Episode3―Last Wednesday―
水曜日の朝、コーヒーをかけた男性が連絡してきて、クリーニング代を払ってもらうことになった。
お昼休み、私は待ち合わせ場所のカフェに向かった。
全面窓ガラスで覆われた明るい店内にはアリシア・キーズの曲が流れていて、お洒落な感じのカフェだった。
男性客は少なかったので、コーヒーの男をすぐに見つけることができた。
窓辺に座って新聞を読む男は、ブランド物の眼鏡を掛けていて、いかにもインテリなオーラを放っていた。
こちらに気付いて、立ち上がったかと思うと、ご丁寧に椅子まで引いてくれた。
第一印象とは大分異なる、育ちの良さそうな態度だった。
私がパスタとサラダを注文すると、男も同じものを注文した。
レディーファースト精神旺盛なのか、主体性がないのか、よく分からない男だ。
「お忙しいところ、お呼びたてして申し訳ありません」
「いえ、それほど忙しくはないですけど」
差し出された封筒を受け取りながら、答えたら、男はくすりと笑った。
私のひがみ根性のせいかもしれないが、どうも馬鹿にされている気がした。
さっさと食べて帰ろう。
私は茹でたてのパスタ(前日も食べたけど)を食べながら、男の世間話を聞いていた。
「私の話はつまらなかったですか?」
別れ際にそう聞かれた時、私は「いいえ」と正直に答えた。
「面白かったです。映画の話なんか特に。週末に映画館へ行こうかなと思ったほどです」
「おかしな方ですね。ちっとも関心のなさそうな顔をされているから、退屈されているのかと思っていました」
「関心なさそうにして、さっさと退散しようと思っていたんですが、予想以上にあなたの話に惹きこまれてしまいました。楽しかったです。パスタも美味しかったです。ご馳走様でした」
会社に向かって歩き出したところで、手首を掴まれた。
眼鏡越しにふわりと微笑まれた。
「まだ名乗っていませんでしたよね。東間といいます。また、お会いするのを楽しみにしています」
東間と名乗った男は一方的に言い残して、去って行った。
顔も頭もいいのは認めるけど、変な男だと思いながら、私は会社に戻った。
デスクに着いて、顔を上げると、伊原さんと目が合った。
怒ってるような、険しい目つきをしていた。
じーっと睨んでくる意図が分からず、目を逸らしたけど、その日は時々突き刺さるような視線を伊原さんの方から感じた。
伊原さんに無言のプレッシャーを与えられたせいで、泣きたい気分で退社した後、亡くなった父親(?)の弁護士と会った。
禿げた弁護士さんに分厚い書類の束を渡された。
コスモグループについてのあれこれが書いてあるらしい。
入社以来すっかり読書しなくなった私にこれを読めと!?
「結婚の件も含めて、しっかりと御検討なさって下さい」
弁護士さんは私の心中を察したのか、眼鏡をくいっと上げて真剣な声で言った。
「はあ」
実感がなさ過ぎて、間抜けな返事をした。
「それから、お相手はこちらの方です」
弁護士さんが差し出した釣書を開いた私は驚愕した。
相手は・・・私にコーヒーをぶちまけた・・・もしかしなくても、東間さんだった。
「本当にこの人ですか?」
「ええ。コスモグループ前会長の秘書をしていらっしゃった方です」
うう~んと私は内心唸った。
恐ろしく奇妙な事に巻き込まれた気がした。