見ながら話す声。背を向けたまま、動かない雪兎――。
ふと、そんな全てが現実のものとは思えない感覚に陥った。
時折、この瞬間のように、時間が『浮いている』と感じることがある。
そういった時間では、周囲の音や風景がやけに立体感を持って見え始める。まるで、自分が舞台の上にいるような、更にそれを別の自分が見ているような錯覚に陥る。
そこで起きたことは〝特別〟で、印象的な映画のワンシーンのように頭に鮮明に残った。
「なんか、訓練のこととか忘れそう……」
雪兎が颯の心に共鳴するようにそんな言葉を呟いた。
選考を通過してからは、颯にとって、腰を落ち着ける暇もない〝特別〟な日々だった。けれど、そんないい意味で『浮いている』日々も、訓練を続けるうちに擦り切れて日常の枠に収まるようになった。
「俺もそんな感じだ」
(ああ、早く飛びたい……)
サイクルから外れた時間、一時の心の高まりのおかげで、颯はこれまでの貴重な日々のその大切さを――当初の思いを、再確認することが出来た。
「でも、もうしばらくは飛行場のフェンスも見たくないって気分になってたのに、また飛びたくなってくるから変だ」
「……そういうの、羨ましいな」
雪兎は上体を起こすと、カフェにきて初めて颯と向き合った。
「私は『AIR ACE』のときも、楽しかったのは試合で勝てたときくらいだった。本戦で勝ってやっと。買ったばかりのときは、操作するだけで楽しかったのに」
「あー、それは分かる。やっぱどうしてもある程度は作業になるからな。シーズンが終わる前とか、トップ20に入ることに必死で余裕なくなってた。結局、入れなかったし」
颯は背後に暗闇が迫るような焦燥を覚えていて、思い返すと未だに掌に汗が滲んだ。
「今だって焦ることはあるけど。ゲームのときと違って、確実に残る技術はあるから」
「……そうだね」
雪兎の同調する声は少し弱い。
颯はそれに雪兎の中にある不安を見た。
「それに、飛ぶのって楽しいじゃん。俺、昔から、山登りとかそういう冒険みたいなのが好きでさ。エアレースとかエアロバティックスを知って、その世界に入りたいと思ったのも、多分そういう冒険心とか単純な気持ちなんだと思う」
颯は言葉を繋ぎながら、自分が雪兎に何が伝えたいのかが徐々に形になるを感じた。
「だから、雪兎も今は楽しめばいいんじゃないか?」
「……うん。そうかもね」
雪兎は小さく礼を口にすると、俯きかけていた視線を上げた。
雪兎は颯の心配そうな表情を見て、何を思ったのか僅かに黙り込んだ。
(あ、もしかして……)
沈黙が生まれたのは、颯の方にも雪兎の表情に思うところがあったからだ。
「ねえ――」
大きな茶色い瞳が颯のことを真っ直ぐに見つめる。
「勘違いだったら恥ずかしいけど、聞いていい?」
颯は緊張で返事が出来ず、代わりに小さく頷いた。
「颯って私のこと――」
「おう、ただいまー」
だが、見計らったかのようなタイミングで入鹿の声が聞こえた。
颯は複雑な気持ちで声の主を見た。
入鹿は爽快に手を上げて、その隣では遙香が疲れ切ったように肩を落としている。そう言えば、遙香は絶叫系のアトラクションが苦手だと口にしていた。
「やっぱ、ジェットコースターは苦手な奴のリアクションを楽しむのが1番楽しいぜー」
「入鹿くん、活き活きしすぎだよ」
「喉乾いたし、さっさと俺らも席に座ろうぜ」
入鹿はちゃっかり遙香の手を引いて、貴広たちを置いて颯たちの席に相席する。
(別にこいつ、俺たちに気を使ったわけじゃなかったのか……)
颯は頭を抱えたい気持ちになった。
「……おかえり。遙香さん大丈夫?」
雪兎は口にしかけた問い掛けを飲み込み、遙香の方に向き直った。
颯と雪兎はそれからしばらく2人切りになることも出来ず、気まずさからなかなか視線を合わせることも出来なかった。




