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終章 戻る日常

「玲川先輩が入院延長?」

「ああ、検査結果で胃潰瘍だかが見つかったらしい」


 山倉の言葉を聞きながら、司は大盛り月見うどんをすする。タマゴ二個にうどん三玉と以前に比べてボリュームが低下している。

 学食の経営再建によって、メニューの多くが値上がりした。とは言っても十円ほどの値上がりであり、ほかで食べるよりは圧倒的に安い。多少の不満はあるものの、生徒たちはそれを受け入れつつあった。

 山倉が話しているのは、文芸部部長の玲川のことである。謎の襲撃者に襲われて負傷した彼だが、その検査で胃潰瘍が発見され、治療のために校外の病院に二ヶ月ほど入院するということだ。


「校外かぁ。見舞いに行きづらいなぁ」

「まあ、胃潰瘍だからな。大したことはないだろう」

「部長はコーヒーの飲みすぎでしたからね。私にはココアしか作ってくれなかったんですよ」


 会話に割り込んできたのはカツカレーをトレイに載せた香織である。いつものように優雅な動きで着席した彼女は、テーブル上にある水差しからコップに水を注ぐ。


「襲撃の真犯人も見つからないし、災難続きだな玲川先輩は」


 香織に続いて祥子が現れる。トレイに載っているのは香織と同じカツカレーである。


「お、今日はカツカレーか」

「ああ、カツ丼派としては物足りないが、カツがあるのはありがたい」


 祥子は司の左隣に座る山倉に目で合図をする。山倉は無言で席をずらし、司の横を空けてやった。


「明日はカツ丼だから楽しみだ。それまでカツカレーでしのごう」

「ずいぶんな物言いですね。カツカレーだって美味しいでしょ?」

「ん……それはそうだが、やはりカツ丼が一番だな」

「意地っ張り」


 香織が優しくほおを膨らませる。それを見て、祥子も苦笑を漏らす。

 あの校内戦争以来、二人の仲は以前ほど緊張感のあるものではなくなっている。意見の対立は多々あるもののある一点を除けばお互いを尊重し、良好な関係を築いていた。


「そういえば、貴苗モールのケーキ屋で新作が発売されたそうですわよ」

「へえ、何ケーキなんだ?」

「レアチーズのタルトと、ミックスベリーのショートケーキだ」


 女の子らしい話題がほほえましい。司は左右を交互に見やりながら、彼女たちの会話に相槌を打つ。相変わらず大変だが、ケンカの間に入るよりはマシである。


「では、今度一緒に行きましょう。司はどっちを食べます? やっぱりレアチーズ?」

「バカな、ミックスベリーに決まっているだろう」


 香織の言葉を祥子が当然のように否定する。すると、香織の目に剣呑な光が宿る。


「レアチーズのほうが美味しいですよね」

「冗談が下手だぞ香織。フルーツの味わいに比べればチーズなど……」

「ストップ! どっちも食うから! どっちも大好きですから!」


 また校内戦争になられてはたまらない。司はあわててにらみ合う二人の間に割ってはいる。


「一緒に行こう。そうだ、今度の土曜日にな! な?」

「むう、分かった……」

「じゃあ……土曜日に」


 司の仲裁が功を奏し、二人は浮かせた腰を椅子に落ち着かせる。


「で、どっちを先に食べるのだ」

「……マジ勘弁しろよ……」


 テーブルの上に突っ伏した司は、胃潰瘍で入院した玲川が心底うらやましく思っていた。



 屋上からグラウンドを眺めつつ、兄江が大きくため息をつく。


「さちこぉ……」

「気持ち悪いですね。筋肉ゴリラ先輩」


 隣に立つ虎美が眉をしかめる。確かに筋肉ムキムキの大男がメランコリックなため息をつくのは、かなり気味が悪い。


「そんな気を落とすなよ。でも、気持ち悪いぞ兄江」


 そう言ったのは松田である。ポンと兄江の肩を叩き、松田はグラウンドで走っている女子バレー部員たちを指差す。


「見ろ。女の子はいくらでもいる。女は祥子ちゃんだけじゃないぞ。ほら、ここにもかわいい女の子が一人いるし」

「私をカウントしないでください」


 松田の言葉に虎美が顔をしかめる。フェンスの上に座っていた猫野センパイが心外そうに松田に抗議する。


「センパイはカウントしてくれニャいのか?」

「お前は特殊だからな」


 フェンスにもたれかかっていた荒木が皮肉っぽい笑みでつぶやく。猫野センパイは威嚇のポーズをして見せるが、顔は笑っていた。


「でも、祥子は特別なんですよぉ。諦めきれねえっすよ」


 兄江が泣き言を言う。処置ナシと見て、松田は肩をすくめて首を振ってみせる。

 すると、虎美が嘲るように鼻で笑う。両腕を組んだ彼女は、自信満々の顔で兄江へ声をかけてくる。


「甘いですね筋肉ゴリラ先輩。私はお姉さまが天道先輩と仲良しでも諦めません。絶対に私へ振り向かせて見せます」

「……バイタリティは買うが、上級生へ筋肉ゴリラはないと思うぞ」

「そうかぁぁぁぁ!」


 荒木が苦笑しながら虎美を注意しようとした瞬間、兄江が上半身をガバッと起こす。さっきまでの意気消沈が信じられないくらいの勢いであった。


「え?」


 虎美が驚くヒマもなく、兄江はその大きな手で彼女の両手をがっしりとつかむ。そして、闘志みなぎる顔で彼女を熱く見つめる。


「よく言った小林! そうだな。オレも負けないぞ。いつの日か俺の想いを祥子へ届けて見せる。これからもライバルとしてがんばっていこう!」

「え? あ? はい?」


 目を白黒させて虎美が周囲の上級生たちへ助けを求める。だが、彼らはニヤニヤと笑うだけで誰も助けてくれなかった。



「まったく。あの野蛮人どもめ」


 鏡を見ながらシオンはアザになっている額をなでる。電流のような痛みが走り、シオンはますます顔をしかめる。


「今に見ていろ。生徒会権力の恐さを思い知らせてやる」

「しかし会長……」


 心配そうな顔で風間がシオンをうかがう。シオンは両手を顔の前で組み、得意の謎めいたアルカイックスマイルを浮かべた。


「確かに今の連中には対立の火種はない。だが、火種というのはいくらでも作れるんだよ風間くん」

「しかし……」


 自信たっぷりに言うシオンに風間は懐疑的な声をあげる。確かに司たちの間に火種を作ることは可能だろう。だが、よほど巧妙にやらなくては気づかれてしまう。


 先日のことで風間率いる武装風紀では彼らを止めることができないことがはっきりしている。連中が反抗すれば、シオンの生徒会自体が崩壊しかねない。

 風間の不安を察して、シオンはさらに自信をみなぎらせた顔で言葉を続ける。


「今回はボクとキミの部隊だけだったからね。次からはほかの武装風紀も使おう」

「! それでは……」


 風間の顔に喜色が戻った。シオンの言葉はそれだけの威力を持っていたのだ。

 武装風紀には学年ごとに隊長が存在する。風間はあくまでも一年生武装風紀の隊長なのだ。上級生の隊長二人は風間を上回る実力者であるが、生徒会長の私兵となることを嫌って今回の騒動には参戦しなかった。彼らが参加すれば、あの屋上での戦いもどちらが勝ったかわからない。


「次はボクの陰謀ではなく、生徒会としての治安行動の名目を取ろう。正面からあの反抗分子たちを叩き潰してやる」


 アルカイックスマイルが消え、悪魔的な笑みがシオンに浮かぶ。強力な味方がいることを心強く思った風間も同じく凶暴な笑みを浮かべた。


「もちろん、裏武装も総力を結集するよ。今回三人倒されたが、まだ四人いるんだ。それも一人は連中の懐に入っている」


 青樹セルジュの美貌がシオンの脳裏に浮かぶ。これからはスパイとして彼女を活用してやろう。陰謀好きな生徒会長は敗戦のショックを忘れ去り、暗い情熱をふつふつとたぎらせていった。


「だが、その前に連中の力を多少殺いでやらないとね。あの生徒の無期限停学を解除するよ」

「あの生徒? あっ……」


 シオンの言葉に風間の顔が青ざめる。


「黒瓜冴の謹慎を解く。見ていたまえ天道くん。絶対に後悔させてやる」



 鮎川と山倉は図書室で資料探しを行っていた。


 鮎川は木製の踏み台を使い、棚の高いところにある古い書籍を抜いてはパラパラとページをめくる。最後まで眺めると本棚へ戻る作業の繰り返しである。一冊を眺めるのに数十秒ほどだが、鮎川はこれで書籍の内容を脳内に納めているのだ。


「どうですか?」

「んー、関連した記述は少ないねぇ」


 今度の新聞部で扱うのは桜稜の七不思議である。膨大にある校史から該当箇所を探すのは一苦労なので、鮎川の協力を求めたのだ。


「鮎川くん?」


 鈴を転がすような声に鮎川は顔を上げる。下で資料となる本を両手に持っていた山倉も振り向く。

 立っていたのは青樹セルジュであった。制服を校則違反ギリギリまで改造した艶やかな姿で、彼女は手を振っている。


「どうしたんだい?」

「うん、ちょっと聞きたいことがあって」


 セルジュが手招きをする。鮎川は持っていた本を棚に戻すと、踏み台から降りてセルジュのもとへ歩いていく。


「あのさ。あの校内戦争でそこの山倉くんがすごくがんばったよね?」

「ああ、うん。座って青樹くん」


 山倉とともに鮎川は椅子に座る。セルジュも椅子をひいて腰をかける。見た目を気にして足を斜めにそろえて座るのはさすがであった。


「あれって誰かの入れ知恵じゃないかなあって思うの。どう?」


「面白いところに興味を持つね。でも、不思議だな。なんで、山倉くんじゃなく、ボクに聞くんだい?」

「だって……」


 セルジュは山倉をチラと見てから、鮎川へ微笑みかける。


「言ってはなんだけど、ただの新聞部員がこなせる仕事じゃないもの。ああいう反則スレスレのことができるのは、生徒会長の遠山くんか……」

「別格の鮎川先輩だけってことですか」


 山倉がセルジュの言葉を繋ぐ。鮎川は苦笑を浮かべ、肩を軽くすくめる。


「別格って誰が言ったのかなぁ。ボクはただの高校生だよ。化け物みたいに言わないでくれないかな」

「ご謙遜ね」


 セルジュが笑う。鮎川は彼女の質問を否定しなかった。それだけでセルジュの目的は果たされている。やはり、この男が動いたのだ。


「そうだ青樹くん。ボクもちょっと頼みがあるんだ」

「え? 何かしら?」


 鮎川からの突然の頼みにセルジュは首をかしげる。あの鮎川が自分に何の用があるのか? 内心で警戒しつつセルジュは言葉を待つ。


「会長に伝えてくれないかな? あまり裏で動くとこっちも手加減できなくなるって」

「……」


 鮎川の笑顔は崩れない。別格という仇名の意味を改めて痛感し、セルジュは沈黙を余儀なくされた。



「ねえねえ、司……」

「うん?」


 寮への帰り道を歩きながら、香織が司に声をかける。

 夕暮れの石畳は赤く染まっている。すっかり暖かくなった風に夏の訪れを感じながら、司は後ろを歩いていた香織を振り返った。


「お願いがあるんです……」

「香織?」


 一緒に歩いていた祥子も香織の顔を見る。香織は小さく息を吸って、意を決したように口を開いた。


「司がいつか本当に好きな人ができたら……それが私じゃなくてもいいです。それをちゃんと教えてくれませんか?」

「?」


 香織の言葉の真意が読めず、司は首をかしげる。一方、祥子は香織の言葉を理解し、隣にいる友人の顔を尊敬のまなざしで見つめた。


「諦めるつもりはありません。でも、決めるのは司ですから、私が選ばれないことがあるかもしれないんです。その時は……私をちゃんとふってください」

「香織……」


 香織の言葉の重さを感じ、司は戸惑う。夕日に照らされた香織の顔は、普段にも増してかわいらしく、司の心を刺激する。


「う……えっと」

「司、ちゃんと約束してやってくれ。そして、私にも同じ約束を頼む」


 祥子のまなざしも真剣である。夕暮れの道で、三人の間に沈黙が流れる。


「うん、わかった」


 夕日を背にして司が返事をする。逆光で細かな表情はわからないが、その声には誠実さが感じられた。


「約束する。オレはお前たち以外の女子を好きにならねえ。そして、もしどっちかを選ぶ時はオレが告白するからな」

「司……」


 夕日に反射して二人の目元がきらりと輝く。司は何かをこらえるように背中を向けて、寮への道を歩き出す。


「司! 信じてるぞ! 待ってるからな!」

「私もずっと……ずっと待ってますから!」


 祥子と香織が叫ぶ。その声を聞きながら、司は大きく腕を突き上げて別れの言葉の代わりにした。


(完)

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