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おれはお前なんかになりたくなかった  作者: 倉入ミキサ
第二章:6年2組の女子生徒
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「同化」


 「デメ」が終わると、すぐに『美晴』は教室から逃げ出した。心に染みついた恐怖から必死に逃げて、逃げて、逃げこんだ先は、屋外おくがいにある非常ひじょう階段かいだんだった。

 髪から水滴すいてきを垂らし、悪臭あくしゅうを漂わせながら、『美晴』は階段をフラフラと昇った。

 

 「はぁっ……はぁっ……。ケホッケホッ!! はぁっ……」

 

 飲み込んでしまった汚水を、ぴちゃぴちゃと吐き出す。吐き出された水には、欠片かけらのようなものが浮かんでいる。


 「はぁ……はぁ……」

 

 美晴になってから、身体が震えることは何度かあった。しかし、今回の震えは異常いじょうだ。歯はガチガチと音を立て、両脚は身体を支えることすら拒否しようとしている。


 「……!」


 ただ「死ぬ」のではなく、誰かに「殺される」。

 その恐怖は、これまで感じたことのないものだった。

 

 「……」


 手すりに身体を支えられながら、『美晴』はようやく非常階段の一番高いところまで来た。

 

 「ぁ……あ……」

 

 両目の焦点しょうてんは合わず、口は勝手に音を出す。『美晴』は今、常人じょうじん廃人はいじん境界線きょうかいせんに立っているような状態だった。まだ後頭部には、押さえつけられていた時の感覚が残っている。

 身体に感情が入っていないので涙は溢れなかったが、その代わりに、体内に侵入した異物を押し返そうとする胃液いえきが口から溢れ出た。


 「おぅえっ……! うええっ……!!」

 

 ビチャッ。


 (おれ……生きてる、かな……?)

 

 『美晴』は自分の両手を見た。

 感覚はあるが、痙攣けいれんしている。指先も、上手く動かすことができない。

 しかしそれこそが、血の通った生きている人間の手である証明だった。『美晴』はそれを見て、とち狂ったように安堵あんどした。

 

 (そうか、おれ、生きてる、か。そっ、そっか。よかった……)


 そして、全てを理解した。チョークの粉にまみれたブラウスも、学校のことを考えただけで苦しくなるこの身体も。

 美晴が元の身体に戻ろうとしなかった理由を、風太は身を持って知った。


 (これが、イジメ……?)


 *


 (怖いっ……! 怖いっ! 怖いっ!!)

 

 やっと『美晴』に感情が戻ってきた。

 たいして寒くもないのに、背筋はゾクゾクして、鳥肌とりはだが立つ。恐怖で思考は乱れ、どんどんまともじゃなくなっていく。


 (あいつらっ……! あいつら、おかしいだろっ!!)

 

 思考をめぐらせ、どうにか精神のバランスをたもとうとする。

 なぜ6年2組の連中は、平然とこんなことができるのか。なぜ美晴は、こんなことをされているのか。そして、なぜ自分が美晴の代わりに殺されそうになっているのか。

 しかし、考えても一つも分からない。


 (いや……違う。もしかして、おかしいのはおれの方なのか……?)


 自分の長い黒髪を右手でグシャっと掴み、目視もくしで確認する。そして、左肩、左腕、胸、太もも、ふくらはぎまで、掴んでは確認していく。

 全て、風太のものじゃなく、昨日会ったばかりの知らない女子のものだ。

 

 (おれは、男だったハズなのに……。風太だったハズなのに……。なんだよ、この姿は……)

 

 (なんだよ、この身体は……。この服装は……)

 

 (なんで、おれがいじめられてるんだよ……! もう何もかもが、おかしい……よ……)


 そして、何かがプツリと切れた。


 (そっか。わたしは、美晴なんだ……)


 入れ替わり状態では、「心が身体に染まる」という現象が様々なケースで起こる。

 今回のケースでは、身体との不一致で不安定になっていた風太の心が、ついに崩壊ほうかい寸前すんぜんにまで至ったため、防衛ぼうえい本能ほんのうが働き、美晴の身体と強制的に一致させることによって心の修復と安定化をはかろうとしたので、その現象が起こったのだ。

 そうして少年の心は、少女の身体と同じ色に染まった。現在、風太の心と美晴の身体は、99%同化アシミレーションしている。


 (わたしは、美晴……)

 

 (臆病おくびょうで、弱虫よわむしで、暗くて不気味で、言葉を上手く話すこともできなくて……。だから、みんなから嫌われてる……)

 

 (今日だって、いつもと同じことが起こっただけ……)


 イビツな形だが、「自分は戸木田美晴だ」と強く思い込むことで、だんだん風太の心には平穏へいおんが戻ってきた。


 (『おれ』なんて、おかしいよね。わたしが風太くんだった、なんて。あり得ないもん)

 

 (あの人はわたしなんかと違って、明るい性格で、友達もいっぱいだし。強くて勇敢で、運動も得意で……)

 

 (風太くんは、わたしとは違うから……)


 さっきまでの自分は、何かの間違いだった。

 今の自分こそが、本来の正しい自分なのだと、そう結論づけて少女は非常階段を降りた。


 *


 キンコーン。

 3時間目、そして4時間目が終わった。

 「美晴ブチギレ事件」もすっかり忘れ去られ、6年2組にはまた日常が戻ってきた。クラスメートはいつもと同じように『美晴』にせっし、『美晴』も本来の自分を忘れて、いつもの美晴と同じように過ごしていた。


 「……」


 給食の時間になった。

 この時間では、自分の机を友達の近くへ移動させて食事を楽しむのが、どこのクラスでも共通になっている。

 そんな中、『美晴』は机を移動させず、そのままの場所で給食を食べていた。それが美晴にとっての日常であり、「わたし」はこれが普通だと思い込んでいるからだ。

 ひとりで静かにしていると、周囲の小さな声が嫌でも耳に入ってくる。


 「なんか、このへんくさくない?」「ほんとだ。ドブみたいなにおいがするね」「うぅ……。気持ち悪くなってきたよ」「やめてほしいよね。食事中なのに」


 『美晴』は教室へ戻る前に水道で髪を洗ったが、金魚の水槽の悪臭は、近寄るとまだ少しにおうほどに残っていた。

 

 「……」

 

 長い前髪で目元を隠し、みじめで泣きそうになる気持ちを抑えながら、無心むしんでパンを頬張ほおばった。


 *


 給食が終わると、次は昼休みだ。食べ終わった生徒から順に食器を片付け、思い思いの自由な時間を過ごす。

 かなり時間がかかった、結局食べ切れずに残してしまった『美晴』の昼休みは、6年2組の中でも一番最後になってしまった。

 

 「ごちそう……さま……でした……」


 いつもなら外でドッジボールやサッカーをして遊ぶ時間だが、今の『美晴』にはもう、活発な男子の精神は残っていない。


 (今日も図書室に行こう……)

 

 『美晴』はにぎやかな廊下ろうかを通って、図書室へ向かうことにした。

 昼休みになると、6年生の教室のそばの廊下は、最も人通りが多くなる。他愛のない会話もたくさん聞こえてくる。


 「お前さ、エレゼロやったことある?」

 「エレゼロ? なんだそれ」

 「知らねーのかよ。次世代型ゲーム機、エレファント・ゼロの略だよ。画質がマジでリアルなんだ」

 「へー。野球ゲームもできるのか?」


 「女子の歩幅ほはば」で歩いている『美晴』のすぐ後ろでは、6年1組の滉一コウイチ龍斗リュウトが「男子の歩幅」で歩いていた。しかし、ワイワイガヤガヤと賑わうこの廊下では、たがいの存在に気付くことは難しかった。


 ドンッ!


 「きゃっ……」

 

 龍斗の左肩が軽くぶつかり、『美晴』は少しよろけた。


 「もちろん。今度買う予定だし。みんなで野球ゲーム大会やろうぜ」

 「面白そうだな。他に誰を呼ぶ?」

 「えっと、健也と、風太と、翔真と……。とにかく友達いっぱい呼びたいな」


 『美晴』は彼らの方を向いたが、彼らは『美晴』に気付かずに、会話を続けながら行ってしまった。

 

 (滉一……。龍斗……)

 

 自分は6年2組の戸木田美晴のハズなのに、なぜか6年1組のあの二人のことを知っていた。

 

 (あれ? わたし、あの二人を……どうして……?)


 *


 うるさかった場所を抜け、静かな図書室に入る。

 月野内小学校は資料しりょう保存ほぞんに力を入れており、「本のジャングル」と呼ばれているほど、図書室の中がとても広い。

 

 (この景色、この香り。わたしにとって、この学校で一番落ち着く場所……)

 

 『美晴』は、立ち並ぶ巨大な本棚の間を、森を散策さんさくするみたいにゆっくりと歩いた。

 

 (今日はどんな本を読もうかな?)

 

 しばらく歩き回った後、「世界のベルギーワッフル図鑑」という本を見つけ、それを胸にいて読書スペースの空いている席を探した。

 

 (あった……)

 

 空席を発見し、誰かに先に座られてしまう前に、早足でそちらへ移動する。しかし、そこへ行く途中で『美晴』の足は止まった。


 「……!」


 窓だ。『美晴』の足は、自然とその窓のそばへと行く先を変えていた。

 窓ガラスにそっと右手を添え、外を見降ろす。グラウンドでは、男子たちと女子たちが仲良く遊んでいる。

 

 (あっ……。今日は、あそこにいる……)


 『美晴』の瞳は、ある一点を凝視ぎょうししていた。


 (風太くんっ……)

 

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