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Alice in Abyssal Oblivion  作者: エスティ
第1章 天魔の一角獣
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chapter 1-29 お告げの正体

 天使と悪魔を巻き込んだ騒動が終焉を迎え、地上は一時的に天使の占領下に入った。


 アリスがガラスの割れた窓から外の様子を確認すると、既に投降した悪魔兵が拘束され、天使兵が町の防備を固めている。スラッジオの影響力が消滅した途端、悪魔たちからは覇気が消えた。


 魔王ダイモニアでさえ、玉座に腰かけてからは一向に立ち上がれずにいる。


 悪魔たちは肩を落とし、敗戦の痛みを堪えきれない。スラッジオによって始まった騒動は魔王の意思をも支配し、再び戦乱の世に突入しかねない非常事態であったことが見て取れる。セラフィアは天使兵が城を占拠したところで悠々と入城し、血塗れた城内を見渡した。


 アリスと視線が一致すると、僅かに笑みを浮かべ、正面から歩み寄った。


「ご苦労だった。君ならスラッジオを倒してくれると信じていた」

「神の使徒は信じて頼ることしかできないと思っていたわ」

「ついさっきのことだ。アンゲロア市民たちが挙って武装し、スラッジオとの戦いを訴えてきた。天使たちもようやく目が覚めたのだ。天会でも平和の掟を廃止することが決定した。アリス、いざという時は我ら天使を頼ってくれ。いつでも力になろう」

「感謝するわ。それより、マルアスの件だけど……」

「心配ない。マルアスは我ら天使の一員として認められた。さっきまでの全身の汚れを見れば、スラッジオとの戦いで奮闘したことくらい分かる。話は悪魔兵から聞いた。魔王ダイモニアがスラッジオに意思を乗っ取られ、浮き島への侵攻を始めたそうだな」

「ええ。でも無事にお掃除したわ」


 マルアスに向けてウインクするアリス。にっこりと歯を見せながらマルアスが微笑んだ。


 地上を天使兵に任せ、セラフィアたちは天古城(キャッスロア)へと帰還する。


 アリスはマルアスの背に跨り、セラフィアの後を追った。


 一連の騒動における最大の功労者として、天古城(キャッスロア)へと正式に招待された。


 アンゲロアは復興の兆しを見せるかのように、上位天使たちが各地へと自ら出向き、壊れた構造物や枯れた木々を再生し、負傷した市民たちの傷を癒していく。


 夜を迎え、一足先に天古城(キャッスロア)へと戻っていたセラフィアの隣に並ぶアリス。


 1階の大広間には多くの天使が集まり、悪魔側との戦いに勝利したことを受け、アリスへの称賛の声を上げている。しかし、悪魔の襲来により、多くの犠牲が伴う勝利でもあった。悪魔の復興は市民にも知られる格好となり、事実を伏せていた天会には多くの批判の声が殺到した。


 一方、マルアスに対しては何事もなかったかのように手の平を返し、アリスと共に戦う勇姿を惜しみなく称えた。天使と悪魔の力を併せ持つ異端を警戒していたことなどすっかり忘れていた。


「アリス、この度は我々天使を救ってくれたこと、誠に感謝する。何かお礼をしなければな」

「1つ聞きたいことがあるわ」

「どんなことかな?」

「天のお告げの正体って誰なの?」


 尋ねられるや否や一瞬、セラフィアは体を震わせ、目を大きく見開いた。


 禁忌に触れた人間と同じ反応と言ってもいい。


 神は既に死んだ。しかしながら、天使の中でも知る者は僅か。ならば誰が天のお告げを言ったとされているのかが常にアリスの頭をつついていた。無論、セラフィアがお告げの謎を知らないはずがない。


「知ってるのね?」

「……ああ、天のお告げは偽りだ」

「神が死んだのが本当なら、天のお告げに代行者がいるはずよ」

「やはり話す必要があるか」

「セラフィア様、本当に話してもよろしいのですか?」

「仕方がない。黙っていても不信感を募らせるだけだ。アリス、今こそ全てを話そう」


 セラフィアは覚悟を決めると、ゆっくりと息を吐き、胸に手を当てた。


 マルアスは周囲にいる天使たちに話しかけ、アリスとセラフィアから遠ざけた。


 選ばれた上位天使としてではなく、1人の誠実な人格としてアリスに敬意を表し、対等な立場で話し合おうとする姿勢には、思わず耳を傾けずにはいられなかった。


「天のお告げをマルアスにもたらしたのは、白薔薇の女王だ」

「白薔薇の女王って、人間界にいるはずの存在よ。どうして知っているの?」

「我々が何故人間である君をすぐに受け入れられたか、疑問に思わなかったか?」

「人間界の人たちよりもお人好しだからと思っていたわ」

「ここに来た人間は、何もアリスが初めてではない。白薔薇の女王と出会ったのは数年ほど前。我ら天使でさえ魅了するほど清く美しい心を持つ女性であった。事情を聞けば、白薔薇の女王は国を追われ、手当たり次第に助けを求めていた」

「今のルベルバス王国は赤薔薇の女王が支配しているわ――やっぱり生きていたのね」

「どこにいるかまでは分からないが、マルアスに天のお告げを託し、この地を去った。きっと迷惑をかけたくなかったのだろう。平和の掟を聞いてすぐに身を引いたくらいだ」


 白薔薇の女王が異界へと赴き、行方を晦ましたならば、歴史書から姿を消したことにも説明がつく。


 アリスは王位継承戦争にまつわる真実を追っていた。歴史書の改変は王位継承戦争がまだ終結していないことを意味しているのではないかとさえ感じた。


 人々の記憶から消滅し、アリスを困惑させた白薔薇の女王の謎は深まるばかり。


 アリスは居場所を取り戻したマルアスの横顔に目をやった。ここにきてようやく自らがいるべき居場所を思い知ると、手の平に汗をかくほど両腕の拳を握り締め、口を閉ざした。


 マルアスがアリスの元へ駆け寄り、大理石の床に耳障りの良い蹄の音を響かせた。


「今にして思えば、我々のみが平和だったというだけで、世界そのものは平和ではなかったのだろう」

「みんなが気づいてくれたようで何よりだわ。マルアス、これで天使たちと一緒に住めるわね」

「いや、俺はアリスについていくぜ。確かに天使たちは俺のことを受け入れてくれたし、悪魔との因縁にも決着がついた。でもよ、ここに留まって平和に生きるよりも、絶望の淵に立たされていた俺を救ってくれた、お前さんの道に力を貸す方が、ずっと有意義だ」

「頼りにしてるわ」

「アリス、非常に残念だが、もうお別れのようだ。あまり感じなかっただろうが、天会には異端を良く思わない者もいる。戦乱をもたらした悪魔の使徒と断定される前に、早く人間界へ戻った方がいい」

「そうね。私にも帰るべき居場所があるもの」

「ではこれを持って行くといい」


 セラフィアがアラクテアースを指で呼び寄せた。


 アラクテアースが箱の中身を空けると、1枚の羽根をアリスに差し出した。


「天使の羽根ペンだ。我ら天使は友と認めた者に、自らの羽根をペンにして送る習慣がある。私がこういった品を渡すことは滅多にないが、君は特別だ」

「……ありがとう」


 アリスはセラフィアとの別れを惜しみつつも、後ろの窓に顔を向けた。箒を召喚し、マルアスを箒の中へ入るよう促した。恐る恐る中へ入ると、アリスはすぐに跨り、最初にいた場所を思い浮かべた。


 外に向かって飛び立つと、天使たちはアリスの後姿を見上げ、視界から消えるまで見守った。


 天使の羽根ペンは虹色に輝きを放ち、持つ者が想像した通りの色を現出する。インクがなくとも、魔力のみで限りなく文字や絵を書くことができる最高級品であった。


 神隠しの魔鏡があった小さな浮き島に降り立ち、箒が消滅する。神聖なる場所としての自覚を示すかのように、誰1人として近寄ろうとはせず、周囲には浮き島の破片と思われる岩が浮き、既に廃墟と化していた神殿であったことが窺える。屋内に入ると、魔鏡が光を反射しながら位置を教えている。


 マルアスは箒の中から眺めるように外を見透かしている。


「やっと人間界に帰れるな」


 箒の中からマルアスが話しかけた。


「本当は人間界になんて帰りたくないと思っていたわ。でもここは私の居場所じゃない。きっと女王陛下も同じ気持ちだったはず。初めてのまともな手掛かりよ」

「戻ったら白薔薇の女王を探すのか?」

「そうね。生きていると分かった以上、王位継承戦争はまだ終わっていないわ」

「俺たちの戦いもだろ?」


 にっこりと笑みを浮かべるアリス。輝きを増す魔鏡にアリスがそっと手を触れると、指先から水の中へと沈むように、アリスの体が魔鏡の中へと引き込まれていく。目の前が真っ白になり、光に覆われた。


 無数の懐中時計が漂う空間を彷徨うように落ちていく。


 最後は何も見えなくなり、アリスは眠りに就いていた。


『運命の少女アリス、この世界を救うのよ』


 透き通るような女性の声が聞こえたが、やはり姿は見えない。


 星々が輝いている空間を泳ぐように進むと、一筋の眩い光が見えた。


 急に体が重く感じたかと思えば、目を晦ませながらも優しく温かい光に体を包まれ、乱れかけていた心は落ち着きを取り戻し、寝息を吐いたまま、静寂の中を彷徨うのだった――。


 赤い王宮の玉座の間にて、アルバンが赤薔薇の女王の御前で跪いている。


 後ろを向きながら言葉を告げると、思わずアルバンが頭を上げた。


「女王陛下、それは真でございますか?」

「この期に及んでお前に嘘を吐く理由はない」

「しかし、それならば事を急ぐべきです」

「今動いたとて、事態が好転することはなかろう。少なくとも我らに対する敵意はないのだ。今は泳がせておけ。それとも貴族の総意に逆らうというのか?」

「滅相もございません」


 再び頭を下げるアルバンだが、噛む力を強めながら拳を震わせている。困惑を隠せないまま、僅かに乱れた吐息を赤薔薇の女王が察知するのは時間の問題であった。


 しかし、身分を盾にする時はもうひと押しであることもアルバンは熟知していた。守護官の象徴である赤いマントを靡かせながら呼び出された理由を考えた。


 貴族たちは王都の街並みを闊歩しながらも、悠々と世間話に入り浸り、今後の展望を占った。


「アルバンよ、其方には守護官を辞めてもらう。ご苦労であった」

「それは、非常事態が終結したということでしょうか?」

「無論、まだ全てが解決したわけではない。残りの仕事は全て大臣たちに分担する故、其方は元の持ち場へ帰るがよい。其方に付属させていたトランプ兵も解散させた」

「……魔障のことはもういいのですか?」

「そんなことか。今はどうでもよい」


 アルバンは守護官の地位に縋ることに拘りを見せた。


 非常事態が思った以上に早く解決した原因はアリスであると考えた。


 わざわざ地方から寄こした身分ある悪魔祓いを早々に帰郷させただけでも大きな失態であった。地方議会ではアルバンが守護官で居続けることを疑問に思う声が後を絶たなかった。任期半年ではあるが、事態が手早く片づいた場合はその限りではなく、アルバンとて例外ではなかった。


 上空から1羽の伝書鳩が両翼を広げ、赤い王宮の隙間から中へ入った。


 嘴でポーチの中から1通の手紙を取り出し、レティシアに渡した。指を巧みに使い、比較的高価な手紙を開封すると、赤い封蠟印を剥がし、中身を取り出した。


 広げてみれば、公爵家からの手紙とすぐに見抜く。


 手紙は思った以上に長く、人伝に聞いた言葉が全て文字として並び、公爵による報告の件だけでないことは、数枚重なっている走り書きの文章を見れば明らかであった。


「こんな時に誰からだ?」

「クエンティン公爵からです。賭けに勝ったので要求を呑んでもらいたいとのことです」

「何だと……見せてみろ」


 アルバンがレティシアとの距離を急速に詰めた。


「これは女王陛下宛の手紙です。許可がない限り、渡すわけには参りません」

「お前、私を誰だと思って――」

「お言葉ですが、あなたは既に守護官ではないのです。ルベルバス王国軍アーソナ大陸部隊を率いる総大将として、領土拡大の任務を預かっているのですから、そろそろ戻られては如何かと」

「レティシア、手紙を持って参れ」

「はい、直ちに」


 レティシアは無表情のまま、アルバンの歯軋りに横目をやった。


 手紙を赤薔薇の女王の小さな手の平に置くと、目を細めながら読み始めた。


 赤薔薇の女王が読み終えるまで、固唾を呑んで見守るレティシアとアルバン。


 表情が次第に険しくなり、目をピクピクと小刻みに動かしている。赤い王宮の中を巡回しながら見張るトランプ兵でさえ、侵入者よりも女王を恐れ、怖気が走るほどだ。文字に目を釘付けにしていると、痺れを切らしたアルバンが恐れ多くも歩み寄り、手を震わせながら口を開いた。


「どうかなさったのですか?」

「……読んでみろ」

「拝見致します」


 アルバンは恐る恐る手紙を受け取ると、同様に目で文字を追いながら黙読する。


 思わず手紙に皺がつくほど強く掴み、破り捨てそうになるほどの憤りを堪忍袋に押し込み、手紙の内容を執念深く読み続けると、最後には開いた口が塞がらない始末であった。


 諦めの境地に立つと、顰めっ面のまま、レティシアを睨みつけるのだった。

 異界の者たちは、人間とは似て非なる種族ではあったが、人間と同様の賢さと愚かさを併せ持つ愉快な者たちであった。何処の世界であれ、如何なる種族であれ、心の在り方だけは変わらないようだ。


 神話作家シャルロット・ガーランドの著書『アビサル・オブリビオン』より

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