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行方不明


「絶対、聞いてるはずだよ」


「まあな、オレもそう思う」


シモン大師の自宅から帰る道の途中で、ロウとユノは会話を交わしながら歩いている。時折、ひやりとした風が、二人の頬を撫でていった。


「その円交差図だっけ? ナスダリ博士と話して本まで出しているのに、そのバッファーゾーンっていう場所を知らないなんて、オカシイにもほどがあるよ」


ユノが大事そうに抱えているバナナケーキの包みに目が止まったが、ロウはそこからすぐに目を逸らした。


「先生にも立場ってもんがあるから、話せないんだろうな」


「でも、ナスダリ博士の自宅は教えてもらえたね。もちろん、行くだろ?」


「ああ、」


ロウは、シモン大師の家で、キキからバナナケーキを手渡された時の、ユノの顔を思い出していた。


「彼女、喜んでくれるといいのだけど」


「ぜえったい、喜びます。すごい食いしん坊なんですよ。ありがとうございました」


ユノが、少しだけ頬を染めて、包みを受け取る。いつもはピンと立っている耳が、こんな風に少しだけ垂れ下がるのは、嬉しくて仕方がない時だ。


(明日香に食わせるのが、そんなに嬉しいんだな)


それと同時に、キキが最後にそっと耳打ちしてきた言葉も思い出していた。


「ごめんなさいね、主人は自分の信念は曲げたくない人だから」


頑固者だ、ということは分かっている。長年、自分たちに気を配ってくれている旨、感謝の意を伝えると、キキはホッとした顔を寄越して、帰りを見送ってくれた。


「それにしても、あんな不味いバナナがこんなにも美味しくなるなんてな」


「ああ、そうだな」


「明日香の口にも合うといいんだけど」


「ああ、」


直接、明日香にバナナケーキを渡したいというユノと二人で、自宅まで歩いてくると、何やら異様な雰囲気を感じて、ロウは身構えた。家のドアが半開きになっている。


「おい、ドアが開いてるぞ」


「え、どうして……」


ユノが駆け出すのと同時に、ロウは腰に差しているナイフを手に取った。


「待て、ユノ、」


肩を捕まれ仰け反るが、ユノはロウの言うままに一旦は後ろへと下がった。明日香を心配するユノが歩を進めようとするのを手で押さえながら、じりじりと近づいていってドアを開ける。中は暗く、電気も点いていない。


(なんだ、何があった……)


音を立てずに中へ滑り込むと、リビングには誰の姿も見えない。


(明日香、)


心で呟くと、なぜか焦りがぶわっと湧いてきた。


リビングの奥のドアノブに手をかける。ギギッと微かな音をさせて、ドアは開いた。


(眠っているのか、でも寝る時はカギをかけるように言ってある)


ナイフを握り直した。暗闇の中、何の気配も感じない。ロウはすぐ横にある電灯のスイッチを入れた。

パッと明るくなり、一瞬何も見えなくなったが、直ぐに目も慣れて、そこに明日香の姿がないことを認める。


「明日香、いる?」


「だめだ、いない」


すでに後ろでリビングの電灯を点けていたユノが、心配そうな顔をして、包みを抱えて立ち尽くしている。


「どこかに出かけているのかな」


「いや、それはないような気がする。以前にも勝手に外へ行ったことがあるが、腰に紐をつけたり、ちゃんと慎重にしてたからな」


「じゃあ、どうしたんだろう?」


「わからん。とにかく、そこら辺を探してくる」


「ボクも行くよ」


ユノは抱えていた包みをテーブルの上に置いた。

ロウは、もう一本のナイフを引き出しから出すと、腰に二本差した。水筒とバナナを持つ。寝室へと、ちらっと視線を遣った。窓が開けっぱなしになっていたのが気になって仕方がない。


「よし、探しにいこう」


キッチンの横を通る。

その時、どっと胸が鳴った。


火を使う台の向こう側に、むきかけのジャガイモが二つ、転がっている。不器用な手つきで切ったのだろうか、分厚い皮が散乱している。


「ロウ、早く行こう」


「あ、ああ、」


嫌な予感を抱えたまま、それぞれの方向と戻る時間を決めると、二人は森の中へと入っていった。


✳︎✳︎✳︎


ロウとユノが学校の教師の自宅へと出かけていってから、数時間が経っていた。最近では、ロウが昼ごはんを用意してくれているので、お腹が空いてくると、それを食べている。


今までに料理をしたことがなかった明日香は、自分で作るという根本的思想が抜け落ちていた。用意される料理が当たり前だと思い込んでいた。


家では、母に。ここでは、ロウやユノに。

こうして、二人から離れてみると、自分でも料理をしなくてはいけないという心境に陥るのが不思議だ。


「今日の夕飯を作ってみよう」


幸い、この世界の野菜やキッチンの道具は、自分の世界と同じものだ。

明日香はジャガイモの皮をむき始めた。


「ママ、元気かな」


すると途端に涙が、じわっと出てきて、頬を濡らしていく。

ロウやユノがいる時は、努めて明るくしていたが、二人が外出してしまうと、明日香はひとりよく泣いていた。


「私の死体、もう見つかったのかな」


河川敷のヘリを転げ落ちた時、これはもう助からない、そう思った。


「きっと、コタローと一緒に発見されて、パパもママも……」


涙が、ブワッと吹き出してきて、喉の奥から何かが込み上げてくる。ジャガイモを切る包丁が、ぐにゃりと曲がった。


「う、うえ、こんな遠くまで来ちゃったよう、ここが天国なのか地獄なのかもわかんないぃぃ」


うわああ、と慟哭した。涙も嗚咽も、とめどなく溢れてくる。

そうして、少しの間、明日香は泣いた。

泣き疲れてくると、途端に眠気に襲われた。むきかけのジャガイモと包丁を置くと、明日香は寝室へと向かった。

布団に潜り込んで、重たいまぶたをそのままにして、ぼんやりと考える。


「地獄なわけない。だって、ロウのごはんとかバナナとか、美味しいもん」


最初は驚いて心臓が口から飛び出しそうだったロウの尻尾やユノの耳も、飼っていた柴犬のコタローのことを思えば、可愛く感じられてくる。


「天国に来れたなんて、ラッキーだあ……道で拾ったサイフ、交番に届けたのが良かったんかな」


そんなことを考えているうちに、いつのまにか明日香は眠ってしまった。


何時間寝たのか、起きた頃には辺りはもう暗くなっており、明日香は寝ぼけ眼で電灯のスイッチを入れようと手を伸ばした。すると、窓の外がぼんやりと光っている。


「あ、コタロー?」


覚えのある光だった。コタローの事故の後、亡骸を抱えていたら、コタローから発せられた光に似ている。窓を開けると、その光は森の中へと向かった。


「あ、待って、コタロー‼︎」


慌てて、キッチンに置いてあったランタンを取ると、ドアから外へと飛び出す。

光は地を這うようにして、森の中へと移動していった。明日香はその後を追いかけた。天国にいるならば、せめてコタローと一緒にいたい。そんな気持ちが湧いて出て、ロウやユノとの約束をすっかり忘れてしまっていた。


「明日香、森の中へは行ってはいけないよ」


「帰ってこられなくなるからな」


明日香は必死になって、光を追った。


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