エピローグ
「それでは、行って参りますわ」
最後のパーティから一週間。
私とナシュカ様、そしてヴルフは荷物を馬車に乗せ終えると、城門を振り返った。
城の前ではギルベルト団長が率いる騎士団とダニエルがナシュカ様との別れを惜しんでおり、中には泣いている人もいた。
「泣くな。何も帰らないわけじゃない」
「でも……ナシュカ様……っ」
「大丈夫だ、時々便りを出す。ギルベルト、騎士団は任せるぞ」
「はい、ナシュカ様もお元気で。……それから、ルルベル様。ナシュカ様は無茶をなさる方だ。注意して見ていてくれ」
「こらギルベルト。圧をかけるな圧を」
ナシュカ様は軽くギルベルト団長を小突くと、今度はその隣でそわそわとしていたダニエルへと向き直った。
「ダニエル、何か言いたげだな?」
「はい。あの、ナシュカ様……俺にも時々便りをくださいますか?」
「ははっ! なんだそんなことを気にしていたのか? 送るに決まっている。私とルルベル殿の仲を一番祝ってくれたお前に何の連絡も寄越さないんじゃ、あまりに情が無いというものだろう」
「良かった……楽しみにしています」
ダニエルはそう言って微笑むと、ナシュカ様との最後の歓談を楽しんだ。輪に入ることもできたが、ここは幼馴染み水入らずの方が良いだろう。
私は彼らの元をそっと離れると、城門の脇で手招きをしたグレイたちへと足を進めた。
「グレイ、ゾーイ。見送りに来てくれてありがとうございます」
「グレイが出ろって言うから……」
「だってしばらくは会えないんだから、最後に顔見ておきたいでしょ?」
「最後って……僕たちにとっては数ヶ月も数年も、あっという間だよ」
「うん、そうだね。でもそのあっという間の六ヶ月でこれだけ色々あったんだ。きっとこれからもっと、世界は変わっていくよ。ルルベル自身もね」
グレイは私に一歩歩み寄ると、私の手を握り、祈るようにその手へ自身の額を近づけた。
「次に見る君の顔が、幸福に満ちたものであることを、願うよ」
「ありがとうございます。グレイも……しばらくは騎士団の監視が付くって聞いていますけど、ちゃんと皆さんと仲良くしてくださいね」
「あはは、心配ならたまに様子を見に帰って来て。いつでも待ってるから」
「はい!」
「ヴルフさんも。次帰って来るまでにお店を元に戻せるよう頑張るからね」
「ええ、楽しみにしてますよ。出来上がったら自由に使ってくれて構いませんので。これからは魔族のお客さんも来るでしょうからね」
需要ありますよ〜!
そう言って笑うヴルフを見ていると、本当にこれから魔族のためのお店も増えていくのかもしれないと思えてしまう。いや、きっと実際増えていくのだろう。
次に帰る時の楽しみがどんどん増えていく。未来に期待を持てることがこんなにも楽しいなんて、今まで知らなかった。
私がこの世界に来たのはグレイが引き起こした事故みたいなものだったけど、それでもこの世界に来れて、皆とこうして過ごせて良かった。
ゲーム通りに進んでいかなくて、本当に良かった。
「……グレイ。私をこの世界に呼んでくれて、ありがとうございました」
「! ……うん。そう言ってくれて、良かった。ルルベル、どうかこれからも楽しんで」
それぞれ挨拶を終えると、私たちは馬車へと乗り込み、出発した。徐々に彼らの姿は小さくなって、やがて完全に見えなくなった。
「良い人ばかりだったな」
「ええ。なんだかもう帰るのが楽しみになってきましたわ」
「つれないな。私たちとの旅も楽しみにしてくれ」
「それはもちろん! すっごく楽しみですわ」
ナシュカ様はその返答に満足そうに笑みを浮かべると、重ねるように私の手を握って私にもたれかかった。
ふと、彼女の指がくすぐるように耳に触れる。すぐ近くにヴルフもいるのに、と一瞬身構えたが、彼女の口から出た言葉は私の思ったようなそれではなかった。
「……通信用のピアスはしなくてもいいのか?」
「えっ。あ、ああ〜! ピアス、ですか! あ、はは……! グレイが、流石にもう勝手に色々聞かれたくないだろうからって」
「確かにな。聞かれて困ることも、これから増えるだろう」
ナシュカ様の言う「聞かれて困ること」はつまりは、"そういうこと"だ。その言葉だけで、自分の顔が赤くなったのが分かる。
ナシュカ様はそんな私の姿を見て笑うと、人をからかう時の笑みで「今のは冗談じゃないからな」と囁いた。
*
ヴルフの馬車が止まる。フリーゼ領の城下町から南に下りたところ、森の入り口。そこは私にとって、そしてヴルフにとってはもっと馴染み深い土地だった。
私は馬車を降り、焼けた地面へと足を下ろした。
ヴルフの店があったはずのその場所には、今は焼けた土地と、その端っこに二つの長方形の白い石だけが残っていた。私はその二つの石の前に座り込むと、花を置き手を合わせた。
それはワタとチャッピーのお墓だった。
あの惨劇の夜の後。私たちは彼らにとっても馴染みの深かったこの土地に、彼らの墓を建てた。ワタのお墓には小さく綺麗な彼の石を、チャッピーのお墓には彼が好きだった骨の玩具を埋めた。
手を合わせる私の後ろで、ヴルフとナシュカ様は直立で頭を下げていた。この国ではそれが一般的な弔いだった。
魔族は死ぬと身体を構成する魔力が霧散して核だけが残る。でも霧散した魔力はまた世界を漂って、他の核を見つけて形を成すんだよ。
二人のお墓を作った時の、グレイの言葉を思い出す。私の世界で言うところの、生まれ変わりのようなものだ。私たち魔族は悠久の時を生きる。だからいつかまた、姿を得た彼らに会える日も来るのかもしれない。
だから墓標はこう綴った。
『長い時の中で、また再会できることを願う』
***
拝啓 陽春の候
皆さん、お元気ですか。
私たちは元気にやっています。今はリンハルト殿下のいるシュタイン領にお世話になっています。
殿下の尽力や王の理解もあって、シュタイン領も徐々に魔族への偏見が薄まってきているようです。私たちも町から歓迎してもらえました。
それから、シュタイン城に挨拶に行った時、殿下の隣には魔族の女性がいました。フリーゼ領と同じで、城に魔族を試験的に雇い始めたみたいです。それを聞いて、騎士団に入ったゾーイのことを思い出しました。彼はちゃんとギルベルト団長の言うことを聞いていますか?
グレイの店は人が増えすぎて三号店ができたんですよね。今度フリーゼ領に戻った時に、活気のあるあなた方の様子が見れることを楽しみにしています。
それと、今度ナシュカ様とヴルフをホームに招待したいのですが、良ければグレイも付いてきてくれませんか? あの場所については、きっとあなたが一番詳しいですから。
この手紙も、もう三十通を超えてしまいましたね。時が過ぎるのはあっという間です。今思うと、最初の一通目や二通目なんかは酷い片言の手紙を送っていたなあと思います。
それでもちゃんと読んで返事をくれてありがとうございました。あなたや色んな人たちのおかげで、私もだいぶ文字を書くのが上手くなりましたよ。
そうだ。話は変わりますが、グレイはカメラというものを知っていますか? 人の姿を紙に写せるんですよ。最近シュタイン領で開発されたらしいのですが、みんな怖がって全然撮らせようとしないんです。確かに少し画像が粗いけど、結構良い感じに写りますよ。
写真を同封したので見てみてください。気に入ったら、今度グレイたちも一緒に撮りに行きませんか?
私たちは歳を取らないからこれから先何回写真を撮ってもあまり変化が無いかもしれませんけど、人間のナシュカ様やヴルフと一緒に写ると、時間の流れが感じられてきっと楽しいですよ。
ナシュカ様がおばあちゃんになって、ヴルフがおじいちゃんになっても、彼らとこうやって写真に写っていられたら、いつでも鮮明に思い出せると思うんです。
それでは。また次に会える日を楽しみにしています。
敬具
ペンを置き、私とナシュカ様とヴルフの三人が白黒になって映った写真を眺める。昔の写真ってこんな感じだったんだなあ。あと何年かしたらもっと綺麗に写るのかもしれない。あと何十年かしたら、これに色がつくのかもしれない。
想像すると楽しみだ。
移ろう世界や人々の中で、将来私たち魔族は取り残されていくのかもしれない。それでも、目まぐるしく変わっていく今のこの一瞬一瞬を、きっと私は楽しめるし、楽しみたい。
ナシュカ様と共に過ごせる、長く短いこの時を。
「ルルベル、書けたか?」
私が手紙と写真を封筒にしまう音を聞いて、ベッドに寝転んで本を読んでいたナシュカ様が起き上がる。
彼女もまた、手に二つ封筒を持っていた。ギルベルト団長と、ダニエルに宛てたものだろう。
「ええ。お待たせしちゃってすみませんナシュカ様」
「様」
「な、ナシュカ……」
「はは、中々慣れないものだな」
「もう……リンハルト殿下が魔族の方から呼び捨てされてたからって……私たちは今まで通りでも良いじゃないですか」
「すまんすまん。少し羨ましくなってしまってな」
「ナシュカ様は結構そういうところがありますよね」
「ダメか?」
「全然ダメじゃないです。そういうところも好きですよ。……行きましょうか、ナシュカ」
「ああ!」
陽だまりのような笑みを浮かべたナシュカ様は私の手を取って部屋を出る。
郵便屋までの道を手を繋いで歩く私たち二人の姿は、今までも、そしてこれからも、幸せな恋人同士のそれであり続けるだろう。
最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました。
また、感想をくださった方、本当に嬉しかったです。執筆活動の大きなモチベーションになりました。本当にありがとうございました。




