1-4.第4話 シン艦長、発進
『マナはこの惑星系を覆うように存在しているようです』
再度の観測を終えたアニマがそう報告した。
「ということは、マナが存在しているのはここだけで、異次元じゃあなくて遠いからこそ観測できなかった可能性があるのか」
『それは有り得ます。しかし異次元と地球の文明圏から観測不能な距離。帰還の何度はどっちもどっちですね』
「それは言うな」
アニマが言うにはマナはまるでオールトの雲のように、ある一定の範囲をしっかりと囲むように存在しているという。
オールトの雲とは、太陽系の外側を球殻状に取り巻いている小惑星群の名称である。
もちろんマナはオールトの雲の主成分の様な氷が主成分の個体ではなく、質量がゼロの不可視の粒子である。であるから氷のように目に見えることもなく、宇宙船の航行を阻害することもない。
過去の人類はこの雲を抜けるために、多大な労力を強いられたと聞き及んでいる。このオールトの雲を越える為にワープという空間跳躍航法が必要不可欠だったのは歴史書にも載っている事実ではあるが、ここでは関係が薄いので仔細は省く。
『ですが、私はここが異次元であり、そして別次元転移説を押しますね』
「その心は?」
『女の勘ですよ』
アニマはそう言って調査結果を締めくくった。
*
シンは宇宙船ヒュータン号の工場で作られた加工肉を頬張った。
「美味い」
『やはり出来立ては違いますか』
「いや作り置きも美味い、どっちも美味い」
『……そこは私の為に「お前の作った料理の方が美味しいよ」と言ってください』
「さっきお前呼ばわりはよせと言っていたじゃないか」
『この場合は大いに構いません』
今は食堂でアニマと講釈と漫才をしつつ、空腹を解消していた。
出発から随分と時間が経っていたが、今までのトラブルで空腹を忘れていたことにようやく気が付いたのだ。
そうして始めくらいは贅沢をと、持ち込んだ一か月分の食料と艦内で製造された食事、昼と夕食の分の味比べを行っている。
「しかし最近の保存食も馬鹿にできないな。普通に美味いんだから技術の進歩とは恐れ入る」
『人類の味覚が進歩しないせいでしょう。それかシンがただ馬鹿舌なだけです、そうですシンは馬鹿なのです』
「……辛辣過ぎないか」
シンは少し落ち込んだ。彼は慎重で几帳面で繊細で、そして少しある事象に鈍かった。
『まあ今回は許します。これからも持ち込まれた食料は、私がしっかり加工してお出ししますからね』
「……それは……いやありがとう」
一体何時、どうやって作ったのか。聞きたいが、何故か聞かない方がいい気がしたので感謝の気持ちを述べるに留める。シンは慎重なのだ。
食後のコーヒーを飲みつつモニターに視線を移す。そこにはコクピットルームでも見た町の風景が広がっている。どうやら彼等も夕飯時らしい。住宅街から白い煙がまるで川のように空へと流れていく。
「明日にでも行ってみよう。ここがどういう場所なのか分かるかもしれない」
ドローンはこれ以上低く飛ばせない。上から眺めて得られる情報はもう出てこないだろう。
シンはそう考えて次の行動に移る決心をする。いやそれは建前だ。眼下には娯楽作品でしか見た事がない古代の街並みが広がっているのだ。SFやファンタジーというジャンルの愛読者である彼は、もう湧き上がる感情を抑えることが出来そうにない。
それは至極単純な、有史以来人を動かし続けて来た原動力――冒険心だ。
そんなシンの内面を知ってか知らずか、アニマはそれを否定することはない。呆れるような、微笑ましいような。そんな気持ちが彼女を満たしている。
『では着陸可能な場所の選定をしておきます』
打てば響くという言葉を体現するかのように、アニマは準備を始める為に艦の設備を稼働させる。
しかしシンは大いに慌てた。
「おいおい、まさかこのヒュータンで降りるのか?」
確かに小型艦とはいえヒュータンは軍艦である。ファンタジーな世界ではどう考えても目立ち過ぎる。
そこでシンは、宇宙での活動における法律のある項目を思い出した。
今では奇妙な法律としてときに話題になる――笑い話やトリビアの類で――国際法の条文がある。
『異星人と接触した際は、対象を刺激せず、友好的でなければならない』
これが追記されてからOO世紀。今の今まで埃を被っていたこの一文をシンが思い出せたのは、こんにちでは当たり前となった、脳に直接情報を流し込むという学習法のおかげである。記憶力を試すテストならば、誰でも百点を取れる時代。その恩恵というわけである。
また、条文にはこういうのもある。
『その異星人との文明差が顕著である場合は、より慎重でなければならない』
まさに今の現状そのものである。
『しかし現在ドックに収容されている小型機は一機もありません。降りるだけでしたら脱出ポッドが使えますが……使用しますか?』
今回の新造艦試験は長期間の無補給運転が目的であったため、パイロットは宇宙に出る予定を勘定していなかった。
そのため、本来は上陸艇を始めとする小型機が積載されるているはずの、発着場件修理設備――いわゆるドックも今は空である。
外に出る必要がある場合、例えば艦の外殻が損傷した場合でも、ドローンが自動で修理してくれる。
そう云った点でもこの最新鋭艦ヒュータンは、最低搭乗者一名で運行可能なように設計されていて、最新式の前には人の出る幕はない。
だが現状は想定外の事態が起こっている。
そしてアニマの言う脱出ポッド。それは文字通り、緊急時に艦から非難するための、生存性だけを考慮した、円筒形の棺桶のような見た目の乗り物だ。
搭乗者が宇宙を漂流する羽目になった場合、1週間分の食料が積まれている他、装置を使用した仮死状態ならば最長5年生存できるという優れモノ。そして最大重力5Gまでの惑星であれば安全に着陸できる推進機もついている。
だがもちろん居住性は最悪で、重力圏を脱出できるような力はない。つまり惑星にそれで降りるという事は、別に帰還の方法がなければ行ったっきりになる。まさに脱出するためだけの乗り物だ。
そんな物に乗りたいと思う者などいない。
「……冗談だろう?」
『冗談です。ヒュータンは人里離れた場所に降下し、隠ぺい工作を施しましょう。そして今後の為に小型艇の建造を開始します』
からかわれたのだと気付いた時にはしてやられた時。口ではアニマに敵わない。
「……そうしてくれ……AIの冗談を聞いたのは初めてだ」
『であれば私がシンに初めて冗談を言ったAIになりますね』
「人間に初めて冗談を言ったAIかもしれないぞ?」
『AIでも冗談は言います』
「それなら最近のAIは進んでいるんだな」
俺の知っているAIはもっとお堅くて人をからかったりしなかったぞ。という意思を込めて、シンは大きく溜息を吐いた。
***
「始めてくれ」
『それでは降下開始します』
ヒュータン号は惑星アルファ―便宜上付けられた名だが正式に採用された――に接近していく。惑星の巨大さ故、ゆっくりと見えるその速度はしかし、期待を大いに高める演出としての効果を発揮している。胸が張り裂けそうだ。
だが俺は訓練されたパイロットだ。感情がミスを引き起こさないようにする術を訓練されている。
「目標降下地点はあの町から南西500キロ地点の森の真っただ中。着陸後、すぐに隠ぺい工作を行い、情報を収集しつつ目標の町へ向かう。でよかったか?」
『はい。その際、知的生命体と接触した場合。出来るだけ時間を稼いでください。こちらからスキャンを行います』
「了解」
何度も確認した手順の復習を行う。それでもシンの緊張は解けない。それともそれは興奮からだからか。
機体は既に大気圏下への進入を開始している。表面を特殊なフィールドで覆う。ヒュータンならば本来そんなことをする必要もなく、大気圏を垂直に落下したとしても傷一つ付くことはない。
しかし原生生命体との友好的な接触を図るため、できうる限り隠密に着陸しなければならない。
アニマは艦の発見率を最小限に抑えるため、最適な入射角で降下し、圧縮熱で発生する光を抑えるフィールドを張って、慎重に艦を操縦する。
そうなのだ。実はシンは、これまで一切操縦を行っていない。操縦士――パイロットという肩書があるのにも関わらずだ。
これにはとある理由がある。
この時代には既にAIが自動運転をするのが普通になっている。それは時代が進めば進むほど顕著になる。それがこの最新鋭の新造艦であるヒュータンならば尚更だ。
自然、人はAIの補助に回るようになる、という逆転現象が起こり始める。
だから人は、AIでは判断できない場面で人の機微や感情、あるいは勘でAIをサポート、補う術を編み出した。
そして人がAIが機能不全に陥った時の最後の安全弁として機能するように。
実情としては艦長がアニマ。そのお客様がシンと言い換えてもおかしくはない。しかしAIは決して出しゃばらない。発生以来、AIは人を立て続け、そして支え続けた。それは今も、そしてこれからもである。
AIは人をサポートする立場を好んだ。彼、彼女達は進んで、人を補佐するという立場を望むのだ。人に指示され、意見し、そしてともに動く。そんな関係を。
だからこそ、アニマはシンを艦長と呼んで憚ることはない。
『艦長。上手く大気圏を抜けられました』
「またそれか。だから俺はただのテストパイロットだよ」
『フフ艦長。何時もの冗談ですよ、シン艦長』