十六 私と。。
「丹代さん、あの絵は完成したの?」
十月に入り、中間試験も終わったころ。
私は人が居ないところを見計らって丹代なあさに声を掛けた。
心底驚いたのか、手に持っていた缶ジュースを落としてしまった丹代なあさは、怪訝な顔から流れるように愛想の良い笑顔を浮かべてしらばっくれた。
「え、なんのことですか?」
「彼の肖像画。夏休み中たまに来て描いてたでしょ? 完成したのかなぁって、気になっちゃって」
「視てたんですか?」
「うん。毎日居たからね。だって部長だもん」
液体が止めどなく溢れている缶を拾い直すと、丹代なあさは一口飲み込んでから、頭を振った。
「部長は趣味が悪いですね。居たんなら——」
「声ぐらいかけてくれればいいのに、って、炭酸の抜けたコーラに生クリームぶっかけたような甘い空間に私なんかが入れるわけないでしょ」
皮肉を込めた私の言葉に頬を赤く染めた丹代なあさは、恥じらうように言葉をまくしたてた。まるでコピーアンドペーストしたかのような恋する乙女顔で。
「甘いって、本当ですか? 私たち、甘かったですか? こ、恋人みたいな感じでしたか? いい雰囲気でしたか? いけそうでしたか!?」
あれ、この反応。
もしかして、と私の疑問を口にすると、缶ジュースを再び落として、首筋の髪の毛を千切る勢いで指に絡めはじめた丹代なあさ。
ふーん、処女なのかこいつ。
人のことは言えないが。
「そ、そそそんな、そんな玖楽君とはまだお付き合いしてませんよ! か、彼とは、その、て、て、手を繋いだのに好きって言ってくれません!! どうすればいいんでしょうっ!?」
許嫁のせいで恋愛をしたことのない私にそんな相談を持ちかけられても困ります。
とりあえず、暴走する丹代さんを落ち着かせ、昼休みもそろそろ終わりが近かったということもあり、その流れで私たちは放課後に会う約束をした。
今後、彼をどう落としていくのかを考える為に。
*
丹代なあさは、私がついて行くことのできない領域で彼のことが好きなのだという。
その想いは激しく昇華され、愛しているすらも超越し人類が未だ辿り着いていない境地にまで達した——と、そう頬を朱に染めて宣っていた。
率直に、気持ち悪かった。
恋する女は美しいなんて言葉が実は間違いで、恋する女はひどく醜いが真実であるような気がしてきた。
「初めて出会ったのは入学初日の自己紹介。おどおどしながら恥ずかしそうに、でも一生懸命自己PRする姿がたまらなく可愛くって……うん。たぶん、一目惚れ。それからずっと目で追ってたんです」
グラスの中の黄色い液体をストローで吸いながら、適当に相槌を交わす。甘酸っぱいオレンジが口の中で弾け、濃厚な液体が喉を滑り落ちていく。
まるで、丹代なあさの恋バナのように、濃厚で、喉に張り付いた。
「初めて会話したのはその一か月後の金曜日。私が玖楽くんの前でわざと財布を落としたんです。親切に拾ってくれて、そのお礼に喫茶店でお茶しました」
「もし拾ってくれなかったら?」
「後ろで友達が回収する予定でした。もし拾ってそのまま持っていこうとした場合は、友達がカメラをまわしてたので……脅してあわよくばわたしのペットにしようかと……」
「へぇ。玖楽くんは知らないところで人生を左右する綱を渡らされていたのね」
「はい。わたしとしましては、そのまま持っていってくれたほうが効率も良かったというか。せっかく諭吉で財布をフグのように膨らませたのに、彼ったら。ふふふ」
照れ隠しに紅茶をイッキした丹代なあさ。
色々と彼女は手遅れの境地に立っているようで、よく小説などで使われる、彼の為なら手段だって——を現実で体現しているようだった。
標的の彼が可哀想だな、と小学生が書く感想文程度にしか思わないけれど、それでも変な女に捕まってしまった彼の不運に同情した。
「すみません、ダージリンティーお願いします。部長はどうします?」
「オレンジジュースで」
注文を受けて去っていく店員を見送って、丹代なあさは首元の髪を撫でながら尋ねてきた。
「部長って、彼氏とかいないんですか?」
「私みたいな地味女に恋人なんかできるワケないでしょ」
「ふーん……そうですかぁ? じゃああれ、見間違いだったのかなぁ」
爬虫類のような目、だと思った。
純粋を装った猛禽類のような笑顔で、丹代なあさはつづけた。




