プロローグ
月明かりが少女と病室を照らしていた。その少女はベットの上に座りどこか彼方を見ている。何を思い考え、何を瞳に映しているのだろうか?
この虚空を見つめている少女の名前は高木憂
憂は外から目を外し、部屋の中を見渡した。闇の中に光るものを見つけ、それを見て憂は力なく微笑む。憂が見つけた物。それはナイフだった。闇夜に光る鋭い刃。人を、自分を傷つけることが出来るもの。
憂はナイフを握り締め、戸惑うことなく、自分の手首を切りつけた。白いシーツの上に真っ赤な血が零れ落ちていく――…。血がシーツの上に零れシミをつくる。その赤いシミは血溜りをつくり、じわじわと広がって行く。次々と溢れ出す憂の真っ赤な血。それはとても鮮やかで美しい。真っ白な世界に色がつく。
「――何もかも、真っ赤」
憂はそれを止めようとはせず、ただ嬉しそうに見ているだけ。その姿は誰が見てもおかしいと思うだろう。血を見て笑う人間なんて誰も居ない。憂は壊れたロボットのようにケタケタと笑っているだけ。憂の笑うその瞳は何も写していない、色の無い瞳。憂の眼に移っているのは、鮮やかな赤色。
「あ、お月さまだぁ」幼い子供の様にはしゃぎ、空に浮かぶ月を見る憂。
鮮明に蘇るあの残酷な日。あの時も確か、月が出ていたような気がしたが、そう思って心の奥にある思い出を憂は閉ざす。硬く、重く音を立て、思い出という扉に鍵を掛ける。思い出してはならない過去。余りにも残酷で悲しい誕生日。母親が殺されたあの一日。だから、思い出してはならない。思いに浸ってはならない。
憂は再度、腕を切った。滴り落ちる血。それを眺め眼を伏せる。月夜が憂の顔に影を作った。
終わってしまった出来事、時間はもう取り戻せないのだから――。だから憂は諦めた。失った時間を戻すのを一から、諦めた。自分は何もしても光を手にいれられない。その光に手を伸ばす事だって、助けを求めるのでさえ出来ないのだから。
希望は在ったのかもしれないのに、その光に背を向け闇の中へと足を踏み入れたのだ。戻れぬ闇へと憂は自ら足を向けた。
此処は、ただの箱の中―――。その中に在るのは、消しきれない記憶と忘れられない愛。憂はここで生きる意味を、感情を失った。