二十四 僕とゆき先輩と丹代さん。
「それで先輩、これからどうします? 部長もどっか逃げちゃいましたし、下手に移動はできないどころか、いつか特定されちゃうと思うんですけど」
サラマンダーちゃんから脱皮しながら、丹代さんがゆき先輩に問いかける。
ゆき先輩は、顎に指を持っていくと唸り声をあげた。
「正直、そこまでは考えてなかった。蓮を救出するまでしかね」
「ですよねー。わたしもそこまで頭良くないですし、全然案は思い浮かびませんけど。——っと、ふぅ。こんなの真夏に着る物じゃないね。中の人も命がけだ」
「あ、あの、丹代さん……」
「なぁに、玖楽くん?」
「……下着、か、隠さなくて、いいの?」
着ぐるみを脱いだ丹代さんは、下着姿だった。
水色のレース柄の下着を汗で張り付かせた丹代さんは、僕の指摘に少しだけ顔を赤くして、
「えへへ……。玖楽くんになら、別に見られてもいいよ?」
「……っ」
「わたし達の仲じゃない? い、今さらだよ……その、いやらしいこととかは、まだしてないけど?」
「な、なに言ってるんだよ丹代さん……っ」
恥じらいを浮かべつつ、僕を誘うように胸元を寄せたり、太ももに手をあてたりする丹代さんから視線を逸らす。
逸らした先で、ジト目のゆき先輩と目があった。
「せ、先輩……丹代さんを止めてください」
「……わかった」
「く、玖楽くん……どうして見てくれないの? この下着、玖楽くんのために——ぁ」
「え?」
ドサッと、丹代さんが前のめりに倒れて僕の方に転がってきた。
丹代さんのやわらかな肢体と汗の匂いと、突然の出来事に僕は混乱した。
「安心していい。その程度じゃ人間は死なないから」
「せ、先輩……バットは……やりすぎじゃ」
「スタンガンを取りに行くまで約五秒ほどかかるからね。すぐ近くにあるバットの方が有効だと思ったんだ」
そう言って、再びベッドの下へバットを戻すゆき先輩。
丹代さんの髪を掻き分けて頭部をさすってみる。
腫れているようだったが、出血はしていなかった。よかった。
「それはそうと、お腹空いてないかい? 何か作ってあげよう」
「あ……少し、お腹空きました」
「ん。じゃあ、夕食にしようか」
*
ゆき先輩の作ったフレンチトーストを食べ終えた頃、丹代さんがようやく復活した。
「あれれ……なんかすっごい頭が痛いんですけど……。何かあった? 玖楽くん」
「え? え、えと……ううん。特には」
「そっかあ。あ、先輩? シャワー借りてもいいですか?」
「うむ」
洗い物に勤しむゆき先輩の承諾を得て、丹代さんは下着姿のまま浴室へと向かっていった。
先輩の家は、とても大きかった。
内装しか見ていないけれど、とんでもない大きさの屋敷だ。
武家屋敷……というのかな。
廊下以外の部屋は全部畳で、縁側からは風情のある庭が広がっていた。
都心でこれだけ大きい家に住んでいるということは、先輩は相当の金持ちなのだろう。
「ゆき先輩は、このでかい屋敷で一人暮らしなんですか?」
「そうだよ。両親は北海道に住んでてね。ここは亡くなった祖父の屋敷だったんだ」
「へ、へえ……お金持ちなんですね」
「いや、ただのガソスタ店員だったよ」
「え? じゃ、じゃあどうやってこんな家……」
「祖父があたしに遺産を用意しておいてくれたんだ。貯金と株式投資で得た配当金を貯めてね。この屋敷は、あたしの卒業祝いで贈ってくれたんだ。その前に亡くなってしまったから、弁護士から聞かされた話だけど」
食器を洗い終えたゆき先輩が、僕の隣に腰を下ろした。
食器用洗剤の匂いが先輩から漂う。
「蓮はしばらく、ここに住んでいてほしい。できるならお母様のところに返してあげたいけど、まだ危険だから」
「……でも、僕がここにいたら先輩にも危険が」
言いかけて、胸が痛んだ。
危険?
誰が?
無論、アゲハだ。
アゲハは、今ごろ何をしているのだろうか。
きっと、僕がいなくて寂しがってるに違いない。
彼女が泣きながら、僕を探している姿が脳裏に浮かんだ。
「蓮?」
「あ……先輩……」
「キミは呪われてるんだ。あの女に」
呪われてる。
その言葉を、僕は否定した。
「違います。アゲハは、寂しがり屋なだけなんです」
「じゃあ、キミはあの女を愛してるのかい?」
「……それは」
言葉に詰まる。
結局のところ、僕はアゲハのことをどう思ってるのだろうか。
嫌いか好きかで問われたら、好きだ。
けど、それは女性として好きとか、そういうのじゃない。
「一種の錯覚。精神的疾患のひとつだよ、それは。日本では珍しいけど、海外ではそういう例が多くある。人質に取られた女性が、犯罪者に恋愛感情を抱くケース。ストックホルム症候群って言うんだ」
ゆき先輩が、可哀想にと僕の頭を引き寄せた。
ちいさな胸に僕の顔が埋まる。
食器用洗剤の匂いに混じって、先輩の甘い香りが肺に取り込まれた。
「ここで生活していれば、そのうちキミは正常になる。もう仕事だってしなくていい。キミのお母様が抱えていた借金も、あたしが代わりに返済した」
「そ、そんな……! なにしてるんですか、先輩! 安い金額じゃ、なかったでしょ……!」
「あたしには使い道のないお金だ。ただ娯楽に費やすだけだったお金を、こうして好きな人に使えたことを幸福に思うよ」
「す……好き、って」
恥ずかし気もなく、そんなことを口にする先輩。
つい一刻前、先輩にされたことを思い出して、体が震えた。
「もうキミの嫌がることはしない。本当だよ? あたしは、キミのことが好きなんだ。だからキミを守りたい」
「……僕は、先輩のこと……嫌いです」
「なら好きにさせる。無理矢理じゃない。ちゃんと手順を踏んで。言ったろう? あたしは、ギャルゲーも得意なんだよ」
いつかのように微笑んで、先輩が僕の唇に顔を近づけて、
「もう、寝ようか」
「………」
我を取り戻したゆき先輩が、直前で止まった。
荒い息と赤い顔を僕から離して、先輩は僕を立ち上がらせた。




