愛されるより、愛したい?
恋愛とは、好きな女の子に殺されることである。
と、そんな言葉を聞いたことはあるだろうか。
ちょっとまて! いろいろとツッコミたい気持ちはわかる。
前半までは至って普通な言葉だったのに、いきなり「殺される」なんてワードが出てこれば、これはサスペンス小説かなにかか? 複雑に絡み合った巧妙なトリックを解き明かす探偵と、暗い過去に突き動かされ、衝動的に己の手を下さなければならなかった犯人との駆け引きが生まれるのか? などなどを考えるかもしれない。
だが安心してほしい。これはラブコメだと思う。
たとえば、これが小説かなにかの文学的なものとして掲載されたとすれば、当然タイトルがつくだろう。だからきっと、現代の小説にあるようなありふれたラブコメのタイトルみたいになるはずなのだ。
ちなみに、これ以上引き延ばすとどこかの誰かから反感を食らうかもしれないから言うが、さっきの言葉は俺――空木遥の言葉であるから誰も聞いたことがなくて正解である。
こんなひねくれた性格の俺だけど、どうか許してほしい。なんせ、俺は好きな女の子に殺された。
そんな信じがたい、目も背けたくなるような残酷な事実を俺は背負っているのだから。
ならば、俺は悔いを残こしている地縛霊か? ホラー的なやつなのか? このラブコメは人間と幽霊の恋愛が映し出されている不思議系なジャンルか? なんて、素朴な疑問が少しでるかもしれない。——でも。
ただの比喩である。
言っただろ? 俺はひねくれた性格だ。
特別な意味があるようで、実はたいした意味などないことが過半数を超え、その割合は九を超える。本当のことだとしても、そこに嘘を織り込む。嘘の中に真実を隠す。
というように、この俺の性格をここまで捻じ曲げた、女の子は、空木遥という人間の正常な恋愛感情を殺した。
あれはそう、忘れもしない。冬の季節に空から降ってくる真っ白で無機物なものであるのに、宝物みたいにピカピカと輝いてしまう、鮮やかで美しい、アベコベな雪から、身体の自由を……殺された日のことだ。
十年前のその日は、祝日だというのに随分と静かで、人々の活気が失われている寂しい日だった。
原因は、数十年に一度の大寒波。積もりに積もった宝物が人の交通どころか経済の交通を麻痺させていたからだ。
毎日人が行きかう、卵がかき乱されたような交差点には、もふもふでごわごわのジャケットを着た人が信号を無視……いや、動かないでいる信号を気にする暇などなく、一つ一つの結晶が蓄積した大きな雪の塊を不愉快そうに排除しているニュースが流れている。
少年と、まだ呼べるかどうか怪しい年の俺はそれを怪訝に思っていた。雪が車や電車、人の邪魔になることは何となくとはわかる。でも、それを全てなくすのはおかしいと、そう思っていた。
だから、雪がなくなる前に遊ぼうと、俺は幼なじみで家が隣の女の子の家に乗り込んだ。たとえ、交通の便が麻痺していたとしても、道が雪に閉ざされていたとしても、玄関が雪に覆われていて誰にも開けない状態であったとしても、俺は簡単に乗り込むことができた。
「遊びに行かないか? 外に」
凍てつくような風が頬を撫でる。冷たさといえば、それだけだ。
ここは地面から六、七メートルくらい離れた、幼い少年少女たちには、まるで空を飛んでいるかに思えるような高さで、
「えっと……ハル、ちゃん?」
まさか、そこから自分を呼ぶ人が居るなんて想定していなかった少女は一つ、分厚い透明な壁越しに、まずそれは人なのかと考え、ようやく誰か認識したところでひどく驚いた顔を表して困惑する。
「ここは、二階だよ? 玄関は一階からだから」
「玄関が塞がっているから、ここを玄関にしたんだよ」
俺は不用心に鍵のかかっていなかった窓を勢いよく開けた。
「そっか~……ってそんな問題じゃないよ!」
危ないからか、寒そうにしていたからか、少女はベランダに裸足でいた俺を抱きしめるように部屋へ迎え入れる。
部屋の中のストーブによって、身体の暖かさが保たれていた少女は、しかし。俺が外気を入れ込んでしまったことで、それが失われていき、頬から順に身体を紅潮させていた。
少女は早々に窓を閉める。
「外は雪が沢山積もっているし、風邪ひいちゃうからダメだよ。お父さんやお母さんに怒られるよ?」
「大丈夫だって。それに言うだろ? 子どもは風の子だって」
「……なんか違う気がするよ」
けど、と少女は続ける。
「どうしても、というのなら。ハルちゃんのためにわたしは行くよ」
笑い合った後、二人は二階から手を取り合って雪めがけて飛び降りた。そして、かき分けるように、または泳ぐようにして進んで行ったところまでは……親に怒られるくらいで済んだと思う。
屋根から降ってくる、少し成長した少年少女たちなら危ないとわかる、落雪に……生き埋めにさせられなければ。
なるほど。今度は文字通り、身体の自由を殺された。
目の前には真っ白な雪があるはずなのに、一寸の光も差し込まないせいで景色が黒に覆われている。
——寒い。
全身に襲い掛かってくるのは身がはち切れるような痛みと、精神をすり潰すような目に見えない恐怖。それらは命の時間を奪い去るかの如く、なんの力も持たない少年と少女を蹂躙する。
時間が経つにつれ、子どもたちのその浅はかな脳にもその現実味を帯びさせる。
大声で助けを呼ぶが、高が知れている。分厚い壁は簡単には声を通してくれない。
肺が酸素を求めて呼吸を繰り返すが、氷のように冷たい空気は身体に適応してくれない。次第に身体は呼吸をすることを諦めた……その時だ。
「ハル、ちゃん!」
隣で、ずっと手を繋いでくれていた少女が次に俺と口を繋いだ。
少女は少年が生きることを諦めることを許さなかった。
「はわ……こ、こうすれば大丈夫だから。生きられるはずだから」
たとえ、同じように雪に体温を奪われている少女のキスだとしても、人命救助のためだとしても、それはひどく暖かかった。もしかしたら、ちっとも暖かくなかったのかもしれないけど。目には見えない暖かさが、あるいは身体から込み上げてくる暖かさが俺を生かし、怪訝にしていた大人たちに見つけられるまで生きながらえることができた。
しかし、死から救ってくれたと同時に、少女――姫乃雛しか愛せなくなるように俺は、恋愛感情を殺された。
当時六歳。
だから、それから十年後の現在。つまり、十六歳である俺は、同じくして十六歳の幼なじみ、雛の部屋に上がり込んでいた。もちろん、本物の玄関から。
「起きろー雛。このままだと六度目の遅刻するぞー」
これである。俺がひねくれるようになった原因は。
確かに、ただ殺されただけなら俺は彼女に対する好きという気持ちを内に秘める健全な高校生になっただろうさ。
「うぅん~ハルちゃんが学校へ行ったら、いくぅ……」
でも、聞いてくれよ。なんなんだ? このダメダメな生き物は。
一年生の、それも一学期だというのに寝坊が六回。弁当を忘れたと言えば、食堂があるというのに家に取りに戻る。夜、怖いから一人で眠れない。
それだけじゃない、一人でまともに食事をしてくれない。誰かが食べさせてあげないと駄々をこねてしまう。
そう、これが俺の好きになってしまった少女である。
我ながら、単純だなって思う。たかが一回、キスまがいなことをされただけで雛以外のことを好きになることができないなんて。
これが男という生き物なのだろうか。
「それじゃあ、俺が学校行っていないともとられてしまうだろ。それに、本来の意味だとしてもそれじゃあ遅刻確定だ」
どこかのはけ口に愚痴などを零さないと、このダメダメな雛鳥と向き合えない。
俺は苦笑を浮かべて布団を捲り上げる。
「わがまま言う子にはこうだぞ!」
「くぅ~ん」
(待て、犬にはなるなよ? そこまで行ったら取り返しがつかん)
可愛らしく、声を絞り出す雛に俺は心の中でそう思う。
布団の中から現れた花柄パジャマの雛。
昨日止めてあげたボタンは所々外れており、すらっとしたお腹が俺に向かってこんにちはしていた。
「こんにちは」
「……? おはようございます、だよ?」
「っ! そりゃすまんな。おはよう、雛」
「うん! おはよ~」
背伸びをして、雛のお腹が再度こんにちは。
「こうして家の中であいさつをし合うなんて家族みたいだね。え~と、ハルちゃんパパ?」
ビキッと、俺の心に亀裂が入った。
どうやら俺は幼なじみというより、家族であるパパと認識されてしまっているらしい。
片思い中の彼女はダメダメすぎて俺が幼なじみというよりパパみたいになっちゃっている件について。
早急になんとかすべきであると思う。