表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
おれはお前なんかになりたくなかった  作者: 倉入ミキサ
第三章:小箱蘇夜花
23/127

男児のプライド


 「……!」

 

 カチャカチャと音を立てながら、『美晴』は自分の足首にかけられている手錠を外した。

 身体を動かすたびに、パンツを重くしている液体が、トイレの床にポトポトとこぼれた。


 「くっ……!」


 自分の身に起きたことが、いまだに信じられなかった。

 小学6年生にもなって、しかも急に他人の……女子の身体になって、その子の代わりにいじめられて、その子のパンツをひたしてしまうなんて、まともに理解できるはずがなかった。

 

 「……っ!」

 

 しかし現実には、確かな感覚がある。太ももの辺りはびっしょりと濡れていて、不快に思わせてくれている。

 『美晴』はすぐさまトイレットペーパーを手に取り、パンツをはいたまま、特にひどく湿しめっているところの水分を吸わせた。

 そしてかがみの前に立ち、現在の自分の状況を確認した。


 「はぁ……はぁ……」


 『美晴』がいる。鏡に映る風太は、いつも美晴だ。

 胸元はびしょびしょに濡れ、着けているブラジャーの水玉みずたま模様もようが、うっすらと透けていた。鏡の中の美晴は悲痛ひつうな表情を浮かべていて、今にも泣き出しそうだった。

 『美晴』は、今自分がはいているフリルスカートのすそをつまんで、恐る恐るめくり上げた。


 「あぁっ……!」


 そこには、ブラジャーと同じく白地に青い水玉模様の、パンツがあった。しかしよく見ると、またあいだの辺りから色が変わっている。

 『美晴』がそれを呆然ぼうぜんながめていると、そこから一滴いってき、汚いしずくが落ちた。


 「うわっ……!?」


 悲惨ひさんな自分の姿を見ていられなくなって、スカートの裾を伸ばして引っ張り、ぐっしょりと濡れているパンツを隠した。

 しかし、もう目で見なくても、何が起こったのかはにおいで伝わってくる。『美晴フウタ』は男子としてこの上ないはずかしめに傷心しょうしんし、苦悶くもんの表情を浮かべた。

 

 (こんな姿、誰にも見られたくないっ……!)


 *


 放課後の校舎内には、夕陽が差し込んでいる。

 下校ラッシュのピークは過ぎたものの、まだ校舎内には何人かの生徒が残っており、帰宅の準備をしていた。

 

 そんな月野内小学校の1階に、「陸に上がった人魚」が現れた。

 陰気いんきなオーラをまとって女子トイレからのっそり出てくるその姿は、まるで幽霊や妖怪のようだ。

 

 (なるべく、人がいない道を選ぼう……)

 

 スカートを引っ張ってパンツをかくし、太ももをり合わせるようにして、一歩ずつゆっくりと歩く。かなり不自然な足の運び方をしているので、「陸に上がった人魚」は一層いっそう不気味ぶきみ怪異かいい仕上しあがっていた。

 数歩すうほ進んでは、不安になって後ろを振り返る。

 

 (しずく、落ちてないよな……?)

 

 太ももをギュッとめて、まんいちにもしずくがポタポタれ落ちないように、細心さいしんの注意をはらう。

 すると、そこへ……。


 「ぼくんちはねぇ、ゴールデンウィークは、ハワイにいくんだー」

 「いいなー。おれに、おみやげかってきてよ」

 

 前方から、ランドセルを背負った低学年の男の子が、二人並んで歩いてきた。何やらぺちゃくちゃと、夢中で会話をしている。

 どうやら、近くにいる6年生のお姉さんには、まだ気付いていないようだ。

 

 (お、落ち着けっ! 自然に、すれ違うだけだ……!)

 

 『美晴』は両手を体の横につけ、あしを少しだけ開いた。不気味さを消し、自然体しぜんたいでいることを強く意識した姿勢しせいだ。

 緊張きんちょうして、心臓がバクバクと鳴る。一筋ひとすじあせが、ほっぺたをつたう。

 眼前がんぜんの男の子たちは、そばに立つ『美晴』に興味を持つことなく、楽しそうに話し合っている。そして……。

 

 (ふぅ……。通り過ぎた……)

 

 しかし。


 「あれ? なんかへんなニオイしない?」


 『美晴』の背後はいごで、並んだ二人のうちの片方の子が、突然、会話を打ち切ってポツリと言った。


 「……!!」


 『美晴』の足は止まり、全身がこおったように動かなくなった。

 あの子たちに気付かれてしまったかもしれないと考えると、指先ゆびさきの一つですら、動かすことができない。


 「ニオイ? うーん。おれ、はながつまってるから、わかんないや」

 「なんのニオイだろう、これ……。スンスン」


 彼らは二、三度ほど鼻を動かし、悪臭あくしゅうの元を探している。

 それにより、発臭源はっしゅうげんの『美晴』は、ガチガチに固まったまま下手に動くことが出来なくなってしまった。

 

 「はぁっ……はぁっ……」

 

 恥ずかしさのあまり、呼吸が速くなっていく。 まゆはハの字になり、顔はどんどん真っ赤になって、『美晴』の体温は平熱へいねつを軽く超えてしまっていた。

 

 (ああっ、やめてくれっ! 早くどこかへ行ってくれ……!)

 

 どうすることもできずに、両目をギュッとつぶって願うしかなかった。


 *


 願いが届いたのか、男の子たちは何も気付かずに通り過ぎていった。


 「……」

 

 そして現在、『美晴』は階段の前に立っている。これを3階まで昇って、6年2組の教室に行かなければならない。

 けっして、『美晴』が階段を一歩踏み出そうとあしを少しあげた、その時だった。

 

 「風太くんっ……!!」

 

 男子の声。

 『美晴』が昇ろうとしていた階段の先には、その声を発した本人である男子が立っていた。『美晴』の姿を見て、そいつが本物の風太だと分かっているのは、この世にただ一人。

 

 「美晴っ……!?」


 少年は少女を「風太くん」と呼び、少女は少年を「美晴」と呼んだ。

 表情も真逆まぎゃく。少年は安堵したような様子だったが、少女の顔色はこの出会いが最悪なものであるということをしめしていた。

 

 (だっ、ダメだっ! 今はダメだっ!!)

 

 情けない。恥ずかしい。カッコ悪い。

 『美晴』の心にある男児としてのプライドが、スカートの中にある惨状さんじょうを『風太』に見られることを拒否していた。失禁しっきんしたかつての「わたし」の姿を見て、『風太』はどんな反応をするだろうかなんて、考えたくもなかった。


 「ふ、風太くんっ!? どこへ行くんですか!?」


 『風太』が話し終わる前に、『美晴』は全速力ぜんそくりょくで来た道を引き返した。


 「あっ、待ってくださいっ!」


 後ろから、こちらの事情を全く知らない『風太』が、階段を駆け降りてくる。

 

 「はぁっ……はぁっ……」

 

 もし事情を話せば、『風太ミハル』ならなんとかしてくれるかもしれない。決して『美晴フウタ』を嘲笑あざわらったりはしないだろう。

 しかし今は、この排泄物はいせつぶつで汚れた下着は誰にも見られたくないという気持ちの方が、上回うわまわっている。現在の自分のことを本物の風太だと知ってる人物ならば、尚更なおさら「お漏らしパンツ」なんて、見られたくない。

 『美晴』はどこへ逃げようとも考えずに、ただ一心不乱いっしんふらんに走った。が……。

 

 (くそっ……!)


 行き止まりだ。

 『美晴』はくるりと向きを変えて、後ろにいる『風太』と向かい合った。『美晴』を追い詰めた『風太』はスピードを落とし、5メートルほど離れた場所を呼吸を整えながら歩いていた。

 

 「ど、どうしたんですか? 突然っ!」

 

 不思議そうな顔をして近づいてくる『風太』に対して、『美晴』はハッキリとした言葉でさけんだ。


 「来るなっ……!!!」


 『風太』の足が止まる。


 「えっ……?」

 「そのまま……あっちに……いけよ……!」

 「風太くん、何かあったならわたしに話し」

 「うるさいなっ……!! 今は……どっかいってろ……!!」

 

 少女の乱暴な怒声どせいが、廊下に響く。

 

 「ど、どうして……?」

 「きらいなんだよ……! 何もかも……自分勝手な……お前がっ……!」

 

 明らかに様子がおかしい。

 『美晴』が何かを隠していることぐらいは、『風太』にも簡単に分かった。


 「まさか……」


 こばみ続ける『美晴』の姿をよく見ると、胸の辺りが濡れていて、ブラジャーがけている。さらに、不自然にスカートのすそを両手でグッと握っている。

 そこに何かある。『風太』は察知さっちし、覚悟を決めた。

 

 「だから……どっか行けよ……」

 「……」

 

 『風太』は『美晴』の言葉を無視して、まっすぐに向かっていった。


 「うわっ……!? 来るなよ……バカっ……!」

 「……」

 「おい……! 来るなって……言ってるだろ……!? 聞いてるのか……美晴っ……!!」

 「……」

 「やめろっ……!!!」

 「ごめんなさいっ」

 

 『風太』は『美晴』のスカートを掴み、男子の腕力で精一杯せいいっぱいめくり上げた。


 「「あっ……!?」」


 見えた。見られた。

 スカートの中で、キツい悪臭をただよわせながら、びしょびしょに濡れている。

 

 「あ……あぁ……」

 

 『風太』はパッと手を放し、目を丸くしたままゆっくりと顔を上げて、『美晴』を見た。

 『美晴』の顔は真っ赤になっていて、口からは力の抜けたような言葉にならない声が漏れている。

 

 「風太くん、これっ」

 「うぅっ……! ううぅっ……!!」

 

 見られてしまった。よりにもよって、一番見られたくなかった相手に。

 男児としてのプライドはもうない。ここまで守ってきた物、耐えてきた物がくずれ落ち、涙となってひとみから一気に溢れ出した。

 

 「なんでっ……! ひぐっ、なんで……こう……なるんだよっ……! なんで……ぐすっ、お、おれが……お前のっ……!」

 「……」

 「返せよぉ……! 返してくれよぉ……! おれの……身体ぁ……!」


 泣きじゃくる少女のそばで、少年はただ黙ってうつむいていた。


 *


 そして、日がれた。

 この時間まで学校に残っている生徒は、あまり多くない。

 

 体育館の第一だいいち用具庫ようぐこ

 そこには、カゴに入った各種ボールや、跳び箱と青い踏切板ふみきりばん、何枚も積み上げられた大きな白いマットに、ダンス用のキャスター付き姿見すがたみなどがある。


 「……」


 その場所で、一人の女の子が跳び箱を背もたれにしながら、体育座りのような姿勢で座っていた。かたわらには、赤いランドセルと黒いランドセルが一個ずつ置いてある。

 その少女は、目を泣きらしていたものの、気持ちは落ち着いていた。ひとしきり泣いたので、気が少し楽になった、というところだろう。


 ガラガラガラ……。

 第一用具庫の扉が、ゆっくりと開く。

 

 「風太くんっ!」

 「……」

 「あの、これっ……!」

 

 そこへ現れた『風太』は、すぐにうす水色みずいろのブラジャーとパンツを『美晴』に差し出した。

 

 「どこに……あった……?」

 「6年2組の、掃除用具ロッカーの中です」

 「そう……か……。持ってきて……くれて……ありがとう……」

 

 この下着したぎ一式いっしきと、さっき『風太』から渡されたブラウスとスカートがあれば、『美晴』は濡れた服から着替えることができる。

 

 「あと、身体からだくのにはこれを使ってください。風太くんのタオルですけど……」

 

 水道水で湿らせた青いタオルが、跳び箱の上にそっと置かれた。

 身体を拭くためのタオルだ。これで、汚れた身体を拭く。「服を脱いで」から、身体を拭く。


 「……」

 「……」


 二人は互いに顔を見合わせて、少し沈黙ちんもくした。


 「美晴……?」

 「は、はいっ?」

 「おれ……、この身体の……はだか……、見たこと……ないんだ……」

 「はい……」

 「着替え……とか……、一人じゃ……むずかしくてさ……! だから……その……なんていうか……」

 「……」

 「前……みたいに……目を……つぶってる……から……。お前が……おれに……服を……着せて……くれれば……」

 「いいです。もう目をつぶらなくても」

 「えっ……?」

 「見てください。全部」

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ