12話 頸木
ラジオのニュース放送より。
《昨日、電車内で多数の人々が殺傷されるという事件がありましたが、病院の発表によりますと、一度死亡が確認された被害者の全員が蘇生したとのことです。同病院に勤める医師は、「前例がなく、奇跡としか言いようがない」と興奮をあらわにしていました》
*
「何が奇跡なもんですか。これから地獄が始まるんだというのに」
車を走らせながら、殿は苦々しげに呟く。
前日にニュースを見た時には唖然として、しばらく何も手につかなかった。
明らかに、これは教団による暴挙であった。
もはや出世を気にするフェーズではなく、いかに早く、上手く足を洗えるかが最重要課題であった。
だが、考えようによっては、
――チャンスかもしれんです。
御尊体の感染が広まる社会で最も渇望されるものは何か?
――特効薬!
すなわち、唱だ。
自分の妻を、ゾンビを倒す奇跡の人として世に出せば、世間から教団に抗った善人として歓迎されるだろうと踏んだわけだ。
なぜ寝返るのか、今までどのような行為に荷担したのか、お前だって共犯だろうなどなど、警察やマスコミから質問攻めに遭うことは想像に難くない。
だが、言い訳はどうとでもなる。
「まあ、唱さん、夫婦仲良くやりましょうや。自分は女を殴るなんて好きじゃありませんからね」
隣の座席に、唱が小さくなって座っている。
やがて到着した場所は、殿の自宅。
唱と暮らし始める前は、ずっとここに住んでいた。
小綺麗に掃除された廊下を抜けて、キッチンのシンクキャビネット内にある扉から、地下に入る。
「どうしてここに……」
唱は驚愕する。
白く発光する人だ。
二人が入ってきたのを見ると暴れ始めたが、がちがちに拘束された状態なので、何もできない。
「これは御尊体と言いましてね、簡単に説明しますと、愛四輝会議にウイルスを感染させられた人ですな」
「まさか……そんな……」
「信じられないでしょうね」
「だって、それは愛の教義に反してます!」
「ところが教団はこれを愛の実践と信じてるんです。徳の高い信者に不死のご褒美を与えてるって理屈でございますな。尤も、御尊体になると、人格も何もあったもんじゃありませんから、いわばゾンビです。自分だったら、こんな風にはなりたかありません」
殿はかつてこれを教団施設から盗み出した。
理由は、
「邪魔者を消すのに使えますから。自分は直接手を下さずにね」
とは言え、教団が暴走を始めた以上、いつ捜査がこの家にまで及ぶかわからない。
今のうちに抹消してしまおうというわけだ。
「さあ、唱さん。讃美歌を歌ってください。あなたの声には力がある。不死の者から命を奪う力がね」
「……私は……」
その時、警報が鳴った。
誰かがこの家に侵入したことを知らせている。
監視カメラの映像を確認すると、
「大物のご登場ですか……。唱さん、ちょいと筋書きを変えますよ」
* *
「すーはーすーはーすーはー」
「教祖様、どこにもやつの姿が見当たりません」
「いい男の匂い」
「教祖様」
「間違いなく、ここにいる。あーしの鼻は誤魔化せない」
殿の家に乗り込んだのは教祖こと奄斎と神吹仁詩夫。
目的は粛清だった。
殿は教団を知り尽くしているし、御尊体を保有し、更に唱というカードを握っている。
「放置するわけにはいかないじゃん。ん? 匂いが濃くなった」
「いってらっしゃい」
居間に現れた殿は、御尊体の口からテープを外すと同時に、背中を蹴った。
御尊体はよろけながらも、教祖を視認。
口を大きく開いて、噛みつこうとする。
「教祖様、お下がりください!」
両者の間に割って入ったのは仁詩夫。
腕を噛まれるが、御尊体を掴んで離さない。
「お父様!」
唱が殿の背後から顔を出す。
父親が毒牙にかかった様子を目の当たりにして絶望するが、当の本人に悲壮感はない。
なぜなら、彼にとって御尊体になるということは、
「至上の喜びです! 唱も御尊体になりたくば祈りなさい!」
「どうして……どうして喜べるんですか」
唱の素朴な問いには、教祖が答える。
「だって、それが愛の実践だからっしょ」
唱は教祖を仰ぎ見る。
本来、神聖な教祖と近距離で会話できるなど大変な光栄なのだが、今はこの男が不気味でならない。
「ゾンビ……ヤバッ。ゾンビって言っちゃった。じゃなくて御尊体になったら、自我がなくなんのよ。そしたら平和じゃない? 憎むこともなく、争うこともなく、苦しむこともない。完璧。本来、それだけの境地に達した信者ちゃんへのご褒美なんだけどね。ま、結局、同じことよ。愛に満ち溢れた輝かしい世界を実現するってこと」
「教祖様は御尊体にならないんですか?」
「いい質問ね。あーしは全人類が御尊体になるのを見届けてから、そうする予定よ」
会話の最中、仁詩夫が限界を迎える。
神への感謝を叫んで絶命。
それまで取っ組み合っていた御尊体が自由になる。
次の狙いを教祖に変えて、猛進。
「止まれ!」
教祖が手を叩くと同時に大声で命じると、御尊体は従った。
これには殿も面食らい、
「何をしたんです!?」
「催眠よ。あ、そうだ。ついでに。声を出すな!」
唱と殿に向かって手を叩く。
まさかと思ったが、確かに、どうもがいても声を出すことができない。
把握していなかった教祖の能力に、殿は恐れをなし、ガラス戸から逃げ出した。
教祖が、
「待て! 止まれ!」
と叫んでも、もう遅い。
殿は耳を塞いでいたのだ。
「あーん! また男に逃げられちゃった。……で、小娘と二人っきりってわけか」
「……はい」
「何の返事よ。ふん。あんたなんて伴侶としても頸木としても用なしだっつの」
「……頸木……?」
* *
《わ私にも何がおお起こったのか、よくわかりませんでして。そもそも、中年の女性が高校生になな殴りかかったのが、すべての始まりだったたと思いますね》
テレビでは〝奇跡の生還者〟へのインタビューを生中継していた。
和やかな笑顔で視聴しているのは鯵紋寺夫妻。
前代未聞の事件が鯵紋寺小次郎の醜聞を吹き消してくれた。
国民の代弁者として国家の一大事を憂う素振りは微塵も見せない。
――クソ親どもが。にしても、やっぱり草ヶ部の言ってた通りなのか?
鯵紋寺は両親に挟まれる形で、ソファーに座っている。
もう二度と勝手な行動をとらないよう、小次郎と鮎美が直々に娘を見張ることにしたのだった。
息苦しい状況でも、鯵紋寺が考えるのは他者のこと。
――白く光る人に襲われたら、一度死んだ後で甦って、ゾンビになるって仮説。信じたくないけど、でも本当にそうだとしたら、この人達も既に……。
テレビ画面の中に見覚えのある顔が映った。
「私が噂の最初の犠牲者っす。へへ」
――こいつは確か、しょーちゃんのクラスメイトだっけ。
花野は電車内であったことをへらへら話した。
犯罪者の正体がクラスメイトの母だったことは伏せたが。
鯵紋寺は汗を流す。
――こいつ……これから登校か?
学校で花野がゾンビ化して、人々を襲い始めたら、そこで被害が拡大する。
クラスメイトも、教師も、近隣住民も。
「不二子、待ちなさい!」
親の手を振り払って、鯵紋寺は走り出した。
「どうしようもないやつだ……」
残された両親は溜め息をつく。
鯵紋寺と入れ違いに部屋に入ってきたお手伝いの女性が、
「こんな時に申し上げにくいのですが、新人が到着しましたので、挨拶を……」
以前、鯵紋寺の夜遊びの手引きをしたお手伝いをクビにしたため、人員を補充することになったが、その勤務初日が今日だった。
先輩に促され、鯵紋寺夫妻にお辞儀をする女性は、
「よよよよろろろしくお願いいいいしままますす」




