三国が交差する場所
「余計なことを言うんじゃねえぞ」
何度も繰り返すロウの執拗さに辟易しながら、ユノはインターフォンを押した。
シモン大師の妻が、バナナケーキの作り方を直接教えたいと言っていると聞いた時には、自分の思惑以上に事が運んだと、ユノはたいそう喜んだ。
(『人−人族』に関して、何か情報が手に入れば、それでいいんだけど……バナナケーキなら、明日香も喜んでくれるはず)
「おう、来たな。まあ、入れ」
在宅のシモン大師に自宅の中に招き入れられて、二人は揃って入っていった。
「お休みのところ、すみません。お招きありがとうございます」
ロウが、謝辞を述べる。そこで、奥から女性が出てきた。
「妻のキキだ」
キキの頭には獣の持つ耳があったが、ユノのそれと違う点は、ユノは三角でピンと立ち上がったものだが、彼女のはたらんと垂れて、毛も長いものだ。
「ようこそ、いらっしゃい。キミがユノで、キミがロウ。噂は聞いているわ。主人がいつも、優秀な二人のことを話してくれるから」
人懐っこいにこやかな顔で、近づいてくる。ロウは差し出された手を握ると、「いつも先生にはお世話になっています」と挨拶した。
ユノも同じように挨拶をすますと、さっそくキッチンへと促される。
「キキはここで時々、料理教室も開いている。おまえらも良かったら……っていうか、恋人ができると変わるもんだなあ。まさか、おまえらに料理を教える日がくるとは」
「先生、今日のボクたちの先生は、奥さまですよ」
ユノがにっこりと微笑みながら、エプロンをつけている。ロウもささっと身だしなみを整えて、腕をまくった。
「ふふ、私のことはキキって呼んでね。じゃあ、始めるわ。まずはこのレシピを頭の中に入れて」
手渡された紙には、「バナナケーキ」「バナナクッキー」の作り方と分量が載っていた。
「バナナは生のままだと、死にそうになるくらいマズいけれど、こうして加工しちゃえば、臭みも無くなって美味しくなるの」
その言葉を聞いて、ユノとロウは同時にぷっと吹き出した。
「なに? どうしたの?」
その様子を見ていたキキが、微笑みを崩さずに訊いた。
「いや、あの」
二人は笑うのを止めて顔を見合わすと、ロウが先に言葉を繋いだ。
「ユノの彼女が、その死ぬほど不味いバナナが大好物なんです」
ユノを茶化すような口ぶりで、軽く言ったつもりだったのが、言った途端に胸の奥に、ちりと痛みがあった。
「うっそー、ユノ、いったいどんな子と付き合ってるの?」
その痛みをかき消すように、キッチンが笑いに包まれた。
✳︎✳︎✳︎
「どうして、そんなことを訊く?」
シモン大師が、声を低く落とした。
ケーキを焼いている間の時間、四人はテーブルについて、お茶を飲んでいた。ブーンと間延びするオーブンの音が、キッチンの奥から響いている。
その音を聞きながら、四人は雑談にふけっていた。
けれど、少しすると話題は、『獣人族の歴史』に移行した。シモン大師は歴史の教師なので、その話題は大いに盛り上がった。
その流れに沿って、ロウは訊いても不自然でない質問をしたつもりだったので、シモン大師のその低い声に、少しだけ動揺した。
「そんなことを訊いて、どうするんだ」
乱暴に持ち上げたカップの中のお茶を、思い切りすする。シモン大師の思いがけない反応に、ロウは他の言葉を探そうとしたが、この流れで話を元に戻すことはもうできず、諦めて再度、質問を口にした。
「いえ、前々から疑問に思っていたことです。始祖ハンダルは、どうして獣人なのか、それをずっと疑問に思っていました」
「確かに、『獣−人族』の歴史は、始祖ハンダルから始まっている」
「けれど、それ以前にも何らかの歴史があるはずですよね」
「ロウ、おまえ何が言いたい?」
ギロッと睨まれたその眼光が鋭く、質問者でないユノもすくみ上がるほどだった。
「お、オレが訊きたいのは……」
さすがのロウも、言いにくそうに言葉を揺らしている。重苦しい雰囲気に包まれた。その時、今までは聞き手に回っていたキキが、口を挟んだ。
「ねえ、あなた。あなたは教師ではありませんか。生徒さんの疑問に真摯に答えてあげるのが、教育者の務めじゃありませんか? それなのに、そんな恐い顔」
口調は優しいが、ぶれない真っ直ぐさが、彼女のその言葉の中に垣間見えた。シモン大師は普段、なかなかの貫禄で他の教師からも一目置かれているが、その理由がここにもあるような気がして、二人は心で苦く笑った。
「キキ、知った風な口をきくな」
シモン大師は、難しい顔で考え込むように目を伏せていたが、腕を組んで咳払いをひとつすると、ようやく話し始めた。
「優秀なおまえらに、これを話していいか判断が難しいところだが……しかし、さすがロウだな、そこに疑問を持つとは。そんなところをピックアップするなんて、今まで教えてきた生徒の中でおまえが初めてだ」
「確かに……自分がどうして獣人なのかだなんて、考えたことはありませんでした」
ユノが声を揺らしながら驚きの顔を浮かべて、ロウを見ている。
この疑問自体、ユノにも話したことがなかったのだから、当たり前の反応だ、とロウは思った。
「始祖ハンダルの話は、『獣−人族』の歴史の始まりに見えて、実は根幹なのだ。なぜ、自分たちは獣人なのか。人間が、自分がなぜ人間なのかを考えることと、同じようでいて同じではない。それは、我々が獣人に他ならないからだ」
キキが中腰になって、空になったカップにお代わりを注ぎ始めた。
「人間は自分がなぜ人間なのかを考えない。そして、『獣−獣族』の獣らもまた然りだ。自分がなぜ獣なのか、一生涯それを考え続けてそれに何らかの理由を導き出せても、何も変わらない、変わるものがない、ということもあるだろう」
「先生、でも思考するという点でだけで言えば『人−人族』はともかく、もう一つの種族である『獣−獣族』はその機能自体が全くないですよね。意思や感情といった、人間や獣人特有の『心』がないのですから」
「まあ、そうだが、獣に意思や感情がないと決めつけていいのかは、疑問が残るところだ。これは私の持論だがな」
オーブンがチンと鳴った。その音で、キキは席を立って、キッチンへと消えていった。
「そこで、だ」
シモン大師はここで改めて逡巡したようだ。迷いの素振りに何かを隠している、ロウはそう感じていた。先を促すのは、明日香を自宅で匿っているのがバレてしまう、そんな危険も伴っている。
ふわっとバナナの香りが漂ってくる。バナナは熱を通せば、甘みを増し、香りも香ばしくなると、キキが言っていた。
ロウは、作ったバナナケーキを明日香が気に入ればいいのだが、と思った。明日香は自分が作った料理を、美味しそうに食べてくれる。ニコニコと笑いながら、それはそれは幸せそうな顏で。家族のいないロウに、家族の温かみを教えてくれるような、そんな心地の良い笑顔。
明日香に美味しいものを食べさせてあげたい。それは、きっとユノも同じだろう。
「続きを話すとだな……」
シモン大師のその声にはっとなる。ロウは伏せていた目線を、大師の方へとやった。
「その始祖ハンダルが獣人だった、それ以前のことだ」
ユノが喉を鳴らした。それはユノが緊張している時に出る癖だ。その緊張感を、ロウは隣で感じ取っていた。
「おまえたちは、円交差図というのは、知っているか?」
「はい、数学で習いました」
ロウが、ユノの代わりに答える。
「円と円が交わって円の重なる部分を図で表したものだ」
「はい、」
「この世界をその円に例えてみる。三つの円が重なり合う部分、『人−人族』『獣−人族』『獣−獣族』の三つの世界が、混じり合うエリア。それが存在するのだ」
想像もしなかった話に、衝撃を受ける。あまりの唐突さに二人ともが、何の言葉も出てこない。
「そのエリアで、何らかの交流がなされて、獣人が生まれたのだ、と私は考えている。そのエリアのことは緩衝地帯、すなわちバッファーゾーンと呼ばれている」
ロウもごくっと唾を飲んだ。
「おまえらも知っていると思うが国が三つ存在している現状を見ろ。ドームによって作られているそれぞれの環境や、そこに生きる住民の特性においてもだな、互いに交流することは不可能なはずだ。だから、長い間行き来は無いし、国交という交流自体が存在しない」
「…………」
「だがな、それは一部を除いて、だ。バッファーゾーンは三国のどの国にも従属せず、中立を保っている」
それと同時に、シモン大師の盛大な溜め息が聞こえてきた。
「はあああ、おまえらにこんな話をしていいものか」
カップに残っていたお茶を飲み干す。その様子を見て、慌ててロウとユノもカップを取った。そうしてお茶が喉を通っていくまで、口の中がカラカラに乾いていたことに、気づかなかった。
「とにかく、ここまでだ。私は歴史家だからな、歴史についてしか話せん」
「では、ナスダリ博士を紹介してもらえませんか?」
「おいっ‼︎」
ユノが言い、ロウが焦って、ユノの腕を肘で小突く。ユノがしまった、と顔をしかめたがもう遅い。シモン大師の顔がみるみる赤く染まっていった。
「おまえら、あの本を読んだのかっ‼︎」
雷が落ちたのではと思うような、怒声だった。ケーキを切り分けていたキキが慌てて、止めに入った。
「あなた、大声を出さないでください。ちゃんと二人の話を聞いてあげて」
けれど、ロウが直ぐにも言い直した。
「発禁本が図書室に置いてあるのがいけないのです。読んではいけないものなら処分して、あんな所に置いておくべきじゃなかった」
若干の冷静さには欠けるが、的を射ているロウの話に、シモン大師も二の句が告げられなかった。
「歴史書を探していたらなんとなく目に入って、読んでみたんです。先生がお書きになった本ですよね」
ユノが追い討ちをかけるように言う。
「……確かにあれは私が書いた本だ。けれど、発売禁止の指定本に加えられてしまったので、残念には思ったがそのように処理した。その後、学校長が私の心情をおもんばかって、そっと置いてくれていたのだ」
「先生が書いたなら、先生はナスダリ博士にも会っているはずですよね。教えてください、博士は今どこにいらっしゃるのですか?」
「どうして、そんなことを聞きたがる?」
次にはロウが言った。
「さっきの、円交差図についての話をもっと知りたいんです。オレたち、ずっと三つの世界はデッドラインによって、仕切られているんだと思っていました。そして、お互いの世界は行き来ができないものだとばかり」
そうなのだ、だから明日香がこの世界で生きていられるのが不思議でたまらなかった。そして、明日香が飼っていたというコタローという犬。獣であるのに、どうして『人−人族』の世界で生きられたのだろう。どのように改良を加えたというのだろうか。
明日香を拾ってから、疑問は何一つ解決せず、増えていく一方だった。そして、シモン大師の口から話された、三つの世界が重なり合ったエリア。その存在は、学校の教師からでも、その他の大人たちからでも、聞かされたことがないのだ。
両親がいれば、教えてもらえたのだろうか。それとも、その事実は大人の誰ひとり、知ってはいないのだろうか。
「教えてください。オレたち、知りたいんです。この世界の仕組みを」
思わず、力強い声が出た。
学校の授業、とりわけ歴史という学問に真摯に取り組んできたロウの、奥底から漲ってきた声でもあった。




