8話「白の少女と赤い竜と始まり」
それを見たときのライラの衝撃はいかばかりか。
敬愛する兄がバケモノに変わる姿を目の当たりにしてしまったライラは、悲鳴を上げた末に失神してしまった。
「ライラッ!」
「落ち着いてくださいませッ、ご主人様ッ!」
バーナードの制止を受け、アーサーは一旦呼吸を整える。
そして金属の鱗を消すと、気を失ったままのライラを抱き上げた。
「油断していた。訓練を覗きに来るとは……」
「某めの注意不足でございました。申し訳ありませぬ」
「良い。いずれは話さなければならなかったのだ。少々早すぎる気がしないでもないが……」
人がバケモノに変わる姿を目の当たりにするなど、まだ幼い妹にはあまりに衝撃的だったろう。
もう少し時間が欲しかったというのはわがままなのだろうかとアーサーは苦悩していた。
竜の大襲撃が起こるより、三年ほど前の話である。
目を覚ましたライラの目の前にいたのは、いつもの姿の兄、アーサーだった。
後ろには執事のバーナードが控えている。
それはライラがいつも目にする日常の光景だった。
「兄様、私は……」
「裏庭の森で失神したのだ。どこか痛むところはあるか?」
「いえ。すみません。悪い夢を見ていたようです」
人であるはずの兄が、バケモノに変わるなどあるはずがない。
アレは夢だ。
悪い夢を見てしまったのだとライラは思い込もうとする。
だが。
「ライラ、逃げてはならん」
「えっ?」
「お前が見たものは現実だ。そして、私がこれから話すことは真実だ」
そういって、アーサーは右腕の袖を捲くると、そこから赤い金属の鱗を生やす。
「ひッ?!」
「私は罪を償うため人であることを捨てた。これはその証、『竜の血』の力だ」
「な、何をおっしゃっているのですッ?!」
「我々は禁忌に触れてしまったのだ。それはいずれ、多くの力無き者たちに牙を剥くだろう。その、来るべき時のために、我々は訓練を重ねているのだ」
そしてアーサーは語る。
一人の科学者が発見した『竜の血』というナノマシンの存在。
それによって集められたチームで行われた実験。
その結果生まれたモノ。
そして、それがこの世のどこかに解き放たれてしまったことを。
アーサーの話を聞くうちに、いくらか気持ちも落ち着いてきたのか、ライラは尋ねかけた。
「兄様が、日本に行っていたころのことですか?」
「うむ。秘密にしていたが、私は『竜の血』を人に生かすための研究チームに招かれたのだ」
存在自体が在り得ないモノと言っていい『竜の血』の研究は極秘裏に行われていた。
発見者で、かつ、優秀な生体ナノマシン研究者である日本人、蛮場丈太郎。
貴族であり生体工学の若きホープたるイギリス人、アーサー・バンブリッジ。
東洋医学と西洋医学を究めた『老師』と呼ばれる台湾人、王九垓。
遺伝子工学、生物学の若き博士であるアメリカ人、アラステア・ラナマン。
外科医としても高名な医学博士のロシア人、ローベルト・クレンコフ。
そういった各界の奇才、天才を集めた『竜の血』のプロジェクトチームが作られ、人の世の役に立てるために研究が続けられていたのだ。
「だが、先ほども話したように、我々が生み出した『竜』は世に解き放たれ、今はどこにいるかもわからん。それがどれだけ増えるのかも想像がつかん」
「ゆえに、ご主人様は責任を感じられ、『竜の血』を呑み、竜の力を得て、いずれ襲い来るであろう『竜』と戦う訓練を続けられているのです」
アーサーの言葉を受け、バーナードはそう説明する。
しかし、そんなことで納得がいくはずがない。
アーサーは巻き込まれたようなものではないかとライラは思う。
「何故、兄様まで責任を取らなければならないのですかッ?!発見した人間が一番悪いのではありませんかッ?!」
「それは違う」
「何故ですッ?!」
「私もまた『竜の血』に人の良き未来を夢見てしまったからだ」
集められた研究者たちは、未知の存在に人の繁栄を夢見た。
もし、危険だと、注意すべきだという者がいたなら、別の道もあっただろう。
だが、その場にいた誰もが『竜の血』に魅せられてしまったのだ。
「科学者は生み出したものに責任を持たねばならん。『竜の血』を使えるようにしてしまった我々は、悪用されないための努力を怠ったのだ。それこそが我々の罪なのだ、ライラ」
素晴らしき技術が生み出され、それが悪用されたとき、悪用する者が悪いと誰もが口を揃える。
それは正しいだろう。
しかし、それだけではない。
悪用される恐れがあるならば、科学者は悪用されない努力をするべきだと、それができないのなら決して生み出してはならないのだとアーサーは語る。
それを怠ったことこそ罪であり、だからこそ、償いたいのだと。
自分たちが生み出してしまったモノから、人の世を守るために。
「私はバケモノと罵られようが、己の罪を償う。これは私の意志で決めたことだ」
確固たる決意を秘めた声に、ライラは兄がもはや戻れないところまで行ってしまったことが理解できた。
この地を守る貴族としてだけではなく、この世界を守る人として死地に赴くつもりなのだと。
それでもライラは聞かずにはいられなかった。
「兄様は……、どうなさるのです?」
「人が『竜』に怯えずにすむように決着をつける。それが我ら五人の誓いなのだ」
それ以上、何も言おうとはしない。
アーサーが『竜』と呼んだ者とは、解き放たれた『竜』だけではなく、自らを含めた竜の力を得た人間のことも指している。
しかし、アーサーはその真実を口にしようとはしない。
それでも、ライラには兄が人としては既に命を絶ってしまったということを理解できてしまっていた。
一息ついたライラに鈴は声をかけた。
「そか、ライラは一年前の大襲撃よりも前に龍機兵のことを知っちゃったのね……」
「兄様がそうだったのだから、リンよりも知る機会は多かったろう。ただ、そのころはそれになろうとは思っていなかった」
「何で?」
「……あのころの私は、あの姿はバケモノとしか思えなかったんだ」
「ライラ……」
目の前で敬愛する兄が竜へと変わっていった。
人の身体から金属の鱗が生え、見た目も恐ろしい怪物へと変わっていくのだ。
受け入れられる人間がいるほうがおかしい。
今、龍機兵になる人間がいるのは、竜という存在がある意味では身近になったからだ。
恐れるべきものではある。
しかし、見慣れること多少なりと理解でき、外見への恐怖は減っていく。
結果として、龍機兵になろうという人間が出てきたということだ。
「私も、今だから平気だったけど、同じころに見てたら同じ気持ちだったかも……」
「それが普通なのだと思う。それでも兄様が訓練を続ける姿をたまに見ていたんだ。そんなことを続けているうちに、兄様が目指すものが私にも見えた」
「目指すもの?」
「兄様の力はウェールズの伝承に出てくる守護者のものだ。兄様はその力を得ようと訓練していたんだ。だから、姿かたちが変わっても、兄様はイギリスを守るという貴族の誇りを失くしてはいなかったことが理解できた」
「そか。心は人のころと変わってなかったってことね?」
「ああ。心が人のままであるならバケモノではない。私はそう思う」
「そうね。私もそう思う」
そう思うからこそ、鈴は龍機兵になる道を選んだ。
少なくとも、龍機兵に対する気持ちは同じであることが鈴は嬉しかった。
「そういえば、ライラのお兄さんって最初からその守護者の力を持ってたんじゃなかったの?」
「知らないのか?最初から狙った力を得るのは相当に運か資質が良くないと難しいのだぞ?」
「へっ?」
「ドクターもそうだし、他の方々も同じだ。訓練によって力を得ている」
実は龍機兵にしても、古竜にしても、成長することで伝承竜の力を得る。
逆にいえば、資質の足りない者、運が良くない者は爪と牙で戦う古竜にしかなれない。
そこから成長していくしかないということだ。
「色は様々になるそうだから、最初から赤かったそうだ。だが、守護者の力を持っていたわけではないんだ」
「へーっ!初めて聞いたわ。それじゃライラも?」
「……私は、何故かはわからないが最初のときから力を得ていた」
「すごいじゃないっ!」
「それはお前も同じだろう、リン」と、ライラは苦笑する。
鈴は狙って七面天女の力を得たのだから、資質も運も良かったと言える。
無論のこと、ライラも力を得ているのだから、同様といえるだろう。
「あとは、強い感情が引き寄せることがあるそうだ。……レッドはおそらくそのパターンだ」
「そう、なんだ……」
『赤の竜』は、諒兵の『怒り』の感情に引き寄せられた。
それは既に周知の事実である。
逆にいえば諒兵は『竜の血』を呑んだとき、それほどに純粋な『怒り』の感情を抱いていたということだ。
「だから、私は兄様が一番赤い色の竜に相応しいと思う。お前のことを否定する気はないが」
「運がよかったのは確かだし、ライラが今はお兄さんを尊敬してるのは、お兄さんが努力してきたことをしっかり見てきたからだと思うから気にしないわよ」
怖がり、避け続けるということも有り得たはずだ。
しかし、ライラは時間をかけて龍機兵となった兄と向き合い、今は心から尊敬していることがよくわかる。
だから、気にしないというのは本音だった。
しかし、鈴は気づかなかったが、ライラは諒兵の名前を挙げていない。
ただ、ライラとしてはそのことをことさら強調する気もないので、少し安心したように息をつくと話を続けた。
約一年ほど前。
世界中に竜が出現し、人を襲ってきた。
ライラはその地獄のような光景を、居住区の中から驚愕の眼差しで見つめる。
「バトラー、お、おかしいのではないか?」
「おっしゃるとおりです。これは完全に想定外でしょうぞ」
アーサーの話では、五年前に一匹の小さい竜が逃げ出したという。
その竜が五年間の間にどれほど成長しても、また、子どもを増やしたとしても、五人の龍機兵たちで十分に対処できる。
彼らは訓練を重ねることで、それだけの力を手にしたのだ。
だが、それではまったく間に合わない。
既に多くの被害が出てしまっているほどに、竜の襲撃は凄まじい。
何より、その数が異常だった。
「この地だけで万を超える大群、しかも神話や伝説に語られるモノも見られます。いくらご主人様がたが鍛えられたと言えど、数が違いすぎます」
「兄様は大丈夫なのかッ?!」
「これはもはやご主人様がたで収められる問題ではない。神の裁きが始まったのやもしれませぬ」
「バトラーッ!」
「ですが、人は神に頼って生きてきたわけではございませぬぞ」
「えっ?」
バーナードが真剣な眼差しで呟いた言葉を聞き、ライラはぽかんとしてしまう。
「某めは手癖が悪うございましてな」
そう言ってバーナードが懐から取り出したのは、赤い血のような液体が入った小瓶。
「それはッ!」
「ライラお嬢様、バンブリッジ家を背負って立つ者として、常に毅然としていられませ」
そういうなり、バーナードは居住区の外へと飛び出し、竜が襲う中に単身飛び込んで、その小瓶を空ける。
そうすると雄叫びと共に砕けた竜の金属の身体を取り込んだ怪物が空へと飛び立った。
イギリスを守る赤い竜を守るかのように。
その光景を見て、ライラはその場にくずおれた。
力がないから、自分はここで守られているだけ。
敬愛する兄が、何くれとなく気遣ってくれた老執事が人としての命を捨ててまで悪夢のような運命に立ち向かっているのに。
イギリスを守る貴族であるのは自分も同じなのに。
「兄様、バトラー……」
彼らは遠いところに行ってしまった。
残された自分がやるべきは、貴族として民を導くことなのだろう。
それでも。
(世界はもう元には戻らない。ならば、力がなければならない。ただの貴族の娘では何もできない……)
竜が襲う世界となった今、力がなければ大切なものは守れない。
ならば。
「私も手に入れてみせる。赤き竜の力をッ!」
強く拳を握り、そう叫ぶ。
その日、ライラは龍機兵になることを決意した。
自分も、ウェールズの赤い竜として人を守れるようになるのだ、と。
そんな話を聞き、鈴は少しばかり申し訳なく思ってしまう。
諒兵を守るために必要だと感じて七面天女の力を得た鈴。
しかし、ライラやアーサーのように努力したかといえば、決してそんなことはない。
強い想いで。
強すぎる想いで奪い取っただけだ。
「そんな言い方をするな」
「でも……」
「日本やアジアには『赤龍』と呼ばれる赤い竜の伝承が多いと聞く。偶然ということもできるだろう?」
「そうだけど、何か、悪くて……」
真摯に努力してきたライラやアーサーの話を聞くと、どうしても引け目を感じてしまうのだ。
それに。
「アレ?ライラの鱗って……」
「見て、いたか?」
「身体検査のときチラッとだけど……、雪みたいな……」
白い色だった、とまでは言い出せなかった鈴だった。
赤い竜に拘るライラの金属の鱗の色は白だった。
それは、ライラが望んだ色ではないのではないかと考えられるからだ。
ライラは『白』が嫌いだと言っていた。
なら、何か気にしていてもおかしくないと鈴は思う。
実際、ライラの表情が少し強張っているのがわかる。
触れてはいけない部分であることが、それだけで理解できた。
「ゴメンっ、変なことまで聞いて」
「リン……」
「買い物の続きしましょ?副長さんが戻ってくる前にすませないと」
「そうだな」
鈴は踏み込まず、今はまだお互いに信頼できる関係を作り上げることを選択した。
そんな鈴の気持ちが、ライラは嬉しかった。
そして、その日の夕方。
鈴とライラは戻ってきた義隆が運転するトラックに揺られていた。
「……ホントに狭い上に乗り心地も良くないかも」
「我慢しておこう」
「口さがないな、お前たちは」と、義隆は苦笑している。
しかし、二人の間に流れる微妙に雰囲気は察知していた。
「まあ、詰所に着くまでそんなに時間はかからんから、我慢してくれ」
「そうします。そういえば、副長さんのお仕事はちゃんと終わったんですか?」
「ああ。昔馴染みとも話ができた。息抜きにはなったよ。でなければ面倒なだけだからな」
「その……、今も付き合ってくれる昔馴染みがいるのか?」
そう尋ねるライラ。
実際、龍機兵になったことで古い知り合いと縁が切れる者は多い。
諒兵は言うに及ばず、丈太郎も育った孤児院のことは話題にしない。
丈太郎に関しては冬子という存在がいるが、特別と言えるだろう。
「変わったヤツなのかもしれんな」
「副長さんは、どうして龍機兵になったんです?」
ライラに聞いたせいか、どうしてもそこが気になる鈴は、なんでもない話題にするために義隆にも尋ねる。
意外なことに、義隆は平然と答えてきた。
「俺は一年前の大襲撃で家族や部下を失ってな。今じゃ当たり前の話だが」
「復讐のためなのか?」
「かもしれん。ただ、復讐したいのは竜ではないと最近は思っている」
「えっ?」と、疑問の声を上げる鈴。
見れば、義隆は何かを思い出すように遠い目をしていた。
「俺は自分の仕事に誇りを持っていた。だが、一年前の大襲撃では何もできなかった。その結果、家族や部下を失うことになった」
「そう、なんですか……」
「だから、復讐したいのはあのころの弱かった俺自身なのかもしれんと思ってるよ」
「あのころ、力を持っていた者は数少ない。気負うべきではないと思うが」
「結局、単なるワガママなんだろう。人の想いなんてそういうもんだ」
そのワガママが人を救うこともあれば、人を傷つけることもある。
鈴やライラが龍機兵になったこともそうだ。
突き詰めればワガママでしかない。
ならば、それがせめて誰かを救うことにつながればと思う。
すべてを救うことなどできないのだから。
そんなことを考えていると、兵団詰所のほうからトラックが来る。
「あ、食材運んできたのかも」
「それにしてはまるで逃げるように走っているな?」
ライラの言うとおり、そのトラックは随分とスピードを出していた。
「何だ?」と思うよりも早く、義隆の頭に丈太郎の声が響く。
[春馬ッ、今どこにいるッ?!]
「もうすぐ詰所だ。どうした蛮場?」
[詰所を飛竜が襲ってやがるッ、井波と部隊ぁ有明の前線でこないだの毒竜と百超えの古竜の群れぇ抑えてるッ、諒兵ぁ葛西で蛟の群れぇ潰してるッ!]
「なにッ、お前はッ?!」
「俺ぁ今羽田だッ!こっちにゃぁ海馬が大群できやがったッ!そっちぃ頼めっかッ?!」
「小型の伝承竜の群れか。わかったッ、溢すな蛮場ッ!」
[誰に言ってやがるッ!]
そう答えて丈太郎は通信を切った。
「副長さんッ!」
「襲撃かッ?!」
「三ヶ所で同時に伝承竜の襲撃が起きている。詰所の防衛を任された。……お前たちの力も必要かもしれん」
鈴は戦場に出ているとはいえ策敵係り。ライラに至っては戦場に出たことがない。
その状態で飛竜、ワイバーンの群れと戦わなければならない。
だが。
「頑張りますッ!」
「人を守るのは私の誓いだッ!」
「よしッ、飛ばすぞッ!」
義隆がそう叫び、アクセルを踏み込むと一気にトラックが唸り声を上げて走りだす。
その中で、鈴とライラは人を守るため戦意を高めるのだった。




