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Alice in Abyssal Oblivion  作者: エスティ
第1章 天魔の一角獣
40/109

chapter 1-30 帰還

 第1章終了となります。

 異界で新たな仲間に出会い、また一歩成長するアリスでした。

 しばらくは幕間となる日常回が続きます。

 魔障院にまつわるエピソードが中心です。

 第2章黄昏の人魚と海底の都は来年投稿予定ですので、どうぞお楽しみに。

 数時間前――。


 神隠しの魔鏡を背負いながら、王都郊外の荒廃した道をピクサーブが歩いていた。


 淡々と口を閉ざしながらも、涼しい顔で持ち運んでいる様子からも、重い物を持ち運ぶ作業は手慣れていることが見て取れる。極力王都から離れようと考え、人を避けていた。


 アリスが戻ってくる保証などない。ましてやハッターに誑かされているのではないかと不安すら持つほどだが、ピクサーブもまた、リャナン族としての才に目覚めつつあった。アリスと行動を共にする内に他者の感情の動きに神経を集中し、手に取るように読めるだけの術が身につき、全てを悟った。


 ――女王陛下、私は未熟者でした。いつかまた戻れるよう、ここで精進します。


「お前、確かアリスと一緒にいた者ではないか?」


 聞き覚えのある声が後ろから聞こえると、ピクサーブはすぐに人物を見抜いた。


「トランプ兵長か。一体どうした?」

「それはこちらの台詞だ。風呂敷に大きな物を包んでいるようだが」

「ただの輸入品だ。運び屋の仕事を手伝っている」

「輸入品か。最近は輸入品と偽り、違法な物品を販売する者がいるのだ。中を見せてもらうぞ」

「別に構わんが、これはごく普通の鏡だ」


 風呂敷を開けると、中から人の背丈くらいの大きさを誇る魔鏡が姿を現した。


 異様な魔力をすぐに感じ取ると、流石のトランプ兵長も思わず後退りしそうになるほどだ。


 魔鏡の縁は白銀の輝きを放ち、鏡の表面には水面が揺れ動く波動が漂い、より一層警戒心を募らせ、ピクサーブも神隠しの魔鏡から段々と強くなる魔力を感じた。


「鏡台に設置する物のようだが、ごく普通ではないようだ。しばらく預からせてもらおうか」

「お前にそんな権限があるとは思えないが、仕方あるまい」


 ピクサーブが鞘に手をかけた。だがトランプ兵長が動揺しないことに違和感を抱いた。


「良いのか? 抵抗すれば、お前が持つ鏡が破損することになる。運び屋失格の烙印を押されるぞ」

「……卑怯者め、それでも誇り高き兵士か?」

「兵士に誇りなどない。上官の命令を忠実に実行するのみだ。お前も騎士なら、それくらい知っているはずだろう。どうやらその鏡は、余程の訳あり物品と見た」

「やむを得ないか」


 気がつけばトランプ兵に囲まれ、いつ魔法を撃たれてもおかしくはなかった。


 同時に剣を鞘から抜こうと拳に力を入れた。カチッと音が鳴ると、ピクサーブは死ぬこと以上に魔鏡を守り抜くことを覚悟すると、トランプ兵の隣から馬車が割って入る。


 大きめの車体に薔薇の装飾から、すぐに公爵の身分と判明する。


 御者が客席の扉を開けると、中から1人の男が降り立った。


「私の敷地内で一体何をしている?」

「こっ、公爵でしたか。失礼しました。実はこの者を捕らえようとしていたところです」

「何だと。君は確か――」

「我が名はピクサーブ、アリスの護衛を務めている者だ。もっとも、アリスが行方不明になってからは運び屋の手伝いだがな。クエンティン公爵だな?」

「貴様っ! 公爵に向かってその口の利き方は何だっ! 無礼だぞ!」


 跪きながら怒号を飛ばすトランプ兵長。


「よさないか。身なりを見た限りだが、相応の身分なんだろう。君のことは知っている。流行り病の時にアリスと一緒にいたところを数多くの王都民が目撃している。私はアリスを探している。もし何か知っているなら、是非とも情報提供を願いたい」

「断る選択肢はないんだろうが、1つだけ頼みがある。私を匿ってもらいたい。できるだけ安全な場所が望ましい。こっちにも事情というものがあるんでな」

「分かった。我が屋敷に招待しよう。お前はハート隊の仕事に戻れ」

「……承知仕りました」

「理解が早くて助かる」


 クエンティンが馬車の扉を開けると、ピクサーブが魔鏡を抱えながら堂々と足を乗り上げた。


 トランプ兵長は両手の平を上に向けながらため息を吐く。


 肌身離さず持っている佇まいからは魔鏡に対する信念さえ窺えた。クエンティンはあえて魔鏡のことは聞かず、様子を見ることを考えた。道沿いに馬車が揺らめきながら走り、屋敷に着くと、ピクサーブは馬車を降りてから玄関を潜り、白薔薇が描かれたステンドグラスの紋章を眺めた。


 公爵の部屋までグリンが案内すると、本棚やワインが並ぶ部屋に入った。


 ようやく落ち着ける場所まで辿り着くと、ピクサーブはホッと一息吐いた。


 クエンティンから魔力の流れを感じ取り、おおよその性格を読み取ったが、アリスとの接し方を箒の中から見ていたピクサーブは安心しながら風呂敷を開き、魔鏡が再び姿を露わにする。


 音を立てながらも慎重に魔鏡を置き、清々しいくらいに目立つよう壁に立てかけた。


「さっきから気になっていたが、この鏡は何なのだ?」

「これは神隠しの魔鏡と呼ばれている鏡だ」

「魔鏡だと。まさかそんなものが実在したとは」

「異界の門は世界の至る箇所にある。神隠しの魔鏡は窮地に陥った者を然るべき異界へと導き、経験を積んで帰ってくるという御伽神話を聞いた。神隠しの魔鏡について何か知っていれば、教えてもらえないだろうかと聞きたいところだが、その様子では知らないようだな」

「ああ、私も初めて聞いた。だが妻なら知っているかもしれん。妻は御伽神話を好んで読む。アリスに渡した古本は、元々妻が持っていた物だからな」

「そうだったか。なら一度尋ねる必要があるな」


 ピクサーブがグリンに話しかけようと目を向けると、魔鏡が突如として光り始めた。


「「「!」」」


 目を晦ますほどの眩い輝きがピクサーブたちを襲い、鏡の中から1人の少女が漂うようにしながら鏡の外へ押し出されると、ピクサーブが慌てて抱きかかえた。


「――アリスっ!」


 目を閉じたままのアリスが眠りに就いたまま寝息を立てている。


 生きていることに安心したピクサーブは感情を抑えきれなくなる。


 体を震わせながらアリスを抱きしめ、溢れんばかりの想いが頬を伝う。クエンティンがグリンに向かって顎を動かすと、グリンはすかさず下の階へと降りていく。


「容体はどうなんだ?」

「魔力の使い過ぎで体中が悲鳴を上げているが、安静にしていれば大丈夫だ」


 アリスは体から伝わる温度を感じ取り、ゆっくりと目を開け、碧眼を覗かせる。


 朧気ながらピクサーブの姿が見えると、半開きの目を大きく見開き、意識をハッキリさせた。


「――ピクサーブ?」

「アリス、生きていたんだな」

「当たり前でしょ」

「今までどこにいたんだ?」

「話せば長くなるわ。それよりここはどこなの?」

「公爵の家だ。お前の件で大変な騒ぎになっていた」


 ピクサーブはアリス不在の人間界で起こっていた事のあらましを伝えた。


 アリスが赤薔薇の女王と公爵夫人のどちらに確保されるかで罪状が変わること、メイベルがアリスを探していたこと、アルバンが魔障院の廃院を考えていること、ハッターも協力していたことの全てだ。


 マラタスカが急いで階段を駆け上がり、後にグリンが続く。


「……そうだったのね。でもあなたの話が本当なら大変だわ」

「アリス、君が無事で本当に良かった」

「クエンティン公爵、じゃあここは本当に――」

「アリスっ! 生きていたんだねぇ~! 死んだかと思って心配したのよ!」


 突然、ピクサーブの華奢な体を押し退け、マラタスカの巨体がアリスに抱きつき、背中をバシバシと叩きながら小さな体を持ち上げた。クエンティンは自らの席に着き、書類を取り出した。


 最初に会った時とは打って変わり、上機嫌に喜びを露わにし、アリスの帰還を心から喜んだ。再び相まみえた時には、抱擁の対象が魔障院の掃除番であることなど問題ではなかった。


 朦朧としているアリスの気持ちだけを置き去りにし、周囲の誰もが安堵する。


 アリスは今もなお公爵家の使用人として働き続けるグリンの顔を見ると、そっと口角を上げ、グリンも返事をするように手の平を胸に当てた。ゴブリンにとって、胸は心臓に近いことから最も重要な部位であり、彼らが胸に手を当てることは、相手に対する最上の敬意に他ならないものであった。


「公爵夫人、グリンの件なんですけど」

「あー、あれかい。あんたの勝ちでいいよ。あたしが大人気なかったわ。グリンから聞いたよ。料理の腕じゃなく、異変によって作物が劣化したんだってね。そして異変の正体は、ルベルバスや他の国に厄災をもたらしているスラッジオなんでしょ?」

「ええ、その通りです。私は妖精界と天空界を訪れました。黒き汚泥とも呼ばれるスラッジオは、人間界だけでなく、あらゆる世界に多くの厄災をもたらしています。私たちにとって、スラッジオは紛れもなく共通の敵です。人間同士で争っている場合ではないのです」

「重々承知していることだ。今やスラッジオはルベルバス王国のみならず、全ての生命にとって重大な脅威だ。アリス、君はスラッジオを討伐できる数少ない時代の光だ。女王陛下には私から伝えておく。女王陛下から無罪放免許可を得るまでの間はここに泊まるといい。グリン、伝書鳩の手配を頼む」

「畏まりました」


 グリンが頭を下げると、マラタスカと共にクエンティンの部屋を後にする。


 アリスとピクサーブもまた、魔力によって動く不死鳥の羽根ペンを見届けながら1階へ降りた。


 ピクサーブは囚われの身ではあったが、アリスが無罪放免ならば重要参考人として捕えておく必要はなくなり、当然ながら関係者であるピクサーブも釈放扱いとなる。


 お互いに今までの事情を話し合い、アリスは主に天空界エンジェリアの事情を話した。


 無論、大切なものを守るためなら戦いを厭わないピクサーブにとっても、天使たちの立ち振る舞いは滑稽なものであった。国を守るための掟であるべきはずだが、掟のために国を危険に晒すことなど到底考えられなかった。マルアスことを聞いて気にはなったが、今はアリスの護衛として外にいることを決意しながらも、興味深くアリスの話を聞き続けた。


 にわかには信じ難い話ばかりであったが、異界は人間界だけではないことを知るピクサーブ。


 同時にスラッジオの脅威があらゆる世界に拡散していることが窺え、危機感を募らせた。


「アリス、スラッジオの件だが、またどこから湧いてくるか分からん。赤薔薇の女王はスラッジオ討伐に手を焼いている上に、アルバンが近々守護官を辞めるそうだ」

「誰から聞いたの?」

「今は言えない。約束だからな。あの血生臭い王宮にも、良心的な者がいるということだ。非常事態は解除される。そして公爵夫人がアリスを確保したとなれば、お前は晴れて無罪放免だ」

「公爵は赤薔薇の女王に手紙を書いているのね」

「アリス、今後は慎重に行動しろ。お前の行動1つで、魔障院の行方が左右されると言っても過言じゃないんだ。退学するのは勝手だが、魔障院を離れた後も、魔障という名の称号がどこまでもつきまとってくることに変わりはないのだからな。人間界の仕組みは大体分かった……リーフォレストの平和は女王陛下を始めとした、多くの妖精たちの苦労が勝ち取った財産だ」


 名残惜しそうにピクサーブが忠告すると、アリスは自らの判断を少しばかり悔いた。


 騎士としてよりも、リャナン族としての未熟さを噛みしめ、帰還への道は遠いと感じた。


 浅はかにも港町ドゥブリスへの移動がきっかけで、魔障院の運命さえ狂わせかねない事態にまで発展していたことをアリスはピクサーブから告げられた。


 無論、ピクサーブが人伝に聞いた不当な裁判を伝えずにはいられなかった。


「私の知らないところで、色んな人たちが動いてくれていたのね」

「ああ。無罪放免ならまた魔障院に戻れるが、本当に退学でいいのか?」

「……最初は退学しようと思っていたわ。私が魔障院に居座ったところで、みんなに迷惑をかけるだけ。だから魔障院を離れて、誰にも危害が及ばない場所で、平和にやり過ごせればそれでいいと思ってた。でも平和主義には限界があることを思い知らされたわ。いくら私が争いを避けようとしても、敵が戦うつもりなら、結局争いになることをね。もう二度と逃げない。私、魔障院の教職を目指すわ」

「魔障院の教職だと」

「ええ。そのためにはまず、魔障院を卒業しないと」

「――そうか」


 ふとした笑みを浮かべながらピクサーブが言った。


 魔障院であろうと、教職が並大抵の人間では務まらないことをアリスは熟知していた。アリスが公爵家に泊まることが決まると、クエンティンは伝書鳩を呼び出し、青い封蝋が押された手紙を持たせた。


 伝書鳩は風荒ぶ外へ向かって飛び立ち、手紙は赤い王宮に届くのだった――。


 腕を震わせながら手紙をレティシアに渡すアルバン。


「これでもまだ、アリスを裁こうというのか?」


 後頭部を見せながら夜空を眺めつつ、赤薔薇の女王が無表情のまま低い声で尋ねた。


「いえ、今回のところは引き下がりましょう。しかし、これで終わったとは思わないでいただきたい。女王陛下が魔障を憎まれるのは、妹君のせいなのですから」

「――妾の気が変わらぬ内に去れ……死にたくなければな」


 憤怒を抑えながら忠告するように言うと、アルバンは反射的に頭を下げた。


「ご無礼が過ぎました。失礼します」


 靴音を立てないようにしながら玉座の間を出ようとすると、扉に手をかける前にレティシアが意図に沿うように扉を開け、アルバンは顔を顰めながら玉座の間を後にする。


「レティシアはおるか?」

「はい、ここに」

「マラタスカ公爵夫人にアリスの無罪放免を伝え、引き続きアリスを監視せよ」

「畏まりました」


 深々とお辞儀をすると、レティシアの周囲を魔法陣が覆い、一瞬にして姿を消した。赤薔薇の女王がただ1人、真っ赤なハイヒールを鳴らし、バルコニーの外へ闊歩する。


 凍えるような風が紅玉の髪を靡かせると、王都は静寂に包まれるのだった。

 星詠みは異界が発する類稀な魔力の流れが波動となり、やがて全世界へと響き渡り、天体に僅かな異変となる動きが見られて初めて意味を成すもの。一度放たれた波長は常に一定し、訳もなく影響を及ぼすのだ。


 古代神獣召喚士ヴォルカ・サリナシオスの著書『異界冒険記』より

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