Intermezzo.3 ルイスの失言
「申し訳ございません」
扉が閉まるか閉まらないかの瞬間、ビクトリアが深々と頭を下げる。
無理もない。現在の保護者代わりに、我が子として世話している少年が、里親になりたいという相手にあんな態度を取ったのだ。普通の神経の持ち主なら、公平に見ても少年の態度には、反射で怒りしか沸いて来ないだろう。
しかし、ルイスの脳内は、飽和状態だった。怒りとかそんなものよりも、ショックの方が大きい。
目の前で頭を下げるビクトリアを見てはいたし、その理由も分かってはいたが、その全てがどこか遠い出来事のように思える。
(何だったんだろう、今のは……)
経験したことのない種類の緊張から解き放たれ、覚えず溜息が漏れた。ほんの一、二分前までビクトリアの隣に座っていた少年のことを思うと、ひどく居た堪れない気分になる。
呼び出しに応じて現れた少年は、やはり少年と思えない程美しかった。
この際、性別はどうでもいい。このずば抜けた美貌の持ち主が、自分の兄弟となってくれたら、さぞかし誇らしい気持ちだろう。きっと仲良くなれる。そう思って、満面の笑み付きでした会釈を、当の少年はつっけんどんに弾き返してくれた。
ビクトリアが、養子縁組みの話を持ち出せば、彼も喜んで応じてくれるものとばかり思っていただけに、彼のリアクションに受けた衝撃は、決して軽くはなかった。
「やはり、まだ無理なのでしょう。彼に限りませんが、昨年ある場所から救出した子供達は、大なり小なりああいう感じなので……」
「いいえ」
ビクトリアが、ティオゲネスと紹介した少年の弁護をするのへ、父が言葉少なに応じているのが、遠くから聞こえる。
「それよりビクトリア。不躾ながら、一つ伺ってもよろしいでしょうか?」
「何でしょう」
「今、救出……と仰いましたが、彼はどこかにその……監禁でもされていたのでしょうか」
立ち上がっていた父が、ソファへ座り直しながらほぼ単刀直入に訊くと、ビクトリアは暫し言い辛そうに目を伏せる。ややあって、重い口を開いたビクトリアから発せられたのは、父が求めているであろう答えではなかった。
「……申し訳ございません。先にも申し上げた通り、今はまだ詳しくはお話出来ないのです。ただ、ティオと同じ場所から救出された子供達は皆、心に深い傷を負っています。ティオ本人も、勿論例外ではありません。その傷は、決して全員が同じモノではありませんが、ああして心を武装しなければ、自分を保っていられないのです。ですから、彼の態度はどうか、寛大な心でお赦し下さい」
「それは……」
「可哀想に」
父が言い淀んだ隙間に、涙を流しながら口元をハンカチで覆っていた母が、無意識のようにくぐもった声で呟く。
「どんな……どんな風に傷付けられれば、あんなことになるのでしょう。あんなに心がズタズタになる前に、どうして彼には助けの手が差し伸べられなかったのか……」
ビクトリアは、その言葉にびっくりしたように目を瞠り、母に視線を向けた。
「私にもそのように見えました」
ビクトリアの視線の疑問に答えるように、父が後を引き継ぐ。
「彼の言動は、ただの反抗心や、攻撃的に他人を傷付ける意図での暴言とは全く違う。毛を逆立てた猫……と言ってしまうと語弊があるかも知れませんが、ああして必死に自分を守っているようにしか見えなかった。彼はきっと、他人を信じられないのではなく、信じた先に裏切りが待っているのではないかと恐れているだけです」
穏やかに紡がれた父の言葉に、ルイスも驚いた。
あのティオゲネスという少年の態度は、ルイスにはただただヒトが嫌いなのだとしか映らなかったからだ。
そして、ティオゲネスの言動を額面通りにしか受け取れなかった自分を恥じた。
「……そう言えば、お二人は確か心療内科医の資格をお持ちでしたね」
一時の驚きから立ち直ったビクトリアが苦笑して言うと、父が「今でも現役ですよ」と応じる。
「では、今お二人がこちらへいらして、病院の方は大丈夫なのですか?」
「こちらへ来るに当たって、以前から臨時休暇を申請していました。我々が勤めているのは総合病院ですし、我々でなくとももっと優秀な心療内科医はいますから、一、二週間でしたら大丈夫でしょう」
「そうですか」
まだ硬い表情で頷くビクトリアと、父の間で交わされた後半の会話は、ルイスの耳には半分ほどしか入っていなかった。
「僕……僕、もう一度あの子と話してみます!」
矢も盾もたまらず立ち上がると、駆け出して応接室を飛び出した。ビクトリアが止めたような気がしたが、それもやはり自分には関わりないところで聞こえる山彦のように思えた。
廊下の奥まった場所にあった部屋から外へ飛び出すと、右手にしか進路はない。
真っ直ぐに駆け出して進めば、程なく左手に、来た時に通ったエントランスが見えた。そのプレイルーム状態のエントランスに視線をざっと走らせても、ティオゲネスの姿はない。
「ね、ねぇ、皆! ちょっといいかな」
その場にいる子供全員に聞こえるように声を張り上げると、子供達が一斉にルイスに注目した。一瞬、気恥ずかしさに怯みそうになるが、どうにか言葉を続ける。
「あ、あの……この保護施設にいる、ティオゲネス=ウェザリーっていう子、今どこにいるか知ってる?」
その問い掛けに、子供達――全部で二十人前後だろうか――の間に小波のようにざわめきが広がる。
「ティオゲネスって……あの、すっごいキレイな子のコト?」
子供達を代表するように、ルイスの一番手近にいた、十歳前後に見える少年が口を開いた。
「うん、そう」
「君達が来た時にここにいたのを見てからは、見掛けてないと思うけど」
ね、と少年が同意を取るように他の子供達を振り返ると、子供達は口々に「うん、見てない」と言ったり、黙って頷いたりしている。
「じゃ、じゃあ、彼が行きそうな場所を知らないかな」
「うーん……あいつらは皆プレイスペースにはあんまり寄り付かないし……あ、図書室で時々見掛けるけど。後は、あいつら用にって用意された部屋とか」
「その部屋って?」
食い下がるように訊ねると、少年は面倒臭そうに肩を竦めて、「こっちに来なよ」と手招く。少年に従って歩を進めると、彼はエントランスホール奥に設えられた見取り図を示した。
「ほら、ここが図書室だろ。で、ここが、その部屋だよ」
その見取り図によると、このIOCA本部は二階建てらしい。ただ、敷地面積が、ルイスには途方もなく広く思えた。
タガの外れたその広さに呆気に取られている間に、少年は礼を言う隙もなくルイスから離れて仲間の元へ戻っていってしまう。背後から慌てて礼を述べたが、その声に最早少年は振り返らなかった。
しかし、既にその時見取り図を確認するのに忙しかったルイスもルイスで、殆ど少年の反応には頓着しなかった。
(図書室はまたここに戻って確認できるから……先にその部屋に行ってみるか)
そこは、エントランスホールから見ると一番奥まった場所にあった。
受付に行って見取り図の載ったパンフレットか何かないかを訊ね、受付嬢からそれを受け取ると、ルイスは中庭へ足を向けた。
見取り図によると、敷地は広いが、大部分は中庭だ。庭伝いに行く方が、建物の中を通るよりも近い。
庭を見渡せるような設計の回廊と中庭が交互に重なるような構造の道を経て、ルイスは目的の建物奥を目指してずんずん進んで行った。
手前に何かの植木が青々と茂る、その向こうの建物の中が目指す部屋だ。ルイスは、逸る気持ちに背を押されるように、小走りで建物内へ通じる回廊へ向かった。
天気がいい所為か、それとも昼間だからか、出入り口となる扉は開け放たれている。
そこから数メートル、十字通路を挟んで向こう側に、扉がいくつか並んでいた。その扉の中は、どういった造りになっているのか定かではない。
開ければ当然、その室内で生活する人間がいるだろう。ノックするのは当然としても、その後、目指す人物がいなかったらどうすればいいだろう。
先刻、エントランスのプレイスペースで経験した、注目される気恥ずかしさをもう一度味わう羽目になる。
(図書室に先に行った方が良かったかなぁ)
ルイスは内心で呟いて、眉を顰めた。
しかし、これから図書室へ引き返し、もしそこにティオゲネスがいなかったら、結局はまたここへ戻って来なければならない。
どうにか、扉を開けずに室内を確かめる方法がないだろうか。そう思って、鍵穴に目を近付けた瞬間。
「……何やってんだ、お前」
如何にも不審そうな声で質され、ルイスは飛び上がりそうになった。実際、心臓は飛び跳ねたようにバクバクと脈打っている。
慌てて振り向くと、そこには捜し求めていたあの美貌の少年が立っていた。
「あ、あの……」
「全く……どこのお坊ちゃんが迷い込んで来たのかと思えば、あんたかよ」
美貌の少年――ティオゲネス=ウェザリーは、呆れたように目を細めて冷ややかにルイスを見つめると、無言でルイスを押し退けてノブに手を掛ける。
「とっとと親んトコに戻ったらどうだ? それとも、帰り道が分からねぇ、とか言い出さねぇだろうな」
「き、君を迎えに来たんだ!」
「はあ?」
咄嗟に、彼を留めようとしていきなり本音を漏らしてしまった。
唐突に『迎えに来た』などと言われれば、ルイスがティオゲネスの立場でも眉根を寄せるだろう。そのことに、一瞬遅れて気付いて、慌てて深呼吸して居住まいを正す。
「あの……どうしても、ウチに来るのは嫌かい?」
「お宅だけじゃない。どこのウチだってお断りさ」
「どうして」
「同じ話を繰り返すつもりはねぇ」
話は終わりだとばかりに踵を返した少年に、ルイスは食い下がる。
「ねえ、待ってよ。どうして、やってみもしないで諦めちゃうのさ」
「諦める?」
如何にも「面倒くさい」と言わんばかりの表情でティオゲネスが応じるのへ、ルイスは、ここぞとばかりに続けた。
「そうだよ。君は、ヒトが信じられない訳じゃない。信じた先に裏切りがあるのが怖いんだろう?」
父が言ったことをなぞると、ティオゲネスは「ふん」と鼻で笑ってそれを退けた。
「知った風な口利くんじゃねぇよ。あんたに何が分かる?」
「分かるさ。君は、『慈善事業で孤児を引き取るような人間はいない』って言ったね。でも、僕だって孤児だった。赤ん坊の頃、今のあの両親に引き取られたんだけど、今凄く幸せだよ。父さんも母さんも、心から僕を慈しんでくれる。血の繋がりはないけど、我が子同然に思ってくれてるのが分かるんだ。だから、父さんも母さんも、君のコトも同じように可愛がってくれるよ。僕だって、君を弟として大事にするつもりだし」
「下らねぇ家族ごっこなら、違う奴とやってくれよ。俺でなくても、この保護施設に孤児ならごまんといる。喜んでくっついてってくれるガキを探せばいいだろ」
「僕は君がいいんだよ!」
叫ぶように言えば、ティオゲネスはその翡翠の瞳をびっくりしたように見開く。初めて動いたように見えた表情に、ルイスは手応えを掴んだように思えて、畳み掛けた。
「父さんも母さんも、きっと君がいいって言うよ。ここに来るまでは、正直言って、誰が弟か妹になるか分からなかった。でも、誰が来ても大事にするって思ってたし、誰が『きょうだい』になってくれるんだろうってワクワクしてた。けど、ここに来て、君を見つけちゃったんだ。弟にするなら、もう他の誰かじゃなくて、君がいい。男の子にこんなコト言ったら変だと思うかも知れないけど……君以外は考えられないんだ、だから……お願いだよ」
半ば懇願めいた響きを帯びた訴えにも、ティオゲネスは動じなかった。驚いたように見えた表情は、その訴えを聞く内に落ち着きを取り戻し、今はその翡翠の瞳には冷ややかな光が浮かんでいる。
「その『お願い』とやら、俺は聞く義務があるのか?」
『嫌だと言ったら嫌だ!』といった類の、子供の駄々のような言葉が返って来たら、ルイスも『そんなコト言わずに』と更に畳み掛けていただろう。
しかし、理詰めの冷静な――というより、寧ろ氷のように冷えた一言を返された為に、ルイスは一瞬怯んでしまった。確かに、彼の言う通りだとしか思えなかったのだ。
それは、口には出来ずとも顔に出ていたに違いない。
ティオゲネスは、また「ふん」と鼻を鳴らすと、今度こそルイスに背を向けた。
(待って!)
言葉にならなかったそれは、行動に現れた。思わず、ティオゲネスの上着を掴む。
後ろから引き留められて、ティオゲネスは足を止めざるを得なかったらしい。もう一度至極迷惑そうな表情をこちらに向けた。
「まだ何か用か?」
「……分かったよ。じゃあ、賭をしよう」
「賭だ?」
ティオゲネスは、その形の良い眉を思い切り顰めると、呆れたように先を続ける。
「ホンットに芸がねぇな、あんたら親子は。賭ってそもそも何を賭けるんだよ」
「だ、だから、それはトライアルを経て、」
「信用に値しなきゃ、あんたらが俺を諦めるって話か? あんたさぁ、俺と親父さんの話、ちゃんと聞いてたか? 俺は断るって言っただろ」
「そ、そんなの、本当にやって見もせずに断るなんておかしいだろ! そんなに自信がないのかよ!」
どこかカチンと来て言い返すと、ティオゲネスは今度はその美貌に嘲笑を浮かべて投げ出すように言った。
「安い挑発だな。そう言えば、俺が売り言葉に買い言葉みたいに賭に乗るとでも思った訳?」
「……ッ、そ、れは、」
「大体さぁ。あんたら二人共、賭の意味をはき違えてるぜ。賭って何をするコトか、ちゃんと分かってんのか?」
「だから、それはちゃんとトライアルをやってみてから」
「それは賭じゃない」
「じゃあ、君は分かってるのかよ!」
思い通りにならない話し合いに、ルイスは苛立ちを隠せず、爆発してしまう。
ルイスが相手の立場だったら、きっと怯んでいた。その怯んだ隙が、切り込む隙になっただろうが、ティオゲネスはとことんルイスの予想を裏切った。
「分かってるさ。よーするに、ギャンブルだろ。ギャンブルってのが微妙に意味違いなら、何か大事なモノを無くす覚悟で物事に挑むって、辞書に書いてある言葉をそのまま使っても説明になる。けど、あんたらが言う『賭』は、まるで賭になっちゃいない。万が一負けたとしても、痛い目は見ない訳だからな」
「なら、僕が負けた時に痛い目を見るような『賭』なら乗ってくれるのか?」
「だから、俺がその賭にどうしても乗らなきゃいけない理由でもあるのかって、そもそもその必然性を訊いてるのに、あんた全然ヒトの話聞いてねーんだな」
「僕達は、君に家に来て欲しい。家族になって欲しいと望んでるんだ。養子にと望まれた孤児なら、本部長に命令されたなら、有り難く言う通りにするべきだろ」
途端、衣服の背後を掴んでいた筈の手は、簡単に跳ね除けられる。次いで起こったことは、ルイスには説明のしようがなかった。
足が浮いて景色が反転し、背中に衝撃を覚えて、気付いたら天井を見上げていた。
「あんた、最低だな」
ティオゲネスの声音がオクターブ下がり、温度も氷点下になっているのに、ルイスは気付けなかった。ただ、見上げた翡翠の瞳が、それまで見たことがない程に冷たい色を湛えているのは分かる。
「バカの一つ覚えみてぇに、『ウチに来て』って言ってる内は、俺だってここまでするつもりはなかったんだけどな。そういう態度に出るなら、こっちにも考えがあるぜ」
「……な、にを」
口を開き掛けるが、鳩尾に圧迫を感じて、ルイスは息を呑んだ。いつの間にか喉に掛けられた少年の片手が、首筋を締め上げる。
「覚えとけよ。そういうのを、『上から目線』ってんだ。あんたは、自分も孤児で俺と同じ立場だって強調しながら、実は俺達を一段低く見てるんだ。憐れんで、自分の持っている裕福な何かを分け与えてやれば、相手は喜んで当然だと思ってる」
少年は艶やかに微笑むと、身を屈めてルイスの耳元へ唇を寄せた。
「俺の一番嫌いなモノを教えてやろうか? てめぇの価値観でしか他人を測れない、あんたみたいな人種だよ」
クスッと嘲りの含まれた笑いを耳元で零すと、ティオゲネスはゆっくりと身体を起こした。彼が立ち上がると同時に、鳩尾の圧迫から解放されて、ルイスは思わず吐息を漏らす。
「とにかく、俺のコトは諦めろよ。そいで、あんたの施しに喜んで食いついてくれる奴を連れて帰りな、お坊ちゃん」
ティオゲネスは、凄艶な笑みを残して、今度こそドアの向こうへ消えた。ルイスはそれを、廊下に横たわったまま、ぼんやりと見送ることしか出来なかった。




