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風の行方  作者: 藍月 綾音
本編
22/61

はぁ~ちの2

あれは、大学からの帰り道だったと思う、駅前のベンチでうずくまって唸っていた人がいたんだ。

若い男の人に、自分から話しかける事なんて久しぶりだったから憶えている。奏さんと知り合う機会としたらそれしか思いつかないから、多分正解のハズだ。


通り過ぎようと近づいたら、すごい脂汗をかいていて、顔色も真っ青だったから声をかけたんだ。

彼は声をかけても、答えられないくらいに唸っていて、慌てて救急車を呼んだのだ。


「あの時、盲腸がひどくなっていて腹膜炎をおこしてたんだ。晶ちゃんが救急車を呼んでくれなかったら、かなり危険だったらしい」


目尻の涙を拭いながら言うけれど、まだ笑い足りなさそうに肩を時々震わせている。やっぱりあの人だったっか。元気そうで良かった。あの後、無事に病気が治ったのか気にはなっていたのだ。

だけど、連絡先もわからなかったし、伝えてもいなかったので連絡のとりようがなかったのだ。


「よく私の顔を、憶えていましたね。あんなに短い間だったのに」


私が傍にいたのは、救急車がくるまでのほんの数分だ。奏さんは体を丸くしてうずくまっていたし、私の顔を見ていたかどうか分からないくらいに苦しんでいた。


「そりゃね。君に名前聞きたくても、口から出るのは唸り声だけだったし。必死で顔を憶えてたんだよ。後で必ず見つけるつもりだったからね」


あの状態で顔を憶えていてくれたのか。

私なんか、奏さんの顔欠片も憶えてないのに……。

うわぁ、なんか申し訳なく思えてきたぞ。

救急隊の人に一応連絡先を聞かれはしたんだけど、対した事をした訳でもないのでなにも言わずに帰ってしまったのだ。


「晶ちゃんは僕の命の恩人なんだ。遅れちゃったけど、あの時は、本当にありがとう」


「とんでもない。当たり前のことをしただけですから。奏さんはどうして黙ってたんですか?もっと早く言ってくれれば良かったのに」


命の恩人だなんて大げさ過ぎる。あんな状態の人に気づけば誰だって救急車を呼ぶだろう。


「うん。最初のレストランで話すつもりだったけど、晶ちゃん僕の事を憶えてないみたいだったから、欲が出ちゃってさ」


こちらを見た奏さんの真剣な瞳に捕らわれてしまう。体が上手く動かない。

瞳の奥にとても激しい感情が見える。今までとなにが違うのかわからないけれど、確に私を動けなくするような力が瞳にあった。


「あんなに恰好悪い僕じゃなくて、もっとちゃんとした僕を好きになって欲しいなって」


さっきまでの奏さんじゃなくて、なにかを押し殺したような、響きと雰囲気にのまれてしまう。

そっと腕を掴まれて、引き寄せられ、奏さんの腕の中にすっぽり収まった。


とたんに、心音が身体中に響き渡る。恥ずかしいから。勘弁して下さい。

強引だけど、凄く嫌なわけでは無くて自分位戸惑う。

奏さんから薫る香水の香りも嫌いじゃない。甘くて柔らかな香りと華奢だと思っていたのに以外とがっちりとした腕や胸板が男の人だという事を私に認識させた。


「あの駅で君を探したんだ。だいぶかかったけど。会えて良かった」


腕に力が込められた。


「あの時、救急車が来るまで手を握ってくれて、背中を擦ってくれたでしょう。なんて優しい人なんだろうと思ったんだ。みんな見てみぬふりをしてたのに」


ふと、奏さんはどのくらいあそこで痛みをこらえていたのだろうと思った。

あんな彼を見たら救急車を呼ぶのは当たり前だと思うけれど、そうではなかったのだろうか。


「君だけが、僕に声をかけてくれた。ありがとう。そして、昨日は本当にごめんね。勝手に晶ちゃんのイメージ作って、勝手に幻滅して、怒ってしまった。反省してる。許して?」


耳元で囁くように紡がれる言葉が、私の心に波紋をゆるやかに広げてゆく。

まるで映画の中の魔法使いの呪文のように、ジワジワと空気を私を捉えていく。


「晶ちゃんは可愛いよ。そして誰よりも僕には綺麗に見える。僕を知って欲しいし、晶ちゃんの事をもっと知りたい」


すっと体を離して、私の目を見つめる。


「君が好きだ」


額を撫でられ奏さんが近づく。


「好きな人がいてもいいよ。なんなら、期間を決めてくれてもいい。だから、お付き合いしてください」


次の瞬間、柔らかい感触が額に落とされた。


ちっ、ちゅーされた。


「さっ。行こうか?観覧船のるだろ?」


私を離すと、奏さんはさっと車からおりた。今起こったことが、信じられなくて、ボゥッとしていると、助手席のドアを開けて私を外へと連れ出す。


なにっその切り替えのはやさ!

えっと、私の返事はどうするの?

ひょっとしなくてもお付き合い決定してる?!

奏さんを見上げて、確認する。


「あのっ、憧れかも知れないけど、私は橘先生が好きなんですよ?」


「分かってる」


「奏さんの事好きになるか分からないし、お友達じゃ本当に駄目なんですか?」


「さっきも言ったでしょ駄目。彼氏がいいもん」


……もんって駄々っ子じゃないんだから。


「と言うことで、そうだね。とりあえず三ヶ月つきあってみようね。その後はまた考えればいいよ。ね?」


妖しい微笑みを浮かべて、私を覗き込む奏さん相手に、私が出来たことは頷くだけだった。

完全に白旗状態ですよ。

なんだか夢のようだ。私の体質に全く影響されない、こんな素敵な人が、私に交際を申し込んでくれている。認めてくれる。胸のずっと奥がほんのり暖かくなった。


「やった。じゃぁ、記念すべき初デートってことで!」


ガッツポーズをして、今度は子供みたいに満面の笑顔を見せてくれる。

色々な表情をする奏さんは、確かに魅力的で、私も自然に笑っていた。


箱根の空気は、都会と違って少しだけ、ひんやりしていて美味しい。

胸に思いっきり吸い込んで、深呼吸をする。

濃厚な深緑の香りに、頭がすっきりしたような気がした。


うん、あんまり考えてもしょうがないし。

巽にもよく言われるけれど、私、が考え事をするとロクな事にならないし。

奏さんがいいと言っているんだから良しとしちゃおう。

三ヶ月間は、折角だから奏さんと楽しめばいいんだよ。


私はそう思うことにした。

奏さんは、気が楽になったのか、それからは沢山の話をしてくれて会話が続かないなんて事はなかった。

芦ノ湖で遊覧船に乗って、湖を一周した後は、お蕎麦をいただいて、お土産をみたり、ドライブを楽しんだ。


一度だけ男の人に、声をかけられたけれど、奏さんが追い払ってくれたのには、驚いた。

とても毅然としていて、素敵だったのだ。

あっという間に、楽しく時間は過ぎて家まできちんと送ってくれる。


「今日は楽しかったです。ありがとうございました」


車を降りて頭を下げる私に、ニッコリと微笑む奏さんの後ろに何故か感じ慣れてしまった黒い空気が流れ始める。


ん?あれ?これは、巽や橘先生と一緒の空気?


「こちらこそ。でもさ、晶ちゃんって自分の意見をはっきり言うわりには、押しに弱いでしょ?」


「う゛っ」


当たりだ。


「ついでに騙され易いって言われない?」


「……言われます。奏さん、なにか私の事騙したんですか?」


ニヤリと笑う奏さん。

黒いよ、真っ黒だよ。なぜにっ?!


「騙したつもりはないよ?でも後三ヶ月は、絶対に別れないからね」


「え?」


あれ?やっぱりなにか騙されたりしたのだろうか。


「今日の話は、お友達にも彼女にもなりませんって、言えばすんだ話だったのにってこと」


っっ!!………そうだよね。まだ会って三日だもん、その手があったかっ!

すこーし、勿体ない気もするけれど、今ならまだお断りできるって事?!


「あのっかな………」


「三ヶ月は駄目」


回答はやっ。最後まで言わせてももらえなかったよ。


奏さんは私を引き寄せて、抱きしめた。


まっまたぁ?奏さんスキンシップ激しすぎるよ。


「晶ちゃんのこと、大好きだから。今日また更に好きになったし」


奏さんの腕におさまりながら、また顔が熱くなる。

だから、ストレート過ぎるんだってば。


「あっ。忘れるとこだった」


少しだけ体を離してポケットから小さな包みを取り出すと、私に握らせた。

もう一度、私を抱きしめなから耳元で熱っぽく囁く。吐息が耳にかかり、肩が震える。


「今日の記念に貰って?僕とお揃いだから着けてね」


なんだか、艶っぽい声をだされてますがっ。

恋愛初心者と言う事をぜひご考慮いただきたい。

そういう事は、恋愛経験豊富な方とお願いします。私、もう、泣きそうですから。


「…………ありがとうございます」


かろうじて声が出せた。でもちょっと震えてるかも。

渡された包みは素直に頂く事にした。記念になんて言われたら返せないよ。

お揃いってなんだろう。アクセサリーかな?


「ん。ねぇキスしてもいい?」


猫のように目を細めて、上から私の顔を覗き込む。


「駄目です」


だからですね、そういう事は恋愛経験……(略)


「そう言うと思った」


奏さんはクスリと笑う。


「なんだか今日は、離れたくないんだけど、しょうがないからコレで我慢する。その代わりに次から『奏』って呼んでね」


そう、甘えるみたいな声音でいうと、私の額にキスを落とす。


「奏さんっ。駄目って言ったのにっ」


「口じゃないからいいじゃん。僕は我慢してるよ?」



っっやっぱり子供だっ。

何が我慢してるだよっ。

我慢してなかったら、どうなっちゃうのよぉっ。


「『奏』だからね。じゃぁ、また明日、お昼頃大学に迎えに行くからお昼を一緒に食べようね」


「奏さん大学は?」


「呼び捨てにしなかったら、キスするよ?」


私の質問には答えずに、抱き締める腕に力が入った。

逃げろっ!!逃げろ私っ!!

力一杯奏さんから離れようとするけれど、流石に男の人にはかなわない。


「なんですかっ。その少女漫画みたいな台詞はっ」


「キスする、理由に決まってるじゃん。僕は晶ちゃんにキスしたいから」


呆れた。私の意思はどの辺にあるんだ?

意味が全くわからない。いや、そこには意味などないのか。

脱力して、大きくため息をついた。


「そんなの。認められないから却下です。なるべく努力しますから、それで勘弁して下さいよ」


「努力ね………。じゃぁ、今『奏』って呼んで」


あれ?なんだか、艶が増してますけど?

そして、黒い空気とピンクの空気が混ざって価格反応起こしてますけど?

あぁ!!もう!そんな声音は卑怯だよ。

逆らえない甘さがあるんだよ。


「か……。かっ奏。これでいいですか?」


…………ん?反応がない。


「奏?」


もう一度呼んでみる。


「…………っ。ごめん。思ったよりも嬉しすぎて、ちょっと照れくさかった。」


私の肩に額をあてる奏さんの表情はわからないけれど、耳まで真っ赤ということは分かった。

あ゛ぁ、なに可愛いこと言っちゃってんの?

私が照れくさいからっ。恥ずかしいからっ。

駄目なんかもう、本当に駄目。


「大丈夫?晶ちゃん」


言葉に詰まってしまった私もきっと赤面している。


「大丈夫じゃないです。ドキドキしすぎて、心臓止まります。だから、もうそろそろ離してくださいよ」


「もっと僕にドキドキして、早く好きになって欲しいな。じゃあ、今日はこれでお仕舞い。お休み、晶ちゃん」


そう言うと、名残惜しそうに私を離して奏さんは帰っていった。


車を見送りながら、心のなかで叫ぶ。



貴方はどこの少女漫画から出てきたんですかっ!!



巽への報告は、後日にして、疲れ果てた私は、自分の家に帰ったのだ。

あーあ、今日寝られるのかな私。

その時私は、誰かに見られているなんて、全く気付きもしなかった。


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