獣人の証
「ユノ、おまえがみつけたんだろ」
「そうだけど、拾ったのはロウだろ。キミが育てるべきだ」
「育てるって何だよ……ってか、引き取ってもらわねえと、こっちが困るんだよ」
普段ならあまり言い合いにならない二人が言い争っている、と同じクラスの生徒が、足を止めて遠巻きに二人を囲み始めた。
「困るって分かってんだったら、最初から拾わなければ良かったのに」
ユノが、獣の耳をピクピクと動かしながら、髪を指でぐしゃっとかき混ぜる。ユノが怒るか困るかした時の、癖の一つだ。
「……すげえ、食うんだ」
「……は?」
ロウの声が小さ過ぎて聞き取れず、ユノが訊き直す。
歴史の教科書を机の上へと乱暴に置きながら、ロウは声を荒げた。
「あいつ、やたら食うんだよ。昨日の夜なんて、出したメシをオレの分まで食っちまって……ってか、二人前だぞ」
「そ、そうなの?」
ロウが周りを遠巻きに囲んでいた輩を手で散らしてから、今度は声を抑えて言う。
「「人」って、あんな食うもんなのか?」
「知らないよ、そんなこと」
「教科書に書いてあったか?」
「あるわけないじゃん、ボクたちは共存できないんだぞ」
そのユノの言葉を聞いたロウが乱暴にイスを引き、どかっと腰を下ろす。そして腕組みをすると、はあっとため息を吐いた。
「帰りに図書室に寄る」
ユノも同じようにイスに腰掛けると、カバンから小ぶりの毛布を出して、ヒザに掛ける。『獣−人族』の中でも寒がりのユノは、いつも何かしらを被っているか、こんな風に毛布を持参している。その様子を横目で見ながら、ロウは教科書を開いた。
「こうなったら、調べるしかねえ」
ユノは、やれやれといった顔をすると、「『人−人族の飼い方』なんて本があったら、お目にかかりたいよ」
「……おまえなあ」
ロウがお返しの一発を返そうと一呼吸置いたと同時に、教室のドアが開いたので、そのまま口を結ぶ。席に座れ、と言いながら、数学の教師が入ってきた。
不発を食らって、不服なまま口元を曲げる。隣のユノがふっと吹き出すのが、癪に触った。
✳︎✳︎✳︎
「……うそ、ある」
「マジか、あるな」
ロウとユノ、同じくらいのその背丈は、『獣−人族』の中ではスラリとして高い方で、学校の中でも目立っている。そんな二人が、図書室の本棚の前に立つと、目の前にも大きな壁ができたような威圧感があり、二人の周りで本を探したり戻したりしていた生徒たちの姿も、いつの間にかいなくなっていた。
背の高い二人が、さらにその長い手を伸ばして、本棚の一番上にある同じ本を取ろうとしている。
『ひと−ひとぞく……んー、せっしょく』
背表紙に書いてある題名を小声で読み上げる。その題名の部分は何か刃物のようなもので削られていて、読めないようになっている。けれど、眼を凝らすとその削られた部分の横には、小さくフリガナが振ってあり、それはどう読んでも『人−人族との接触』だった。
「……この消し方、ちょっとおバカだね」
「ああ、同感だ。マヌケにも程があるな」
先に本を手にしたユノが、表紙を見る。題名はもちろん、著者名や出版社名も同じように削られていて読めない。表紙をめくると、薄茶色に変色した紙が、カサカサと音を立てた。インクなのか、紙なのかの香りがほわっと鼻腔をつく。それだけで、この本が相当古いものだと分かる。
「目次を見てみろ」
横から口を出すロウが、ユノの肩越しに顔ごと覗き込んでくる。ユノの耳がロウのウェーブのかかった黒髪でくすぐられ、ピクピクと揺れた。
「分かってるよ」
ぶっきらぼうに返してから、ページをめくる。そこには、第一章から第十三章までの見出しが書いてある。
『第一章 人−人族の起源』
一見すると難解な言葉で始まり、どうやら専門書のようだと分かる。
『人−人族について、その起源は次の二つの説が有力視されている……』
「ちょっと待て、前のページに戻せ」
ロウが本に手を伸ばす。ユノは取られまいと慌ててページを戻した。
『第二章 人−人族の特性、……』
「あ、これだ、これ」
ユノが先に指を指す。
『第三章 人−人族の生態』
「これに書いてあるんじゃない? 何を食べるのか、とか何が好きなのか、とかを知りたいんでしょ」
「違う、あいつは何でも食うからそれは良いんだ。それより、どんな生き物なのか分かんねえのか?」
「どんなって……ちょっと待って、」
ユノが指で目次を辿っていこうとすると、後ろで「おい、」と声がして、二人はビクッと身体を震わせた。振り返ると、担任のシモン大師が立っている。
「おまえら、何してる」
シモン大師は、ロウからユノへと、ギロリと視線を這わせた。ユノが後ろ手に隠した物に気づき、「ユノ、ロウ。おまえら何を見ていた?」と凄む。
シモン大師は、何かにつけいつも二人に声を掛けてくる。それは親のいない二人を気遣ってということもあるが、努力家であるユノと天才肌のロウの、それぞれの才能を腐らせてはおけない、そう思う故のことだと二人は分かっていた。
悪巧みをしないようにと、首根っこを押さえられているという意識はあったが、二人は気に掛けてくれるシモン大師を父親のように慕っていた。
「せ、先生、」
横で狼狽えるユノを見て心でチッと舌打ちを打つと、ロウは被せるようにして言った。
「歴史の授業で疑問に思うことがあったので、調べていました」
すかさず、リュックから教科書を取り出す。ユノとシモン大師の間に割り込んで、開けた教科書をずいっと出した。
「ここ、なんですが……」
尻尾でユノのヒザを軽く、ピシリピシリと二度叩く。
専門用語も交えたロウの質問が気に入ったようで、シモン大師も乗り気になって説明を始めた。
その後ろでこっそりと、ユノは本をカバンへと滑り込ませる。そして何事もなかったように、本棚を漁る振りをした。
その後、シモン大師は何事もなかったように、図書室を出ていった。
「はああ、危なかったな」
「スゴイよ、ロウは。あんな込み入った質問、すぐに思いつくなんて」
「いつか、先生にぶつけてみようと思っていた質問だ」
ユノは、授業中、先生と討論しているロウを思い出した。学年は違うが、歴史だけは全学年での合同授業だ。時々、二人が自論を戦わせているのを、周りの学生は呆気に取られて見つめていた。
ロウが学年一いや学校一頭が良いことは、皆も認めている。ユノはそんなロウに追いつこうと、必死で勉学に励んだ。
家への帰路につく二人。肩を並べて歩く。
「さっきの本を貸してくれ」
ロウが手を出す。ユノがカバンから本を引っ張り出して渡すと、パラパラとページをめくり始め、続きを探す。
『第四章 人−人族との接触』
「見ろ、これ」
ロウが指し示す部分を、ユノが声に出して読む。
「『こうして、我々獣−人族は人−人族との接触に成功した。彼らは我々の言葉を理解していないし、その点は我々も同様なのだ。人−人族の研究の第一人者であるナスダリ博士によれば、その事実は人−人族の世界で、我々獣−人族についての研究が一切なされていない証拠となり得る、との見解を示している』……ってことはさ、意思疎通ができないってことなんだよね」
「ああ、でもオレが拾ってきた「人」は、オレの言うことを理解しているようなんだ。それがどうしてなのか不思議で仕方がないんだが、」
「ん、どうしてだろうね」
ユノが両腕を上へと伸ばして、そのまま大欠伸をする。欠伸をすると、途端に頭が冴えたようで、ユノの顔つきが変わった。
「でもこれ、発禁本ってことだよね」
ロウが、削られた表紙と背表紙を指でなぞる。
「まあ、そんなような意味だろうな」
「そんなの持ち出しちゃって、いいのかなあ」
「仕方がねえよ。生きた人間なんて……どうして良いか、分からん」
「変なもの拾っちゃったね。でも、本当に「人」なのかなあ。もしかして、どこかに獣のものが生えてるかもよ。実は「獣人」でした、ってねー」
「それは、ねえ」
「は? どうして分かるんだよ」
ユノの少しだけ強い声に、ロウが黙った。
「…………」
「なになに、なにい?」
ロウが重くなった口を薄く開ける。
「……し、調べたんだ」
「…………」
今度はユノが黙る。そして何かに思い当たると、ユノは不愉快を絵に描いたような顔をした。眉間にシワを寄せ、目を釣り上げる。
「お、お、おまえぇぇ‼︎」
「うるせえよ‼︎」
「相手、女の子だろっ‼︎」
「仕方ねえだろ、服着せたり、か、身体を洗ったり、色々すっげえ大変だったんだぞっ‼︎ と、とにかくっ、耳とか尻尾とかは見当たらんかったんだっ」
「し、し、尻尾て……ロウってば、サイアクだなっ‼︎」
「うるせえ‼︎」
その後は沈黙がのしかかって、帰路は重苦しい雰囲気に包まれた。二人はそれ以上言葉を交わさず、けれどお互いが意思を持って、ロウの家へと向かっていった。