05.複合能力者
「……なんだ?」
上の階が騒がしくなり、鹿上は訝しがる。朝比奈はソファーから立ち上がると、部屋の外へと飛び出した。向かいにある階段で2階へと駆け上がる。
「待ってくださいよ! 先輩!」
鹿上は、慌てながら後ろについてきた。
2階に上がると朝比奈はすぐに異常に気付く。右側にある教室の前に人だかりができていたのだ。教室の前では放心している生徒や、パニックになっている生徒が集まっていた。
朝比奈はそちらの方に歩こうとして、更なる異変に気付く。
――――廊下が水浸しになっている。
「ねえ、何があったの!?」
朝比奈が1人の女子生徒を捕まえて問いかける。彼女は目を白黒させていた。
「桐山君が……! いきなり、水を大量に吐き出して……!」
「なんだよ、それ……!」
鹿上は生徒の言葉に困惑する。朝比奈はパニックになっている生徒をかき分け、水浸しの教室の中に入った。
「なにこれ……」
教室の中には生徒が1人だけ残っていた。男の子だ。
彼は椅子の背もたれにぐったりと背中をあずけたまま、あり得ない量の水を口から吐きだしていた。
マーライオン。いや、それ以上。
その様相は、吐き出すと言うより放出と言った方が正確だ。消防車のホースから出るような勢いで、水は口から放物線を描いて放出され続けていた。
教室の床はひどく水浸しになっていた。机やカバン、黒板までもがびしょびしょに濡れている。とんでもない水量だ。とても人間が吐き出せる量じゃない。
朝比奈は彼に近づくが、しかし、どう対処していいかがわからない。
彼の意識はすでにないようだった。吐き出されている水に、赤いものが混じっていることに気づく。どうやら血のようだ。床には歯や、歯茎か内臓の肉片のようなものが水に浮かんでいた。
「なんなんだよ、これ……」
遅れて、鹿上が教室に入ってきた。中の惨状を見て、言葉を失っている。
吐き出される水の勢いが、徐々に弱まってきた。
朝比奈はその隙に彼に駆け寄る。肩を揺すって呼びかけるが返事はない。水が止まり、朝比奈は彼の脈を確認した。残念ながら、既に事切れている。
溺死と言うよりはショック死のようだった。前歯がいくつも折れている。口の中が血だらけになっていた。
「あはは! どうだった!? 面白かったでしょ!」
背後から笑い声がした。振り返れば、白石がケタケタと笑っている。
鹿上は鬼の形相を浮かべ、彼に掴みかかろうとした。
「……お前! なんてことを!」
「ああ、もう。やめてよ、暑苦しいなあ」
鹿上をかわすように、白石は黒板の前に高速移動した。
「ねえ、刑事のお姉さん。これでわかったでしょ? 俺は複合能力者なんだ。何でもできる。神の力を手に入れたんだよ」
朝比奈は、白石が先ほどまでいた床のあたりを、じっと見ていた。
変化のない水面だった。荒れた様子はない。
朝比奈の表情に笑みがともる。
彼女は1つ、あることに気がついたのだ。
鹿上が、心配そうに朝比奈に声をかける。
「朝比奈先輩? 大丈夫ですか?」
「……ええ、大丈夫。それより、私わかっちゃったかも」
朝比奈は満面の笑みで言った。
「白石君。あなたは複合能力者じゃないわ。それどころか、高速移動能力者ですらない」
白石は、その言葉に顔を歪ませる。
「……何言ってんの? 俺は複合能力者だ。神に選ばれし者だよ」
「いいえ。あなたは間違いなく、1つの能力しか使えない。だからこそ複合能力だと騙ったのよ」
「わかんない奴だな……。ああもう、あんたと話してるとイライラしてくる。俺、もう帰るわ」
そう言って、白石は教室の入り口に移動する。
「あ。そうだ。1つだけ言っておくけど、俺が殺したのは、今死んだ桐山を含めて3人だよ。ちゃんと全員見つかった?」
「なんだと……!?」
鹿上が眉根を寄せる。被害者は3人。彼が言ったことが本当なら、死体は1つ見つかっていないことになる。
白石はニヤリと笑い、どこかへ消えてしまった。
朝比奈のスマホに井上係長からの着信があったのは、そのすぐ後だった。
ポケットの振動に気づき、朝比奈は電話を取る。
「もしもし。朝比奈君? 今どこにいるの?」
電話に出ると、係長が気の抜けた声でそう言った。
「今、白石の通う高校の方へにいます。係長、申し訳ないんですけどこちらに応援を要請願います。白石がクラスメイトを1人殺害しました。彼が犯人であることは間違いありません」
「ええっ!? それは大変なことになったねぇ。わかった、すぐにそちらに応援を向かわせるよ」
「それで、電話の要件は?」
「ああ、それがね。また、遺体が見つかっちゃったみたいなんだ。そっちにも向かってほしいんだよ」
思わずため息が出る。つまりは白石の言った3人目だろう。1日で3人。魔法事件は普通の事件と比べて事の進む速度が速いとは言え、さすがに多すぎる。
「またですか……それで、どこへ?」
「ボーノっていうイタリアンレストランだって。たしか、そこから近いと思うよ」
係長から住所を聞き、それを手帳にメモする。
「じゃあ、よろしく頼んだよ」
「わかりました」
スマホをしまい、手帳のメモした部分を破ると、朝比奈はそれを鹿上に押し付けた。
「鹿上君。先にここに行っててもらっていい?」
「なんすか、これ?」
鹿上は、紙を受け取りながら首をかしげる。
「ここで遺体が見つかったみたい。先に行ってて」
鹿上は、それを聞いてうんざりした顔をする。
「3人目ですか……で、先輩はどうするんすか?」
「わたし、ここで少し話を聞きたいの」
朝比奈がそう言うと、鹿上は心配そうに彼女を見ながら教室を出ていった。
教室の外を見れば、そこには渋谷が呆然と突っ立っている。朝比奈は彼女に話しかけた。
「先生、少しお話をお伺いしたいのですが」
「え……ええ。なんでしょうか?」
「白石君は、ここのクラスの生徒ですよね?」
「……ええ。もちろん」
「あそこで亡くなっている桐山君も、当然このクラスの生徒ですよね。もしかして、最初の被害者の谷津紀美彦君、彼もこのクラスの生徒なのでは?」
渋谷は、少し迷ってから頷く。
――――やっぱりそうか。
「なぜ、このクラスの子が集中的に彼の被害にあってるんでしょう? 心当たりはありませんか?」
「……ありません」
渋谷はきっぱりと否定する。今までとは様子が違った。彼女から強い意志のようなものを感じる。
「きっと、意味なんてないんじゃないですか? 魔法病にかかった者は暴力的になると聞きます。誰でもよかったのでは?」
渋谷は鼻で笑いながら言う。
「先生。本当のこと言った方がいいと思います」
後ろに集まっていた生徒のうち、1人の真面目そうな女子生徒が口をはさんできた。渋谷はうっとうしそうに顔をしかめる。
「何言ってるの、あなた。今、刑事さんは先生と話してるのよ? 邪魔しないで」
女子生徒は、渋谷の言葉を無視して朝比奈の前に立った。
「白石君の彼氏、いじめにあってたんです」
「白石君の彼氏って……え? 白石君は、男の子だよね?」
朝比奈はその言葉に目を丸くする。
――――それは、つまり。
…………そう言うこと?
「はい。……白石君、ゲイらしいんです。秘密にしてたみたいなんだけど、桐山君にばれたみたいで。
それで、それを面白がった桐山君たちが、彼氏の藤井君の方にひどいイジメをしてたんです」
――――なるほど。
朝比奈は頷いた。
驚きはしたが、理解はできない話ではない。
「つまり、それが理由で白石君は彼らに復讐してると?」
女子生徒はうなづく。
「多分、そうだと思います」
「出まかせを言わないで!」
渋谷が強く否定する。
朝比奈はそちらに目もくべず、女子生徒に尋ねた。
「でも、待って。それだと白石君がいじめにあっててもおかしくはないよね? なぜターゲットが彼氏の藤井君の方に?」
「最初は桐山君も、白石君をいじめようとしたみたいなんです。でも、白石君って頭がいいし気も強いから、すぐにやり返してしまって。
それも、2倍、3倍にしてやり返すんです。やり返された桐山君は、次第に白石君には近づかなくなりました」
「代わりにターゲットは藤井君に移ったワケか……。で、その藤井君は今どこに?」
女子生徒はうなだれる。
「……先月、屋上から飛び降りて、自殺してしまったんです」
「やめなさい!!」
渋谷は、女子生徒の頬を平手打ちする。女子生徒は一瞬何が起こったのかわからないといった表情をしたが、やがて鋭い目つきで渋谷を睨んだ。
「……先生。藤井君はいじめの事を先生に相談したはずです。なのに、どうしてこんなことになっちゃったんですか?
隠すことも、嘘も、良いことではないはずです。……勿論、暴力も。あなたたちが教えることじゃないんですか?」
女子生徒の声は、震えていた。吹き上がるような激しい怒り。彼女はそれを言葉にして渋谷にぶつけたのだ。渋谷は彼女のその迫力に狼狽え、顔を引きつらせていた。
女子生徒は叩かれて赤くなった自分の頬を擦りながら、朝比奈に言う。
「桐山君と一緒になって、谷津君と君島君も、藤井君をいじめていたんです。
谷津君はバラバラの遺体になって見つかったと聞きました。君島君も今日は学校には来ていません。恐らく、彼も無事ではないと思います」
先ほどの電話を思い出す。イタリアンレストランの遺体。それが、恐らくは彼女の言っている君島君なのだろう。
「ありがとう。あなたのおかげで事件が見えてきたわ」
「いいえ。嘘が嫌いなだけです」
そう言って、彼女は爽やかな笑みを浮かべる。中年の女性教員は、バツが悪そうに階段の方へと歩いて行った。
話を聞き終えた朝比奈は、もう一度、教室の中に戻った。
一つ、気になることがあったのだ。
朝比奈は床を見る。床はひどく水浸しだ。
朝比奈は誰にも見られていないことを確認し、人差し指で床の水に触れた。濡れた指先を口に運び、ペロリとその先端を舐めてみる。
「……塩辛い」
そうつぶやきながら、朝比奈は微笑む。
口の中には、少しの砂粒の感触が残っていた。




