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ティオとエレンの事件簿  作者: 神蔵(旧・和倉)眞吹
Extra case book とある誘拐事件の顛末
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Accident.1 不自然な落とし物

 目の前が次第に暗くなる。重くなる一方の瞼に纏い付いているのは、『睡魔』以外の何者でもない。

 あと一歩で、眠りの淵に転げ落ちそうになった瞬間、感じた殺気に、ハッと翡翠の瞳が見開かれた。直後、キャスターの付いた椅子は、座した人物ごと、素早く平行移動する。

 ガンッ、というイビツな音と共に、重そうなファイルがキーボードを直撃し、デスクトップのパソコン画面が無惨な有様になった。

「――ッ、おいティオ! 何避けてくれちゃってんだよ! パソコンが一つお釈迦になったじゃねーか!!」

 途端、ファイルを振り下ろした主が、甲高い悲鳴を上げる。

「……何言ってやがんだ、自業自得だろ」

 まだ眠たげな翡翠の瞳を、呆れたように細めて言ったのは、極上の美貌の持ち主だ。

 最上級の翡翠の瞳を縁取っている、子猫のようなアーモンド型だった目元は、徐々に切れ長になりつつある。綺麗に通った鼻梁の下と、その下にある薄く引き締まった唇が、小振りな逆卵形の輪郭の中で絶妙な配置に納まっていた。中性的な美貌は、どちらかと言えば女性寄りだったが、彼はれっきとした少年だ。

「避けてなきゃ、今頃そうなってんのは俺の頭だぜ」

 あふ、と漏れたあくびをかみ殺した、ティオ、ことティオゲネス=ウェザリーは、おもむろに立ち上がった。

 その視線の先には、文字の羅列だけになった画面を、愕然と見つめるラッセル=ギブソン刑事の姿がある。彼の顔立ちも、なかなか端正なそれだ。しかし、ティオゲネスと並ぶと、悲しいかな、その容貌は霞んで見える。

「くっそ……ホントーにすっかり調子取り戻しやがってぇ……」

 半泣きになったラッセルの、琥珀色の瞳が、それはもう恨めしげにティオゲネスを見据えた。しかし、当のティオゲネスは動じない。

「悪いな」

「悪いな、じゃねぇよ! 元はと言えば、お前が居眠りこいてんのがいけねーんだろが!」

「そりゃ、残念だったな。完全に居眠りしてたら、多分あんたの攻撃はちゃんとヒットしてたろーぜ」

 はあ、と溜息を吐いて、キーボードの上からファイルをどかした。

 しかし、画面は元に戻らない。襲い来る睡魔と闘いつつ、打ち込んだデータがパーになったかも知れない訳で、ショックを受けたいのはティオゲネスも同じだ。

 とにかく、呆然としていても始まらない。

 幸い、強制終了に必要なキーは無事だった。ティオゲネスは、さっさと一度電源を落とし、ラッセルを振り向く。

「これ、キーボードだけ新調するか、まるっと買い換えるかのどっちかだな」

「……誰の給料から差っ引かれると思ってんだよ、クソガキャア……」

 恨めしげに言ったラッセルは、迂闊に振り下ろしたファイルを、悔悟の念とともに眺めた。

 自身より戦闘能力の劣る同僚にするのと同じノリで攻撃を仕掛けたのが、そもそも失敗だった、とその顔に書いてある。が、あとの祭りとはこのことだ。

 それにしてもつい三日前、ティオゲネス自身のリハビリを兼ねて練習試合をした際に、ティオゲネスはラッセルを完膚なきまでに叩きのめしていた。あれだけコテンパンにしてやったのに、ヒットする保障のない攻撃を、何も考えずに仕掛けるとは、学習能力がないのではないかと他人事ながら不安になる。

「あ」

 直後、壁に掛かったデジタル時計を見上げて、ティオゲネスは小さく声を上げた。

「悪い。俺もう帰るわ」

「帰る!? 帰るっつったか、今!!」

 この状況放置して帰るとか、どんだけいい根性してやがる訳!? とラッセルの文句は更にヒートアップしていく。が、ティオゲネスは構わずデイパックを背負い、事務室をあとにした。


***


(……俺の根性の話なんて、今更なのにな……まだ四十前なのに、男の更年期ってヤツかねぇ。怖ぇ話だ)

 シレッと内心で呟きながら、ティオゲネスはCUIO本部の通路を出口へ向かって歩く。


 まだ十六歳のティオゲネスが、このCUIO、こと国際連邦捜査局で働いているのには、複雑な事情があった。


 四歳で母親を失い、天涯孤独となったティオゲネスは、暗殺者養成組織(ヴェア=ガング)で育った。だが、十歳の時、組織はCUIOの手入れによって崩壊した。

 その後、一時は教会付属孤児院へ引き取られたものの、組織再興を目論む残党が、優秀なエージェントだったティオゲネスを組織へ呼び戻そうとする事件が起きた。

 その際、組織の残党が孤児院を占拠し、孤児きょうだい達が危険に晒された。そういうわけで、この件を機に、孤児院は閉鎖されることになってしまった。

 まだ野放しになっている組織の構成員がいる限り、組織との小競り合いは続くだろう。しかも、周囲の人間を巻き込んで。

 もう、組織の攻撃に対して、後手には回れない。

 それを、嫌と言うほど思い知ったティオゲネスは、CUIOに雇って欲しいと、ラッセルを通じて頼み込んだ。CUIOにいれば、ヴェア=ガングの情報が入って来た時、いち早く動ける。

 十六歳という年齢上、バイト扱いになるのにも、一悶着あった。ただ、ティオゲネスの戦闘能力が並外れているのは、CUIOの正規職員全員が認めている。

 結果的に、(ティオゲネスから言わせれば形式的な)試験を経て、特例という形でのバイトとして働くことが承認された。

 今は、ラッセルの家に居候させて貰い、週に三日のシフトで仕事をしている。

 常識で考えれば、十代半ばの少年がやるバイトとしては、かなり危険度が高い。しかし、ティオゲネス自身は、そうは思っていない。能力値――特に、戦闘におけるそれが、通常の十代の子供とは桁が違うのだ。

 加えて、そういつもいつも、戦闘案件が舞い込むわけではないし、ヴェア=ガングの情報が簡単に入るわけでもない。

 よって、普段はラッセルの事務作業を手伝っていた。

 それも、ヴェア=ガングの事後処理の一環なので、決して無関係の仕事でもないのだけれど。

(じーっと座って半日過ごすのも、あれはあれでキツいよな……)

 あふ、と眠気の名残のようにあくびが漏れる。

 別に、事件事故が好きなわけではないが、やはり自分に事務作業は不向きらしい。どちらかと言えば、身体を動かしている方が性に合う。

 ――などと、ぼんやり考えながら歩いていると、知った顔に出くわした。

「あれっ、ティオ?」

 声を掛けてきたのは、組織崩壊の時に世話になった一人である女性刑事、アレクシス=グレンヴィルだ。

「久し振りね。今帰り?」

「ああ。今、ラスんトコ、行かない方がいいぜ。入力したデータがオジャンになって、耳から煙吹いてっから」

「うっそ、今更?」

 アレクシスは、腕時計を確認した。時刻は、午後五時前のはずだ。

「何の入力やってるか知らないけど、今日中に上げるのは諦めた方がいいんじゃないの? もうすぐ定時なのに」

「だろ? そう思って逃げてきた」

 いたずらっぽく舌を出す。なり、アレクシスは吹き出した。

「相変わらずねー。ラスがそんな状態なら、今からあたしも上がるし、食事でも行かない?」

「いいねー、って言いたいトコだけど、悪い。先約があるんだ」

 肩を竦めて答えると、アレクシスはその鈍色の目を瞬いた。次いで、その顔が意地悪く笑み崩れる。

「エレンちゃんとデート?」

「……うるさいよ。じゃ、お先」

 クスクス、と小さい笑いを挟んだ「お疲れー」というアレクシスの声を背に、ティオゲネスは本部を出た。

 デート、なんて言われると、未だにむず痒い。

 組織の崩壊後、同じ孤児院で過ごしていたエレン=クラルヴァインとは、紆余曲折を経て、世間で一応『恋人』と呼ばれる関係にはなっている。だが、想いを確かめ合ったあと、特にコレと言って、彼女との間にキス以上の何かがあったわけではない。

 彼女が、トラブルに突進、もしくは吸引して、その面倒事をティオゲネスが収めるという図式も、相変わらずだからだ。

 両想いになる過程で巻き込まれた事件で、彼女自身、死にかけたこともあるというのに、こちらも学習していないらしい。

「……うわ、いけね」

 腕時計に目を落として、覚えず呟く。

 エレンとの待ち合わせは、午後五時だ。彼女と落ち合ったあとは、IOCA――国際孤児保護協会の分館を訪ねる予定で、つまり、アレクシスの言うデートなんてモノではない(もっとも、彼女にそう言えば、『一緒に外歩くんでしょ? やっぱりデートじゃない』と返ってきそうだが)。

 待ち合わせまで、あと五分。

 奇妙な、嫌な予感に眉根を寄せながら、ティオゲネスは駆け出した。


***


 その頃、駅エントランスの中央部にあるベンチへ腰を下ろしたエレンは、改札の向こう側に設置されている大時計を見て、ホッと息を吐いた。

 その大時計の針は、今、午後五時の三分前を指している。

 ある事件のあと、エレンはメストル・シティにある、大学の受験準備を主とする予備校へ入り直した。そこの講師には、『五分前行動が基本よ!』と散々言われているにもかかわらず、つい去年まで田舎の孤児院で過ごしていた所為か、なかなかそれに馴染めない。

 孤児院でも、大まかな一日のスケジュールは決まっていたが、本当に『大まか』なモノだったのだ。

 都会では、未だに皆がせかせかしているように思える。時間に、がんじがらめに縛り上げられているようで、息苦しい。

 この先も、こんな風に、時間にせき立てられるように生きて行かなくてはならないのかと思うと、エレンには少しだけ憂鬱だった。

(……そう言えば、ティオの方が遅いなんて珍しいな)

 最近、やっと操作に慣れて来た携帯端末を確認するが、特にメールや通話が入っていた形跡もない。

 これなら、彼はじきに到着するだろう。前に、『遅くなるなら、電話かメールくらい入れてよ』と言ったら、『その間に走った方が早い』と返ってきた。

 実際、そういう時の誤差は、一、二分か、数秒だ。

 何だかんだ、ティオゲネスも五分前行動ができない人種なのだった。

 思わず小さく笑って落とした目線を、ふと右下へ泳がせた時、『それ』は目に入った。

「?」

 何だろう、と身を屈める。その拍子に、下ろしたままの栗色の髪が、フワリと肩を滑った。

 柔らかなウェーブの掛かる髪を、耳の後ろへ掻き上げながら、ベンチと、観葉植物の鉢の隙間を注視する。

 そこにあるのは、小振りの――旅行鞄だろうか。

 エレンは、眉根を寄せつつそれに手を伸ばす。

 引っ張り出したところで、後ろから軽く肩を叩かれて、盛大な悲鳴を上げてしまった。

「何だよ、大声出すなよ!」

 大慌てで振り返った視線の先にいたのは、自分のほうがびっくりしたような顔をした、超絶美貌の持ち主――ティオゲネスだ。出会った時より切れ長に近付いた目元を、いっぱいに見開いている。極上の翡翠エメラルドと見紛う瞳が、文字通りまん丸になっていた。

「だって、いきなり後ろから叩かれたら誰だってびっくりするわよ!」

 何だか分からない気恥ずかしさに、逆ギレするように叫んでしまう。

 対してティオゲネスは、悪びれる様子もなく、丸くしていた瞳を、今度は胡乱げに細めた。

「叩かれる直前まで気付かないほーが鈍いんだろ」

「いー加減、自分基準で言うのやめてよ! ティオの気配探知能力のほうが異常なの!」

「そうか? フツーだろ……って、ところでお前、何持ってんだ?」

「え?」

 覚えず、抱え込むように抱き締めていた鞄へ、改めて視線を落とす。

「ああ、コレ。今、ここで見つけたの。ベンチと鉢植えの間に置いてあって……忘れ物かな」

 途端、今度は彼の眉根が寄った。

「何よ、ティオ。何か、百面相みたいになってるよ?」

 美人が台無し、なんて言おうものなら、そのあと何を言い返されるか分かったものではないので、辛うじて呑み込む。

 しかし、言わなくても、鞄を拾った時点で説教必至だったと気付いたのは、直後のことだ。

「お前なぁ。何だか分からないのに、迂闊に拾うとかバカなのか? 学習しろよ、全く……」

「だ、だって、忘れ物なら、持ち主が多分困ってると思うし、届けないと」

 瞬間、彼のまなじりがつり上がる。

「お前。今、コレ、どこにあったって言った?」

「ど、どこって、ベンチと鉢植えの隙間に」

「そんな所にフツー、“ちょっと休憩のついで”に置いて、忘れて行かねぇだろ、ちったぁ考えろ!」

 言いながら、ティオゲネスはエレンの手から鞄を取り上げた。何故か、そっとだ。次いで、それを同じくらい柔らかな挙動で、床へ置く。

「……ティオ?」

 つかぬことを伺いますけど、何してるの? なんて、口に出したらまた説教されそうだ。

(……てゆーか、何で会って早々怒られなきゃなんないのよ)

 これが、仮にも恋人に――それも、一度どころか、もう数え切れないほど、唇を重ねた相手に言う言葉だろうか。

 自然、その唇が尖ってしまうが、ティオゲネスの方は頓着しない。

 鞄の外側から耳を当て、そのあと、用心深いとも言える仕草で、鞄のファスナーを開ける。エレンは、見るともなしに中身を覗いた。

 中身は、カラだった。道理で、見た目の割に軽かった筈だ。などと思うに、ティオゲネスは中に突っ込んだ手で何かを引っ張り出す。

「何、それ……」

 彼は答えずに、手にした分厚い封筒を開く。その中身に、エレンは若草色の瞳を目一杯(みは)る羽目になった。


 中に入っていたのは、間違いなく札束だった。


©️和倉 眞吹2018

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