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記憶


「明日香、思い出したんだってね」


「まあ、徐々にって感じだけどな」


「じゃあ、その……こ、こうたろうって人を追いかけて、デッドラインを超えちゃったってこと?」


「コタローな。まあ、そうなるな」


「でも、そいつの死体はなかったんだよね?」


「そこら辺には、な」


「……恋人だったりして」


ユノがさも言いにくそうに、小さな声で呟く。持っているマグがぐらっと揺れて、カタンと底をテーブルに打ちつけた。


「知らねえよ」


「でも、見たんでしょ。そん時の、明日香」


さも愛しそうに、その名を繰り返す明日香の顔。

眼を細め、首飾りを撫ぜるその表情に深い愛情を感じずにはいられず、しかもそれを感じ取ってしまっている自分にも怒りを覚えた。


「知らねえって言ってるだろっ」


勢いよく立ち上がると、イスがガガッと大仰な音を鳴らして後ろへと下がった。

その音で驚いたのか、寝室のドアが開いた。明日香がドアの隙間から覗き込んでいる。


「……どうしたの?」


「どうもしねえよ。あっちに行ってろ」


乱暴なロウの言葉に、明日香は悲しい顔をして、ドアを閉めた。


「おい、ロウ。明日香に八つ当たりすんなよ」


「うるさい」


「ったく」


ユノが立ち上がって、寝室に向かう。


「ほっとけよ」


振り返ると、珍しくユノが怒った顔を寄越した。


「ほっとけるかよ。明日香が泣いたら、おまえのせいだからな」


寝室へと入っていくユノを見て、ロウはクソっと、悪態をついた。


「……拾ってくるんじゃなかった」


後悔とも取れる気持ちが泉のように湧いてくる。けれど自分が、実際には何を後悔しているのかも、分からなくなっていた。


ロウは図書室から持ち出した本をテーブルの上に乱暴に置いた。暗い気持ちを振り払おうとして、ページをバサバサと大きな音をさせて、めくっていった。


✳︎✳︎✳︎


(思い出した、ってか、覚えてるう)


明日香は寝室の毛布の中に潜り込んで、ひとり混乱していた。

ロウに部屋から出てくるなと言われたのが悲しく思っていると、ユノが来て慰めてくれた。


「もう怒ってないって」


「ううん、怒ってるよ。私、勝手なことしちゃったから。ロープも切れてたし……き、切れてたなんて……うっ」


その事実を考えると、今でもぞっと背筋が凍る。あの深い森の中でひとり迷子になったら。それは「死」を意味するのだ。それをあんな細いロープ一本だけで、これで大丈夫だと過信した自分が憎い。


「……ロウが怒るの当然だよ」


明日香が呟く。


「ねえ、ロウは心配したんだよ」


「ん、うん」


「ボクも同じ立場だったら、死ぬほど心配してた」


その言葉に、明日香はユノを見た。

この二人とは初めて出逢ってまだ間もないのに、こんなにも親切にしてもらい、そして情もかけてくれている。

明日香は不思議に思った。大切にされていることが、これ程にまで伝わってくるなんて、と。


「もう無茶なことはしないでね」


ユノが、その髪と同じ色の茶色味がかった瞳をじっと向けてくるのを、明日香は何だか少しだけ気恥ずかしく思った。


「うん、ごめんね」


「謝らないでいいよ。それで、明日香、訊きたいことがあるんだ。あのさ、コタローって、一体誰なの? 明日香のなんなの?」


少しだけ強い口調に怯みつつ、明日香は戻った記憶を引っ張り出した。


そして、慎重に答えた。事の顛末を説明している間、ユノは真剣な表情で、話を聞いてくれた。


(ユノもロウも、私とはちょっと違うけど、いい人なんだな)


ユノが寝室から出ていった後、明日香は居ても立っても居られない気持ちになり、こうして毛布の中に潜って、静かに大騒ぎしている、というわけだった。


「あああ、全部思い出したわー。私、まじでバカだあ。バカなことしたあ」


バタバタと手足をバタつかせ、毛布の中で立ち込めたホコリで一瞬むせそうになって、毛布から飛び出した。その後、再度潜り込んで、毛布から顔だけ出すと亀のように丸まる。

落ち着いてくると、ため息が出た。


「はああ、ロウにももう一度ちゃんと謝らないと」


そして、もう一度、はあと息を吐いた。


✳︎✳︎✳︎


「明日香はね、そのコタローってのを探しにいきたいっていうわけ」


あれからもう一度折をみて謝ったのもあってか、ロウの機嫌も随分マシになったようだった。ユノがその様子をみて、こう話を切り出した。

明日香が、心配そうにロウを見る。


「…………」


「ねえ、聞いてるのか?」


「…………」


「ロウってば、聞いてるのかよ?」


「先にそれ言えよ、」


「は?」


「犬……なんだろ、コタローってやつ。それ先に言えよ」


この時点で図書室から拝借した本を熟読していたロウは、『人−人族』の人間が、『獣−獣族』の獰猛でない一部の小動物を環境に順応するよう改良し、ペットとして飼っていることがある、という知識はあった。けれど、それが明日香に当てはまるとは思いも寄らなかった。


(おまえが、恋人かもなんて、余計なこと言うから……勘違いしただろ)


ロウがユノをギラリと睨む。そんなロウの視線を無視すると、ユノは呆れた口調で言い返した。


「……そんなに心配してたんなら、直接明日香に訊けばいいのに」


「別にそんな、心配なんてしてねえけど」


「じゃあ、探してあげようよ。『獣−獣族』の国に行ってみようよ」


「……は? って、おまえ、無茶言うなよ。オレら死んじまうぞ」


その言葉に反応したのか、明日香の身体にぐっと力が入ったようだ。ぐらっと小さく揺れた。


「ってか、どうしてそいつが『獣−獣族』の国にいるって分かるんだよ。もしかしたら、ここにいるかもだろ」


「でも、犬って獣の一種なんだから、ここじゃ生きていけないだろ。そうなったら、そっち方面に向かうでしょ」


「けどよ、明日香だってここで生きてんだから、コタローってのもここで生き延びてる可能性はあるだろ」


「……うん、まあそうだけど」


「どっちにせよ、あっちに足を踏み入れた瞬間におだぶつ決定だぞ。まずは、ここら辺を探すのが妥当なんじゃないのか」


「先生に、訊いてみようか」


「シモン大師にか? おまえ、頭おかしくなってんな」


「なんだよ、それ」


「生きた人間がいるなんて知れたら、大騒ぎになるぞ。それに、噂を聞きつけて『人−人族』の国に連れ戻されるかもしれん」


ユノが、明日香を見る。

明日香は、心配そうに二人のやり取りを見ている。ロウとユノが同時に何かを言おうとしたところで、明日香が慌てて口を開いた。


「あのね、あのね、もう死んでるの」


二人は明日香を見た。明日香は両手をぐっと握り込んでいて、それは微かに震えている。


「……もうね、死んでるの。ごめんね、迷惑かけられないから、ちゃんと話すよ」


明日香が顔を上げた。


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