第二十五話 本当は、
虚子にとって、今日ほど特別な日は無かった。
雹吾が隣にいる。
虚子のために。
クレープを一緒に食べて。
いろんな服を試着して。
観覧車から見えた、赤くなり始めた夕日は、一生忘れない。
「ね、ねえ、雹吾君」
「なに?」
「今日は時間無かったけどさ。
映画でも見に、また来ない?」
虚子としては、これは勝負だった。
今日はあくまで、ルナが別行動をしたための、偶然転がって来た幸運に過ぎなかった。
だけど、別の日でのデートの約束は、違う。
正真正銘、虚子のために時間を取って欲しいという願い。
角度を変えてみれば、愛の告白に他ならない。
虚子の心臓は、高鳴り過ぎて痛いほど。
雹吾が思案している時間は、永遠のようで。
やがて、雹吾が口を開く。
「うん。いいよ。一緒にまた来よう」
その瞬間、虚子の目からは、ぽろりと涙が零れた。
そして、これ以上は無いと言うほどの、幸せな笑顔で、
雹吾の腕に抱き着いた。
★
午後四時。
帰りの集合時刻。
火車バスの中には、既に半数ほどの生徒が戻っていた。
雹吾と虚子も、バスの階段を登り、奥へ進む。
夏美と麻子と和男は、既に着席してお喋りに耽っていた。
夏美が、虚子に気づき、翼を振る。
「あ、虚子! おかえりー」
「ただいまー!」
虚子は、雹吾の後ろの自席に座る。
ここから先の時間は、雹吾の隣はルナの場所。
少し寂しいが、それでも雹吾の真後ろの席にいられるのは、なんだか少し幸せだ。
麻子が、虚子の恰好を見て、話しかける。
「あれ? 虚子、服が変わってない?」
「あ、うん。服、買っちゃった。かわいいでしょ」
両手を広げて、雹吾にチョイスしてもらった服を見せびらかす。
雹吾に買ってもらったなんて、決して言えない。
麻子と夏美が、騒ぎ立てる。
「え、かわいい!」
「いーじゃん、似合ってるよ!」
そこに、和男が加わる。
「おお、そういえば、虚子氏も、アームズオーブ持ちになりましたぞ!」
「えっ、ほんと?」
「見せて見せて!」
虚子は、雹吾の事ばかり考えていたため、不意の質問に頭が回らなかった。
「え? あ、そうそう。アームズオーブ、ここに……」
鞄を開けて、内側を見せる虚子。
そして、ようやく思い出す。
今、アームズオーブの銀の板に刻まれているのは……。
虚子が開けた鞄の中を、みんなが見る。
そこには『神野』の姓が刻まれた、アームズオーブのキーホルダー形態。
その瞬間、咄嗟に鞄を閉じる虚子。
(み、見られたっ!?)
鞄を開いたのは、ほんの一瞬。
誰にも見られていないことを願う。
ちらりと、三人の顔を伺う虚子。
麻子も、夏美も、和男も、顔が固まっていた。
夏美が、掠れた声で問いただす。
「……えっ。 う、うろこさん、マジっすか」
「……」
麻子が、わざとらしく声を上げる。
「あ、あー、私、何も見てないよー」
「……」
和男が、しょんぼりと虚子を見る。
「そ、その……。すまぬ。虚子氏」
「……」
……バッチリ見られていた。
虚子の前列に座る雹吾が、騒ぎに気付き振り向いた。
「ん? どうしたの?」
夏美たち三人は、慌ててごまかす。
「あー! なんでもないよ!」
「ほら、虚子ちゃんの新しい服、かわいいなって!」
「似合ってますぞ! 虚子氏!」
それを聞き、雹吾は明るい笑みを浮かべる。
「でしょ。かわいいよね」
そして満足した雹吾は、また前を向く。
虚子たち四人は、冷や汗がダラダラだ。
夏美が、虚子の耳元でひっそりと会話をする。
「……え、虚子たち、デキちゃったの?」
「デキてない」
「じゃあ、さっきの、勝手に苗字変えたの?」
「……うん」
「……で、どうすんの?」
「どうもできないよ」
「……だよねぇ」
相手は、婚約者持ち。
多妻ができるレッド人じゃない。
この気持ちは、胸にしまっておく以外の道はないのだ。
でも、いいんだ。
たまに、こうやってブラッとデートして。
たまに、今日みたいに腕を組んで。
それだけできれば、もう十分。
嘘だけど。
本当は、もっと深い関係になりたい。
本当は、愛して欲しい。
本当は、ずっと一緒にいたい。
それはきっと、永遠に叶わない夢。
一組の集団が、バスに乗り込んできた。
その中に紛れ込んでいたルナが、雹吾の元へと駆け寄る。
他の男に手を引かれていったくせに。
「雹ちゃん! 見て! おみやげ!」
ルナは雹吾に、小さくて細い物を渡す。
印鑑だ。
「私もおんなじ。雹ちゃんとおそろい!」
『神野』の姓の印鑑。
ルナは、雹吾の腕に絡みつく。
無邪気なその仕草に、虚子は嫉妬する。
ルナが気軽に座っている場所は、虚子がどんなに望んでも座れない場所。
そして一組の集団の後からは、ヘイムダルたちがバスに乗り込んできた。
サイバーグラスを掛けたムニンが、雹吾へと告げる。
「雹吾様。
雹吾様がご覧になったこと以上のことは、起きておりません。
ご希望ならば、一部始終の録画データをお渡しいたします」
「ありがとう。もしかしたら、貰うかも」
ムニンの言っていることが理解できないのか、首を傾げるルナ。
ルナの持っている唐傘から発せられている右美の声が、雹吾へと囁く。
「でも、十分アウトだよねぇ?」
「……うん」
ちからなく同意する雹吾。
たぶん、ルナは本当に悪意無く、新たな友人たちと純粋にレジャーを楽しんでいたのだろう。
でも、今日一日で雹吾の心は擦り減ってしまいそうだった。
すると、雹吾の顔に影が差す。
誰かが、雹吾の前に立っていた。
一組の学級委員長、三つ目の少年・恵比寿君だ。
恵比寿君は、こころなしか、げっそりとした表情で、雹吾に頭を下げる。
「神野君。ごめん。
佐村にはおかしな真似はさせないから、どうか許してほしい」
「おかしな真似、もうしてるけどね」
「おっしゃる通りで。
でもあいつは、これ以上のことはしない男だ。
キスもまだしたことがないって言ってた。
だから、その、男女の仲にはならない、と思う」
そして恵比寿君は、再三あやまり通したあと、よろよろと自席へ向かった。
ルナは、今の話題が自分の事だとは思っていないようだ。
最後に残ったのは、ヘイムダル。
ヘイムダルは、厳しい目でルナを見つめる。
「ルナお嬢様。
婚約者がいる身という意味を、もう一度お教えせねばなりませぬな。
帰ったら、共有スペースの談話室へ、必ず来てください」
「……え? う、うん」
「雹吾様。どうか、ルナお嬢様をまだ見捨てないでください」
「……」
雹吾は、その懇願には応えられなかった。
ヘイムダルは目を伏せると、車両後方の護衛席へと歩き去る。
こうして、火車バスは出発する。
その車輪の跡は、複雑に絡み合っていた。




