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香月  作者: keisei1
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バレンタイン 2

 放課後、帰り支度を済ませた健は一人廊下に出る。彼は足を軽く踏み鳴らし、上履きをキチンと履いて、少し残念がる。



「あっれぇ。後輩女子一人しかくれなかったなぁ。チョコ。あてが外れた。まっいいや」



 そう言って帰路に着こうとする健の後ろ姿を、追い掛ける一つの影があった。それは意外にも意外。桜だった。


 桜は躊躇いがちに、伏し目がちにして健の後をついてきている。健が彼女に気がついて優しげに尋ねる。



「何? 何か用? 桜さん」


「い、いえ! 何でもないです。用なんてないです」



 桜が慌てて言葉を返したので、健は不思議そうだ。



「そう」



 そして廊下をまた歩き出す健。だがその後ろをやはり桜がついてくる。健が少し不思議がってもう一度桜に訊く。



「何か用なの? 桜さん」


「いえっ! 何もないです。何も」


「そうなの?」



 健が訊き返すと、桜は激しく首を縦に振って応えた。健は彼女に返す。



「それじゃあ、俺、帰るね」


「はい」



 桜の言葉に後押しされて健は階段へと向かう。だがやはり紐で繋がれたかのように桜があとを付いてくる。


 さすがの健も痺れを切らして訊く。



「だから何! さっきからずっと。用があるなら用があるって言ってよ」



 すると少し物怖じしていた桜が、凛として、綺麗に包装された手作りチョコを健に差し出す。



「これチョコレートです。良かったら貰ってください!」



 桜は少しはにかんでいる。しばらくの沈黙。渇いた風がそこはかとなく吹き抜ける。健は今ひとつ事情が呑み込めていないようだ。


 だが次の瞬間、チョコを手にして健はこう叫んでいた。



「お、おおー! これ本命? 本命だよね。桜さん。あ、ありがとー!」



 桜は一言「どうも」と言って笑顔を見せると足早に歩き去っていった。その一連の様子を教室のガラス越しに夏樹達は嬉しそうに眺めていた。


 一方その頃香月は図書室にいた。人影の少ない放課後の図書室。そこで香月はある人物を探していた。


 その人物。それは高橋だ。彼は生徒達がせわしく、年に一度のイベントを楽しんでいる傍ら、一人図書室で本棚の整理をしている。


 黙々と作業に勤しむ彼の姿を夕映えが照らし出している。それは高橋の生徒に尽くす、教えの姿勢を表わしているようでもあった。


 香月は一つステップを踏んで、両足で高橋のすぐ後ろに着地した。と同時に高橋に声を掛ける。



「高橋先生」



 その声に気づいたのか、高橋は度の軽い眼鏡を外して応えた。



「おぅ、何だ、香月か。もう放課後だぞ。陽も暮れていく。早めに帰りなさい」



 高橋の言葉を聞いているのか、聞いていないのか、香月はニンマリと笑顔を浮かべる。両手に持ったチョコを差し出しながら。



「はい、先生」



 高橋は、その差し出されたチョコの意味がしばらく分からないようだった。だがやがて気が付いた。今日がバレンタインだったということも。香月が何を思って自分にチョコを渡そうとしているのかも。



「あぁ、今日はバレンタインだったな。それでみんな、何やら騒がしかったのか」


「その様子じゃ一つも貰えてないんでしょ? 高橋先生」


「ん、ま、まぁそうだな」



 それを聞いて香月は、ほっと胸を一撫でして、チョコを高橋に手渡す。



「はい、だからチョコ、あげます。受け取ってください」



 高橋は、そのチョコが生徒からの感謝の印であることが分かっていたので、にこやかな表情を浮かべて受け取る。



「ありがとう」



 そう言って高橋は眼鏡を外すと、嬉しそうに、丁寧にラッピングされたチョコを眺める。誰もいない職員室で黙々と仕事に励む高橋と、あと二、三週間もすれば校舎、学び舎を去る香月。


 図書室のその二人を夕映えがシルエットとして浮かび上がらせていた。


 その頃俊哉は散々クラスの女子にチョコをおねだりするも、収穫ゼロだった自分を恨んでいた。


 彼はカバンに教材を詰め込みながら悔しげに口にする。



「くっそー。来年はこのカバン、バレンタインチョコで一杯にしてやっかんなー」



 そう意気込んで俊哉は廊下に出た。夕暮れが遠くに滲んで見える。少し彼は寂しげにその光景に見とれていた。だがすぐに我に帰る。



「と、こんな感傷に浸ってるわけにもいかないし」



 そうして足早に帰路に着こうとした彼を呼び止める声が響いた気が俊哉にはした。空耳か。幻聴か。それとももっとおぞましい何かか。バレンタインへの期待など全て振り切っていた俊哉は声のする方を見る。


 するとそこには学年一の美人と評判の高いC君の里香が立っている。


 彼女の顔は綺麗に整っていて、ロングの髪が黒い光沢を放ち、艶やかだった。俊哉はほとんど面識もなく、接する機会のない、この噂だけを聞いている女子に、少し低姿勢にお伺いした。



「あのー。何か御用でしょうか」



 すると里香は勝気な瞳を仄かに潤ませて、チョコをスッと差し出す。



「やるよ。貰ってないんだろ? 誰からも」



 しばしの謎の沈黙。次いで押し寄せる怒涛の歓喜。俊哉はチョコを両手に手にして叫ぶ。



「お、おおー!! おおー!!」


「あげるよ。良かった。喜んでもらえたなら」



 俊哉は奇声にも似た声をあげる。



「喜んでもらえたなんてとんでもない! 大喜びでございます!」



 俊哉の様子を見て嬉しそうに里香は、俊哉の肩を軽く押す。



「受かってるといいな。私立」


「はい、はいですー!」



 俊哉は喜色満面の笑みを浮かべて答えた。その様子を遠くから見ていた夏樹がからかい半分に、俊哉へ呼びかける。



「良かったな。西島」



 溜めに溜めて俊哉は感慨深げに応える。



「良かったです~」



 こうして中学校最後のイベント、バレンタインが、悲喜こもごもの想いを残して終わったのだった。


 「万事塞翁が馬」。俊哉はクラスメートからは誰からもチョコを貰えなかったが、それが転じて校内一の美人に目を掛けられるきっかけとなり、見事吉兆を呼び寄せた。


 一方図書室で一人居残り、仕事に励む高橋は高橋で、今日の全てのよいことが吉兆となるのを願ってやまなかったという。

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