第9・10節 新しい味方・竹田先生
9月23日朝、誰かがやってきた。
珍しく、宗恩は朝から家にいなかった。
誰?:「師匠、お久しゅうございます。」
私:「ごめんなさい。どなたでしょう。」
誰?:「またまたご冗談を、宗恩様はいらっしゃらないのですか?」
私:「そうなんですよ。宗恩は朝からいないのです。困りましたね。」
誰?:「よろしければ朝食をお作りしましょうか?」
私:「良いのでしょうか?いやぁ、ありがたい。」
誰?:「すぐ支度をしますね。どれどれ、椎茸と大根の茎と、牛蒡ですね。葛煮にできそうです。おっ、栗がありますね。焼き栗でも作りましょう。」
私:「では、私は麩の焼を作りましょう。」
二人で楽しく料理を作り、四畳半の茶室で茶会をすることになった。
誰?:「師匠、手が変わりましたね。」
私:「わかりますか。実は手と足を痛めたようで。うまく点前ができないのです。」
誰?:「それは大変です。どなたか薬師に診てもらわねば。」
私:「安心してください。実は、ちょうど昼に薬師と会う約束をしていまして、そこで話をしようと思っていた所です。」
誰?:「それは良かった。なるほど、それで細かい所作がおかしかったのですね。納得です。」
私:「ところで、お名前を聞いてもよろしいですか?」
誰?:「そんな冗談は、顔だけにしてください。それより、釜の湯が煮え過ぎていませんか。蒸し蓋をやめれば良いと思いますが。」
私は、素手で釜の蓋を持とうとしたが、思った以上に蓋が熱かった。
私:「あちち。」
誰?「帛紗で摘みを持たれてはどうですか?」
私:「そうですね。まず帛紗を捌いてと。これで良し。釜の蓋を開けますよ。」
誰?:「帛紗の大きさが変わりましたね。何かあったのですか?」
私:「小田原征伐の折、宗恩が薬包みにでも使っていただけますか、と言って帛紗を大きく縫い合わせました。その大きさが帛紗として一番手ごろなので、茶の湯で統一しようとしています。関白様の前でも使って見せました。」
誰?:「相変わらず、挑戦的な方ですね、師匠は。兄弟子の山上宗二様も、そんな理由で殺されたのでしょう?」
私:「よく知っていますね。宗二は、関白様に取り入ろうと私に会いに来たのですが。口の悪さから不興を買ってしまい、帰らぬ人に。」
誰?:「宗二様。おいたわしや。」
少しの間、静寂が訪れた。
私は、この人の名前を聞き出す妙案を思いついた。
私:「それで、あなたは、今、どこで何をしているのですか?」
誰?:「ご存知の通りですよ。」
私:「くっ、これでもダメか。」
誰?:「何か言われましたか、師匠。」
濃茶点前が終わりに近づき、もう一度、名前を聞き出してみようと考えた。
私:「先日、毛利輝元殿がいらした折、御供の人が多かったので、自己紹介をしてもらったのですよ。最後、私が名前を言ったら。皆、知っていると笑われてしまいました。」
誰?:「そうでしょうね。師匠の名を知らぬものなど、この京都にいるはずありませんから。」
私:「ですが、私も自己紹介がしたいと思いましてね。どのようにすれば良いか、あなたが自分の自己紹介をして、手本を示してくれませんか?」
誰?:「良いですよ、師匠。」
やった。やっと名前が聞ける。
その時、玄関から宗恩の声が聞こえた。
宗恩:「あら、どなたかいらっしゃるのですか?」
誰?:「はい。三井寺の本覺坊が来ております。」
私:「本覺坊。」
誰?:「はい、何でしょう師匠。」
私:「今度から、人と会う時は、必ず名を名乗るようにしなさい。」
誰?:「はい、師匠。」
その日の昼。私は薬師の竹田先生と待ち合わせしていた細川邸へ向かった。
玄関前には、竹田先生がいた。
竹田:「これは利休殿、お待ちしておりましたぞ。」
私:「お待たせしました、先生。では参りましょう。」
細川邸には、細川三斎、竹田先生、そして私の3人がいた。
お吟や細川玉子、それに古田織部の姿は見当たらなかった。
正体を隠しておきたいのだろう。
細川三斎は無難なところから話をはじめた。
細川:「竹田殿は、医学の話がお好きとか。私もそうなのです。」
しばらく話していると、竹田先生も細川の博識ぶりに感心し、次々変わる話題にのめり込んでいった。
竹田:「いろいろ聞いていますと、外国のこともご存知の様ですね。」
細川:「実は、未来の事も存じております。例えば、関白様が朝鮮出兵をなさる時期や、その結末とか。」
竹田:「なんと。細川殿は預言者だったのですか!」
細川:「未来から来た、未来人と言えば信じてもらえますか?」
竹田:「これだけの博識ぶり、信じざる得ないでしょうな。」
細川:「ここにいる、利休殿も未来人です。」
竹田:「なんと。いや、先日のウコンの件といい、信じざる得ないでしょうな。」
細川は、私に自己紹介させた。
竹田:「そのサラリーマンというのは、外国語ですな。」
私:「はい。一定のお金をもらって、仕事をする人たちのことです。私の場合は、システムエンジニアです。プログラミングが中心でしたが。」
竹田:「ほお、ほお。そのプログラミングというは、何ですかな?」
私:「機械というカラクリを動かすために必要な言語、とでも言えば良いでしょうか。その機械を使って、私と細川殿はこの時代に来たのです。」
竹田は少し考え、納得したように言った。
竹田:「それで、私に何か協力をしてほしいのですね。」
細川:「さすがは竹田殿。話が早くて助かります。未来人である利休殿は、茶の湯の素人です。それを隠すため、利休殿の手足が悪いという診断書を書いてほしいのです。」
竹田:「なるほど、どうりで利休殿には、噂と違って鬼気迫る圧迫感がなかったのですね。茶の湯も素人とは・・・。わかりました。診断書を書きましょう。」
私:「ありがとうございます。」
竹田:「時々、細川殿にはお話を伺いたい。その博識ぶり、ただ者ではありますまい。」
私:「細川殿は学者ですからね。」
竹田:「なんと!どうりで。」
細川:「では、数日に一回ほど来てください。私も竹田殿とは馬が合います。今後もいろいろとお話ししたいものです。それと、私達が未来人であるということは伏せていてください。」
竹田:「わかりました。絶対に他言いたしません。」
細川:「ありがとうございます。それでは、今後ともよろしくお願いいたします。」
私:「私からもよろしくお願いいたします、竹田先生。」
竹田:「承知しました。いやぁ、これからの人生、楽しみが増えました。」
竹田先生は、その日のうちに診断書を書き上げ、私に渡した。
竹田:「右手と右足に、軽い麻痺が起こるという診断です。原因は不明、治療方法は現在検討中とします。時々、手を震わせてください。それで、他の方も納得すると思います。」
私:「ありがとうございます、先生。」
竹田:「良いのですよ。それと利休殿、肺が悪いことには変わりありませんので、無理などせず、ゆっくり有馬温泉で療養してきてください。」
私:「はい。」
私は、宗恩に診断書を見せ、誰に言えば良いか判断を仰いでみた。
宗恩:「そうですね。関白様に判断を仰がれてはいかがですか。利休様の手足が不治の病と分かると、京都中の茶人が押し寄せかねませんので。」
私:「なるほど、わかりました。そうします。」
翌9月24日、一日かけて、必要な茶道具など、有馬温泉行きの準備をした。
私:「これで忘れ物はないかな。遠足だな、まるで。」
明日から有馬温泉へ行き、秀吉に茶を供することになる。
準備は整ったと思い、私は安心して眠りについた。
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