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ティオとエレンの事件簿  作者: 神蔵(旧・和倉)眞吹
Intermezzo―Four years before―
31/72

Intermezzo.2 持ち掛けられた賭け

 今日もよく晴れていた。

 回廊から臨める中庭には、IOCA本部に保護されている子供達の歓声で溢れている。それを眩しげに見つめているのは、中庭で駆け回る子供達と同じ年頃の子供だった。

 銀灰色の髪に、極上の翡翠を思わせる瞳を持つ、ずば抜けた美貌の持ち主は、一見すると少女にも見紛う容姿だが、(れっき)とした少年だ。

「ティオ!」

 ティオ、ことティオゲネス=ウェザリーは、背後から声を掛けられておもむろに振り返る。

 そこに立っていたのは、先頃崩壊した暗殺者養成組織で一緒に育った少年の一人・アルヴァール=フロリドだった。褐色の肌で、癖のない黒髪は、うなじに掛かるか掛からないか程度の長さがある。ティオゲネスより四つ年上の十五歳だが、百八十センチ近い長身で、二十歳前後と間違われることも多い。

 対するティオゲネスは、百三十五センチで、彼の年齢の平均からすると小柄な方だ。ただでもそうなのに、アルヴァールと並んでしまうと、どうしても殊更小柄な印象は拭えない。

「珍しいな、中庭にいたのか」

 アルヴァールは、小走りで近付いて来ると、先刻ティオゲネスが見ていたものを確かめるように黒い瞳をそちらへ向けた。

「まあな。たまには太陽の光でも浴びようかと思ってさ」

 その年頃の少年には似付かわしくない、自嘲的な笑みを浮かべると、ティオゲネスは肩を竦める。

「太陽、か」

 しかし、アルヴァールも同じように苦笑に近い笑いを零して、空を見上げた。

 太陽の下を歩く。

 それは、闇の中が日常だった自分達には、何て贅沢なことだろうと思っているのがありありと分かる、そんな微笑だった。

 突然の解放から、一年が経とうとしていた。自由になったことが信じられなくて、同時にどこかホッとはしたけれど、まだ何か、身体の奥深いところにわだかまるものはある。

 それが、果たして何と名付ければいい感情なのか、ティオゲネスには分からない。恐らくアルヴァールも、他の子供達も、大なり小なり感じているものではないだろうか。

 そして、解放されたことを喜んでもいいものなのかどうかも、未だに分かっていない。

 勿論、普通に考えれば、不当に拘束されていた場所から解放されたのだから喜ぶべきなのだろう。

 けれども、組織崩壊の一年前、ティオゲネスは親友とも、姉とも思っていた少女・アマーリア=フィリッパ=クルーをその手で殺していた。

 二人で脱走を企てた末に失敗して捕らえられ、自分の命か彼女のそれかの、非常に有り難くない二択を迫られた。熟考している暇はなかった。

 銃口を側頭部に押し付けられ、考える時間はたったの五秒しか与えられなかった。迷うように彼女を見ると、瞬時合った視線の中で、アマーリアは微笑した。

 その微笑が、何を意味していたものか、ティオゲネスには未だに分からない。ただ、その時は、『好きにしていい』と、身勝手にもそう言われた気になって――それより何より、自分の頭部に押し当てられた銃口から弾丸が出てくるのが怖くて、単純に死ぬのが恐ろしくて、気付いたら彼女に向けて引き金を絞っていた。磔刑に処されるように拘束された彼女の身体が痙攣し、首を傾がせ、その眉間と心臓部から血が滲むまでが、スローモーションのように思えた。彼女の死の瞬間は、あれから二年経った今でも脳裏に灼き付いている。

 彼女の死と引き替えに、自分は延命し、その末に自由を得た。組織が崩壊し、ここへ保護された直後は、そのことにひどい罪悪感を覚えて何日も眠れなかった。いっそ、ずっと組織に縛られていた方が良かったとさえ思ったものだ。

 今でも、気持ちの整理が付いたかと訊かれれば、きっと首を縦には振れない。しかし、どんなに後悔しても、彼女はもう戻らないのだ。

 覚えず溜息を吐くと、隣にいたアルヴァールを改めて振り仰ぐ。

「ところで、何か用事でもあったんじゃないのか、ヴァール」

「あっ、そうそう」

 いけね、と挟むと、アルヴァールはティオゲネスに視線を戻した。

「本部長が呼んでるってさ。今日は珍しくエントランスにいたみたいなのに見当たらないから知らないかって、秘書のリースに言われて捜してたんだ」

「本部長が?」

 ティオゲネスは眉根を寄せた。

 暗殺者養成という特殊な組織の性質上、ティオゲネス達は保護されてから定期的にカウンセリングを受けている。この保護施設から、いずれどこか一般の世界に出た時、一般の常識を知らないでは済まされないからだ。

 特に、人の命について。

 ティオゲネスのように、未だに人を殺すという行為に付いてどこかで割り切れずにいる子供はまだ良い方で、あの組織で育った為に、人殺しが日常と同化してしまっている子供はかなり厄介らしい。

 ただ今日は、ティオゲネス個人のカウンセリングを受ける日程は入っていなかった筈だ。

 そう思ってアルヴァールに訊ねるが、彼も呼び出しの理由については聞いていないという。

「とにかく、行って来いよ。早くしないと叱られるぜ」

「それはないと思うけどな。もうここは組織の施設じゃない。忘れたのか?」

「あ」

 指摘すると、アルヴァールが苦笑を返す。ここへ来てからは、多少呼び出しに対する反応が遅くても、理由なく怒られるということはない。だが、そう理解しているのと、長年の習慣とは別のものだと、折に触れて思い知らされるのも事実だった。

「ま、俺もヒトのコト言えた義理じゃねぇけど」

 肩を竦めると、ティオゲネスは礼を言うようにアルヴァールの腕を軽く叩いて、彼の脇をすり抜けた。


***


 本部長が呼んでいるというからには、本部長の執務室でいいのだろう。

 そう見当を付けて、一階の奥に足を運ぶと、応接室の方へ通された。そこには、本部長のビクトリア=モンテスと、見知らぬ親子連れが、応接テーブルを挟んで向かい合って座っている。

「ああ、来たのね、ティオ。こちらへいらっしゃい」

 ビクトリアは、いつものように柔らかな微笑を浮かべると、ティオゲネスを手招いた。

 それに従ってソファへ歩を進め、彼女の隣へ腰を下ろすと、改めて親子連れと思しき三人に軽く視線を走らせる。先刻、エントランスでチラリと見掛けた三人だ。

 ティオゲネスは普段あまりエントランスに設えられたプレイルームには足を運ばないから一概には言えないが、外部から来た人間は目立つので、彼らがエントランスに入って来た際、ついそちらへ視線を投げてしまったのだ。

 彼らは、こちらを見てやや驚いたように目を瞠っている。

 ティオゲネスと初対面の人間は、大抵こんな風に目を一杯に見開いて自分を見るものだ。理由は、未だによく分からないけれど。

「こちらが、ティオゲネス=ウェザリーです。間違いないわよね、ルイス?」

 ビクトリアが何故かそう確認を取ると、ティオゲネスから見て向かって右端に座っていた少年が、興奮したように頬を紅潮させて、激しく首を縦に振った。

 それを見て、ビクトリアは柔らかな笑みを深くすると、改めてティオゲネスに視線を向ける。

「ティオ。こちらは、フェルトンさんご一家よ。左から、ご主人のリンジー、奥様のエリザベス、そして、ご長男のルイス」

 三人は、自分の名前が呼ばれて紹介されると、順にティオゲネスに向かって会釈した。

 リンジーは、ちょうどティオゲネスの父親と言ってもおかしくないくらいに見える。きちんと揃えられたプラチナブロンドの髪を持ち、理知的な光を帯びたブラウンの瞳に楕円の眼鏡を掛けた、そこそこ端正な顔立ちの男性だ。

 彼の妻のエリザベスも、やはり美しいという形容がぴったりの女性だった。濃いブロンドの長い髪が、やや強めのウェーブを描いて肩先までを覆っている。

 ルイス、と紹介された少年は、両親のどちらとも似ていない。髪の色はミルクティーのような色合いの薄茶色で、顔立ちが全く違った。整っていることは整っているが、どちらかと言えば凡庸だ。だが、愛嬌があると言えばいいのだろうか。目が合うと、パッと屈託なく笑った。少年に対してするにはおかしな表現かも知れないが、ヒマワリが咲くような笑顔だ。

 対して、何故この家族に紹介されるのか分からないティオゲネスは、無愛想に「どうも」と言うことしかできない。照れが先に立った訳ではなく、理由もなく他人に愛想良くするなんて、媚びを売る行為としか思えないだけだ。その辺の考え方は、ティオゲネスもまだ組織時代から抜け出せていない。

 そんな無愛想な返答を受けたからか、当然一家は面食らった顔をした。リンジーとエリザベスの夫妻は瞠目しただけだったが、ルイスは少なからず傷付き、それを隠そうとして敢えなく失敗した表情だ。

 だが、フェルトン一家はともかく、ティオゲネスのこの態度に慣れているビクトリアは、特に気にした風もなく言葉を継ぐ。

「フェルトンさんは、IOCAの審査を経て、里子を引き取る許可を与えられたご家族なの。実はね、ティオ。フェルトンさんは、是非あなたを引き取りたいと仰っておいでなのだけれど、あなたの気持ちはどうかと思って、それで呼んだのよ」

「……は?」

 ティオゲネスは、目を瞬いた。

「それ、どういう意味だよ?」

 本当に、全く分からなかった。

 そもそも、組織に入る羽目になったのは、引き取ってくれる親戚がいなかった所為だ。血縁が一応ある家を盥回しにされた挙げ句に、スラムの無分別ゴミ廃棄場に捨てられた。そこから拾い上げてくれたのは、有り難くないのか有り難いのか、あの組織だけだったのだ。

 なのに、そんな俺を、引き取る? この、普通に見える家族が? 一滴の血の繋がりもないのに?

「有り得ないだろ。何の冗談だよ。それとも、揶揄(からか)ってんのか?」

「ティオ」

 ビクトリアが、若干険のある声で、柔らかく、しかし窘めるように名を呼ぶ。だが、ティオゲネスは構わなかった。

「だって、そうだろ? そもそも俺なんか誰も要らなかったから、俺はつい去年まで『あんなトコ』にいたんだぜ? それを、今更俺が欲しいって言う人間がいるって? 寝言は寝てから言って欲しいね」

 吐き捨てるように言えば、流石にビクトリアの眉根にも皺が寄った。

 目の前のフェルトン一家は、言うに及ばずだ。夫妻はさっと曇った表情になり、ルイスは殆ど泣き出しそうになっている。発言を許されれば、「何故?」と訊ねたいと言わんばかりだ。

 けれども、ティオゲネスは謝罪などするつもりはなかった。同情も覚えないし、罪悪感もない。裏に企みを持つ人間は、大抵優しい顔の仮面を被るのが上手なものだからだ。

『お腹は、空いていないかい?』

 そう言って、ティオゲネスに手を差し伸べたあの男も、その時は優しい顔をしていた。その笑顔に見事に騙され、ノコノコくっついて行ったが為に、その後のティオゲネスの半生と来たら、それは見るも無惨なものになった。

 今でこそ、その組織は崩壊していい気味なことになったし、その時より生活環境もいい。人殺しを強要されることもない。だが、余所の家に移っても、この現状が維持されるとどうして断言できよう。

「俺は断る。俺を欲しいなんて言う人間に碌なのはいねぇ」

「どうして、そう決め付けてしまうの?」

 益々表情を険しくして、それでも声を荒げることはせずに、ビクトリアが食い下がろうとするのへ、ティオゲネスは蔑みの視線を向けた。

「あんたも慈善事業でこんなコトやってる訳じゃねぇだろ? IOCAは公的機関だし、そこに所属しているあんたは働けば報酬が貰えるから、下手なコトはしねぇで真面目に働いてるだけさ。無償で孤児を引き取るなんて酔狂な人間、存在する訳ねぇだろ。ましてや、赤の他人をだぜ? 何の見返りが欲しいのか知らねぇけど」

 そこで一度言葉を切って、ティオゲネスは目の前の三人を半ば睥睨(へいげい)するように見据える。三人の表情は、一様に硬くなっていた。

 リンジーは、眼鏡の奥から静かにこちらを見据えているが、嬉しそうな表情だとはお世辞にも言えない。エリザベスは何に傷付いたのか泣き崩れ、ルイスは俯いて青ざめ、視線を彷徨わせている。

 それでも、ティオゲネスは言い過ぎたなどとは思わなかった。自分の十年ちょっとの人生経験則から見た、厳然たる事実を口にしただけだ。

「旨い話には裏がある。差し伸べられた手を何も考えずに取れば、相応の見返りを求められて当然。俺はそういう世界で生きて来た。だから誰も信用しない。うっかり信用すると死ぬほど痛い目に遭うって、去年までの六年で散々学んだんでな。あんただって例外じゃねぇんだぜ、本部長」

 それで話は済んだとばかりに立ち上がって、チラリと視線を投げる。ビクトリアにどこか寂しげな顔で見つめ返されて、ティオゲネスはどこか腹立たしい気分を覚えた。

 普通の環境で育った子供なら、とっくに引っ叩かれてもおかしくない言葉を散々吐き散らしている筈だが、彼女はそれをしない。ティオゲネスの置かれていた環境を、充分に理解しているからとでも言いたげな思わせぶりな親切も、時にティオゲネスを無性に苛立たせるのだ。

 ビクトリアが何も言わないと見て取ると、ティオゲネスは踵を返す。だが。

「待ちなさい」

 それまで黙っていたフェルトン一家の家長――リンジー=フェルトンが、口を開いた。

 だが、ティオゲネスは自分への呼び掛けではないと断じ、戸口へ向かう足を止めない。

「ティオゲネス君」

 自分の名を呼ばれて、ティオゲネスは戸口まで一歩分の距離の場所で足を止めた。はあっ、とわざとらしい溜息と共に振り返り、冷然とリンジーを見据える。

「何?」

 心底面倒臭そうな声で問えば、相手の反応は、大抵怯んで萎縮するか、気分を害したように怒り出すかのどちらかだ。しかし、リンジーは違った。

「君は今幾つだい?」

 ゆっくりと立ち上がったリンジーが、静かに問うたのは年齢だった。てっきり、何か文句を言われるものかと内心冷ややかに構えていたティオゲネスは、若干面食らいながらも答えを口に乗せる。

「……十一だけど」

「そうか。なら、たった十一年生きただけの君の世界は狭いものだ。君が見て来たコトが世界の全てじゃないよ」

「……あんた、何が言いたいんだ?」

 彼が遠回しにモノを言おうとしていることには気付いて、ティオゲネスは早くも苛立ち始める。未だに持ち歩くのを止められない銃を抜いて、黙らせたい衝動に駆られるティオゲネスを、リンジーは宥めるような目で静かに見つめた。

「君は、他人を信じられないと言ったね」

「それが何だよ」

「なら、その価値観を私達が覆して見せようじゃないか」

「へぇ? 面白ぇコト言うな。具体的にはどうやってだ?」

 クス、と嘲るような笑いを零して、唇の端を吊り上げて見せる。まるきり威嚇の微笑を浮かべたティオゲネスに、意外にもリンジーも不敵な笑みを返した。

「簡単だ。私達と一緒に来ればいい」

「はあ?」

 話題が振り出しに戻った気がして、ティオゲネスは思い切り眉根を寄せる。しかし、リンジーは構わず続けた。

「君がこの先私達の家族になるにしろならないにしろ、全てはトライアル期間を経て後のコトだ。トライアル期間の半年間、私達と一緒に暮らしてみないか」

「ふん、時間の無駄だね。お互いに何の得がある?」

 突き放すように言って肩を竦めても、リンジーは動じない。

「そうだね。君はまた信じられないと言うだろうけど、私と妻は新しい息子を得られるし、ルイスは弟を得られる。そして、君も新しい家族を得るんだ。悪い話じゃないと思うが、どうかな」

「あんたさぁ。俺の話聞いてた? そーゆーのを慈善事業って言うんだぜ? 言ったよな。具体的な見返りを求めずに孤児を引き取るなんて有り得ないって」

 あんたと俺の話し合いは、既に決裂済みだよ。そう付け加えて、ノブに手を掛けるティオゲネスに、リンジーは悠然と言った。

「それじゃあ、賭けをしないか」

「賭け?」

「そう。もし、半年のトライアル期間中に、どうしても私達が信用に値しないと思ったら、君は養子縁組みを断ってくれていい。半年後も答えが変わらなければ、潔く諦めるよ」

「それは、あんたが負けた時の話だな。で? あんたの勝ちは、俺があんた達を信用した時か?」

「そういうコトになるね」

「その時は、俺が養子になるってコトか?」

「そうだ。ダメかな?」

「さあね。そういうのは賭けとは言わねぇよ、おっさん。どっち道答えの分かってる賭けに乗ってやる程、俺も酔狂じゃない」

 じゃあな、と言いながらドアノブを回すティオゲネスに、リンジーの声だけが追い縋って来る。

「私達は暫くメストルに滞在する予定だ。気が変わったら、いつでも言ってくれ。待ってるよ」

 こう続いた言葉に、ティオゲネスは特に返答することなく、後ろ手に扉を閉めた。


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