挑戦者
ここは違法の地下闘技場――法に背く者たちが汚い金に群がる場所だ。内装は意外と広く、天井の高さも床から約十メートルには及んでいる。そこに十代の半ばから後半くらいの少女が現れた時、観客たちは彼女を嘲るような笑みを浮かべていた。
「おい見ろよ、あのガキ」
「迷子か?」
「余程の命知らずか、あるいは余程の馬鹿だな」
そんなことを口走る者たちを後目に、少女は自らの右手の掌から小さな吹雪を出してみせる。闘技場は笑いに包まれた。
「おいおい、ジェラトの残党どもの末裔か?」
「氷属性のガキが一人でのこのこ……奴隷が主人でも迎えにきたか?」
「ギャハハ! 悪い主人を持つと大変だな!」
差別感情に満ち溢れた心無い声ばかりが聞こえてくる。しかし氷の魔術師として生まれた者からすれば、悪意を向けられることなど日常茶飯事に過ぎない。銀髪の少女は彼らのことなど気にも留めず、場内へと立ち入った。彼女の後に続き、筋肉質な中年男性が場内に現れる。
「ここに初めて来たのなら、名乗るのが一応の礼儀だ」
「つらら」
「フルネームは?」
「下の名前しかないよ。つららさんは幼い頃、人体実験場で育ってきたからさ」
「そうか。まあ良いだろう……始めよう」
男はつららと名乗る少女を睨みつけ、右手に刀身一メートルにも及ぶ大きさの太刀を生み出した。
戦いの火蓋が切られた。
しかし呆気ないことに、この戦いの決着はすぐについてしまう。彼が鋼鉄の太刀を振り下ろすと同時に、少女は氷の盾を作りだす。このほんの一瞬の間に、男は己が勝利を掴めるという確信に至っていた。
(俺の金魔法で生み出した太刀なら、氷の盾程度容易くぶった切れる!)
この時、観客たちも男と同じことを考えていた。氷という物質には硬度の限界が存在するが、金属という物質の硬度はその種類によって大きく異なる。
だが砕けたのは、男の生み出した太刀の方だ。
呆気にとられる男を前にして、つららはにやにやと笑っている。それからも二人の攻防は続いたが、男の生み出す刃物は次々と砕けていく。そして男の腹を氷の槍で貫き、つららは言う。
「低温脆性って言葉があるんだけど、知ってるかな?」
彼女は氷の槍を更にもう一本生み出し、それも男の腹に突き刺す。男は状況を把握しきれていない様子だ。
「低温脆性……? なんだそれは……」
「体心立方格子構造の金属は低温にさらされると脆くなる性質を持つんだよ。どういうわけか面心立方格子構造の金属は大丈夫なんだけどね」
「専門的な話はわからんな……」
「まあ平たく言えば、君の生み出す金属は冷たさに弱いというわけだよ。つららさんは大きな氷だけを作っていたように見えて、君の生み出す刃物一つ一つの表面にマイナス二百七十度の氷の膜を張っておいたんだ」
説明は以上だ。つららは対戦相手の下半身を凍らせ、拘束する。続いて、彼女は少し後ろに下がり、相手との間合いを遠ざけた。
そして彼女は、男の真上に大きな氷塊を生み出した。
直径約三メートルの氷の球体が、彼の頭上五メートルの高さから落ちてくる。
(なんだあの女は……まるで歯が立たない……!)
もはや男に勝機はない。彼は氷塊の落下の衝撃を頭に受け、そのまま気を失った。それを確認してもなお、つららは三本目の氷の槍を手元に作りだしていた。観客たちが恐れおののく中、審判と思しき肥満体型の男性がマイク越しに声を張り上げる。
「勝者、つらら! この勝負にはもう決着がついている! それ以上の攻撃は試合と無関係の暴力とみなすぞ!」
彼の言葉でつららは我に返った。彼女は不本意ながら氷の槍を不定形の魔力に変え、自分の体内に戻らせる。そして審判らしき男から賞金を受け取るや否や、この期待の新人は彼が手に持つマイクを奪った。
「……ここの連中は、氷属性のガキ一人倒せないのかなぁ? 束になってでもかかってきなよ」
氷の魔術師は、歴戦の戦士たちの心に火を点けた。それからは数多の挑戦者が彼女を打ち負かそうと試みたが、誰も彼もが敗れていった。彼女の魔法はただの氷魔法だが、そこに科学的な知識が伴えば百人力だ。
「こうなりゃ、いよいよ俺の番か」
そう呟きながら立ち上がったのは、橙色の頭髪をした目つきの悪い青年だった。