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ティオとエレンの事件簿  作者: 神蔵(旧・和倉)眞吹
Intermezzo.2―daily life―
65/72

scene.4 Sweet bitter sweet time【後編】

『もう知らない。勝手にすれば』


 硬く、冷たく響いた彼女の声音。

 恐らく、初めて聞く種類の声だった。

 けれど、これでいいと思う。

 元々、住む世界が違ったのだ。それがどういう訳か、一時交錯したに過ぎない。

 手に入れたい、離したくないなど、烏滸がましいにも程がある。


 これで良かったんだ。


***


 地下射撃場に、甲高く乾いた音が残響する。足下には空薬莢が山のように落ちていた。

 引き金を更に絞って、弾が出なくなっていることにそこで初めて気付く。

 舌打ちと共に、拳銃を投げ捨て、膝に手を突いた。呼吸が荒くなっている。

 一体、どのくらいここにこうして籠もっているのか。時間の感覚は、とうに吹っ飛んでいた。

 はあ、と息を吐いた途端、不意に背後から肩を叩かれて、反射で裏拳を繰り出す。前腕部に鈍い痛みが走った。視界が背後のそれになって、ようやく相手を悟る。

「……アレク」

「まーた、随分荒れてるわねぇ」

 ティオゲネスの攻撃を防いだままの格好で肩を竦めたのは、アレクシスだった。

 彼女の視線の先には、つい今し方までティオゲネスが向かっていた的がある。そこに空いた穴は、見事に着弾点がバラバラであることを示していた。

「……あんたに関係ねぇだろ」

 二度目の舌打ちと共に、彼女に止められた手を奪い返す。ついでに、視線を逸らせながら、付けていた耳当てを外した。

「関係あるわよ」

 アレクシスは、先刻ティオゲネスが投げ捨てた拳銃を拾って、グリップの方を差し出そうとした。が、銃身がまだ熱かったのか、少し迷った末にグリップを握りながらも改めてグリップの方をティオゲネスに向ける。

「同居人があからさまに(しお)れてるんだもの」

「……萎れてる?」

 ティオゲネスは、鸚鵡返しに問うて、眉根を寄せた。

 彼女が言う“同居人”とは、恐らくエレンのことに他ならないだろう。

「どういう意味だよ」

「こっちが訊きたいわ」

 押し付けられた拳銃を受け取ると、アレクシスが顎をしゃくった。

「体育館裏まで顔貸しなさい。あの子と何があったか吐くまで、今日は帰さないわよ」


***


「――で、ここが体育館裏かよ」

 呆れたように吐き出したのも、無理はない。

 アレクシスに導かれて辿り着いたそこは、ティオゲネスの入院している病室だった。ちなみに、リハビリに通うのに一般病棟ではやや遠いという理由で、ティオゲネスは近い内にCUIOスタッフ用の病棟へ一週間後には移ることになっている。

 ――というのは建前で、本音はやはり、あのゴシップ好きの看護師達から離れたくて、ラッセルに口を利いて貰ったのだが。

「仕方ないわよ。込み入った話になるだろうし、あんたもヒトに聞かれたくないかも知れないし?」

 先に病室に踏み入ったアレクシスは、「ちゃんとそこ、閉めてね」と言いながら、丸テーブル前に置かれた椅子に腰を下ろした。

「異性との密室はマナー違反じゃねぇの」

「ご心配なく。こっちじゃあんたをオトコと思ってないから」

「そりゃどうも。こっちもあんたをオンナと思ってねぇから安心しろよ」

 眉を(しか)めて大人げなく言い返し(と言っても、ティオゲネスはまだ十六で、年齢だけ見れば立派に子供なのだが)、扉を閉じてベッドへ歩む。ベッド脇にある見舞い客用の椅子に腰を落としながら、「それで?」とアレクシスに促した。

「話があるんだろ」

「何言ってんのよ。吐くのはあんた」

 飲んでもいないのに酔ったような据わった目つきで、アレクシスがピッとティオゲネスに人差し指を向ける。

「吐くって何を」

「観念なさい。ネタは上がってんのよ」

「取調室かよ、ここは」

「そうよ。即席のね」

 まるきり仕事モードに入ったようなアレクシスは、座ったばかりの椅子から立ち上がる。

 ティオゲネスが首を傾げなければ見えない距離まで歩み寄った彼女の見下ろす視線が、どこか怖い。

「あんた、エレンちゃんに別れ話したんですって?」

 殆ど前置き抜きで核心を突かれて、ティオゲネスは目を瞬いた。直後には、ふいと目を伏せる。

「本気であんたに関係ねぇだろ」

「そうね。関係ないかも知れないけど、お節介は焼かせて貰うわ」

 言うなり、伸びた彼女の手に胸倉を掴まれる。そのまま強引に仰向かされて背が仰け反り、下げていた視線が否応なく上に向いた。

「あんたまだ、自分が不幸になる義務があるとか、幸せになっちゃいけないとか思ってるの?」

 真摯な色を湛えた鈍色の瞳を見ていられなくて、ティオゲネスは目を泳がせる。

「答えなさい」

「……ねぇだろ。幸せになる権利なんて」

「じゃあ、エレンちゃんは?」

「はぁ?」

「エレンちゃんにも幸せになる権利がないの?」

「な訳ねぇだろ!」

 反射で怒鳴り声が出た。同時に、彼女の方へ視線を戻す。これも、反射的なことだった。

「アイツが幸せになるなら、俺が手ぇ退くくらいいつだってしてやる! 俺なんかと一緒にいるより、全然手が血で汚れてない男と纏まる方が、アイツには幸せだってコトくらい、分かってるよ!」

 だから、好きだと言わなかった。

 キスをしても、抱き締めても、気持ちを言葉にすることだけはずっと意識して避けてきた。束の間だと、分かっていたから。この“幸せ”がずっと続くなんて、思っていない。

 離したくないと、痛い程に思いながらも、それを考える権利なんてとっくに失っているのも分かっている。

「……あんたには、分かんねぇよ」

 噛んだ唇の隙間から、呻くような声が出る。

「……アマーリアも、ヴァールも……俺の所為で死んだ。俺が殺したんだ。俺の所為で、未だに意識不明のままの奴だっている。アイツらだけじゃない。身を守る為って言い訳しながら、俺がどんだけヒトの心臓に向けて引き金引いてきたか、あんた知ってるか?」

 言いながら、アレクシスの顔が見られなくなって、ティオゲネスは再度目を伏せた。

「血でドロドロなんだよ。目に見えねぇだけで、この手に着いた血は、もう絶対洗い流せない。そんな手で、好きな女の手ぇ握ってられると思うのかよ」

「なら、あたしが握っててあげるわよ!」

 直後、それまでその場にいなかった筈の声が飛び込んで来て、ティオゲネスは何度目かで目を瞬いた。

 視線を投げると、声と共にスライドしたドアの向こうに、エレンが立っている。彼女にしては珍しい、パンツルックだ。

「エレン……お前、いつから」

「何があたしの幸せは、あたしが決めるの」

 震える声ながらも、ティオゲネスの問いを無視した彼女は、足早に近付いてくる。その表情は、怒っているようにも、泣き出しそうにも見えた。

 その間に、アレクシスは一つ肩を竦めると、ティオゲネスの胸倉を解放する。

 エレンにその場所を譲ったアレクシスが退出するのは、気配で分かったが気にならなかった。代わりに、目の前に立ったエレンを見上げるのに忙しい。

「……何が幸せかは、あたしが決めるの」

 同じ言葉を繰り返したエレンは、呆然としているティオゲネスの手に、彼女自身の手を伸ばし、そっと握った。

「だからお願い。振り解かないで」

 言葉を返せずにいると、(ひざまず)いたエレンは、手に取ったティオゲネスの手に柔らかく唇を落とす。

「……ねぇ。あたしのこと、ちょっとでも好き?」

 言わせる気かよ、それを。

 そう思うが、声にはならない。

 それは、過去のことを全部抜きにしても、言うのにはかなり勇気が要る。というより、全面的に照れが先に立つから、必要なのは理性をかなぐり捨てることだろうか。

「ティオ」

 沈黙を続けるティオゲネスに焦れたのか、エレンは泣き出しそうになっている顔を上げた。若草色の瞳と、正面から視線が絡む。

「お願いだから、ちゃんと言ってよ」

「……散々態度で示したと思ってたけど」

「ティオの口から、ちゃんと聞きたいの」

「……言ったろ。俺は」

「あんたの過去のことなんて知らないわ」

 額面通りに受け取れば、今ティオゲネスがティオゲネスであることを否定しているとも思えるが、彼女の場合、そこまで考えていないだろう。

 それでも反応し兼ねていると、潤み始めた若草色が見上げてくる。

「どうだっていい。……ううん、違う。もし……もし、ティオの過去のことで何か言ってくる人がいたら、あたしが守ってあげる」

「……はい?」

 思わず間抜けな声と共に首が傾ぐが、彼女の目は真剣そのものだ。

「ティオは、悪くなかった。望んで人を殺した訳じゃないって言ってあげる。それでも納得しない人がいたら、ティオと同じ状況に放り込まれてもあんたが悪いと思うかって訊いてあげるから」

 だから、と言い募る様は、もう必死としか言い様がない。

「あたしからティオを取り上げないで。……傍にいることだけは、お願いだから……」

 言っていることが支離滅裂になってきたのに、彼女自身気付いたのだろう。目を逸らすように俯いて、それでも縋るように握った手だけは離そうとしない。

「……本当に……いいのか」

 内心で自問しただけのつもりが、口から出ていた。

 鈍い動作で顔を上げた彼女の目から、ポロリと一筋、透明な滴が伝う。

「これが最後のチャンスだぞ」

 そんなことを訊くな。振り解いて突き放せば終わるんだ。

 そう理性は警告しているのに、本能は今にも彼女を抱き寄せそうになっている。彼女の許しを得れば、言い訳になるとでも思っているかのように、口は勝手に先を続けた。

「お前が……俺から離れないって言うなら……このまま俺といるなら、もう離してやれない。本当に、いいのか」

「言ったじゃない。あたしが、離さないって」

「こないだの比じゃねぇことに巻き込まれるかも知れないんだぞ」

「大丈夫」

「死ぬかも知れないのに?」

「平気よ。だって」

 ティオが守ってくれるんでしょ?

 そう続けて、泣き笑いの顔になった彼女に、覚えず苦笑が漏れた。

「……勝手な女だな」

 吐き捨てるように言って、握られた手を引き寄せる。彼女の後頭部に手を回して口吻けたのは、殆ど無意識だった。

 何日か振りに触れた唇はやっぱり甘くて、理性は早々に飛ぶ。

 今日ばかりは、エレンも拒まなかった。

 ティオゲネスに別れを告げられたのがどこまで堪えたのか、肩にしがみ付いて辿々しく口吻けに応えてくれる。

 呼吸の限界まで口吻けを繰り返して、荒くなった吐息に乗せるようにして「好きだ」と告げたのも、やはり無意識だった。

「ティオ……」

 間近に見える濡れた若草色が、大きく見開かれて、ティオゲネスの翡翠を見つめ返す。

「……もっかい、言って?」

「バカ。そう何度も言えるかっつの」

 言葉のやり取りの合間にも、唇を啄む。

「……ホントは、お前も受けた方がいいんだぞ。生命保護プログラム」

 何度も彼女に離れるよう促した理由には、それも含まれていた。

 生命保護プログラムを受ければ、彼女も別人として生きることになり、消息はティオゲネスにも知れなくなる。二度と逢えない代わりに、彼女が死ぬ心配もしなくていい。だのに、彼女は首を振る。

「あんたと離れるくらいなら、死んだ方がマシ」

「……本物のバカだな、お前」

 苦笑混じりに言って、何度目かで深く口吻けながら思う。

 そんな女に惚れた自分も、相当なバカだ、と。


***


「雨降って地固まる、ってヤツかしらね」

 んー、と伸びをするように両手を天に向かって伸ばすアレクシスの背を見ながら、ラッセルはただ苦笑する。

 ティオゲネス達がキスし始めた頃合いを見計らって、ラッセル達は病室の前をそっと離れた。

 自分達が見ているのに気付かない辺り、ティオゲネスらしくないが、それは即ち、彼も相当精神的に手一杯だったことを示している。これが後でバレたらどうなることやら、と思うと、今から背筋が冷えた。

「ねぇ。いつからあそこにいたの?」

「ん? 殆ど最初っからかな」

 肩越しに振り返ったアレクシスに、ラッセルはあっけらかんと答える。

 渋るエレンを連れ出し、病室に着くか着かないかの所で、同じく病室に向けて歩くアレクシス達の背中を発見した。追い付かないように少し間を置いて、ほぼ最初から室内の会話をエレンと二人で盗み聞きしていた、という訳だ。

「ホンット、手が掛かるわよねぇ、二人共」

「どっちかってと、ティオの方だな」

 エレンは、あの洗脳事件がまだどこまで彼女の精神に影響しているかが分からない。が、一般家庭と教会の付属孤児院という比較的真っ当な環境で育ったので、一般論で充分フォローが可能だろう。

 一方のティオゲネスはと言えば、かなり特殊で過酷な環境で幼少期を過ごしており、しかもエレンが重傷を負った件で、幼い頃よりも罪の意識を重く感じるようになっている。今回は一応収まったと見られるかも知れないが、要経過観察、と言ったところだろうか。

「……ったく、先が思いやられるぜ」

 はあ、と溜息を吐いた時、アレクシスが「ところでさ」と話題を転じた。

「ティオって、退院した後、どこ行くことになってんの? 神父様が気にしてたけど」

「ああ……一応、おれんトコで面倒見ようと思ってる」

 IOCAに行ってもいいって言ったんだけどな、と挟んでラッセルは言葉を継ぐ。

「そろそろ、本当に養子縁組み、考えてもいいかもな」

「あんたと、ティオの?」

 若干、驚いたように瞠目したアレクシスに、苦笑を返す。

「早めに結婚してりゃ、アイツくらいの子供がいてもおかしくない年だしな。不自然でもねぇだろ。ま、アイツがいいって言えばの話だけど」

 アレクシスは、何とも形容し難い表情で、ふうん、と言って顔を正面に戻した。

 その後、彼女がボソリと呟いた言葉は、ラッセルの耳には入らなかった。


「……もし、あたしがエレンちゃんを養女にしたら、後々困るかもね」

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