夜明け
つららが三階まで降りてきたのは、あれから十分後のことだ。彼女の背後では、十数人ほどの軍人が倒れている。
(軍隊が束になってつららさんを捕まえようとしてくるせいで、階段を下りるだけでも一苦労だ。ダイナくんの開けてくれた穴は見えない物体で塞がれて使えなかったし、何がなんだかさっぱりだよ)
流石の彼女も、多人数を相手にするのは少々手こずるらしい。ランボルとの戦いでかなり失血したこともあり、つららは著しく疲弊していた。彼女が廊下に出ると、そこには力なく横たわるダイナの姿があった。彼の体は酷く傷ついており、その真下には血だまりが出来ている。
「ダイナ……くん……?」
つららは目を疑った。彼女はすぐさまその場にしゃがみ込み、ダイナの体を必死に揺さぶった。
「つらら……か。へへっ……遅かったじゃねぇか……」
かろうじて意識は残っているようだ。しかし虫の息である。体の節々から血を流しながら衰弱していく彼の姿を目の前にして、つららは居ても立っても居られなかった。
「喋らないで。動いちゃダメ。今手当てするから」
「……これで最後になるかも知れねぇから、よく聞いてくれ」
「つららさんは笑えない冗談は嫌いだよ」
「そう言うな。あれを見ろ」
震える右腕をゆっくりと持ち上げつつ、ダイナは窓の外に指を向けた。つららは彼の指差す方へと目を向ける。
――――日の昇り始めた空には、綺麗な虹が架かっていた。
ダイナは話を続けた。
「あの時見た虹が最後の虹にならなくて、本当に良かった。約束は果たしたぜ」
あの虹の美しさは、彼の心にも焼き付いていたらしい。つららは再び彼の方へと目を遣り、彼の前髪を掴み上げながら声を張り上げる。
「まだ死なせない! 三人で生きてここを出て、スキー旅行に行くんだ! つららさんにスキーの滑り方を教えてよ! ダイナくん!」
「寧々のことは……任せた」
「ダイナくんは、三人揃ってこそ天下の便利屋だって言ってたじゃないか! それなのに! それなのに……」
「…………」
「ダイナくん……?」
……ダイナの反応は途絶えた。つららは彼の手首を掴み、脈の有無を確認する。
(反応がない。嫌だ。嫌だ。そんなの、絶対に認めない!)
彼女の瞳から、大粒の涙が零れ始める。つららはダイナを仰向けにし、心臓マッサージと人工呼吸を試みた。彼女は心肺蘇生法の極意をよく理解しているのか、その手際はまるでプロのレスキュー隊員のようだった。
「起きてよ! 目を覚ましてよ! 君が夢を持って、君が便利屋を始めようって言ったのに! 君は筋金入りの大馬鹿者だ!」
しかしダイナが息を吹き返す様子はない。つららは数十分以上にもわたって心臓マッサージを続けたが、彼は微動だにしなかった。
ダイナは完全に息を引き取っていた。
寧々が拷問にかけられるのも時間の問題だ。
「そうだ……先を急がないと」
もはや悠長に構えている場合ではない。つららは右手の甲で目元を拭い、廊下の一番奥の部屋へと向かった。
扉を開いた時、つららは不可思議な光景を目の当たりにした。天井と鉄格子と、その脇の壁の計三箇所に、大きな穴が空いている。彼女が唖然としたのも束の間、その背後からは聞き覚えのある声が聞こえてくる。
「その穴かい? ランボルが虫に天井を食い破らせてここに飛び降りてきて、寧々を連れて脱走したんだよ」
「……エドくんか。虫に天井を食い破らせたってことは、ランボルというのはアイツのことだね。ところで、君はこんなところまで何をしにきたんだい?」
「君が助けようとしているお姫様から、君に伝言があってね」
背後に現れたのはエドであった。相変わらず神出鬼没な男である。
「……伝言って?」
「メルという女に気をつけて。そいつは丸眼鏡と黒いローブを身に着けた女なんだけど、『自分にしか見えない物体を生成する魔法』を使えるんだ」
「手ごわそうだねぇ」
「大将のフォルクスは凄まじい闇魔法の使い手で、元帥のヴェルファは『武器を生成して遠隔操作する魔法』を使える。そしてヴェルファは……あの『ディヴェルト』を蘇らせようとしているらしい」
「『ディヴェルト』……⁉ 今、『ディヴェルト』と言ったのかい⁉」
つららの顔色が変わった。彼女の神妙な顔つきは、ディヴェルトと呼ばれる男がいかに重大な存在であるかを物語っている。




