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第50話 世界平和達成

白石平原での会談により、王国軍と魔王軍の衝突はひとまず回避されました。


正座しながら話し合うという、かなり不思議な形ではありましたが、剣を抜くよりはずっと平和です。


そして今回は、ついに人類と魔族の正式な和平締結へ。


王国、魔王領、人魚王国、転生者連合。

それぞれの思惑が交差する中、伊織はまたしても中心に立たされます。


本人はただ、魚を焼いて、温泉に入って、昼寝したいだけなのですが――。

白石平原の中央。

そこには、戦争寸前だったとは思えない光景が広がっていた。

王国軍の将軍。

強硬派の神官。

勇者和也。

魔王ベルゼリア。

魔王軍四天王グラン。

魔族代表ヴァルガ。

賢者アリサ。

商人の大輔。

合理主義者レオン。

人魚姫ルナ。

漁師娘ミナ。

そして私、海老崎伊織。

全員、正座していた。

平原のど真ん中で。

天幕の中で。

戦争を止めるための会談なのに、見た目だけなら完全にお説教部屋だった。

「……足、痛くないですか?」

私は小声で聞いた。

王国軍の将軍が少しだけ眉を動かした。

「問題ありません」

「絶対痛い顔してます」

「問題ありません」

強がっている。

かなり強がっている。

神官も額に汗を浮かべていた。

グランさんは鎧のまま正座している。

あれは絶対に痛い。

ヴァルガさんも微動だにしないが、尻尾の先が少し震えている。

ベルゼリアさんだけは、なぜか姿勢が綺麗だった。

魔王、正座も上手い。

よく分からない方向にすごい。

和也は真剣な顔をしている。

たぶん足がしびれている。

でも勇者なので耐えている。

ミナは普通に足を崩しかけていた。

「ミナ、無理しなくていいよ」

「伊織ちゃんも足崩していいんじゃない?」

「私はもう崩したい」

「崩そうよ」

私が少し足を動かそうとした瞬間、グランさんが感動した顔になった。

「海王様が姿勢を変えられる……次の段階に入るのか」

「違います。足がしびれただけです」

「足のしびれすら受け入れ、流れを変える……」

「本当に違います」

私は足を崩すのを諦めた。

誤解されるくらいなら、少し我慢する。

いや、かなり我慢する。

この会談で一番大事なのは、戦争を止めることだ。

足のしびれではない。

たぶん。

大輔が確認書の続きを読み上げる。

「では、次の項目です。王国軍と魔王軍は、今後七日間、白石平原周辺での軍事行動を停止します」

王国軍の将軍が頷く。

「異論はない」

ベルゼリアさんも頷いた。

「魔王軍も同意します」

グランさんが深く頭を下げる。

「魔王軍第一防衛隊、陛下の命に従います」

私はほっと息を吐いた。

七日間。

とりあえず、すぐに戦争は起きない。

それだけでも大きい。

大輔は続ける。

「次に、人類側と魔族側の連絡窓口を設置します。王国軍側は将軍閣下、転生者連合側は私、魔王領側はヴァルガ殿が担当する形でよろしいでしょうか」

「よろしい」

「承知いたしました」

「問題ありません」

話が進んでいく。

書類が増えていく。

私はだんだん眠くなってきた。

いや、眠ってはいけない。

今寝たら、たぶん海王様が眠りによって平和を示されたとか言われる。

あり得る。

本当にあり得る。

私は目をこすった。

神官がじっと私を見る。

「海老崎殿」

「はい」

「本当に、魔王軍に心を奪われたわけではないのですね」

「はい」

「黒曜石の湯にも」

「温泉は良かったですけど、心は奪われてません」

「巨大市場にも」

「お菓子はおいしかったですけど、心は奪われてません」

「魔王城の寝具にも」

「かなり良かったですけど、心は奪われてません」

「……かなり良かったのですか」

しまった。

また余計なことを言った。

神官が微妙な顔をしている。

将軍も困惑している。

ベルゼリアさんは少し嬉しそう。

ミナは笑っている。

レオンはこめかみを押さえた。

「余計なことを言うなと言っただろう」

「ごめん」

「事実でも今は控えろ」

「はい」

私は反省した。

魔王城のベッドの話は、今しなくていい。

でも本当に良かった。

そこだけは事実である。

和也が神官へ向き直った。

「神官殿。海王様は本当に拘束も洗脳もされていません」

「勇者殿がそう仰るなら……」

神官はまだ完全に納得していない様子だった。

でも、さっきよりは声が弱い。

アリサの魔法検査。

私の証言。

和也の証言。

魔王軍が攻撃していない事実。

全部が重なって、強硬派の主張は少しずつ弱くなっていた。

ベルゼリアさんが静かに言う。

「我々魔族は、海王様を利用するつもりはありません」

「海王様じゃないです」

私は小声で訂正した。

ベルゼリアさんは少し微笑んだ。

「伊織様を利用するつもりはありません」

「よし」

呼び方が直った。

ちょっと嬉しい。

「魔族領は、人類との全面戦争を望みません。民を守るための防衛は行いますが、侵攻の意図はありません」

将軍が腕を組む。

「魔王の言葉を、全て信じることはできない」

「当然です」

ベルゼリアさんは落ち着いていた。

「だからこそ、交流を始めたいのです。互いに何も知らないまま恐れ続けるのではなく、少しずつ確かめるために」

「交流……」

「境界市場、食文化交換、医療協力、海路情報の共有。まずは小さなことから」

神官が言う。

「魔族と市場を開くなど、民が受け入れるとは」

「最初は受け入れない人もいると思います」

私は言った。

全員がこちらを見る。

見ないでほしい。

でも、言ってしまったので続ける。

「私も最初、魔族領って怖いと思ってたし」

ベルゼリアさんが少しだけ悲しそうな顔をした。

私は慌てて続ける。

「でも、ネブラ村に行ったら普通に暮らしてたし、ご飯おいしかったし、子供もいたし、市場もあったし」

私は将軍と神官を見る。

「知らないままだと、ずっと怖いままだと思う」

これは私自身が感じたことだった。

魔族領は怖い。

魔王城は怖い。

そう思っていた。

今でも少し怖い。

特に海王グッズ倉庫は怖い。

でも、魔族領には暮らしがあった。

温泉があった。

市場があった。

静かな村があった。

知ってしまうと、ただ敵とは言いにくい。

「だから、いきなり仲良くしなくてもいいから、ちょっとずつ知ればいいんじゃないかな」

私は言った。

「一緒にご飯食べるとか、お茶飲むとか。そういうのから」

天幕の中が静かになった。

また大げさに解釈されるのではないかと身構えたが、今回は少し違った。

将軍は目を閉じて、しばらく考えていた。

神官も黙っている。

和也は小さく頷いていた。

「俺も、魔族領で食事をして考えが変わりました」

「勇者殿……」

「魔族を無条件に信じろとは言いません。ですが、知らないまま剣を抜くのは危険です」

将軍は深く息を吐いた。

「勇者殿にそこまで言われては、こちらも考えねばならん」

神官がまだ迷うように口を開く。

「しかし、民の感情は簡単ではありません」

「それも分かります」

ベルゼリアさんが答えた。

「魔族の民にも、人類を恐れる者はいます。過去に家族を失った者もいます。だからこそ、無理に握手させるのではなく、まずは衝突を避ける仕組みが必要です」

レオンが書面をまとめながら言う。

「段階的交流。期間限定。区域限定。軍事行動禁止。第三者監視付き。これなら双方の反発を最小限にできる」

「第三者監視とは?」

将軍が聞く。

レオンは私を見た。

嫌な予感。

「転生者連合、および人魚王国が立ち会う」

「私を見ないで」

「君は象徴として必要だ」

「象徴になりたくない」

「現実的に、君の名前があると双方が暴走しにくい」

「私の名前の扱いが重すぎる」

大輔が穏やかに言う。

「もちろん、伊織さんが実務を担当する必要はありません。実務は私たちが行います」

「本当に?」

「はい。伊織さんは、時々ご飯を食べて、温泉に入り、昼寝していただければ」

「それならできる」

「平和の象徴として」

「やっぱり重い!」

騙された。

ご飯、温泉、昼寝という魅力的な言葉で油断させてくる。

商人は怖い。

本当に怖い。

アリサが書類を覗き込みながら言う。

「監視というより、交流記録の管理ですね。誤情報を防ぐため、会談内容や交易内容を文書化する必要があります」

「それは大事」

ルナも頷く。

「人魚王国も、海路の安全確認と中立的な伝達役を担えます」

「ありがとう、ルナ」

「海王様のためなら!」

「海王様じゃないけどね」

そこはもう、完全には直らない。

分かっている。

分かっているけど訂正はする。

会談は続いた。

正座のまま。

途中で、ついに将軍が足を崩した。

それを見て、神官も崩した。

ベルゼリアさんも少しだけ足を横に流した。

グランさんは最後まで正座を続けようとしていたが、ベルゼリアさんに「無理をしないように」と言われてようやく崩した。

魔王軍四天王が足をしびれさせている姿は、ちょっと面白かった。

でも笑うと失礼なので我慢した。

ミナは普通に笑っていた。

「伊織ちゃん、すごいね。戦争止めた上に、全員足しびれさせたよ」

「後半はいらない」

「でも平和っぽいよ」

「そうかな」

「剣を抜くより、足しびれた方が平和じゃん」

それは確かにそうだった。

剣で傷つくより、足がしびれる方がずっといい。

夕方までには、正式な和平文書の草案が完成した。

名前は、最初に大輔が提案した。

『白石平原停戦および人類・魔族交流協定』

まとも。

とてもまとも。

私は安心した。

しかし、その横に小さく、通称案が書かれていた。

『海王様和平』

「消して」

私は即座に言った。

大輔が静かに筆で消した。

「失礼しました」

「またわざとでしょ」

「半分ほど」

「半分」

油断ならない。

結局、正式名称だけが残った。

よかった。

本当によかった。

協定の内容はこうだった。

一つ、王国軍と魔王軍は即時撤退し、白石平原周辺での軍事行動を停止する。

二つ、魔王領は人類側への侵攻意思がないことを明言する。

三つ、人類側は、海老崎伊織および転生者連合が魔王軍に拘束されていないことを確認する。

四つ、境界市場を試験的に開設する。

五つ、医療、食文化、文献、海路情報の交流を段階的に始める。

六つ、互いの民への誤情報を防ぐため、連絡窓口を設置する。

七つ、温泉は懐柔兵器ではない。

「七つ目、やっぱりいる?」

私はもう一度聞いた。

レオンが言った。

「必要だ。噂の拡散速度を考えると、明文化した方がいい」

「温泉がかわいそう」

「温泉の名誉を守るためでもある」

「そう言われると……」

黒曜石の湯は良い温泉だ。

懐柔兵器扱いはかわいそう。

私はしぶしぶ認めた。

「じゃあ、入れていいです」

こうして、歴史的な和平文書に、温泉は懐柔兵器ではないという謎の一文が正式に入った。

世界は不思議だ。

白石平原での仮協定が結ばれた後、すぐに双方の軍へ発表された。

王国軍はざわめいた。

魔王軍もざわめいた。

しかし、両軍とも前進はしなかった。

将軍が王国軍へ向けて声を張る。

「海老崎伊織殿は無事である! 魔王軍による拘束は確認されなかった! 我が軍は本日、攻撃を行わない!」

和也も並んで声を上げた。

「俺、神代和也も証言する! 魔族領には確かに警戒すべきこともある。だが、今ここで戦う理由はない!」

王国軍の兵士たちがざわめく。

一部の冒険者は不満そうだった。

神官団にも困惑が広がっている。

だが、勇者の言葉は強かった。

剣を抜く者はいなかった。

次に、ベルゼリアさんが魔王軍へ向けて立つ。

「魔王軍全軍へ告げます。本日、この場で戦闘は行いません。我らは民を守るために剣を持ちます。誤解から戦を始めるためではありません」

魔王軍の兵士たちは一斉に膝をついた。

「ベルゼリア陛下に忠誠を!」

「魔王領に平穏を!」

そこまではよかった。

だが、グランさんが続けて叫んだ。

「そして、海王様の御心に感謝を!」

「グランさん!?」

魔王軍が一斉に反応した。

「海王様に感謝を!」

「海王様万歳!」

「海王様万歳!」

「まだ早い!」

私は叫んだ。

しかし声はもう広がってしまった。

魔王軍側から上がった「海王様万歳」が、平原に響く。

王国軍側がざわめく。

すると王国軍の一部、特に私の村から来ていたらしい冒険者たちが反応した。

「海王様が戦争を止めたぞ!」

「やはり海王様だ!」

「海王様万歳!」

「そっちも!?」

王国軍側にも広がった。

あっという間だった。

魔王軍から。

王国軍へ。

冒険者へ。

人魚王国の海路部隊へ。

平原全体に、謎の海王様万歳が広がり始めた。

私は頭を抱えた。

「違うのに……」

ミナが笑いすぎている。

「伊織ちゃん、また勝手に持ち上げられてる」

「持ち上げないでほしい」

ルナは感動していた。

「海王様の名が、人類と魔族を繋いでいます……!」

「繋がなくていい」

「いいえ! これは歴史的瞬間です!」

歴史的瞬間。

またその言葉。

私はその言葉が最近怖い。

だいたい私の肩書きが増える時に使われる。

その日のうちに、王国軍と魔王軍はそれぞれ陣を下げた。

完全撤退ではない。

警戒は残る。

でも、戦闘態勢は解かれた。

白石平原の中央には、臨時の交流窓口が設置された。

最初に交換されたのは、王国側の白パンと、魔族側の黒蜜菓子だった。

「なんでパンとお菓子?」

私が聞くと、大輔が答えた。

「象徴的な第一歩として、食文化交流を」

「食べていい?」

「もちろんです」

私は白パンと黒蜜菓子を食べ比べた。

どちらもおいしい。

「どっちもおいしい」

その一言で、周囲がまたざわめいた。

「海王様が認めたぞ」

「人類のパンと魔族の菓子が共に」

「平和の味だ」

「大げさ」

でも、悪い気分ではなかった。

ご飯がおいしいのは大事だ。

それを一緒に食べられるなら、少しは仲良くできるかもしれない。

たぶん。

数日後。

正式な和平締結式が行われることになった。

場所は、白石平原ではなく、私の海辺の村と魔族領ネブラ村の中間にある中立港。

理由は、海路も陸路も使いやすいから。

そして、魚がおいしいから。

これは私が言った。

大輔が正式理由っぽく整えてくれた。

「食文化交流の象徴として、海産物の豊かな中立港を選定」

言い方が上手い。

でも要するに魚である。

式典当日。

私はものすごく帰りたかった。

いや、式典会場が海辺だったので、半分帰っているようなものなのだが、それでも帰りたかった。

会場には多くの人が集まっていた。

王国軍。

魔王軍。

人魚王国の使節団。

転生者連合。

商人たち。

冒険者。

村人。

魔族の民。

人類側の民。

そして、なぜか観光客。

どこから聞きつけたのか、海王様グッズを持っている人までいる。

やめてほしい。

私は式典用の席に座っていた。

もちろん中央。

また中央。

私の隣にはミナ。

反対側にはルナ。

その近くに和也、アリサ、大輔、レオン。

さらに王国の王様。

魔王ベルゼリア。

人魚王国の国王までいた。

人が多い。

偉い人が多すぎる。

私は完全に場違いだった。

「伊織ちゃん、すごい顔してるよ」

ミナが小声で言う。

「帰りたい顔?」

「うん」

「正解」

「でも今日で第四部の締めって感じだよ」

「第四部とか言わないで」

メタいことを言われた気がした。

気のせいだと思うことにした。

王国の王様は、初めて見る人だった。

立派な王冠。

白い髭。

金と青の衣装。

いかにも王様という見た目だ。

ただ、私を見る目がすごく優しい。

「そなたが海老崎伊織殿か」

「はい。海王様じゃないです」

先に言った。

王様は少し笑った。

「聞いておる。そなたはそう言うそうだな」

「本当に違うので」

「うむ」

本当に分かっているのか怪しい。

でも、王様は少なくとも怒ったりしなかった。

ベルゼリアさんは今日も綺麗だった。

黒い式典用のドレス。

銀の髪。

紫の瞳。

魔王としての威厳がある。

でも私を見ると、すぐに柔らかい顔になる。

「伊織様、本日はありがとうございます」

「私は座ってるだけです」

「その座っておられることが、大きな意味を持ちます」

「持たないでほしい」

ルナの父である人魚王国の国王も来ていた。

相変わらず威厳がある。

そして私を見るなり頭を下げた。

「海王様」

「違います」

「本日は海と陸と魔の和平、まことに喜ばしきこと」

「話を進めないで」

もう訂正が追いつかない。

式典は、大輔の進行で始まった。

商人なのに、こういう場の仕切りがやたら上手い。

「本日ここに、人類側王国、魔王領、人魚王国、転生者連合立ち会いのもと、白石平原停戦および人類・魔族交流協定を正式に締結いたします」

拍手。

大きな拍手。

私は思わず肩をすくめた。

歴史的な場らしい。

でも私の頭の中には、早く終わって魚を食べたいという気持ちが半分くらいある。

残り半分は、帰りたい。

王様が署名した。

魔王ベルゼリアが署名した。

人魚王国の国王が署名した。

和也が署名した。

アリサ、大輔、レオンも署名した。

ルナも署名した。

ミナも漁村代表として署名した。

そして最後に、私の番が来た。

また署名。

本当に最近、名前を書きすぎている。

私は筆を持った。

書面を確認する。

海王様とは書いていない。

よし。

私は丁寧に名前を書いた。

海老崎伊織。

その瞬間。

会場が大きな拍手に包まれた。

なぜか、鐘まで鳴った。

「鐘!?」

私は驚いた。

大輔が小声で言う。

「和平締結の合図です」

「びっくりするから先に言って」

「失礼しました」

鐘の音が海に響く。

人類側の旗と魔王領の旗、人魚王国の旗、そして転生者連合の旗が並んで掲げられる。

転生者連合の旗には、中央に白い伊勢海老が描かれている。

なぜか。

いや、理由は知っている。

でも納得していない。

続いて、交流の第一歩として、小さな市場が開かれた。

人類側のパン。

魔族側の黒蜜菓子。

人魚王国の干し魚。

海王温泉まんじゅう。

魔族領の光る茸。

王国の果実酒。

魔王城の茶葉。

いろいろ並んでいる。

人類の商人と魔族の商人が、最初はぎこちなく話していた。

でも、値段の話になると急に商人同士の顔になった。

「その茶葉、一袋いくらですか?」

「こちらの干し魚と交換なら、二袋出せます」

「それでは少し足りませんね」

「ほう。なかなか言いますね」

大輔が満足そうに頷いた。

「商売は言葉の壁を越えますね」

「そうなの?」

「はい。利益が絡むと皆真剣です」

「それはそれで怖い」

ミナは魔族の漁師と魚の焼き方を話している。

ルナは人魚王国の海産物を紹介している。

アリサは魔族の研究者と文献交換の相談。

レオンは王国と魔王領の連絡経路を整備している。

和也とグランは、なぜか並んで市場の警備をしている。

勇者と四天王が並んでいるのに、誰も戦っていない。

少し不思議だった。

「グラン」

「何だ、勇者殿」

「その黒蜜菓子はうまいのか」

「うまい」

「そうか。一つ買ってみる」

「ならばこちらの店が良い」

「詳しいな」

「海王様がおいしいと仰った店だ」

「それは買う価値がある」

「広めないで」

私は遠くから叫んだ。

また海王様おすすめ商品が増えそうだった。

危険である。

昼過ぎ。

式典の最後に、王様が壇上に立った。

人類側の王様。

魔王ベルゼリア。

人魚王国の国王。

三者が並ぶ。

その中央に、なぜか私も呼ばれた。

行きたくなかった。

でもミナに背中を押され、ルナに手を引かれ、結局壇上へ上がることになった。

人が多い。

視線が多い。

帰りたい。

王様が穏やかな声で言った。

「本日、我々は戦を避け、対話の道を選んだ」

会場が静まる。

「人類と魔族の間に積もった不信は、一日で消えるものではない。しかし、今日ここに、剣を交える前に言葉を交わす道が開かれた」

王様の声はよく通った。

さすが王様。

「そのきっかけとなったのは、海老崎伊織殿の一言であったと聞く」

嫌な予感。

「みんな落ち着いて話そう」

会場がざわめいた。

「その単純でありながら大切な言葉が、我々を戦から遠ざけた」

「そんな大げさじゃ……」

私が小声で言うと、ミナが横で笑った。

「もう諦めなよ」

「嫌」

王様は私へ向き直った。

「伊織殿に感謝を」

会場が拍手に包まれる。

私は困って頭を下げた。

「いえ、私は本当に……」

その時。

ベルゼリアさんが一歩前へ出た。

「魔王領もまた、伊織様に深く感謝いたします」

「ベルゼリアさん」

「古き盟約は、今日、新たな形で結ばれました」

「重い」

ベルゼリアさんは微笑む。

そして、よく通る声で言った。

「海王様万歳」

「え」

魔族側が一斉に続いた。

「海王様万歳!」

「海王様万歳!」

「海王様万歳!」

私は固まった。

やめて。

お願いだからやめて。

すると、人類側の冒険者たちも反応した。

「海王様万歳!」

「海王様が戦争を止めたぞ!」

「海王様万歳!」

「人類側まで!?」

人魚王国の使節団も続いた。

「海王様万歳!」

「海の守護者に祝福を!」

「海王様万歳!」

ルナが涙ぐんでいる。

「海王様……!」

「ルナ、止めて」

「無理です!」

無理らしい。

魔族も。

人類も。

人魚も。

商人も。

冒険者も。

兵士も。

市場の店主も。

なぜか観光客まで。

会場中が一つになって叫び始めた。

「海王様万歳!」

「海王様万歳!」

「海王様万歳!」

私は両手で頭を抱えた。

王様が感謝し。

魔王が海王様万歳と言い。

魔族が海王様万歳と続き。

人類まで海王様万歳と叫ぶ。

ついに、人類と魔族が一緒に私を担ぎ上げ始めた。

平和になったのは良い。

戦争が避けられたのは、本当に良い。

交流が始まったのも、たぶん良い。

でも。

これは違う。

絶対に違う。

私は壇上の中央で、顔を真っ赤にしながら叫んだ。

「だから違うってぇぇぇ!!」


お読みいただきありがとうございます。


第四部「魔王軍編」、これにて完結です。


魔王軍襲来から始まった騒動は、敵対ではなく歓迎、魔王との面会、交流協定、そして戦争寸前の誤解を経て、ついに人類と魔族の和平へと辿り着きました。


伊織本人はいつも通り「違う」「帰りたい」「静かに暮らしたい」だけなのに、結果として世界平和の英雄扱いです。


しかも最後は、人類も魔族も人魚も一緒になって「海王様万歳」。


本人の否定は、今回も届きませんでした。


次章では、いよいよ邪神ロブスターに関わる謎が動き出します。

海王伝承、古き盟約、そして伊織に似た存在の正体。


伊織のスローライフは、まだまだ遠そうです。

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