ダイヤの原石
つららは今まで、敵に勝てなかったことなどほとんどなかった。彼女はほとんどの局面において勝者の立場にあった。そして今回も、眼前の敵に毒液を浴びせたことで彼女は安心しきっていた。
その甘さは、つららにとって命取りとなる。
この一瞬の内に、エドは彼女の目の前から姿を消した。
「……!」
つららは辺りを見回したが、半壊した街には人影一つ見当たらない。彼女の腹部に激痛が走ったのは、その直後のことである。
「ぐあっ……」
苦痛に満ちたうめき声を漏らしつつ、彼女は再び前方を見た。そこには無傷のエド・マクスウェルの姿があった。つららは恐る恐る視線を落とし、自分の腹に目を遣る。彼女の脇腹には、オリハルコン製のナイフが突き刺さっている。
「そんな馬鹿な……あの液体を浴びて、どうして君が無事なんだ!」
「……わざわざ不意を突く形で液体をぶちまけたということは、その液体には何らかの危険性があるということでしょ? だから僕は、その液体を置き去りにする形で、君の目の前に存在し直したのさ」
「そんなことも出来るなんて、便利な魔法だねぇ。つららさんに刺し傷をつけたのは、君で一人目だよ」
刺し傷から滴る鮮血は、服を緋色に染めながら表面に滲み出る。それでもなお、つららは眼前の強敵から逃げようとはしない。彼女は自分の右手から魔力を放出し、氷のナイフを作りだした。
このナイフが振り下ろされる先は、エドの右の手首である。
「おっと……!」
エドはナイフを持ったまま、大きな氷塊の外に自分自身を存在させ直す。つららは彼を睨みつけつつ、自分の脇腹の傷口を凍らせる。
(どう考えても、コイツは正面からかかって勝てる相手ではないねぇ。何としても、不意を突いた突破口を模索しないと……このままでは本当に死にかねない)
この一瞬の間にも、彼女は持てる限りの頭脳をもってして思考を巡らせる。エドがこちらに向かって一歩ずつにじり寄ってくる中、彼女は言い知れぬ焦燥感に駆られていた。つららは眼前の出入り口を氷で塞いでいくが、彼の振り回すナイフは氷を軽々と切り刻んでいく。
(もはや……ここまでか……!)
とてつもない絶望が押し寄せてくる。気づけば、エドは彼女のすぐ目の前まで間合いを詰めてきている。もはやつららに勝算は無いだろう。彼女は全てを諦め、死を覚悟する。エドは彼女の喉笛をめがけて、ナイフを勢いよく振り上げた。
「……やっぱり、殺すには惜しいね」
「……え?」
「僕の勘が正しければ、君は可能性に満ち溢れた人材だ。もっと強い女に成長して、僕をもう少し楽しませて欲しい」
……ナイフの切っ先は、喉笛の数センチ手前で止まっていた。彼の気まぐれにより、つららは一命を取り留めたようだ。
「つららさんを倒すことは、ボスの命令じゃないのかい?」
「ボスの命令だよ? だけど、君がボスを倒せるかどうか、この目で見届けたくなってきちゃったんだよね。それに、ヒヨコをシメるよりもニワトリをシメる方が旨味があるでしょ? 君は僕を満足させる素質を持つ……ダイヤの原石なんだよ」
「へぇ。そいつはどうも」
何はともあれ、彼女は生存を許された。彼女は自分の胸を撫で下ろしつつ、安堵に満ちたため息をつく。しかし彼女の仕事はまだ終わっていない。この後、つららはダイナたちの後を追わねばならないのだ。
「そろそろ先を急いだ方が良いんじゃない? それじゃ、僕はそろそろおいとまさせていただくよ」
エドはそう言い残し、その場から姿を消した。つららは小さく頷き、半壊した繁華街を後にした。
*
その頃、ダイナと寧々はステアの本部にいた。しかし、二人の前に立ちはだかる者は組織のボスではない。彼らを待ち受けていた者は、緋色の頭髪をしたマニッシュな美少女であった。
「オレはセレス・ルクレール――麻薬組織ステアの幹部を務める者だ。例えるなら、そう――――中間管理職ってヤツだな。詳しいことはそこの情報屋に聞いてみると良い。オレに逆らうことの無謀さがよくわかるぜ」
強気な女である。無論、彼女は決して虚勢を張っているわけではない。寧々は恐る恐るダイナの方に目を向け、不穏なことを口走る。
「先に謝っておきます。こんな危険なことにあなたがたを巻き込んで、本当に申し訳ありません」