Intermezzo.4 芽生え始めた感情
「ふーん。それで、結局断ったのか?」
「結局も何も、どこかに養子に引き取られるとか、考えられないっつーの」
中庭に設えられたカフェ・スペースで向かい合った男に、ティオゲネスはベッと舌を出して見せた。
広々とした中庭には、ティオゲネス達が座っているテーブル以外にも数個のテーブル・セットが並んでいる。
屋外だけでなく、屋内にも、外から来た客の為のカフェ・スペースがあるが、今日は天気がいいから外で何か飲もうと言い出したのは、向かいに座った男・ラッセル=ギブソン刑事だ。彼の言う通り、暖かい陽射しの所為か、ティオゲネス達以外にも、外で思い思いにティータイムを楽しみながら談笑している人が何人かいた。
ラッセルは、組織崩壊の時に、組織の施設に踏み込んで来た警官の一人で、ヴェア=ガング事件の担当の為か、保護施設に定期的に訪れている。組織の子供だけのプレイ・ルームにもしょっちゅう顔出しするので、ティオゲネスとも顔馴染みだった。
聞けば、彼はその昔、北の大陸<ユスティディア>の北部でストリート・チルドレンをしていたところを、ユスティディア担当のレムエ支部の刑事に保護され、その後、紆余曲折を経て恩人と同じ職に就いたらしい。
ユスティディアは、別名『犯罪大陸』とも呼ばれており、北部に行く程治安は悪い。その北部で育ったということは、凄絶な子供時代を過ごしたということに他ならなかった。
経緯を語る口調は、とてもその場凌ぎの嘘で塗り固められているとは思えなかった。余談ながら、ティオゲネスも実戦訓練と称してユスティディアに放り込まれたことが何度かある。作り話ならすぐに分かった筈だし、何より、同じような境遇で育ったからこそ、直感で信用できる『何か』が彼にはあった。
一年の付き合いを経て、ラッセルは晴れてティオゲネスのパーソナル・スペースを獲得した刑事の一人だった。
見た目は二十代半ば――下手をすると十代後半にも間違われそうな顔立ちをしているのだが、実年齢は今年で三十一になる。顎はすっきりとした鋭角で、切れ長の目元とのセットは、人にきつめの印象を与えそうだ。けれども、やや大きめの琥珀色の瞳が鋭い印象を和らげている。その目が、彼を実年齢よりも若く見せているのだろう。
しかし、相対しているティオゲネスと比べると、ラッセルの容姿の端正さも霞んでしまう。
まだ十一歳と幼いティオゲネスだが、初対面の人間は皆一様に目を瞠る程の美貌の持ち主だ。
「にしたって、ちょっと勿体ない気もするけどな。あれから一年経ってるし、他にもどっかに引き取られた子がいない訳じゃないだろ?」
ホット・コーヒーを傾けながら水を向けるラッセルに、ティオゲネスはトゲのある目線を向けた。
「他人事だと思って気楽だよな、あんたは。断っとくけど、組織の仲間内で、どっかに引き取られたって話はまだ聞かないぜ」
「そうなのか?」
ラッセルは、その琥珀色の瞳を、やや瞠ってティオゲネスを見る。
「少なくとも、本部にいる奴らはって前提付きだけど」
言って、ティオゲネスは肩を竦めた。
ヴェア=ガングは、かなりのマンモス組織だったから、保護施設本部も相当広さがあるが、元々施設にいた子供達の中に加えられると、部屋数が足りなかった。
CUIOとIOCAは、急拵えであちこちのホテルを押さえ、本部からあぶれた子供達の仮保護施設としていたらしい。
組織崩壊から一年経った今では、事件直後から建設を始めた建物が完成し、仮保護施設にいた子供達はそちらへ移っているとラッセルからも聞いている。
「本部長は、まだ里子に出すには早いって考えらしい。俺に限らず、組織からここへ保護された連中に関してはな」
俺個人としても、個人家庭に引き取られるのはやっぱ気乗りしねぇし、と付け加えながら、ティオゲネスは目の前にあるココア・フロートのグラスに浮かんだアイスクリームをつついた。
グラスの向こう側に置かれたマドレーヌの山諸共、ラッセルの奢りだ。
「まだ初対面の人間は怖いか?」
揶揄うでもない口調で、ほぼ核心を言い当てられて、ティオゲネスはアイスクリームをつつく手を一瞬止める。
「……別に。ただ、そう簡単に信用出来ねぇってだけ」
「じゃあ、トライアル、受けてみたら良いじゃねぇか。何も半年たっぷりそこにいなくてもいいんだしさ」
「あーいう手合いは特に信用出来ねぇんだよ。言ったろ? あの上から目線の坊ちゃんの腹立つ話」
マドレーヌを一つ手に取って、やけくそのようにかぶり付きながら言うと、ラッセルは苦笑して肩を竦めた。
ティオゲネス曰くの『上から目線の坊ちゃん』こと、ルイス=フェルトンとその両親が保護施設を訪ねて来てから、三日が経っていた。
彼らはあの後、一旦メストル・シティ内にあるホテルへ引き上げたらしい。
ルイスをちょっとばかり痛め付けたティオゲネスとしては、本部長ことビクトリアからお小言でもあるのじゃないかと内心身構えていたが、三日経った今でもその気配はなかった。
ルイスが周囲の大人達に何も言っていないか、言ったとしても、ビクトリアが何か考えがあってティオゲネスを呼ばないのか、真相は定かではない。しかし、ティオゲネスとしてはどうでも良かった。最悪、ここを叩き出されたとしても、一人で生きていけるくらいの力は、皮肉にも組織時代に培われている。但し、手段を選ばなければ、の話ではあるが、それにしても世界で一番治安が良いと言われる西の大陸<ギゼレ・エレ・マグリブ>で、ヴェア=ガング仕込みの子供が生き抜くのはさして難しいことではない。
その覚悟と実力が、ビクトリアに『小言を言うくらいでは堪えない子供だ』と判断させているのかも知れないが、やはりその辺りは不明としか言えなかった。
「まあ、聞いてりゃ確かに腹の立つ話だったけどよ。おれはお前側の話しか聞いてねぇから、ここでお前の味方はしないぜ」
「何だよ。俺の話が嘘だってのか?」
反射でムッとして、思わずひねくれた言葉が口を突くが、ラッセルは慌てるでもなく宥めるでもなく、やんわりと微笑した。
「そうは言ってないさ。ただ、おれもストリート・チルドレンやってた年数より堅気の世界に出て生きた年数の方が長くなったからな。まあ、両方の話聞いて判断するのは、職業病みたいなモンだ」
苦笑して肩を竦めるラッセルに、ティオゲネスは胡乱な目を向ける。
「どーだかな。俺だって外の世界に出て一年経ってる。その間、ぼんやりしてたと思って貰っちゃ困るね。ケーサツの思い込みで濡れ衣着せられた挙げ句に、人生大半棒に振らされた理不尽な話も結構聞くぜ?」
それって、結局片方の話しか信じないから起きるんだろ? と付け加えると、ラッセルはもう一度苦笑した。
「否定しねぇよ。けど、だからこそ、おれは片方からだけ話を聞くってコトは出来るだけ避けるようにしてる。裏社会にいた時の経験則と……まあ、恩人の教えでもあるしな」
ふーん、と気のないような返事をして、ティオゲネスはココアを啜る。
「とにかく、もう一度よく考えてみたらどうだ? 受ける受けないは別としてさ。その一家、まだこっちにいるんだろ?」
「らしいけど」
「それに、そのルイスって坊ちゃんだって、まだ十三だろ? 言って良いことと悪いことは、他人に諭されれば分かる年頃だ。これから幾らでも改められる。一度の過ちで人生否定されたら、坊ちゃんが気の毒だぜ」
ラッセルの最後の一言に、ティオゲネスはまたしてもピクリと身体を緊張させた。
(一度の過ち、か)
クス、と自嘲の笑いが漏れる。
ティオゲネスは十一年の生涯の内、大半は犯罪行為と人殺しに明け暮れて育った。二歳年上とは言え、十三年生きたルイスの、あのたった一度の失言が、人生を否定されるような過ちだとしたら、自分はどうなるのだろう。
ラッセルがそれを言いたいのはすぐに分かった。が。
「……結局あっちの味方なんだな」
拗ねたような文句が出てしまうのは、どうしようもない。しかし、ラッセルは気を悪くした風もなく、やはり柔らかく微笑して、ティオゲネスの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「価値観の押し付け云々に関しちゃ、おれもお前と同意見さ。ただ、もちょっと寛大に見てやれよ。平和な世界で暮らして来た分、あっちがガキなのは仕方ない。それこそ、人生経験の差があるんだからな」
ややあって、ティオゲネスは軽く吹き出した。
「あんたも大概上から目線だな」
あっちがガキなのは仕方ないだってさ。
そう付け加えると、ラッセルは初めてばつの悪そうな顔をして視線を逸らせた。
「うるせぇよ、揚げ足取り。おれもそーいうお坊ちゃんは公平に見ても腹立つ人種なんだから、仕方ねぇだろ」
「公平に見ても、ねぇ。寛大はどうしたよ」
「個人的には、無神経な温室育ちに遣う気は持ち合わせてねぇから、知らないね」
大人げなく唇を尖らせると、その童顔は益々幼く見える。
逸らせていた視線をチラリと戻したラッセルと目を見合わせると、二人は一瞬の間の後、爆笑した。
***
ルイスは、未だに最悪の気分だった。
正確に言えば、最悪の気分で三日前、この保護施設を辞した。
ティオゲネスに廊下へ転がされた後、たまたまそこを通り掛かった女性職員に助け起こされ、どうしたのか、何があったのかと訊ねられた。しかし、正直なことは言えなかった。ただ、自分はここへ里子引き取りの申請に来た者の家族で、ちょっと施設内を見学させて貰っていたら迷い込んだ、家族は本部長の元にいるとだけ手短に答えた。
すると、その職員は、手近にあった執務室から、内線で本部長室に連絡を入れ、ルイスを本部長室まで送ってくれた。
ルイスにとって、更なる予想外の出来事が起きたのは、その後だった。
そこまでルイスを連れて来てくれた職員は、こともあろうに、ルイスが迷い込んだ先で倒れていたことまで説明しだしたのだ。送ってくれた後、彼女は黙って下がると思い込んでいただけに、ルイスは慌てた。けれど、止める間もなく、職員はルイスの咄嗟の作り話まで丁寧に語り、本部長のビクトリアに下がるよう言われてようやくその場を辞した。
ルイスは非常にばつの悪い思いでその場に立っていた。
ビクトリアはともかく、父か母に何を言われるのか、内心断罪を待つ思いだった。けれども、父も母も、その場では何も言わなかった。ビクトリアもだ。
その日は、程なく父が『ではまた、日を改めて伺います』と言って、三人で施設を後にした。
ホテルへ戻るまで、三人は無言だった。その空気が、ルイスにはひどく重苦しく感じられて、ホテルまでの道が果てしなく遠いものに思えた。
保護施設から一キロ圏内にあったホテルに辿り着き、一息吐くと、父が『こちらへおいで』と穏やかな声で手招いた。
『そこへお座り』
言われるまま、ルイスは示された備え付けのベッドに、父と向かい合って腰を下ろした。
『お前は、さっきあのティオゲネス君に会ってくると言って、応接室を出た筈だね。なのに、何故、施設内を見学していたコトになっていたんだい?』
『あの……』
『うん?』
父は、ルイスのしたことを咎める時、決して頭ごなしに怒鳴ったりはしない。だが、平時より一層穏やかな声で窘められる方が、余程恐ろしかった。
『ご……ごめんなさい。でも、あの子が悪いんだ』
『どう悪かったんだい?』
『だって……僕達が家族になりたいって言うのに、嫌だって言い張ったから』
『だから?』
『だから……僕、あの子に言ったんだ』
『何て?』
穏やかに問われて、ルイスは震え上がった。
自分は、間違ったことなど言っていない。一方的に暴力を振るわれた被害者なのだ。なのに、父にありのままを伝えることが、何故こんなにも恐ろしいのだろう。
『僕……僕達が君を家族に望んでいるんだから、言う通りにするべきだって』
瞬間、父の顔は険しくなった。
その後、ティオゲネスに足払いを掛けられ、喉に手を掛けられたところまで話す余裕はなかった。
『ルイス』
『……はい』
『それは、お前の意見だ。お前が正しいと思ったコトは世間も正しいと思ってくれるとは限らないよ』
『でもっ、孤児でいるより家族が出来たら絶対に良いし、嬉しい筈でしょ?』
言い募ると、父は少し表情を柔らかくして頷いた。
『そうだね。父さんもそう思うよ。でもそれは、あのティオゲネス君にとっては、親切の押し売りでしかないのかも知れない』
『そんなコトないよ!』
『ルイスはそう思っているだろう。だが、あの子には違うのかも知れないよ?』
ルイスは、悲しくなって眉尻を下げて父を見た。
『じゃあ、父さんはあの子を諦めるの? 他の子を、ウチの家族にするの?』
『いや。さっき、お前が応接室を飛び出した後、父さん達はビクトリアと少し話し合ったんだ。あの子の意思は別として、父さん達も、お前の希望もあるが、心療内科医の立場からもあの子を放ってはおけない、と。もし、ここを発つ時までに、彼の気持ちが動くようなら教えて欲しいとね』
『じゃあ……じゃあ、もし、あの子の気持ちが動かなかったら?』
『その時は仕方ない。他の子を選ぶか、今回は見送るかの決断を、ここを発つ三日前くらいまでには下さないといけないね。ただ、見送る方を選択すると、次に養子縁組みの申請をしても、かなり審査が厳しくなってしまうが……』
お前が気乗りしない子を引き取っても、お互い不幸だからね。
そう付け加えた父の顔が、ひどく寂しそうで、ルイスは胸が痛んだ。
『ごめんなさい……』
『いや、謝るコトはない。これも、神様の思し召しだろうからね』
父の掌が、ルイスの頭をくしゃくしゃと撫でた。
そうして撫でられる時、大抵は嬉しくてくすぐったい気持ちで満たされるのだが、この時だけは申し訳ない気持ちで一杯だった。
ただ、その申し訳ない気持ちは、時間が経つと共に、あの少年への怒りに姿を変えた。
そもそも、何故自分が両親に、こんな風に負い目を感じなければいけないのか。全部、あの少年の所為だ。
彼さえ、養子縁組みに『イエス』と言いさえすれば、今頃円満に自宅への帰路での船旅を楽しんでいただろうに。
養子に望まれているのだから、素直に喜びさえすれば、幸せな生活が約束されているのだ。中には嫌なことがある時もあるだろうが、長い人生それはほんのひとつまみの出来事だろう。
何故、彼が目の前に提示された幸運を拒絶するのか、ルイスには全く分からなかった。
(絶対に、『うん』と言わせてやる)
そう心に決めて、ルイスは今、両親の目を盗んでこの保護施設へ足を運んだ。
(それより、まず僕に謝らせる)
彼は、ルイスにひどい恥を掻かせ、嘘まで吐かせたのだ。絶対に、心からの謝罪をさせなければならない。頭を下げてくれさえすれば、ルイスだって鬼ではない。寛大な心で、一度や二度の過ちは水に流すことは出来る。
それに、何故かは分からないが、あの少年は美貌と裏腹に物凄く態度が悪い。口も最悪だ。喋り出したらイメージが丸潰れとはあのことである。
いくら心に傷を負っていたとしても、言って良いことと悪いことは、教えなければならない。
折角、保護施設の孤児から、一般家庭の子弟になれるというのに、こんなチャンスを逃すなんてバカげているとしか言いようがない。その愚かしさを悟らせ、謝罪させた上で、ルイスの弟として迎えるのだ。それが、彼の為でもある。
鼻息も荒く保護施設を訪れて、彼の居場所を聞き出し、案内されたまでは良かった。だが、あの日、侮蔑と冷ややかな表情しかルイスには向けなかったあの少年が、施設内のオープン・カフェで、向かい合った男性と談笑しているのには驚いた。
(何で)
人間不信ではなかったのか。誰にでも、ルイスや両親に向けたような、冷淡な態度を取っているのではないのか。
今の保護者と言えるビクトリアにさえ、冷笑を向けていた様から推し量って、そうなのだと思い込んでいたが、今ルイスの目の前では確かに少年は笑っている。皮肉っぽい笑い方ではあるけれど、それでもルイスに向けられていた冷ややかさがまるでない。しかも、彼らまでの距離的に何を話したのかはよく分からなかったが、ティオゲネスは男性に頭を撫でられるままになり、次いで爆笑した。
(何で?)
ズキリと胸が痛む。
ひどい――ひどい、ヒドイ。何故、自分にはあの笑顔は向けられないのか。どうして、あんなにヒドイ仕打ちを受けねばならなかったのか。あんな仕打ちを受けねばならない何かを、自分は彼にしただろうか――。
答えは出ない。何一つ、心当たりもない。痛んだ心が膿を持って、怒りよりももっと粘着いた感情に変わるのに、そう時間は要らなかった。
「ミスタ・フェルトン? どうかされましたか?」
「あ……」
ここまで案内してくれた男性職員が、それ以上歩を踏み出さないルイスに、不審そうに声を掛ける。
「あ……いえ。やっぱり、いいです。帰ります」
「え? でも」
「本当に、いいんです。ありがとうございました。済みません」
ペコッと頭を下げると、職員が呼び止めるのも構わずクルリと踵を返して駆け出した。
(許せない)
相手によって態度を変えるなんて、あんまりヒトをバカにしている。
それに、考えれば、父も母も恥を掻かされたのに変わりはない。ビクトリアの前で、申し出を手酷く跳ね付けて、両親の面子は平たくプレスされてしまった。
(絶対に、許せない)
何が何でも、彼に頭を下げさせる。そして、ウチに来たら、世間の常識をたっぷりと教えてやらねばならない。両親の手前、表立って乱暴なことは出来ないが、両親の前では見事に『模範的な良い兄』の仮面を被りおおせ、陰では厳しく指導し、どちらが上か、よく教えてやらねばならない。
(見てろよ)
エントランスを走り抜けたルイスは、足を止めて、保護施設の建物を睨み付けるように見上げた。
(世間はそんなに甘くないんだからな)
ふん、と鼻先で笑うと、ルイスは再びホテルに向かって大急ぎで駆け出した。




