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ティオとエレンの事件簿  作者: 神蔵(旧・和倉)眞吹
Case-book.4―Phantom―
52/72

Phantom.12 一つの決着

『俺は、人殺しだからな』

 自らを嘲るように放たれた彼の言葉の内容は、やはり意味が分からなかった。

「……え……何……どういう、意味?」

 うまく思考が働かない。彼が――人殺し?

『言葉の通りだよ。運動神経は鈍い方だと思ってたけど、遂に理解力まで鈍くなったのか?』

 返された言葉は、必要以上に棘がある。まるで、出会った頃に逆戻りしてしまったかのようだ。

「はぐらかさないで! どういう意味か答えてよ!」

 エレンは、叫ぶと同時に、バン! とテーブルを叩いた。

 画面越しなのが心底もどかしい。

 もし、本人が目の前にいたら、胸倉を掴んで揺さぶっているだろう。

(……ううん、違う)

 そうじゃない。ここで通信を切ったら、今度こそ二度と彼に会えないような、そんな焦燥を覚える。

 しかし、彼は肩を竦めて呆れたように言った。

『だから言ったろ。言葉通りだって。お前さぁ。今まで俺のコト、どっか異常だって思ったコトねぇのか』

「そりゃ、」

 言われて思い返せば、数々思い当たる節はある。

「……確かに、普通の子は当たり前みたいに銃ぶっ放したりしないし、そもそもそんなモノ抱いて寝ないし、高い塀なんか軽く飛び越えないし、高い場所から飛び降りたりしないだろうし、って……あ、あれ?」

 ティオゲネスの言う“異常”を指折り数えていると、フォローしたいのにどんどん貶している気分になってくる。ティオゲネスもそれを感じたのか、『……分かった、もういい』と脱力したように溜息を吐いた。

『とにかく、俺はそーいうコトを叩き込まれながら育ったんだよ。ある施設でな』

 真顔に戻ったティオゲネスの表情に、胸のどこかがチクリと痛む。

「……ね、ねぇ、それって……もしかして、セシリアが言ってた“組織”のコト?」

『セシリア?』

 眉根を寄せた彼に、『お前、あの後アイツにあったのか』と(ただ)される。しまった、と思うが、出てしまった言葉はなかったことにはできない。

 仕方なく、そうよ、と挟んで後を続ける。

「セシリアが、言ってたの。あんたと彼女は同じ“組織”で育ったんだって。孤児院じゃないのかって訊いたら、ブラックな孤児院だって説明されたけど」

 諦めてありのままを掻い摘むと、『まあ、当たってるな』と返ってきた。

『簡単に言うと、人殺しの養成施設だったんだよ。俺らが育った場所はな』

「……嘘」

 いきなり言われても、信じられない。そんなものは、それこそエレンにとっては架空の世界の話だ。だが、そう思う端から、これまで彼と乗り切ってきた様々な事件――その中で彼が見せた、エレンからすれば神業にも等しい体術や戦闘能力は、彼が口にした、彼自身の生い立ちが事実であると証明している。

『軽蔑するだろ? 俺の手は、もう他人の血でベトベトなんだよ』

 言葉が、出ない。何と言えばいいのか、分からなかった。

 沈黙を、彼の問いに対する肯定と取ったのだろう。その美貌に、自嘲の笑みが浮かぶ。

『だから、もうカミサマの敷地内には戻れねぇんだよ。……いや、違うな。最初からカミサマの近くにいるべき人間じゃなかったんだ。お前も早く忘れろ、俺のコトは』

「ティオ」

 ゆるゆると首を振る。違う、駄目だ。何か、言わなければ。

 そうじゃない。軽蔑なんかしていない、と。けれどもそれは、口から外へ出た途端、空々しく響きそうで、簡単には言葉にできない。

 言うべきことを探す内に、必然その場に沈黙が落ちる。

「――話は、終わったのかしら?」

 すると、会話が途切れるのを見計らったかのように、ビクトリアが声を掛けた。

『あれ、その声……やっぱ、本部長かよ』

「あら。流石に鋭いわね。声だけで分かった?」

『最初にエレンの映像見せられた時、まさかとは思ったけどな』

 それでも、ビクトリアは画面の前に顔を出そうとはしていない。

『あんたもそっち陣営の人間だったんだな。すっかり騙されてたよ』

「誉め言葉と受け取っておくわ」

 クス、と小さく笑った彼女の顔が、微かに曇ったのを、ティオゲネスは知る由もないだろう。

「それで? あなたはどうするつもり? もう彼女の元へ戻るつもりがないなら、彼女はあなたの首輪にはなり得ないかしら?」

「――いいえ。どちらでもないわ」

 それまで、この場にいなかった女性の声がして、エレンは反射的にそちらへ視線を向ける。

「動かないで」

 その視線の先で、ビクトリアの頭部に銃口をポイントした女性は、部屋の入り口を開け放ち、凛と告げた。


***


『アレクさん!?』

 エレンが、画面の外へ視線を向けて、驚いたように叫んでいる。

「何だと?」

 それまで共に画面を見守っていたディンガーが、眉根を寄せた。

(……間に合ったか)

 ティオゲネスは、ディンガーに悟られないよう、ホッと息を吐いた。

 映し出された画面に、エレンしかいなかった時は、どうしようかと思ったものだ。救援メールには、エレンのことも頼んでおいたが、彼女の保護は(おろ)か、自分のことさえうまく通じるかは賭だった。暗号化の方法は習っていたが、そうするには時間が足りず、文面を工夫するしかなかったのだ。

『動かないで。エレンちゃん、早くこっちへ』

 エレンが、画面の中のティオゲネスとアレクシスを、逡巡するように見比べる。更に数秒躊躇う表情を見せた後、エレンは画面から完全に死角になる場所へ姿を消した。

『ビクトリア=モンテス。あなたを、未成年者略取誘拐、及び監禁の現行犯で逮捕します』

『……できると思うの?』

 嘲るように――これまで聞いたことのない口調で、ビクトリアが言う。余裕さえ感じられるその声音に、ティオゲネスは不安を拭えない。次の瞬間、画面の外から銃声が響いて、思わず身体が強張る。

(まさか)

 最悪の事態が頭を過ぎる。だが。

『ティオ! そこにいるの!?』

 画面の外から聞こえたのは、アレクシスの声だ。

「……ああ、いるぜ! 聞こえてるか!?」

『聞こえるわ! あたしもエレンちゃんも無事よ! あたしは、彼女だけ保護してここを離れる! 後はあんたの好きになさい!』

「分かった!」

 返事をした直後、誰かが何か言う声が聞こえたが、内容も声の主も判然としない。やがて、ガタン、という音と共に、部屋の景色が回転し、砂嵐に変わった。

 と同時に、ティオゲネスは動いていた。銃を握ったままだった手を素早く持ち上げ、引き金を絞る。

 一発に聞こえる銃声と、男達の悲鳴が被った。

「何っ!?」

 画面の向こうでの出来事に唖然としていた所為か、ディンガーの動きは半拍遅れた。

 彼が銃声の元を辿った時には、既に銃口が突き付けられている。その背後で、彼の三人の部下が同時に床に崩れた。

「これで、俺の枷は全部なくなった。もう一つの枷は、選りに選って、あんたが自分でなくしちまったんだもんな」

 クス、と嘲るような笑みと共にディンガーを見据えると、彼は苦い顔をしてティオゲネスを見つめ返した。

「終わった訳ではないぞ、アッシュ。おれとタイマン張って、勝てると思っているのか」

「さてね。勝てなくてもいいさ。あんたを止められればな」

「何だと?」

「こうなった今も、あんたが俺を商品として取引に使うつもりがあるかどうか、にも拠るけどな。俺を殺しちまった場合、あんたが非常に困るのか否か、って言い換えてもいい」

 どうだ、と問うように視線を投げるが、ディンガーは唇を噛み締めたままだ。何故かはティオゲネスには判断できないが、決め兼ねているらしい。

「じゃあ、質問を変える。あんたは組織を再興するって言ったな。計画の大ボスは誰だ?」

「何?」

「組織を立て直したいって思ってるボスは誰だって訊いてんだよ。前総帥も前副総帥も死んじまったもんな。だとしたら、当時のナンバー・スリーか?」

「聞いてどうするつもりだ」

「愚問だね」

 ティオゲネスは、鼻先で笑って、言葉を継いだ。

「計画ごとぶっ潰すに決まってんだろ」

 整い過ぎた美貌が、不敵な笑みを刻む。

「……貴様、正気か?」

「残念ながら、正気だよ。この上ねーくらいな。もっとも、人殺して正気でいられるコト自体、既に正気じゃねぇ証拠かも知れねぇけど?」

 何度目かで自嘲気味に笑って、銃を握り直す。

 この場から生きて離脱できるかすら見通しが立っていないというのに、我ながら大それたことを言っているという自覚はある。

(生き延びられると思ってるコト自体が、まず正気じゃねぇよな)

 この男を前にして、生き残れる自信などないというのに。

「計画の詳細を、貴様が知る必要はない」

 顎を引いたディンガーが身構える。どうやら、彼の中でティオゲネスを生かす――少なくとも、無事に済ませる選択肢はなくなったようだ。

「そんなモノ、もうあんたに指図される謂われはねぇよ」

 言い捨てるなり、ティオゲネスは引き金を絞った。相手の心臓を狙った筈だった弾丸は、絶妙のタイミングでしゃがみ込んだディンガーの頭上を飛び越えて、小型パソコンをお釈迦にした。

 それを確認するより早く、バックステップでその場を飛び退く。開きっ放しだった扉から廊下へ飛び出すのと、たった今まで自分が立っていた床が破裂するのとはほぼ同時だった。

 爆煙で利かなくなった視界の中に、ティオゲネスは構わず飛び込んだ。廊下を、先刻とは逆に進めば、程なく煙が晴れ、エレベーターホールに出る。

 左右合わせて四機ある箱のボタンを全て、素早く押した。階段があれば、とも思うが、この建物の構造を知らない以上、無駄に逃げ回るのは逆効果だ。

 加えて、向こうは自分の動きをいつでも捕捉できる。

 舌打ちした時、ポン、とどこか呑気な響きと共に右手の扉が震える。ゆったりと開くエレベーターの扉の動きが焦れったい。飛び付いて扉を抉じ開け、隙間から身体を捩じ込むと、『close』のボタンを叩くように押した。

 けれど、密閉空間にいるからと言っても安心はできない。とにかく、外まで逃げ切れれば、ここにもCUIOの支部はある筈だ。

 一階に着くまでの間に、デイパックから小銃を引っ張り出し、残弾を確認すると、たすき掛けに小銃を下げる。更に、拾って置いた計二丁の拳銃を取り出し、身体のそこここへ仕込む間に、エレベーターは一階へ止まった。

 軽く深呼吸して、『open』のボタンを押す。けれど、扉が開くか開かないかの刹那、弾丸の雨が撃ち込まれて、ティオゲネスは即座に『close』のボタンを押し直した。瞬間、閉まり切らない隙間から飛び込んできた弾丸が、左肩と腕を捕らえ、エレベーターの壁へ叩き付ける。

「ッ、アッ……!」

 途端、撃たれた傷に衝撃が響いて、身体が勝手に仰け反る。

 歯を喰い縛って、その場に崩れるのだけは堪えた。けれど、操作盤で箱を動かす前に扉が開く。

 銃を構えようとするより、隙間から伸びた手が、胸倉を掴む方が早い。

 逃れる隙も与えられず、箱から引きずり出された。なり、床へ引き倒されて、一瞬息が詰まる。

「ぐっぅ……!」

 そのまま、無事な右肩を強く押さえ込まれて、苦痛に身体が仰け反りそうになる。更に、左足の付け根辺りに膝でのし掛かられて、情けなくうめきが漏れた。

「ぅア、」

「これ以上貴様を傷付けさせるな。とにかく生きたまま先方に引き渡さなきゃならんからな」

 覆い被さるように覗き込んだディンガーの目が、酷薄な光を帯びてティオゲネスを見下ろす。

 そんなモノ、知るか。言い返したいが、痛みのあまり声も出ない。歯を喰い縛りながら相手を睨み上げるのが精一杯だ。

 万事休す。その言葉が脳裏に過ぎった、その時。

「――意外にそのガキに執着してるんだな」

 不意に、頭上から聞き覚えのある声がした。


***


 それまでその場にいなかった男の声に、ディンガーは、アッシュを押さえ込んだまま目を上げる。

 そこには、CUIOに所属しながら自分と手を結んでいる男の姿があった。金茶色の髪に、誂えたような琥珀の瞳が印象的な、端正な顔立ちの男だ。しかし、今身体の下に押さえ付けている少年に比べると、その端正さも霞んで見える。

 ともあれ、彼がいたからこそ、ディンガーは生存を隠し、今日まで地下活動を続けて来られたのだ。

「――ヴィダルか。随分、早いお着きだな」

 取引開始まで後一日はあるのに、と言うと、ヴィダルと呼ばれた青年は薄く笑った。

「取引に五分前行動は基本だろ? それに舞台が観光地だし、ちょっとばかり観光を楽しもうかと思ってな」

 それで、と言って、ヴィダルは浅い呼吸を繰り返す少年に目を落とす。

「随分、綺麗なガキだな。もしかして、変態趣味のあるオヤジにでも売り付ける予定なのか?」

「バカ言え。確かに見た目はいいが、中身はこの通り、じゃじゃ馬の斜め上を行く野生馬なんでな。ちょいと躾に傷が付くのは、もう仕方ない」

 油断なく少年を押さえ付け続けながら、クス、とヴィダルに倣うようにディンガーも薄笑いを浮かべる。

「ただ、武器としても上物だ。元ヴェア=ガングのエリートだからな。ベッドの上で使うだけじゃ、宝の持ち腐れだろ」

「へえ? で、誰なんだい。その、戦場でもベッドでも使い勝手のいい武器をお望みの変人は」

「まあ、逢ってのお楽しみだ。今はこのガキを、取引時間まで大人しくさせておきたい」

 ちょっと手を貸してくれるか、と言うと、ヴィダルは無言で顎を引いた。

 左肩から上腕部に掛けて、重い銃創を負ってしまった少年の身体を引き取ると、自らの上着を裂いて止血する。

「おい」

 ディンガーはそれに咎めるような目を向けたが、琥珀の瞳が無表情に彼を見返した。

「コイツを取引時間まで大人しくさせておけばいいんだろう? それは、コイツが生きていてこそじゃないのか。それとも、コイツを殺して取引は自主キャンセルか?」

 キャンセルして、こちらが無事に済む相手なのか――と言外に訊かれた気がして、ディンガーは口ごもる。

 本音を言えば、もう殺してしまいたかった。が、アッシュというコードネームを持つこの少年は、残念なことに確実に資金源になる。今傷を付けたことで多少売却金額は落ちるだろうが、それでもスティールの減額分を補って余りあるくらいには、だ。

 加えて、取引の相手は、北の大陸<ユスティディア>の三分の一にシェアを持つ、それなりの大物マフィアだ。何故かアッシュ、ことティオゲネス=ウェザリーの身柄と引き替えに、ヴェア=ガングの後ろ盾を買って出てくれている。理由を訊いても、ファミリーの総帥は、薄笑いを浮かべるだけで教えてはくれなかった。

 しかし、あちらの腹積もりがどうあれ、三大マフィアの一つがバックに付くことは、悪くないどころか破格のことだ。それなのに、自主キャンセルなどしたら、組織の再興どころではなくなるだろう。

 合理的なところを考え込んで沈黙したのを見計らうように、ヴィダルが口を開く。

「うまいこと言って、病院に放り込んどく。明日にはどうにか起きれるようにしとくからよ」

「ああ、頼む……あ、そうだ。スホーンデルヴルト病院は勘弁してくれ。昨日、一人放り込んだばっかりなんでな」

「分かった。なるべく離れた場所の病院で対処する。取引場所は変更なしでいいんだろう?」

 ヴィダルは翌日のことを確認すると、少年を肩に担ぎ上げてその場を後にした。


***


 は、と吐息が漏れる。

 腰から折り曲げられるように担ぎ上げられて、頭が下に向いている所為か、肩先から腕に掛けて負った傷口も地面へ引っ張られるような気がする。意識が飛びそうなのに、それを痛覚が繋ぎ留めているというのも、皮肉な話だ。

 ティオゲネスを担いだ男は、建物の構造をとうに理解しているらしい。

 迷う様子もなく人気(ひとけ)のない方へ足を向けて、裏口から外へ出た。痛みと失血から霞む目を上げて、何とか視線だけで辺りを確認する。

 どうやら路地裏に出たようだった。

「ッ……いっ……!」

 身じろぎしようとするが、それだけで激痛が走って、思い切り顔を顰める羽目になる。

 逃げられるだろうか。逃げたとしても、この傷ではそう遠くへは行けないし、碌に抵抗もできないだろうことくらいは分かっている。

(くっそ……)

 気分の問題でなく、実際に目眩がしてきた。いっそ、気を失った方がマシだという程の痛みが、左腕どころか左半身全体で、上がった鼓動のリズムでステップを踏んでいる。

「大人しくしとけよ。もう意識飛ぶ寸前だろ?」

 こちらがどうにかして足掻こうとしていることに気付いていたのか、見兼ねたように男が声を掛ける。瞬間、ティオゲネスは目を見開いた。

(……今の……声、)

 さっきも思ったことだが、やはり、どこかで聞いた覚えのある声だ。けれども、思考がうまく回らない。逢ったことがある人間の声だということは分かるが、人物の特定が咄嗟にできないくらいに意識が朦朧とし始めている。

(だ……めだ)

 弱々しく頭を振って意識を保とうとする。

 ここで意識を手放したら、今度こそどうなるか分かったものではない。前回も、寝ている間に妙なものを仕込まれたのだ。しかも、頭部に。次は何をされることやら、その辺はまだ狂人の域に入っていない所為か、全く想像できなかった。

「ヴィダルさん!」

 そこへ、後から別の男が駆け付けたらしいのが、声で分かった。

「えーっと、あんたは確か」

「シャレットです」

「ああ、そうそう。で、どうした?」

「念の為に、付き添うように言われました。ディンガーさんから」

「そっか。んじゃ、車頼むわ」

「はい」

 駆け去るのを見届けながら、男はティオゲネスを横抱きに抱え直す。

 必死で相手を見上げると、相手もこちらへ視線を向ける。琥珀色の瞳と視線が絡んで、ティオゲネスは微かに瞠目した。

 男が、何事かを唇の形だけで告げる。

 気が抜けた。張り詰めていた糸が唐突に切れたと感じた瞬間、意識は呆気なく闇の中へ転げ落ちた。


***


 翌日、午後八時。


 ディンガーは、商品の一つであるスティールを連れて、アッシュの入院しているカレル総合病院を訪れていた。

 アッシュの頭部にも発信器が付いている以上、たとえヴィダルの気が変わってCUIOに寝返ったとしても、支障はない。この島にいる限り、居場所の捕捉はできる筈だった。万一に備え、シャレットを付けているが、今のところおかしな動きはなさそうだ。

 けれども、うっかり小銃で傷を負わせてしまった所為か、思った以上の重傷を負ったアッシュは、未だ昏睡状態だ。

 止むなく、当初予定を変更し、病院内で取引が行われる運びとなっていた。ヴィダルにCUIO権限で時間外の面会を認めさせ、ディンガー達はアッシュの遠縁を装って病院を訪れている。

 スティールの方は、意識は回復していた。が、まだ一人では歩けず、部下の一人が車椅子に乗せて運んでいる。

 取引相手の代理人の名は、ロランと言った。

 三大マフィアの一つ、チェヴェラ・ファミリーの執事的役割をこなしている男だ。表向きは、ユスティディアの軍事企業であるチェヴェラ株式会社の顧問の役職に就いている。

 年齢は六十だというが、そうは見えない程すっきりと背筋が伸びている様は、どこかIOCAの本部長を務めているビクトリア=モンテスを彷彿とさせた。

 あそこももう駄目だな、とディンガーは脳内で独りごちる。

 エレンを捕らえていた場所に乗り込んできた、声から察するに若い女は、恐らくCUIOに関係した人間だろう。だとしたら、IOCAもCUIOの手が本格的に入り、程なくヴェア=ガング出身の子供達にも手出しできなくなる。そうなる前に、何とかしなければ。

「ディンガーさん?」

 前を歩いていた部下の声で、ディンガーは我に返る。

 ふと気付けば、アッシュの眠るICUの前まで辿り着いていた。ガラス張りの壁に背を預けていたヴィダルが、こちらに軽く手を振っている。

「彼は?」

 それを見たロランが、小さな声で訊ねる。

「CUIOを押さえてくれる知人です。大丈夫、信用できます」

 同様に押さえた声音で言うと、ロランは軽く頷いた。

「それで、ここにいる商品は? 本当に、ティオゲネス=ウェザリーなのだな」

「はい。どうぞ、確認を」

 会釈するように頭を下げると、ディンガーはガラスの向こうを示した。

 室内は、患者に障らないようにする為か、証明が落とされている。ただでさえ暗い中、更にアッシュは人工呼吸器を付けている所為で、確認すると言っても顔はよく見えない。

「中に入ってもいいかな」

 ロランもそう思ったのか、ヴィダルに向けて確認を取る。

「さあ。おれは医師じゃないので、何とも」

 ヴィダルは、飄々とした態度で、肩を竦めた。が、どういう訳かアッシュに固執していたチェヴェラ・ファミリーの人間が、この程度で確認を諦める訳がない。

 ロランは苛立ったように舌打ちすると、ヴィダルを押し退けるようにして、ICUの出入り口に手を掛ける。すると、ヴィダルの向かって左手に来たロランの側頭部に、出し抜けに銃口が押し付けられた。

「はいはーい、そこまでにしといて貰えるかなぁ」

「……何の真似だ」

 ロランが、年齢に似合わない威圧感のある眼光で、彼に銃を突き付けたヴィダルを睨み据える。

「何をしてるんだ、ヴィダル。ミスター・ロランをお通ししろ」

 慌てて言うディンガーにも、ヴィダルは動じずにニヤリと口の端を吊り上げる。

「悪いけど、もう包囲完了しちゃってんだよね」

 だから、あんたらはここまでってコト、と語尾に音符が着きそうな程楽しげに言ったヴィダルが、空いた手の指をパチンと鳴らした。

 途端、狭い通路で前後を挟み撃ちするように、武装した軍隊のような集団がバラバラと飛び出した。ヴィダルも素早く、ロランとICUの扉の隙間に身体を滑り込ませ、油断なくロランの眉間へ改めて銃口を突き付ける。

「ギブソン刑事! 病院の周囲、アジトの近辺も包囲完了しています!」

「ん、ゴクローさん」

 のんびりした声音と裏腹に、その琥珀の瞳が鋭くロランを睨み返している。

「ギブソン……刑事、だと?」

 呆然と言ったディンガーの後頭部にも、武装刑事の銃口が突き付けられる。

 それに、小さな笑いだけで答えたヴィダル――(もとい)、ギブソンが口を開く。

「ヴェルナー=ベルノルト=ディンガー、並びに、マウリッツ=エーリク=ロランと……ま、その他大勢? 未成年者略取誘拐・監禁・傷害及び、人身売買の現行犯で逮捕するぜ」

 緩いのか凛としているのか判然としない口調で彼が告げると、武装刑事達がわらわらと寄ってきてディンガー達の身柄を拘束した。



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