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一匹目のサル

 百匹目の猿現象という言葉がある。

 宮崎県の幸島に住むニホンザルの一頭が、ある時芋を洗って食べる様になったのだが、それが仲間に伝播していき、ある閾値しきいちを越えると爆発的に普及し、遂には距離を隔てた別の場所のニホンザルにまで芋洗い行動が伝わるという現象の事だ。

 まあ、実際にはありもしない現象なのだが、一時期は日本でも、自己啓発セミナー等で盛んに取り上げられていたみたいだな。

 

 まずは自分の意識を変革し、一匹目のサルになりましょうというヤツだ。

 芋洗い行動は、百匹の段階で群れ全体どころか遠い地域の群れにまで空間を越えて普及した。

 人間の閾値がどこかは分からないが、まずはその一匹目になろうじゃないかと言いたいらしい。

 家庭を、会社を、社会を、人類全体を変えたければ、まずはアナタが変わらなければならないという謳い文句で人を集めた様だ。

 誰もやらないと悲観するのではなく、自分が率先して行動し、周りに影響を与えていこうと言いたいのだろう。


 まあ、言いたい事は分かるし、実際にそうだとは思うが、閾値を越えれば場所の離れた地域でも同様の行動が見られる様になるなんてのは、流石にオカルトだろう。

 同様のモノとして、グリセリンの結晶化に関する都市伝説がある。

 20世紀、世界中の化学者がグリセリンの結晶化に挑戦していたのだが、なかなか成功しなかった。

 そんな中、貨物船に積んでいたグリセリンが偶然結晶化する。

 それを種として結晶化しようとしたら、世界中で結晶化が進む様になったという伝説だ。

 共時性、シンクロニシティというヤツだ。

 全くの伝説であり、根拠はない。


 「何が言いたいんや?」


 テルが不思議そうなモノを見る目で言った。


 「いや、だから、ルーシーを一匹目のサルにして、群れ全体に同じ行動を広めたいって話さ」

 「オカルトやないんか?」

 「それは百匹目のサルがオカルトなだけで、群れくらいなら正しい訳」

 「まあ、泥の付いた芋よりは、綺麗な方がええわな」

 「そういう事だ。サルくらいなら、それくらいは余裕で学習するだろうぜ」

 「る、ルーシーはサルじゃないよ!」


 フータがルーシーをじゃらしながら抗議の声を上げる。

 ルーシーもサル呼ばわりされた事に腹を立てたのか、フータのお腹に抱きついたまま、キーキーと唸って犬歯をむき出しにした。

 いや、そんな事をされると余計にチンパンジーとしか思えないのだが……


 「ゴメンなルーシー。そんなつもりはなかったんだ」


 とはいえ俺は素直に謝り、謝罪の意味を込めてルーシーの頭を撫でた。

 ルーシーも納得したのか、俺の手を拒絶する事なく、撫でられるのに任せた。


 「で、何をするんや?」

 「これだ!」

 「石かいな?」


 俺は準備しておいた石を出した。

 受けに使う大きな平らな石と、振り下ろす為の石だ。

 何の為にそれらを使うのか、目的の物も準備してある。


 「く、クルミなの?」

 「それは納得やな」


 森には堅果類も多かった。

 堅果類とは字の通りに堅い殻をもった果実の事だ。

 有名な所ではクルミがそうだが、生のままでは非常に堅い。

 クルミの殻は堅すぎて、研磨剤にも使われる程だったりする。

 それはともかく、堅いクルミを手の力だけで割る事は難しい。

 加護がある俺達ですら不可能だった。

 それを石を使って割ろうという訳だ。 


 栄養豊富で風味が良いのがクルミなので、ルーシー達には是非とも利用出来る様になってもらいたい。

 食べ物が豊富な今ならクルミを食べられなくても困らないだろうが、突然に自然環境が変わり、飢えを心配しなければならない様になると、堅果類を利用出来るのと出来ないのでは、種の生存に大いに違いが出るだろう。

 気まぐれそうなボケ神なので、突然の氷河期くらいは用意していそうである。

 と言うか、絶対にやるだろう。

 毛皮に覆われた俺達が寒がっているのを見て、大笑いくらいはしそうだ。

 ゴリラなので、そんなに毛は無いが。

 

 「何や?」

 「あ、いや、別に……」


 そんなつもりは無かったが、つい反射的にテルの頭を見てしまった。

 視線をずらし、慌ててクルミ割りの実演を始める。


 「で、クルミを食べようと思ったら、道具の利用が欠かせない訳だ!」


 そう言い残し、クルミを台の上に乗せ、俺は石を持ち上げた。

 片手で握れる石だと重さが足りないし、狙いが外れてしまいがちなので、オーストラロ・ピテクスが両手で扱える程度の大きさの石を選んでいる。

 全力で振り下ろす必要は無いので、重力に任せて落した。

 バキッとした衝撃と音が走る。

 事前に練習していたとはいえ、本番でも無事に割れた様だ。 

 砕けた殻と中の実を分離する。


 「食べてみな、ルーシー」


 何をやっているのかと興味津々な様子で眺めていたルーシーに、割れたクルミの中身を渡してあげた。

 初めて見たであろうクルミの実に、初めは警戒していたルーシーも、フータが食べてみせた事で安心したのか、恐る恐るながら口に運んだ。

 そして目をカッと見開く。 

 旨さを理解してくれたらしい。

 もう一つくれと催促が始まった。

 俺は十個くらい連続して割り、フータに渡した。


 「何や、中央に窪みを付けとるんか? 芸が細かいな」


 クルミを割ろうとして台に置いたテルが感心した様に言った。

 テルの指摘通り、平らな台には窪みを付けており、クルミが転がってしまわない様に工夫している。

 尖った石を何度もぶつけて加工したのだが、これは打製石器と呼んで良いモノだろうか?

 実は振り上げる石の方にも加工を施し、小さな手のルーシーにも握りやすい様にしているのだが、ごつい手のゴリラでは気づけないのかもしれないな。

 事実、テルはそれを軽々と持ち上げ、何個かクルミを割っていたが、最後までその事に気づく事はなかった。 


 「ルーシーもやりたいんか?」

 

 クルミを食べ尽くしたルーシーが、テルのやっている事を食い入る様に眺めている。

 よしよし、良い子だな。 


 「フータ、教えてみんか?」

 「う、うん」


 フータがテルから石を受け取り、まずは自分がやってみせた。

 次にルーシーに持たせる。

 子供のルーシーなので重さを心配したが、両手であれば問題なかった。

 しかし、やはりどうやれば良いのかは分からない様だ。

 見当違いの所を叩いたり、持ち上げが足りなかったり、中々成功しない。

 フータがルーシーの手の上に自分の手を添え、石の使い方を教えた。

 ルーシーは理解したのか、一生懸命に真似ようとする。

 何度か挑戦し、どうにか成功した。 

 しかし疲れたのか、それで満足したらしく、石を放り出してしまった。


 「まあ、子供だからな。気長に構えようぜ」

 「やな」

 「る、ルーシーは偉いねぇ」


 フータに褒められ、ルーシーも嬉しそうだ。

 この調子で道具の使い方を覚えて欲しい。

 ルーシーが覚えれば、真似していく個体も出てくるだろう。

 そうなれば群れにも広がり、文化として定着するかもしれない。

 その中からやり方や道具を改良する者が現れ、更なる進化を遂げるのだ。

 百匹目のサル現象はオカルトだが、一匹目のサルがいなければ何事も始まらない。


 「せやけど、やっぱ炒らんと香ばしくないで?」

 「だ、だね」


 二人がクルミの味について文句を言っている。

 確かに生クルミは香ばしさが足りないのだが、贅沢を言い過ぎだろう。

 火は熾せたが、フライパンでも無ければ炒る事が出来ない。

 鉄が無い今、出来る事と言えば土器を作る事だろうか?

 それとも、火の中で殻のまま焼き、それから殻を破ればいいのか?

 確かカシューナッツはそうやるんだったか……

 新しい風味を得る為に、チャレンジしてもいいな。

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