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第1話 落馬、そして転生

「あぶねえ!!」

誰かの声かすらも分からないまま、反射的に手綱を握るが、内ラチ沿いにもはやスペースはない。

前にも横にも、逃げ道が消えていた。


第3コーナーから第4コーナーへ差し掛かるところだった。

外枠から斜行して押し寄せる500キロを超える他馬。

まさに息をあげてスパートをかけようとしていた愛馬の、微かな悲鳴を聞いた気がした。


いくら天才騎手高橋竜司と言えど、逃げ場が無ければさばきようもない。

バランスを崩した愛馬シュウヘイの足が空を切るのが見えた。

視界の隅、スローモーションで柵が迫る。

せめて馬体から離れねばと足掻いたが、何かが絡んで離れなかった。


背中に衝撃。次いで馬体がのしかかってくる。

だが未だ意識のどこかで愛馬を心配している。勝ちたかった。


「おいお前、熱いな」

竜司が最後に感じたのは愛馬シュウヘイの熱だったか。

スッと意識が暗転する。


****************************


年に一度のビッグレースを見に押し掛けた大勢の群衆の織り成す空気は、あまりに荒れたレースを前に一変していた。一番人気の落馬で自らの馬券を放り投げたものもいる。

だが大方のファンは巨大な馬の下敷きになった竜司の身を案じ、結果は二の次で馬券を握りしめていた。


その中にとりわけ怒り狂っている男の姿があった。

レースを楽しみに覗きに来ていた賭け事の神ニチャ・ヌケテールである。


「は!?あの騎乗あり得ねえだろ!?」

加害馬の騎手の乗り方にめちゃくちゃ腹を立てていた。竜司の馬の手ごたえは抜群だった。レースがそのまま進めば、勝ち負けまで間違いなかっただろう。

神の予想馬券はもちろん竜司の馬の1着固定の3連単流し。

これは神の予想を超えたアクシデントである。


労を惜しまずに現場を見に来る上司がいい上司であるように、賭け事の神がちゃんと現場に出張ってくるのは実はよいことである。

ニチャは腐っても神であるし、仕事をするほうの神であった。

我に返るころには事態を把握してすぐに動き始めていた。


事態は最悪であった。竜司の死と、愛馬シュウヘイの予後不良である。

事態を悟った0.000000000002秒後にはニチャの姿は、人類の生死を所管する属神シランシの元にあった。

「お忙しいところ恐縮ですが、少しお時間を頂戴してもよろしいでしょうか?」

ニチャは神である。属神よりも上の立場である。しかし頼むごとをするときは、誰が相手でもとりあえず下手に出たほうがよいことを、これまでの5恒河沙年の神縦社会生活で悟っていたのである。

「ニチャ様珍しいですね。大丈夫ですよ?」

「東京競馬場の落馬事故で高橋竜司が死にそうなんですが、何とか改変できませんか。ひどいアクシデントだったんです」

「あーまだ亡くなってないので、管理番号がまだ出ていないですね。対応できませんね」

上司を出せええええええええと思ったが、ニチャは堪えた。生死に関わる神は皆融通が利かないのである。

「すみません、もし死が確定になったら、転生手続きの方だけお願いしますね」


さらに0.000000000000000000000083秒後、ニチャの姿は転生を所管する続神イキの元にあった。

「忙しいところ悪いけど、ちょっと時間いいかな?」

「いいけど?なに?」

ちなみにイキは歴が浅いギャルである。ギャルにはギャルへの接し方があるということをニチャは知っている。

「ありがとう。高橋竜司ってやつが死にそうになっててこれから回ってくるんだよね。競馬って知ってる?そう……馬って動物に人間が乗って競うんだよ。そして乗る人は騎手って言うんだけど、彼はとてもいい騎手なんだ。今日の第2レースも馬がこうラチに寄れるのを左手前からこうやってね……」

残念なことにニチャは好きなことを語りだすと止まらない爺さんだった。これには5恒河沙年の経験は関係ない。ノリのいいギャルを相手にオタクトークは弾んだ。


「あ、回ってきたよ?これじゃない?」

そんなこんなで高橋竜司の死が確定したようだ。

「頼む、こいつの天才的な騎乗能力がどうにか生きるシチュエーションで転生してやってくれないか?」

「ええええええむずっ!うちも細かくはあんま操作できないんだよね……相当苦労すると思うけどなあ」

「できるだけでいいからっ」

もはやニチャも必死である。

「分かったよーもう今度ケーキおごってね!」

おじさん、かわいこちゃんのためなら余裕である。


どうにか話がついたところで、ニチャはほっと一息をついたのだった。



さて。よくある転生ものでは綺麗な女神様が転生前の本人の前に現れてステキな説明をしてくれたり、要望のヒアリングをしてくれたりするが、あれはフィクションである。

本当は川もお花畑もない。アクシデントな転生処理であればなおさらである。

実際のところは突如、訳のわからない世界へ訳の分からないままへ放り出されるのである。


というようなことをたった今死んでしまった稀代の天才騎手、高橋竜司はまだ全く知らない。


賭け事の神のニチャ・ヌケテールのミドルネームは「クガ」です。

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