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タマゴとニワトリのパラドクス

 タマゴとニワトリ問題――それは、因果関係が循環する状況の例として、しばしば挙げられるパラドックスだ。こんなとこの文を読む方ならば、大半がご存知だろう。


 タマゴからピヨっと産まれた後で、「ニワトリの一つ前」から「ニワトリ」に個体進化したわけではないから、そりゃタマゴが先だろうよと私などは思うわけだが、これは進化学的結論であるらしい。

 生化学だと、「卵殻形成のタンパク質がどうこう」という理由で「ニワトリが先」という主張があった。当然というべきか、当該分野の研究者からも異論が出た。異論を雑に要約すると「その性質を獲得したのは、タマゴとして産まれた瞬間やろがい」――そらそうだ。進化学と生化学が喧嘩しなくて本当によかった。

 神学だと、神が直接鳥を創造しているので「ニワトリが先」だ。



 今回は「日本語について」というよりは、「ことばとは何者か」っぽい話になる。あくまでも「ぽい」。おばちゃんにはそんな壮大なテーマ、荷が重すぎる。


 存在が先か、ことばが先か。これを脳の認知という観点から、つらつら考え、述べていこうと思う。


 もしかして言語学だと「ニワトリが先」か?

 コケコッコと鳴いているものに「ニワトリ」と命名したんだろうし。



★★★CAUTION!! これは創作論ではありません★★★


 メインテーマは「ことばが認知に与える影響」と、それを脳の情報処理という観点から捉え直す試みです。

 言語学や哲学の話に見える部分もありますが、本稿で扱うのはあくまで認知心理学寄りの話。「ことばが先」とは何を意味するのかを、おばちゃんが「なんでだろう」と考え、脳の仕組みから組み立て直してみた考察です。


★ChatGPTちゃん協力による全文要約★

・人は「存在」ではなく、「ことば」を通して対象を認識する場面が少なくない

・ことばは単なるラベルではなく、関連知識や文化・感情を呼び起こす入口インデックスとして機能する

・脳は「関連付け」「区分け」「比較」を自動で行い、知覚や評価を組み立てている

・知識ネットワークが疎だと、脳は限られた連想だけで世界を解釈しやすくなる

・繰り返し与えられたイメージは、自分でも気付かないうちに強化され、「ことば」が世界を狭めることもある

・「Show, Don't Tell」は、この脳内ネットワークを利用して読者自身に情報を補完させる技法である

・重要なのは知識量そのものではなく、自分の無知や偏りを自覚し、判断を保留できるだけの論理的思考力である


★以降の文は、「考察」「認知心理学」「ちょっとした錯視」と少々の「老婆心」「悪態」で構成されております。★


 なお今回は、CAUTION範囲内を全部ChatGPTちゃんが生成しております。

 老婆心と悪態はAIに公式認定された模様です。


 集合体恐怖症の方は、もしかしたら読み進めないほうがいいかもしれない。おばちゃんはイクラもタラコもトビッコも大好きなので、引っかかるラインが測れない。マンガのスクリーントーンとか、大丈夫?



■ことばとは情報共有のための定義である■


 この赤い実は食べられる。甘くて美味しい。あの黒い実は食べられない。


 最初のことばとは、こういったものだっただろう。

 存在や状態があって、それらを伝えるためにことばが産まれた。


 離れた地域・文化にまたがって、母のことを指すことばにやたらと「マ行」が多いのは、幼児が乳を求める音が、母や食べ物を指すことばになったためだと言われている。「ママ(mama)」「おも(母)」「マーマー(ماما)」。

 まず存在や状態があり、それを表すことばが後から生まれた例と言えるだろう……たぶんね。原初までは遡れない。文字としての記録がない。


 ちなみに「おも」は日本の古語で、母や乳母のような養育者を指す。


 可良己呂武須宗尒等里都伎奈苦古良乎意伎弖曽伎怒也意母奈之尒志弖

 韓衣からころもすそらをきてそのやおもなしにして

     ――万葉集巻二十・4401番



■「ことばが先」とは、いかなる状態を指すか■


 話の内容が言語学や民俗学っぽく見える流れだが、それもここまで。あくまでも主題は脳、認知心理学寄りの話である。


 現代人が得る情報の大半は「ことばありき」で脳にインストールされている。車の絵本、植物の図鑑、子供は実物を知らずとも、ことばは知っている。歴史上の偉人や失われた過去のものごと、こういったものは完全に「ことばありき」だ。創作にいたっては、ことばが世界を作っている。「はじめにことばありけり」だ。「むかし、男ありけり(伊勢物語)」のように。


 横道に逸れるが、ヨハネの福音書の「はじめにことばありき」は全然違う意味なので注意されたし。「アルケーはロゴスなり」=「万物の根源は神の言葉である」とでも思っておけばよろしい。


 見知らぬものに触れた時、大多数の人の第一声は「これは何?」だろう。どういったものかを尋ねるのは、きっとその後だ。インデックスを用意してから、中に情報を収めたいのだ。そのように成長してきているのだから。


 先ほど、万葉集を例に出したが、この時代であれば既に「ことばが先」だったと思われる。


 母親・あるいはそれに準ずる養育者は、子の周りでことばを発していたはずだ。子は、ことばと存在・状態を結びつけて記憶し、認識していく。脳は関連付けしたがる強い習性を持つ。また実際、関連付けした方が効率よく情報を扱える。年代の語呂合わせ、最近ではメモリーパレス記憶法などが顕著な例だろう。情報総量は増えているのに、記憶効率が上がるのはそのためだ。

 関連付けられるものは、名称だけに限らない。文化や思想、様々なものごとがことばに関連付けされている。さらに脳は、必ずしも対象を見てことばを検索しているのではなく、ことばを通して対象を見ている部分がある。どういうことか、具体例を挙げよう。判りやすくするために、異なることばで比較する。


 日本では「タコ」、海外では「デビルフィッシュ」。

 現物を前にした時に、たこ焼きの具としてみるか、ゲテモノとしてみるか。これらがことばの時点で決定されているのではないか、という話だ。

 たこ焼きじゃなくて、明石焼きでもたこめしでも構わない。開くフォルダ自体が違うイメージさえ伝わればいい。野草と雑草、ペットと家族、同じ存在でも呼び方だけで見え方が変わる。尊敬語と謙譲語、丁寧語。会話の内容が同じでも、発話者の印象が変わる。


 その姿を脳が処理するときに、ことばのフィルターが立ちはだかっている。同一の対象でも、適用されるラベルが異なると、その対象への知覚や評価までもが変わる。

 私の述べる「ことばが先」とは、こういう意味である。


 なお、断固として哲学を持ち込む気はない。哲学と脳の認知心理学は土俵が違いすぎる。混ぜてはいけない。ゆえに唯名論と実念論(実在論)の対立はそっと横に避けておく。ちなみに世界史の文化ジャンルで出てくる普遍論争がこいつである。



■脳は関連付けが大好き■


 関連付けについては先に述べた通り。効率が良くなるということは、脳の適性に沿っているからこそである。ことばが単独で脳に収まることはあまり無いはずだ。大抵が別の情報と密接にリンクする。郷愁やトラウマはリンク先が異なるだけで、情報の性質としては同種だ。


 所持する情報量が多いほど、このリンクが形成するネットワークの網は密になる。逆も然り。知識が乏しければ、その分リンク先は疎らで、だからこそ偏りがちになる。

 たとえば日本史や世界史、公民を「中学卒業程度」に修めていれば、政治=対立・権力闘争などという、限定的で安っぽい発想には直結しないはずなのだ。政治とはもっともっと複雑で、組織的、体系的なものだ。対立の構図など、組織が持つ一面に過ぎないのだから。

 偏ったイメージしか持ち合わせていない場合、困ったことになる。与えられた情報とどれほど乖離していても、他に選べるルートが無いからと、脳はその解釈を安易に受け入れる傾向がある。

 この脳の「連想システム」は自動で、言い換えれば「勝手に」動く。どのイメージを立ち上げるか、立ち上げるか否かすら、人間は選べない。「郷愁」や「トラウマ」がどのように湧き上がるかを考えれば、それは自明だろう。

 だが知識が乏しくとも、脳が「整合性」や「論理性」を追求することに慣れていれば、きちんと違和感を感じられる。前後との辻褄が合わない――そう脳が抗議してくれる。


 少し横道に逸れるが、偏向教育はこのリンク先を偏らせるのが狙いである。だから特定のことを集中して教えるだけではなく、都合の悪い情報を遮断する。他のリンクを形成させないためである。

 ちなみに、この原稿をAIに読ませたところ、「偏向教育」という単語だけで政治的な話だと早合点した。まさに「リンクの偏り」の実演である。脳の作用だっつってんだろうがよ。



 だからこそ、勉強は大事だ。単純に知識を増やすためだけではない。情報の整合性・論理性を冷静に考える、おかしな方向に進んでいたら自分で修正をかける、そういった経験をノーリスクで積むことが出来るからだ。何より、「unknown」を「unknown」のまま、「現時点では不明のもの」と保留することに慣れる。脳が「判ってないのに判った気になる」という怠慢をしなくなる。勉強は「脳を鍛える」お手軽な手段なのだ。そして「勉強した」と「勉強したつもり」を見分けてくれるのがテストといったところか。そのためにおばちゃんは検定試験を受け、能力保証を頂いて安心を買う。


 与えられた情報とリンク先との結束強度を鑑み、脳は呼び起こすべき関連情報を選ぶ。

 即ち、ことばを受け取ったら、それらを組み合わせて、最終的な印象を決定する。


 ここまで来れば、もう見えてきただろう。

 「Show, Don't Tell」や「ヘミングウェイの氷山的描写」が、脳の関連付けを利用していることに。


 つまりこの手法は、読み手の脳内にあるネットワークがスッカスカだと、効果がまるで期待できないのである。幼児向けの童話や児童小説の文における「Show, Don't Tell」的描写が、皆無・あるいは控えめなのはそのためだ。ことばのネットワークがまだ未発達で、当てに出来ない。絵や読み聞かせる声で、情景や感情を補う。


「ep.2 『月が輝いている』と言ってはいけない」に出てきた「知識構造スキーマ」とは、脳の関連付けのことなのか――と納得しかけたならば、一旦ストップしていただきたい。スキーマの重要要素ではあるが、全てではない。



■脳は区分けも大好き■


 区分けとは分類・グループ分けのことだ。枠組みと言ってもいい。

 実のところ、脳はグラデーションが苦手だ。だから脳は仕切りを入れたがる。境界線を引きたがる。

 次の図はGeminiが生成したマッハバンド錯視の解説図である。人間の網膜や視覚神経の側抑制(lateral inhibition)というネットワーク構造が原因で起こる現象らしい。

 なんで英語で生成されたのかは不明だ。


挿絵(By みてみん)


 私はこれを、「関連付け」の「範囲」を制限するための性質ではないかと考えている。

 仮に無秩序に全てをリンクさせてしまったら、それはもはや関連付けとして機能しない。一つのフォルダに全てをぶち込むようなものである。効率と省エネ化のためのネットワークが巨大になりすぎて、本末転倒だ。ここからここまでと区切る必要がある。おやつは300円まで、門限は7時――脳は我が子(本体)のために制限をかける。カーチャンのようだ。


 社会的・心理的な区分けについては詳しく触れない。特に社会的区分けは個人の脳内で完結しないので、スキーマというよりは共有される認識的なものになる。雑に挙げておくと、社会的な区分けは国境や組織、心理的な区分けは好き嫌い、この辺りをイメージしておけばよいだろう。

 ここでは「脳が勝手に区分け(grouping)する」感覚を体感してもらおうと思う。


 やや衒学的になるが、ゲシュタルト心理学の「群化の法則」だ。秒で忘れて構わない。


 挿絵(By みてみん)


 近接の法則(PROXIMITY): 距離が近いもの同士がグループに見える現象。

 類同の法則(SIMILARITY): 色や形、大きさが似ているもの同士がグループに見える現象。

 囲みの法則(ENCLOSURE): 枠などで囲まれたもの同士がひとつのまとまりに見える現象。

 閉合の法則(CLOSURE): 閉じられていない不完全な図形でも、脳が線を補って閉じた形として認識する現象。カニッツァの三角形はこれだ。

 連続の法則(CONTINUITY): 線や配列が途切れていても、自然に滑らかにつながっている方向へ認識が続く現象。

 接続の法則(CONNECTION): 線や点で物理的につながっているもの同士が、より強いまとまりに見える現象。


 群化の法則は、特にデザイン分野やイメージ戦略で応用されている。カニッツァの三角形は、アモーダル補完という視覚の補完現象なのだが、これはバイカラー錯視と共に、ファッション分野で幅を利かせている。「痩せて見えるデザイン・着こなし」に必須の錯視だ。


 このように、脳は勝手にいろいろやっているし、人間は脳に騙されていると知ったうえで利用さえしている。



■だから脳は勝手に「比較」する■


 「関連付け」と「区分け」両方の性質を持つものが「比較」だ。

 どちらが先かという話ではない。三者は互いに影響し合っている。どの情報と関連付けるべきか、どの箱にしまうべきか――そう判断する段階で「比較」が発生し、逆に、「比較」を行うために「関連付け」や「区分け」が利用される。

 価値や優先順位の決定などは、比較なしにはあり得ない。

「ep.4 鈍らでは刺さらない」で述べた、「最強と無敵が並んでいたら、脳はそれらを勝手に比較する」の根拠である。このケースの場合、ことばそのものに比較要素が含まれているのだから、尚更だ。

 脳は「どっちが一番なんだ」と真剣に考えているわけじゃない。主張の強い評価語が並んでいるから、目を留めただけ。「どっちも一番を自称してるなぁ」と、「その他」フォルダにまとめて放り込んでいる。だからこそタイトルが記憶に残らない。「主人公最強モノ」のラベルとしてのみ、機能する。

 「比較=順位付け」としか読み取れない人がいるとも思えないが、Claudeちゃんから誤読発生ポイントとして指摘があったので、追記しておく。



■ことばによって世界が広がるとは限らない■


 関連付けの部分で、『日本史や世界史、公民を「中学卒業程度」に修めていれば、政治=対立・権力闘争などという、限定的で安っぽい発想には直結しない』と述べた。成人していれば参政権すら得ているのだから、当然そんなことは起こり得ない、はずである。だが現実は異なる。

 学習度の個人差は勿論ある。中学は自動的に卒業できちゃうからね。一言でバカだから、と片付けるのは簡単だが、そういう問題じゃない。

 「政治」ということばは、特にこの手のエラーが起こりやすいので例として取り上げている。どんなエラーか。それは「ことばから想起される情報が極端に偏る」というエラーである。



 まず状況を整理しよう。

 日本では、小学校から中学校にかけて、三権分立や二院制、日本国憲法、日本現代史などを学ぶ。にも関わらず、「政治」ということばから、「対立・権力闘争」というイメージしか立ち上がらないなんて。奇妙だとは思わないか。学習によって形成されたリンクなら、もっと別のものがたくさん想起されるはずだ。


 第一の要因として、最初に形成されたリンクそのものが希薄であること。

 公民の授業は暗記がほとんどで、定数がどうの、任期がどうのと楽しいものではない。その上、政治の話は割と忌避される傾向がある。大学で突然政治の話をしだす奴はたいていやべぇタイプだし。アパートに連れ込まれて、とある政党の新聞を契約させられたなんて噂は(以下略)。要するに、ただでさえスッカスカのネットワークがさらに過疎化しやすい。使用度合いを比較して、「このリンク、あんまり使わないね」と脳は勝手に処理してしまう。楽をするための努力を脳は惜しまない。


 だがフィクションの世界では話が変わる。悪役を大物っぽくしやすい。話を大きく見せやすい。政治家という職種は叩いてもいいと認識されているから、手軽に便利に悪役や腐敗を担わすことができる。

 政治家の職業イメージが悪くなる、という抗議など聞いたことがないだろう。制作側も視聴者・読者側も、その配役に対する心理的ハードルが低い。イメージを「受け入れやすい」。これが第二の要因だ。


「お代官様」に対するイメージは?

「山吹色のお菓子」が連想されたりはしなかったか?

 賄賂、悪代官、越後屋がまとめて浮かんだりはしなかったか? 越後屋さんはドンマイ。



 自分で同じリンクを何度も強化し、フィクションで擦られ続けたイメージだけが残る。

 セルフ偏向教育のような状態だ。ことばによって、世界を狭めているとも言えるだろう。その偏りが自覚出来るかどうかは、一つのことばから複数の関連情報を同時に呼び起こす――リンクの多重起動に慣れているか否かで分岐するように思う。


 密なネットワークを普段から運用していれば、「スッカスカ」だと落ち着かない感覚に陥る。自分はこの「ことば」をよく知らないな、偏ってんなー、と判断を保留出来る。知っていることと知らないことの境界線が明確になる。

 どう違ってくるかというと、「フランス革命」と聞いて、A「ベルばらくらいしか知らん」と感じるか、B「知ってる知ってる、ベルばらだよね」と感じるか。こういう時、Aの方が「自分は何を知らないか」を正確に把握しているケースが多い、と言えばなんとなく伝わるだろうか。「知っている」の閾値が高めというか。

 密なネットワークを生成するには、知識量を増やすのが最短ルートだ。知識は学識に限らない。おばあちゃんの知恵袋・亀の甲より年の功、人生の中でどれだけの思考を重ねてきたか。本を読むことで、他人の人生経験や思考経験をつまみ食いさせていただける。だから「いい本をたくさん読め」と昔から繰り返されているのだ。おばちゃんは「ちょっとだけ重目の良書を、2冊か3冊、何度も熟読する」ことを奨めるが。こっちの方が、多分読解力は上がる。正しく「読めた」瞬間の感覚が判るから。本の冊数を増やすのはその後でいい。



 果たして、「政治=対立・権力闘争」に限定されるような思考に、空想力と創造力はあるのか。

 私は「無い」と断言する。テンプレート上を走るだけのイメージなど、自分で生み出したものではない。発想を膨らませるならば、持ち合わせている分岐は多いほうがいいに決まっている。「疎」である自覚が無いこと。それが一番厄介なのだ。ことばが世界を狭い枠へと、押し込めていることに気付けない。


 思い込みによる視野狭窄と全く同じ流れなので、私はカテキョ時代、「思い込み誤読」と呼んでいた。一番矯正が困難な誤読タイプで、本人の気質から叩き直す必要すらあった。「だってこう思ったんだもん」「だからどこを拾ってそう読んだのかを抽出しろと言っとるんだ」「なんとなくそんな感じがした」。だめだコイツ、早くなんとかしないと。偏差値45程度でなんでそんなに自信満々なんだよ。感覚で読めるほどの能力が無いだろうが。まず自分が間違えているという前提に立てっつーんだこの野郎。行きたい大学、進みたい道があるなら、謙虚にテスト結果と向き合え。それは手段だ。手段から目を背けてどうする。

 ……失礼、当時のムカつきがおばちゃんの中に鮮明に蘇ってしまった。こいつの現代文を60まで引き上げたのは今でも奇跡だと思える。



 ことばを通して世界を認識しているのだから、窓が小さければその広さに応じた世界しか見えないし、窓が少なく、その窓に妙なフィルターが貼られていれば、世界は即座に変色する。



 窓を大きく、多くするためにも、「無知」や「欠落」を自覚できるだけの論理的思考力を備えておくべきだ。それは進路や判断の選択肢を広げる意味でも、決して無駄にはならないのだから。


 知識は、考える癖さえあれば後から付いてくると、おばちゃんは思うよ。

 ――例えばそう、「代官」ってどれくらいの地位ポジションで、上司は誰なんだろう、とかね。




参考資料

 wikipediaより「鶏が先か、卵が先か」ttps://ja.wikipedia.org/wiki/鶏が先か、卵が先か

 wikipediaより「マッハバンド」ttps://ja.wikipedia.org/wiki/マッハバンド

 321webより「錯視効果 34種類」ttps://321web.link/optical-illusion/

 ピクシブ百科事典より「越後屋」ttps://dic.pixiv.net/a/越後屋

 wikipediaより「偏向教育」ttps://ja.wikipedia.org/wiki/偏向教育

 ピクシブ百科事典より「代官」ttps://dic.pixiv.net/a/代官


お勧めの良書

 谷崎潤一郎 『陰翳礼讃』(青空文庫)ttps://www.aozora.gr.jp/cards/001383/card56642.html

 鈴木孝夫 『ことばと文化』


協力

 ChatGPT


画像生成

 Gemini(nano banana2)


最終文法チェック

 Claude

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