雷鳥と呼ばれた男
*
休日の午前11時。
バスに揺られて15分。『美晴』と『風太』は、総合市民体育館に到着した。
総合市民体育館とは、その名の通り、バレーボールやハンドボール、卓球やバドミントンなど、主に屋内スポーツの大会を行うために使われる、観客席付きの大きな体育館である。
ダム、ダム、ダム……! ボールが床を跳ねる音。
キュッ、キュ、キュッ……! シューズが床に擦れる音。
「エーイ、オウオォー! エェイオー!」 ウォーミングアップをする男子高校生たちの、謎の掛け声。
本日行われているのは、バスケットボールの高校生大会だ。ひよこ高校、こがめ高校、とかげ高校、こねこ高校など、近隣の高校の男子バスケ部が、この会場に集まっている。
午前中のプログラムが終わりに近づくなか、選手たちは爽やかな汗を流しながら、スポーツマンシップに則り正々堂々と、全力でバスケットボールの試合をしていた。
今日は観客として。『美晴』と『風太』は、いくつかの空席が目立つ観客席で並んで座り、コートの中でめまぐるしく動く試合を、特に熱狂することもなくぼんやり眺めていた。
《本当なのか? おまえのお母さんの話》
「はい。少し前から入院してるんです。体調は順調に回復していて、もうしばらくしたら退院できるそうですけど」
《でも、気になるな おれも、みはるのお母さんに、会いに行っていいか?》
「もちろんですっ。ぜひお願いします。えっと、病院の場所は……」
「ん……?」
「えっと……」
「美晴……?」
「あっ!! い、いや、そのっ! ボーッとしてました! ごめんなさいっ!」
《あやまらなくていい お母さんのことが心配で、落ちつかないんだろ? おれに何か手伝えることがあったら、えんりょなくいえよ》
「あ、ありがとうございますっ」
確かにお母さんのことも気がかりではあったが、『風太』はそれ以上に、お父さんが突然現れたことの方が気がかりだった。しかし、これはあくまで家族の問題であり、今の段階で『美晴』に余計な心配をさせたくないと判断し、『風太』は思い切って気持ちを切り替えることにした。
「ところで、安樹ちゃんは誘わなかったんですか? 今日は」
《さそったけど、やめとくってさ 今日は、プチ子の店に、ペンダントをかえしにいく予定だって》
「ペンダント?」
《いれかわりペンダントだよ もともとの、もちぬしにな あんじゅのやつ、それがおわったら、しばらく家でゆっくり休むから、学校にも行かないってよ》
「不登校になるってことですか?」
《心配は、しなくてもよさそうだけどな アイツはアイツで、しっかりした考えがあるみたいだし》
「いえ、あの人の心配してるわけではないんですけど……」
「ん……?」
「あ、いや、なんでもないですっ」
一応、安樹とは手を結んだ。
しかし、まだ完全に信用したわけではない。これまで何度もウソをつかれているので、『風太』は安樹の動きを常に警戒するようになった。
「あの人、これからどうするつもりなのかな……」
「え……?」
「な、なんでもないですっ! こっちの話っ!」
《おまえ、あんじゅと二人で、おれに何かかくしてるな? べつに、ムリヤリ聞き出そうとはおもわないけどさ》
「あはは……。そうしてもらえると助かりますっ」
『風太』は『美晴』からは見えない方を向いて、ホッとため息をついた。
《おまえの方は、どうだったんだよ》
「わたしの方? なんのことですか?」
《ゆきのだよ おまえのほうは、ゆきのをさそったんだろ? 今日》
「はい。でも、断られてしまいました」
《りゆうは?》
「たしか、友達とライブを見に行く予定があるから、って言ってましたよ。雪乃ちゃん」
《ライブ?》
「近くでやってるロックフェスのことだと思います。6年1組の女の子たちと、一緒に行ってるみたいですね」
「女の子……たち……か……」
『美晴』は横目でチラリと、自分の隣に座っている少年を見た。
たしかに、そいつの現在の見た目は男子だが、中身は雪乃と同じ11歳の女子だ。“女の子たち”に、お前は含まれていないのかと、『美晴』は言いたくなった。
《行かないのかよ みはるは》
「えっ? ロックフェスに、ですか?」
《おまえは、ゆきのたちとロックフェスに行っても、よかったんだぞ おれに、気をつかわなくても》
「い、いえっ! 気を遣ってるわけじゃありませんっ! わたしは、自分の意志でここにいるんですっ!」
「美晴……」
「あっ、そ、そのっ! 向こうにも興味はありますけどっ! わたし、にぎやかな場所はあんまり得意じゃなくて……そ、それにっ!」
「ここ……も……、にぎやか……だけど……な……」
「それに……こっちの用事の方が、今のわたしにとっては大事な気がして」
「……」
『風太』は、自分のひざの上に乗せたお弁当箱を見つめ、『美晴』もそれをじっと見つめた。
弁当箱の中身は、風太の母親(二瀬守利)が作った、“愛情たっぷりスペシャル弁当”である。名前の通り、愛情と緑黄色の野菜がたっぷり入っている。ただ、今回それが届けられるのは、息子の風太へではなく、もう一人の息子へ、だった。
「雷太兄ちゃん……に……会うのか……。美晴……」
「はい。会ってみたいですっ」
『美晴』と『風太』は視線を上げ、体育館の中心に立つ一人の選手へと目を向けた。
その男の名前は、ひよこ高校バスケットボール部の二年生エース、二瀬雷太。
*
「どんな人なんですか? 風太くんのお兄ちゃんって」
「一度も……話したこと……ないのか……? 美晴は……」
「はい。わたしが風太くんの家で暮らすようになってから、風太くんのお兄ちゃんはすぐに家を出たんです。高校の近くの寮で、一人暮らしを始めたらしくて」
「兄ちゃん……一人暮らし……したがってた……から……なぁ……。家から……高校……まで……が……遠すぎる……って、いつも……文句……言ってた……よ……」
「ふふっ。可愛いところがあるんですね」
「可愛い……? いや、雷太兄ちゃん……は……そんな……甘いモンじゃ……」
『美晴』と『風太』の背後に、忍び寄る影。
「こんにちは、男の子と女の子。もしかして今、二瀬雷太選手の話してた?」
「「えっ……!?」」
二人が振り返ると、そこにはメガネをかけた女子高生がいた。ひよこ高校指定のひよこ色ジャージを着ていて、右手には付箋がたくさん付いたファイルを持っている。
「私は、ひよこ高校バスケ部マネージャーの、石切真音って言います。マネさんって呼んでね♪」
軽い自己紹介を終えると、マネさんと名乗る女子高生は、『美晴』の隣に座った。
「ま、マネ……さん……」
「ふふっ、よろしくね。あなたは、二瀬雷太選手……雷太くんのファン? さっき、彼について色々と話してたみたいだけど」
「いや……、ファン……って……わけじゃ……なくて……。二瀬雷太……は……、おれの……兄ちゃん……なんで……す……」
「ええぇーっ!? ら、雷太くんに、妹っ!?」
衝撃の事実。マネさんはひどく動揺した様子で、持っていたファイルをばさばさとめくり始めた。そして、「まさか、雷太くんに妹がいたなんて……! いや、たしか雷太くん家の家族構成は、父母弟だったハズ。私の完璧なデータに狂いは……」と、ブツブツと独り言を呟きながら、深く悩みだしてしまった。
「い、いや……間違い……です……! 間違え……ました……! おれの……兄ちゃん……じゃなくて……、こいつの……兄ちゃん……でした……! だよな……? 美晴……じゃない、『風太』……!」
「そ、そうですっ! わたしのお兄ちゃんですっ! こっちの女の子は、ただのファンです!」
二人で訂正した。
すると、マネさんはまた元の状態に戻った。
「なーんだ、びっくりしたぁ……! 私の知らない雷太くんの情報が存在するのかと思っちゃった」
「「……」」
この人、実はけっこうヤバい人かもしれない。
そう思いつつ、少しだけ引きながら、『風太』はマネさんに尋ねた。
「えっと……詳しいんですね。お兄ちゃんについて」
「もちろん! マネージャーとして、雷太くんのことは、なんでも知っておかないといけないもの。もしかしたら、弟くんよりも私の方が詳しいかもね」
「か、家族よりもっ!?」
「ふっふっふ。特別に聞かせてあげる。私がこの一年で調べ上げた、二瀬雷太くんの全てを!」
マネさんは、ファイルの中にある「雷太くん♡」のページをバサッと広げ、メガネをキラリと光らせた。
「二瀬雷太、16歳。ひよこ高校の二年生で、男子バスケットボール部所属。身長190cm、体重77kg、ポジションはパワーフォワード。誕生日は10月21日。血液型はO型。好きな食べ物はカツカレーで、毎週金曜日に学食で必ず食べる。嫌いな食べ物はキウイで、見ただけでも冷や汗をかくほど。趣味は練習で、一年の大半をバスケットコートの上で過ごす。最近あった嬉しかったことは、念願の一人暮らしを始められたこと」
「へぇ……」
「定期テストの成績は最低クラス。数学が特に苦手で、分数が絡むと計算できなくなる。しかし体育は得意で、運動神経はひよこ高校ナンバー1。バスケ部のエースとしても活躍し、冬の大会ではひよこ高校を全国大会の準々決勝まで導いた。プレースタイルは、空翔けること怪鳥のごとく、地を駆けること雷のごとし。そんな彼を……人は皆、“雷鳥”もしくは“雷鳥”と呼ぶ……!!」
「ら、雷鳥っ……!?」
『風太』はもう一度、コートに立つ雷太を見つめた。
雷鳥……かどうかは分からないが、激しく展開する試合の中で、確かに一人だけ圧倒的な実力を見せつける男がいた。まるで翼を持っているかのように跳び、雷のように走って敵を抜き去る、一人の男が。
「あれが、風太くんのお兄ちゃん……!」
『風太』は目を輝かせ、雷太に会いたいという気持ちを強くしていった。
しかし、その隣に座っている実の弟『美晴』は、やれやれと呆れ返ったような視線を、『風太』とマネさんの二人に送っていた。
「ふーん……。あの……雷太兄ちゃん……が……、サンダー……バード……か……。へぇー……そうか……」
「どう? あなたも、一層好きになったでしょ? 雷太くんのこと」
「別に……。雷太兄ちゃん……は……、雷太兄ちゃん……だし……。鳥……じゃなくて……人間……だし……」
「あらら、ウケが良くなかった? 私はカッコいい通り名だと思うけど、小学生の女の子にはあんまりピンと来ないのかな?」
「お、おれは……女じゃない……って……!」
「えっ?」
「あっ……、いや、その……! 今の……は……ナシで……! と、とにかく……マネさんが……雷太兄ちゃんの……ことに……すごく……詳しい……ってことは……分かった……よ……!」
「うふふ、そうなの。だから……同じ雷太くんのファンとして、あなたたち二人とは仲良くなりたいなって、思ってるの」
「友達……に……? そ、そういうこと……なら……こっちも……嬉しいけど……」
「ありがと。じゃあ、お名前を教えて? ちゃんと覚えておきたいから」
「おれは……風太……。じゃなくてっ……! 今は……アレだ……、美晴……」
マネさんはそれを聞くと、紙に「荒田美晴」と書き記し、自分が持っているファイルに挟み込んだ。
「よろしくね、美晴ちゃん。あ……ちょっと耳を貸して? 言っておきたいことがあるの」
「ん……?」
そしてマネさんは、『美晴』の耳元に口を近づけ、とても小さな声で囁いた。
「あなた、さっきからちょくちょくパンツ見えてる。良くない注目を集めちゃうから、あんまり脚を広げて座らない方がいいよ」
「な、なぁっ……!!?」
今日のコーデは、花柄のワンピース。ウカツな開脚は禁物だ。
『美晴』はスカートの裾をバッと押さえ、真っ赤になりながら周囲をキョロキョロと見回した。
*
それから一時間が経ち、お昼の12時。
「風太くん、ここですっ。ここで待っていましょうっ」
「お、お前……。なんだか……張り切ってる……な……」
「はいっ! 早く風太くんのお兄ちゃんに会いたいですからっ」
「あんまり……期待は……しない……方が……いいと思う……ぞ……」
『美晴』と『風太』は、マネさんに手回しをしてもらい、「ひよこ高校控え室」の前で雷太を待つことになった。
ここで雷太にお弁当を手渡すことが、本日の最重要ミッションである。妙に冷静な『美晴』とは対照的に、『風太』はドキドキと昂ぶる気持ちを抑えきれずにいた。
「まだかな……! き、緊張しますね、風太くんっ!」
「おれは……別に……」
「そ、そうですよねっ。弟だから、お兄ちゃんと話すくらい、普通ですもんねっ」
「あのな……。一つ……言っておくぞ……。これから……雷太兄ちゃんに……会うけど……、兄ちゃんに……何を……言われても……」
ガラガラガラッ。
控え室の扉が開き、身長190センチメートルほどの大男が、ヌッと現れた。試合中のユニフォーム姿ではなく、黒いジャージを羽織っているが、顔つきが二瀬風太そっくりであるため、『風太』はすぐにその大男が雷太だと気付いた。
念願の、初対面である。
「あ、あのっ……!」
「……!」
「これ、お弁当っ! お母さんが作ったのを、持ってきたの!」
「……」
「お母さん、早起きして朝から一生懸命作ってて! お、お兄ちゃんが、試合で活躍できるようにって!」
雷太は弁当箱をじっと見つめ、そして『風太』の顔を見て、呟いた。
「あの減らず口ババアの遣い、というわけか」
「え……?」
さらに言った。
「それを持って消え失せろ。出来損ないの哀れな弟よ」




