ヨタの預言者
「おっ、学内で会うのは久しぶりだな。どうだ、娘を嫁に出した心境は?」
軽薄に声をかけられ、オキタは向き直る気も起こらず、じろりと目だけで形ばかりの挨拶を返した。
だが、そのまま去ろうとした肩を、がしりと力強く掴まれた。
「まあまてよ。面白い話を聞いたんだ。嫁に出した娘のことでな」
「嫁には出していません」
「はっはっは。あれだけ囲い込まれて、まだそんなこと言ってるのはおたくだけだよ」
今度こそ気分は底を突き抜け、オキタはぺいっと、アルトフォン学長の手を振り払った。
最近急に若々しくなり、頼もしいと、支持率も上がり意気揚々の学長は、豊かになった髪を自然な形に流し、筋肉の張りもよく、腹は固く割れ、声は力強い。
「いっそ清々しいほどに嘘くさい若さですね」
力強い体躯も関係なく、一刀両断に心を断つと、さすがに学長は苦い顔をした。
「ま、まあ、そういうな。みんな喜んでるし、いいんだよ」
「あなた、常用の副作用を見る実験台にされていませんか?」
「な、なにをいうんだ」
ははは、と笑う声が、いまいち迫力に欠けてはいたが、本気で心配したわけではなかったので、オキタもさらりと流した。それに、どうせ実験されていることは確かなのだ。なにしろ相手は、あの大統領なのだから。
学長はごほん、と要らぬ咳をして、面白い話だが。とこの後に及んでもなお、話を振ってきた。
「おたくの秘蔵っ子、娘御さ、『ヨタの預言者』って呼ばれてるんだって?」
「与太……?」
ピリリと、オキタの声が引き絞られたのに、学長は違う違う、と否定する。
「メガ、ギガ、テラ……ときて、ヨタってあるだろ? 単位のY、yotta。10の24乗。だからつまり、まるで桁の違う規模のビッグデータを自由にできるっていう意味らしい。——ほんとか?」
オキタの顔から、表情が抜け落ちた。
「——ほんとかよ。いや、まあほら、おたくの秘蔵っ子を妬んでるやつらとかはさ、それこそヨタは与太話のヨタ、とかってくだらない貶めをこそこそ回してるみたいだけどな、本気の噂こそが、大本らしい。そうか、ほんとか。俺の脳内では、イメージ湧かないけどな。だが——利用価値があるなら、大学で保護した方がいいか?」
初めの軽薄さは鳴りを潜め、学長は真剣な顔でオキタに尋ねた。
オキタはその顔を、しばらく無言で見つめて。やがて、ふう、と軽く息をつき、あなたは、と気怠そうに言った。
「ここ、空の都市の最高学府のトップであり、都政宮や都外との政治的商業的駆け引きの表舞台に立つわけですが。——向いてないかもしれませんね」
不意打ちにさすがに学長が愕然とし、わなわなと震えるのを見ても、オキタの気は晴れない。
「保護も何も、手遅れでしょう」
「手遅れ……?」
「あなた、本当に私と同じくらい政治センスがないですよ。あの子は、今大統領閣下のもとで働いていますからね」
「なんだ、知ったように。働いてるのは知ってるが、特殊能力故に身に危険があるなら、大学に戻ってくるほうが安全だろう」
「おそらく、あの子の身に危険が及ばぬ環境が整ったから、噂を流したんでしょう」
ん?と学長が固まった。
「噂の元を、知っているのか」
「知りはしませんが。わかります。大統領でしょう。あの、若造」
最後のダークな一言に、いつもは奔放と言われる学長が、まあまあ、とオキタを宥める。
「まあまあ、ではないです。あの男のことだから、囲い込みの仕上げというところでしょう。むしろ、噂を流して身辺を安らかではなくさせることで、事態を早く進めようと画策した可能性だってあります」
「そんなことに、これだけの規模の噂を流すか? ……いや、そう、そうですね」
まさに、怒髪天。
常に穏やかに微笑み、おっとりとして否定的な意見を言わず、育ちの良いお坊ちゃん的雰囲気のオキタが、血走った目で虚空を睨み、音を立てて歯ぎしりをし、興奮に鼻の穴も広がって、握りしめた拳に浮き上がる血管も太い。
まずい、と学長が悟った、そのとき。
リン、と繊細な音が鳴り、オキタがふっと空気を緩めた。
しばしの沈黙は、どこかに内蔵されたデバイスで、届いた着信だかメールだかを確認しているのだろう。
「だ、だれからだ? 急ぎの用事か? も、もう行ってもいいぞ」
保身のために促す学長に、オキタは憑き物がとれたようなすっきりした顔を向けた。
「あの子です。今日、我が家に来るそうです。しばらく、教授会議を欠席しますね。あの子が、偏屈で有名なバイオデバイス職工と仲良くなったとかで、旅行をかねて一緒に出張してきます。ええ、私費で結構です。妻も一緒にということなので。——唯一残念極まりないのは、あの若造が同行するってところですかね。
ともかく、一週間休みます。すみませんが、事務にお伝えくださいますか。」
さばさばと、歩みさって行くオキタに、学長は取り戻したはずの若さが流れ出て行くような徒労感に肩を落とした。
あれほどの怒りを露にしていたのに、バイオデバイスの職工というエサに、ほいほい釣られて行ってしまった。いいのか、それで。
だが、ここは空の都市の最高学府。そんな、研究馬鹿しか、集まらないのだ。彼らにとっては、学長というポストは、研究を邪魔する外の世界との交渉を引き受けてくれる、便利な存在が就くものでしかないのだろう。敬意を払われないわけである。
事務への休暇届けを頼まれたのを思い出して、アルトフォンはげっそりしながら、よたよたと学長室へと戻って行った。
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