第3話 言葉が分からん
竜車の乗り心地はお世辞にもよいとは言えなかったが、それは贅沢というものだろう。
黒塗りの竜車はそれはそれで上等のものに見えたが、先ほどの臙脂の服の男と少女はさらに大きな赤塗りの竜車に乗り込んでいった。
竜司が丁重ではあるものの半ば押し込まれるように座らされた竜車は、向かい合って8人くらいは乗れそうな大きさがあった。ただし竜司の後に鎧を着た大男が一緒に5人乗り込んできたので、急に狭く感じる。
兵士たちは三十路の竜司より少し若そうに見える男たちだった。竜司に興味津々なのか、指を指しながらしきりに話しかけてくるが、当然のように何を言っているのかが分からない。
捕まって逆に安心したものか、急に現実が押し寄せてくる。
どうやら俺は落馬して死んじまったらしい。夢にしてはリアルすぎる。
そしてここは天国にも地獄にも見えない。おまけにドラゴンまでいる。まさかこれがもしかしてラノベとかで描かれていた、異世界転生というものなのだろうか。
場合によっては野蛮人だらけのところに放り出されてもおかしくなかったんだ。ある程度発達しているところに来てよかったじゃないか。いきなり騒動に巻き込まれたとは言え、偶然にも偉い人のおてんば令嬢を助けられて相当幸運だったんじゃないだろうか?
一人の男が革袋から何かを飲んだので、ついガン見してしまった。埃っぽいのもあって喉が渇いて仕方なかったのだ。笑いながら差し出されたので一口飲んだが、何かの乳製品のような酒だった。マッコリみたいな?咄嗟に吐き出しそうになるが、怒られそうなのですぐに飲み込む。
もしかしたらただの水のほうが高級品なのかもしれない。
しかめっ面になったのを見て、男たちはさらに笑った。同僚同士、仲がよさそうなのは大変によろしい。
とりわけ大柄な陽キャが竜の鳴きまねをしだして、横の男がその首を撫でてなだめる。周りがこちらを見ながら、大げさなほどガハハハと笑った。
さっきの俺の真似だろうか。
「おいおい、やめろって」
思わず苦笑すると、言葉は通じないくせに、なぜか余計ウケた。
大きな飛竜の暴走なんて、こいつらにとっても相当な修羅場だったのだろう。
死にかけた後の妙な高揚感。ビッグレースの後の検量室を少し思い出した。
笑い声がひとしきり落ち着いたころ、まだふざけあう兵士たちを尻目に、竜司は揺れる竜車の窓から外を眺める。
通りには車輪の散らす乾いた砂埃が舞っている。
道沿いに並ぶ家々は、ほとんどが土色をした平屋だった。アフリカの映像で見たことがあるような、干しレンガ造りに近い。木材が少ない地域なのかもしれない。
屋根も平たく、日差しを避けるためか布が渡されている家も多かった。
街には活気がある。だが空気はひどく乾いていた。鼻の奥まで砂っぽい。
サウジのダートってこんな感じなんだろうか、と竜司はぼんやり思う。現地経験はないが、海外遠征帰りの騎手が「砂が軽い」とよく話していた。日本のダートより脚抜きがよく、馬がスピードに乗るとか何とか。まあ俺は芝のほうが好きだったけどな。
ってどこまで競馬のことばっかり考えているんだとセルフツッコミして笑う。
やがて、道沿いの家々が少しずつまばらになり始めた。人通りも減る。
干しレンガの平屋が途切れ、代わりに背の高い壁が見え始めたところで、竜司は思わず目を見開いた。
――でかい。
車窓の向こうに現れたのは、街並みから明らかに浮いた巨大な石造りの邸宅だった。
まさかと思ったが、竜車はまっすぐにそこへ向かっていく。
白に近い灰色の石壁。高い門。広い敷地。まるで小さな城だ。
いや待て。
この乾燥した土地で、こんな大量の石をどこから持ってきたんだ。
竜司はそちらのほうが気になった。運ぶだけでも気が遠くなる。馬でも嫌になる量だ。いやこの世界なら竜か。どちらにせよ、とんでもない金が動いている。
つまり、あの臙脂色の服のおっさんは、とんでもない大物ということだ。
竜車が重々しい音を立てて門をくぐる。
門の先の邸宅の前には竜を寄せる広々としたロータリーがあった。この世界でロータリーと表現できるものがあるのがそもそもおかしいのかもしれなかったが、紛れもなくこれはロータリーだ。
兵士のうちの一人が背中を手で押して降りろと指図する。乗せるときよりは少し距離が縮まった分、所作が雑だった。だが悪い気はしない。
邸宅へ足を踏み入れた瞬間、ひやりとした空気が肌を撫でた。
涼しい。分厚い石壁が熱を遮っているのだろう。外の熱気が嘘みたいだった。
兵士たちの誘導で、竜司は長すぎる廊下を通った先の部屋へ通される。
長机と椅子だけが置かれた簡素な部屋だったが、それでも十分広い。
というか広すぎる。下手な厩舎より広いんじゃないかこれ。壁も床も石造りだ。この世界、石ってそんなにポンポン使える素材なんだろうか。いや絶対高いだろ。どんだけ金持ちなんだあのおっさん。
兵士たちは入口付近に立ったまま、時折こちらを見て笑っていた。よほど所在なさげな顔に見えるのかもしれない。
あの大柄な男など、また竜の鳴き真似をして周囲に肘で小突かれている。すっかりいじられ役らしい。少しだけ気が緩んだ。
しばらくして重たい扉が静かに開き、あの臙脂色の服の男が入ってくる。
これが金持ちの威厳か、重厚な建物に存在感がマッチして先ほどよりも緊張する。
次いで驚くほど白い服を着たとんでもない美人が後を追ってくる。浅黒い肌にくっきりとした目元が特徴的で、思わず見惚れる。見すぎてついに目があってしまって、慌てて目を逸らす。
美人さんは水差しをもっており、傍に置いてあるガラスに水を注ぐ。
どっからどう見ても普通にガラスのグラスで、改めて場違い感に圧倒される。男に促されて二つ目のグラスに注ぎ、それを竜司に渡してくれた。近くに来るだけで照れてしまう。
同時にグラスがひんやりとしていることに驚く。さっきのマッコリもどきでは全然喉の渇きは癒えていない。はじめはそっとグラスに口をつけたが、あまりの水の美味さにあっという間に飲み干してしまう。
美人さんは、空になったグラスと竜司の顔を見比べ、目をまん丸くした。次の瞬間、くすりと笑う。
そして、にっこりしながらお代わりを注いでくれた。
惚れてまうやろー!
ついにやけてしまいそうになるところ、つとめてクールな表情を保つ。
水をさらにごくごく飲んでしまった。
臙脂の服のおじさんは、もう竜司に言葉が通じないことを承知で、コミュニケーションを取ることを半ば諦めている様子だった。
美人さんは奥さんという雰囲気というよりは、女中さんという感じだった。
どんな世界でも、金持ちは美人を側に置きたがるらしい。くそう、気持ちは分かりすぎる。
一言二言言葉をかわし、どうやら主からの追加の指示がないことを確認して部屋を出ていく。
入れ替わりに、奥のドアから痩せた老人が入ってきた。白髪をきっちり撫でつけ、片眼鏡のようなものをかけている。
執事――という言葉がしっくりくる。
老人は部屋へ入るなり、竜司を値踏みするように細い目で見た。気まずい。
競馬学校の厳しい教官を思い出す、この感じ。
臙脂の男が何かを話す。低く、落ち着いた声だった。だが当然、意味は分からない。
老人が眉をひそめる。返事は短い。どうやら意見が割れているらしかった。
老人は露骨に警戒している。
そりゃそうだろう。どこの誰とも分からない黒髪の男を迎え入れて、何やら処遇を話されているのだ。
おまけに訳の分からぬ技で突然現れて暴れる飛竜を止めてみせたと来てる。
俺でも怖い。
老人の視線が、竜司の腰や腕を順番に見る。武器を隠していないか探っているのかもしれない。
空気がさらに張り詰めた、その時だった。
ぱたぱたと軽い足音が近づく。勢いよく扉が開いた。
「あーっ!」
赤茶けた髪の少女だった。
先ほどの少女は、ずかずかと部屋へ入ってくるなり、何やら大人二人へ早口でまくし立て始めた。
臙脂の男が困ったように眉を下げる。執事の老人は露骨に嫌そうな顔をした。
だが少女は気にしない。ぴしり、と小さな指で老人を指差して何か言う。
説教してる?兵士たちが後ろで吹き出した。
少女は、くるりと竜司へ向き直った。そして、自分の胸へ手を当てる。
「ミコ!」
ぱちぱちと大きな目が期待するようにこちらを見ていた。
「ミコ?」
思わず復唱すると、もう一度指で自分をつんつんしながら「ミコ!!」
……ああ、名前か。
竜司は少し迷う。高橋竜司。
名字から言うべきか?いや、この世界だと変かもしれない。
「……竜司」
自分の胸を指差して名乗る。
少女の顔が、ぱっと明るくなった。
「リュージ!」
発音が少し違う。
「リュージ、リュージ!」
嬉しそうに繰り返して笑う。
ひええ可愛いすぎるぜ、と竜司は思った。
なんだこの生き物。さっきまで命懸けだったくせに、妙に懐っこい。
ミコは満足そうに何度もうなずくと、今度は後ろの大人たちへ振り返り、まるで「ほら大丈夫でしょ!」とでも言いたげに胸を張った。
執事の老人が深々とため息を吐く。臙脂の男は、そんな二人を見て小さく笑っていた。
自分から何かを伝えないのも悪い気がして、臙脂の男に両手を合わせて申し訳なさそうに拝むようなポーズをしたら、気にするなって感じのジェスチャーが返ってきた。
さすがミコのパパ?だな。実はいい人なのかもしれない。
その日はその後に広すぎる寝室に通され、そのまま日没を迎えた。当然室内に電気はなく、黄昏時にそっと美人さんが燭台を置いていってくれた。
死んだにしては恵まれすぎてやしないか?
言葉を覚えたい。そんなことを自然に考えている自分に気づいて、竜司は苦笑した。
……順応性、高すぎるだろ俺。




