1-8.第8話 エルフの少女と精霊と
森に響いたブラスターの発砲音は12発。派手ではないその音はしかし、機関銃の様に連続して響き合い、静かな残響音を森に残した。
それはまるで男の高笑いのかき消すかのように。
『全弾頭部に命中。お見事です』
アニマはシンを手放しで褒めた。それは自己防衛として当然の権利だったからであり、彼女が彼の行動を最後には許してしまう甘さでもあった。
「……俺は自分の安全の事ばかり考えていたよ」
シンは自分を恥じた。それは初めて人を殺めた後悔よりも重く自分を責める。それは隣のエルフの少女の置かれている立場に今まで気づいていなかった間抜けさにだった。
自分には帰る場所があり、安全な寝床でもあるヒュータンがある。どんな人数に追われようと宇宙に逃げてしまえばいいのだ。
だがこの少女は違う。今回助かったとしてもこの世界が彼女の生きている世界だ。それを悪党の言葉から気付かされたことに殊更に腹が立った。
「すまなかった。君を危険なままで放置してしまうところだった」
シンはエルフの少女に頭を下げた。
「……今のなに?」
しかし当の本人は目を丸くして周囲の光景を見つめるばかりである。
エルフの少女は混乱する意識を堪え、今の状況を確認することに努める。
小屋の周囲には人攫いの男達の死体が転がっている。囲む様にしていたのでそれは半円状に倒れている。見える範囲には6体。他にも居た筈だが、既に森の奥へと入っていて姿は見えない。
しかし隣の謎の男は迷うことなく森に向かってナニかをした。
そしてそれは間違いなく目の前の男達のように息の根を止める致死性の何かだ。
隣の男は手に持つナニかを構えて人攫いに向けると、何故か倒れた。死んだ。であれば男は森にもそのナニかを向けていた。つまり森の中にも多くの人攫いが居た事になる。今はその死体が、であろう。
そこまで考え、エルフの少女は自分に降りかかるはずだった未来に恐怖し、今を感謝した。よく分からないが、私は隣に立つ謎の男に助けられたのだと。
「……あ、あのありがとうッ! 貴方が助けてくれたんだよ……ね?」
「助けたというよりも……自分の不始末を片付けただけだ」
シンは申し訳なさそうにそう言った。
「貴方の言っていることはよく分からないけど……それでもありがとう!」
法や道徳、それに規律。現代人であるシンの思考は非常に面倒くさい。初対面の異世界人であるなら尚更理解できないであろう。
『シンの華麗なブラスター捌きが理解できないなんて本当に残念ですね』
「俺もたまにアニマの言っていることが分からないぞ」
「?」
アニマの思考もやや面倒くさそうである。
ちなみに、ブラスターとは光線銃である。熱線を光速で撃ち出しその威力は人を容易に貫通する。エネルギーの供給先が存在する限り弾切れを起こすことはなく、カートリッジでもチャージ可能。そのエネルギーはエーテルであり、エーテル機関を搭載した設備、例えばヒュータンであれば無限に供給が可能である。照準をサポートする機能があり、どんな銃の素人でも百発百中である。ナノマシンやセンサー、AIの補助があれば見えていなくても百発百中である。
***
場所は移して小屋の中。少々焦げ跡残るキッチンである。
シンはそこでエルフの少女とテーブルの前で向かい合って座っている。
「改めて自己紹介するわ。私の名前はシアンタ。ただのシアンタよ」
「只野シアンタさんか。俺は出意備州新左衛門よろしく」
「でいびすしんざえもん……? 長いわね。もしかしてどこぞのお貴族様?」
「いいや、長いと思うならシンでいい。知り合いはほぼ全員そう呼ぶ。覚えにくくて長ったらしいとな」
シンは少しすねた。
「そんな卑下しなくても……分かったシンね、こちらこそよろしく!」
『アニマです、よろしくシアンタ』
「わあ!」
エルフの少女シアンタは椅子から飛び跳ねて、キョロキョロと周囲を見渡す。
「驚かせて悪かった。ここまでやらかして隠すのはないと思ってな」
『協力者としてこちらに引き込んでしまおうと相談して決めたわけです』
「え、なに、誰? あ、そうか、独り言を話していた訳じゃなかったのね!」
シアンタは謎が解けたと嬉しそうにストンと椅子に座った。
彼女は聡明である。ただ出会いの頭の苛烈さといい、今の明るい雰囲気といい。随分と感情の切り替わりが激しいようである。
「どこに居るのか見えないけれど、そういう精霊なのね」
「精霊? いやアニマはそんな――」
「それじゃあ私も見せてあげる。特別なんだから」
大層な物じゃあない、とシンは続けようとしたが、シアンタのテンションに幸運にも阻まれた。
それは新たな知己という意味では、正しく二人にとって幸運であったのだ。
「○○○○○○……○○……○…来てフォトン」
「これは……」
『また解読できない言語ですね。しかも先程の男が発したものと同類、しかもさらに複雑です』
シンはその呪文を右から左へと聞き流しながら、参ったと眉をひそめる。
これでは魔法を使えるようになる、というのは簡単ではなさそうだ。
『これは驚きました』
アニマの声に我に返ったシン。そして目の前の光景に本日何度目かも忘れてしまうくらい繰り返された感情が再び沸き起こる。それは感動と興奮だ。
「さあ……来て……」
目の前に現れたのは光の塊が人の形をしている、としか形容できない存在だった。しかもこれだけ光源に近いというのに眩しいと感じない。もう何度目か分からない不思議な現象だ。
「……ふう、ちょっと張り切っちゃた。さあフォトン挨拶して」
「○○○○○○○○○○○○」
光の存在は不思議な音を発する。それは鼓膜をすり抜けて頭で感じ聞いているような、とにかく不思議な声だ。
シンはアニマと行っているナノマシンを用いた脳波感応通信に似ている、そう感じた。
「何言っているのか分からないが?」
『先程の呪文に似ている様に聞こえますが……駄目です規則性が見出せません』
アニマがお手上げだという事は暗号よりも複雑な未知の言語であるか、そもそも言語ではないのどちらかだ。
「精霊の言葉は言葉じゃないの。想いを音に載せているのよ」
「……やっぱり何を言っているのか分からない」
『スピリチュアルは私の管轄外です』
しかし、とシンは思う。想いを載せるというのは正に脳波感応通信に似たところがあるのではと。
試しにと通信と同じような感じで気持ちを送る。もちろん相手はナノマシンも受信装置も持ってはいない。シンの好奇心と遊び心がその行動を後押していた。
すると――
――ワタシモコンチワ――
「おおうおっ!」
声が返ってきたのだ。先程の様に頭の中を通るような声だったが、しかし今回は確かに意味が分かったのだ。
『シン、分かったのですか?』
「ああ……俺の脳波をトレースしているか?」
受信してしまえば意味はこちらで、自身の脳で解析している筈である。それをナノマシンが観測できれば、シンはそういう意味で言ったのだ。
そしてそれに応えたアニマは更なる情報を得ることが出来た。
『もちろん……判明ました。これはマナの波です。対象は音波ではなく、マナ波とでも言うべき現象を使って言葉としているのです……これは世紀の発見ですよ』
マナとはエーテルとしてしか現実世界に干渉できない仮説上の粒子である。いやあった。
それがこの惑星系に飛ばされその実態を観測できたばかりか、それを使って言葉を話す知性体との邂逅。
今日までの発見で何百もの論文が書けるだろうかと、アニマの電子頭脳は戦慄と歓喜と興奮の光子活動が駆け巡り、更なる行動を促し続ける。もっと情報を、知識を、体験を。
「解読できそうか?」
『時間は掛かりますが可能です……来て良かったです』
「そうか」
『ええ』
アニマはポーカフェイスには自信がある。なにせ顔が無いのだから。
「マナ波とは、火の消化に使ったエーテル干渉波とは違うのか?」
『マナ学の基礎となりますが……』
「聞かせてくれ」
『簡単に申しますと、マナは謎の粒子、エーテルはマナを利用し物理的に現実に干渉できるようにしたもの、でしょうか』
「よく分からないという事だな」
『ただそのマナ波の性質は精神のソレに近い、と言われています』
「……だから脳波感応装置で測れた、という訳か……」
『偶然ですが……まあノーベル賞ものです』
シンはフウムと顎に手をやり考える。
つまりマナの波が精神、魂に等しいのであれば、精霊とは新たな生命の形、と言えるのではないだろうか?
「なに? フォトンがどうかしたの?」
シアンタは不思議そうに二人の会話を聞いていたが、たまらずそう尋ねた。
「ああ済まない。こちらのシステム……えーと技術でフォトンと会話が出来たんだ。それで驚いたんだよ」
「精霊と喋ったぁ!? そんな嘘よ!」
急に嘘つき呼ばわりされて困惑するシン。
「……君は会話できないのか?」
「……なんとなく感情は分かるわよ。そうじゃないと精霊使いなんて言われてないもの……でも会話は無理よ」
「そうなのか……」
「もし本当に会話できるのなら、私をどう思っているのか聞いてみて!」
信じていないと言う割に、そう注文が入る。シアンタも興味津々である。それならと、シンは別に断る必要はないと頷いた。
今回は感応通信に合わせて声も出す。
「君……フォトンはこのシアンタのことをどう思っている?」
――ジッサイイケテル――オマエモイケイケ――
「……」
「なに? どうしたの? 早く教えてよ」
シンが脳波感応通信を用いて行っているのは言葉によるものではない。想いを載せて伝えるという実にあやふやなものだ。だから大いに意訳が入る。
俗にいう“地の利を得たぞ”現象である。[詳細はネットで検索してください]
「ねえ――」
「……ああそうだな、いい人だと言っている。俺もいい人だと言われた」
なんとシンは、意訳に意訳を重ねるという暴挙に出る。しかし仕方がない。彼にはそのまま伝えるという度胸が無かったのだ。
『もう少し解析が進んでくればこちらで補助が可能になります』
シンの困惑を察知してアニマが助けを出すが――。
「いや分かっている。彼女の言っていることは分かるんだ。しかし言葉にすると難しいんだ」
シンは言い訳がましくそう述べる。恐らく彼の苦悩は全ての通訳、翻訳家が感じていることであろう。
「ふ、ふーん……まあ信用してもよさそうね。貴方も精霊に気に入られているっていうのは、ちょっと胡散臭いけど」
シアンタはそっぽを向きながらそう言うが、口元が緩んでいる。どうやら嬉しかったようだ。
「フォトンとは長いのか?」
「そうね……もう120年にはなるかな。子供の頃の付き合うだから」
――モットマエダゾアカンボカラ百四十ネンクライチョットサバヨミ――
「はええ……ア、アニマ、この惑星の公転周期は?」
『地球とほとんど変わりません。それどころか閏年を4年に一回から12年に一回に減らせます』
「……そうか」
つまり目の前の少女は見た目通りの年齢ではないということである。
流石はエルフと言った所だ。シンはシアンタをまじまじと見つめる。
「なによ……ああ嫌だいやだ。人間がエルフに嫉妬しても仕方ないじゃない。寿命は私が決められるものじゃないのだから」
「あ、いや済まない」
――ババアダゾ――メオサマセ――
そう言うつもりで見ていたのではないが素直に謝る。後フォトンの茶々がうるさい。
驚いたものの、実はシンの時代の平均寿命は200才を越えていた。それも肉体を保った状態でという条件に限る話で、生身の肉体を捨て、機械化。もしくは全てを捨ててAIのように生まれ変わるのら、ほぼ寿命は無限だった。
しかし時代は移り変わり、その死生観も変化した。今ではそこまで長生きを望むものは多くなく、人々は穏やかな余生を望み、そして旅立っていく。
シンもそんな一生を望む人々の一人だ。そしてシンはまだまだ若い。
「まあ取り敢えずこんなものか……アニマ、どうだ」
『スキャンはすべて完了しています。賊の死体は本艦に回収して解析中』
解析とは要は解剖である。道徳的にはどうかと思うが、彼等の死体はこの星を知るうえでの貴重なサンプルである。運よく悪人であったと思う事にする。
「そうか、それなら行こうか」
『予定時刻を2時間過ぎています。野営地点の設置は4時間後を推奨します』
「了解」
シンは席を立った。
「っちょ、ちょっと何処へ行くのよ!」
「どこって……ここから北東の町を目指している」
「もうお昼近いのに辿り着けるわけないじゃない!」
「だから途中で野営を――」
「夜の森を甘く見てはいけないわ。し、しょうがないから此処に泊まっていきなさい」
――サビシイダケダゾ――シタゴコロダメダメヨ――
「……」
「フォトンもありがとう。またお願いね」
――イイッテコトヨ――
「……問題ない、と言っている」
「フフッ、そうなの。じゃあ帰還させるね」
――アバヨ――
シアンタが短く呪文を唱える。するとフォトンは出現する時を巻き戻したかのように、すっと消える。木窓が閉められた状態の部屋は、再び薄暗さに包まれた。
「さ、干し肉とパンぐらいしかないけれどご馳走するわ。お昼にしましょう」
慣れた手つきで部屋の隅に置かれていた荷物を解くと、幾つかの道具をもって台所へ向かう。料理でもする気なようだ。
その光景を見てシンはある疑問を思い出す。
「シアンタ、君はどうしてこんな所へ?」
「言わなかった? ここは祖父の庵なの」
シアンタは厚手のナイフを持ったまま振り返り、そう笑った。