卒業式 エピローグ
「夏草や兵共が夢のあと」。全ての香月達の想い、情熱、思春期の逸る気持ちが駆け抜けていったあと。学校の校舎は、世の無常、儚さを詠んだ、かの芭蕉の句を象徴するかのように清閑として静けさで満ちていた。
学校の屋上では、卒業式を控えて、俊哉が柵越しに、ぼんやりと青空を眺めている。
白い雲が形を変えながらゆったりと流れて行く。鳥の群れが、名も無き風の方へ、一斉に羽ばたいていった。
青い空はどこまでも透き通り、俊哉の心情を照らし出しているかのようだ。俊哉は思いを振り切るように呟く。
「卒業か」
その言葉、何気ない一言には俊哉の想いが、気持ちが、中学生活最後の一年間の想い出の数々への愛着が込められていた。
俊哉は柵に両手を掛けて、一、二度軽く屈伸すると口にする。
「よし! 行こう」
そうして俊哉は屋上の扉を開けて、階段を降りて行く。それはまるで俊哉がこれから歩き出す、大人への道を指し示しているようでもあった。
卒業式は粛々と進められていく。香月、美穂、夏樹、朱美そして桜と卒業証書が渡されていく。その光景を、俊哉はどこか感傷めいて見つめている。
その俊哉へ背中越しに話しかける男の子がいた。健だ。
健は今一度念を押す。それは俊哉の心を誰よりも分かっている無二の親友、健だからこそ言える言葉だった。
「俊哉。ホントにいいのか? 今日で最後だぞ」
その言葉を聞いて俊哉は静かに応える。
「ああ、分かってる。大丈夫」
そう返す俊哉の瞳は優しげで、澄みきっている。俊哉はある想いを胸に秘めているようだ。
校長の話が始まり、卒業式はいよいよ終わりを迎えようとしていた。教師達が座って並ぶ席で、高橋は感慨深げにその様子を眺める。
高橋の隣に座る生徒指導の加賀も、どこか感無量と言った様子だ。その加賀の様子に気が付いた高橋は少し微笑んで彼に話しかける。
「加賀先生。加賀先生がホントは一番寂しいんじゃないですか? 色々問題も起こした生徒達だったですけど、その分愛着もわいたでしょう」
加賀は黙ってその言葉を聞いていた。そしてどこか嬉しそうに一言こう口にする。
「う、うん。まぁそれはその。今の生徒達と少し価値観が違った。それだけでしょう」
その加賀の、一つの彼なりの回答を耳にして高橋は笑みを浮かべる。
「なるほど。そうですか」
やがて卒業式は、卒業生見送りのプログラムが終わり、幕を降ろす。香月達は渡り廊下で、互いの卒業を祝い合うとともに、新しい高校生活に想いを馳せて、談笑し合っていた。
香月も美穂も、夏樹も、朱美も桜もみな笑顔が絶えない。嬉しげで、何一つ憂いがない香月達。その様子を見守る男子生徒が一人いた。それは俊哉だった。
俊哉はいよいよ健に背中を一押しされて一歩足を踏み出す。彼は息を飲み、香月に呼びかける。
「香月。ちょっと話があるんだ。屋上に来てくれないか」
香月はそう誘われて「うん。いいよ」と一言だけ口にすると、俊哉のあとをついて屋上へと向かう。夏樹達は俊哉と香月の仲が今日で途切れるか、それとも永遠にずっと繋がれるのかの瀬戸際にあるのを知っていた。
だから冷やかしたり、嬌声をあげたりなどせずに静かに香月を見送った。
屋上に来た俊哉と香月は向かい合う。春の近づく穏やかな風が吹いて、香月と俊哉の髪を優しくなびかせていく。俊哉が優しく口にする。
「少し、座ろうか」
「うん」
香月がそう応えると、俊哉は体育座りになって両足を両手で組んだ。香月に背を向ける俊哉。すると香月も俊哉の背中に背中を合わせて、体育座りになって両足を組む。
二人は背中合わせに座り込み、僅かの間黙り込んだ。しばらくの沈黙が続く。眩しい陽射しが二人の姿をシルエットとして浮かび上がらせている。
俊哉が意を決したのかようやく口を開く。
「俺達、卒業したら、離れ離れだな」
「うん。そうだね」
香月は応える。俊哉は意外にもあっさりと口にする
「だから告白、しようと思った」
「何て?」
香月が寂しげな瞳で俊哉に訊くと、彼は答える。
「『付き合って』って」
「それで?」
香月も思い余りあるものがあるのか、いつもより言葉少なだ。俊哉は少し目線をあげる。
「だけどそう思って、やめた」
「どうして?」
香月がどこか悲しそうに尋ねると、俊哉は気持ちを奮い立たせる。
「何だか、上手く言えないんだけど、香月の愛情。誰か一人の人間が独占しちゃいけないような気がするんだ」
「ふぅん」
香月は俊哉の言葉に耳を傾けるだけだ。俊哉は淡々と言葉を紡いでいく。
「香月の愛情は、夏樹のため、美穂のため、朱美のため、桜のため。場合によっては高橋先生のためでさえあるからさ。そんな感じ」
香月は黙って俊哉の話を聞いている。香月は、彼の話が心に染みわたっていくのを感じていた。
俊哉は決心したように香月への愛情を振り切る。
「だから、やめた。俺一人の独占欲で独り占めしちゃ、みーんな悲しむ。だから、やめた」
香月は黒くて長めの髪に、優しく一度指を通した。それは元旦娘が初めて見せた女性らしい艶のようなものでもあった。香月は気をしっかりと持って応じる。
「そうなんだ」
俊哉は大きく一度息を吸い込むと、両手を少し大げさに広げてみせる。
「だから、もし! 10年後、20年後、30年後! それよりももっともっとずっと先! みんなが幸せになって、香月がいなくてもみんなが幸せでいられるようになってたら! その時は、二人は、結婚しよう?」
香月は淡い笑みをはにかんで浮かべる。
「結婚かぁ。凄い飛躍だなぁ。恋愛もしないで?」
凄い飛躍。俊哉もそれは分かっていた。結婚という一つの儀礼、儀式的なものが今やほとんど何も意味を持たないと知りつつも。だからこそ俊哉は力強く応える。
「うん、結婚」
「私がお手手シワシワのおばあちゃんになってても?」
香月の問い掛けに俊哉は自信を持って答える。
「そう」
「いいんだ。それで」
安心しきって香月は微笑んだ。安堵する香月に俊哉は返す。
「だってその時は俺もシワシワのおじいちゃんだから」
「そだね。当たり前だ」
香月が素朴な感想を口にすると、風が一際強く吹いて、二人を柔らかく包み込んでいく。俊哉は「何か」の終わりを悟っていたのか、香月に自分の十代なりのの淡い心情、心持ちを伝える。
「で、死ぬまで一緒に幸せに暮らそう?」
香月はしばらく口をつぐんだあと、嬉しそうに答える。
「うん。いいよ」
「良かった。ありがとう」
香月の返事に俊哉も安心したのか、胸を撫でおろすと、立ち上がる。香月もあとを追うかのように腰をあげる。
今一度、二人は向き合った。その二人の立ち姿は、色鮮やかな水彩画のように美しい。香月が最後に俊哉へ話しかける。
「……俊哉君?」
「ん?」
俊哉が訊き返すと香月ははぐらかす。
「あっ、いいや」
「んっ? 何?」
「いや何でもない。大した話じゃないから」
「そっか」
そうして二人は少しの間だけ俯いて言葉を無くした。静寂が二人を優しく包み込み、穏やかに時が過ぎていく。やがて最後に俊哉が切り出す。
「じゃ、俺行くな」
「うん」
香月が応えると俊哉は一言こう告げる。
「さようなら、香月」
「うん、俊哉君。さようなら」
香月も別れの言葉を口にする。二人は溢れんばかりの寂しさと感傷、切なさを、風の吹き抜ける屋上に残して、階段を降りていく。
屋上から臨める青い空には、白くて大きな雲が、時の流れを緩やかにするように、永遠に時間を止めてしまうかのように、静かに流れていた。
香月は、夏樹達四人に合流すると楽しげに校庭に出た。そして喜びを表すかのように空高く卒業証書を一度軽く空に放り投げた。
スローモーションを辿り、ゆっくりと卒業証書は香月達の手に落ちて行く。こうして香月達の中学最後の一年間は、終わりを告げ、彼女達は中学校を卒業した。
春。高校一年生になった香月は新学期を迎えていた。彼女は慌ただしく玄関へと向かう。
香月の足元には例によって愛犬のゼロがまとわりつく。彼女はゼロを止める。
「ゼロ。違うのよ。散歩じゃないの」
沙織の見送りを受けて香月は家を飛び出していく。こう言葉を添えて。
「それでは香月は、行って参ります!」
新しい高校での入学式も終わり、クラスへと溶け込んでいく香月。「夏草や兵共が夢のあと」。香月の中学時代における一つの物語は終わった。だが彼女の物語には続きがある。
まだ元旦の奇跡は終わらない。
入学式を終えて新しいクラスに馴染んでいく生徒達。香月の入った教室からは彼女のこんな声が届いてくるようだった。それは元旦娘健在。未だ奇跡を起こすこと厭わず、を象徴する言葉のようでもあった。
香月の声は晴れやかに響く。
「モットーは年柄年中お正月。365日元旦娘、高樹香月です!」
これで「香月」の物語は終了です。長い間、あるいは少しでも目を通して付き合ってくださった方、ありがとうございました。
次は「月夜に浮かぶ孔雀」という作品をなろうにupしていくつもりです。そちらの方もどうぞよろしくお願いします。
香月達には時折思い出した時、寂しくなった時、気が少し滅入っちゃった時とかに会いに来ていただけるととても嬉しいです!
香月達はいつも元気で健やかに、みなを歓迎するでしょうから。
香月達もあなた達との再会を待っています。香月達もあなた達が会いに来てくれればきっと喜ぶことでしょう。
それでは長い間お付き合いいただきありがとうございました!_(._.)_




