表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

別れ話           :約2500文字 :コメディー

作者: 雉白書屋
掲載日:2026/06/06

 とある冬の夜、駅前の歩道橋。

 街は少しずつクリスマスの装いへと変わり始めており、広場には色とりどりのイルミネーションが設えられていた。トナカイやツリー、ソリを模した青や金の光が絶え間なく瞬き、通り過ぎる人々の頬やコートを淡く照らしている。その光景は、足早に駅へ向かう者たちの表情までわずかに和らげ、足取りをどこかゆるやかにしているようだった。

 時折、学生やカップル、子供の笑い声が響き、ビルに反響して澄んだ空へと溶けていく。人々の賑わいが冬の夜気を際立たせていた。

 その歩道橋の手すりにもたれ、じっと下の広場を見つめている女がいた。両手をコートのポケットに入れたまま、動かない。白い息だけが規則的に夜に混ざっていた。その顔に笑みはなく、瞳はただ景色をぼんやりと反射しているだけのようだった。

 と、そこへ笑顔で駆け寄る男が一人――。


「よっ、お待たせ」


 男は少し息を切らしながら、いつもの調子で軽く手を挙げた。声は弾み、浮き足立っているのが見て取れた。


「うん……」


 女はゆっくりと男のほうへ顔を向けた。


「なに? 急に呼び出して。ま、うれしいけどね」


 男はそう言って隣に並び、手すりに腕を乗せた。


「ごめん……」

「いいって、いいって。おっ、イルミネーションやってるじゃん。いつからだろ。こういうのって、一人だと意外と気づかないんだよなあ」


 男は鼻を掻きながら笑った。そのときだった。


「別れてほしいの」


 女がぽつりと言った。


「……え?」


「ごめん、別れてほしいの」

「いや、は?」


「ごめん、そういうことだから。さよなら」

「いや、ちょっと待てって! なんでだよ!」


 踵を返しかけた女を男は慌てて呼び止めた。女は俯き加減で口を開く。


「もう、あなたのことが好きじゃないの……」


「そんな、嘘だろ……?」

「ほんとだよ。だから……さよなら」


「いや、嘘なんだろ?」

「だから、ほんとなの……」


「いや、嘘じゃん」

「ほんとだってば」


「いやいや、嘘だし」

「え、しつこい。なんなの……」


「いや、おれ知ってんだよ……病気なんだろ?」

「え、なんで……」


 女は息を呑み、目を見開いた。男は後頭部をぽりぽり掻きながら、小さく息を吐いた。


「この前、病院から出てくるところを見たんだよ……。すげー沈んだ顔しててさ。まさかと思っていたけど、今ので確信した。病気なんだよな?」


 二人とも、しばしの間そのまま動かなかった。行き交う人々の靴音だけがやけに耳に響いた。

 やがて女は無言で小さく頷いた。


「そうか……その、治らないのか?」

「うん……もう助からないの」


「そんな……」


 男は一度言葉を切り、下を向いた。それから震えを押し込めるように唾を飲み込むと、続けた。


「……でも、おれが支えるから。良くなるかもしれないし、とにかくおれがずっとそばにいるから!」

「だから、別れてほしいの」


「……ん?」


 男は首を傾げた。


「どういうこと?」

「そのままの意味だよ。じゃあ、さよなら。バイバイ」


「いや、待てって! おれを傷つけないために振るんじゃないの?」

「ううん、本当にあなたのことが嫌いだから別れてほしいの」


「えっ、嫌いなのは本当!?」

「うん。あなたが私の葬式に来ると想像しただけで、もう、もうもう蕁麻疹がもう!」


「いや、えええ……」


 女が腕や首をぼりぼりと掻き始め、男は思わず慄いた。


「その……おれに負担をかけたくないとか、悲しませたくないとか、そういうのじゃなくて?」

「いいえ。単純にあなたのことが大嫌いなの。自分の余命がわかって、ようやくはっきり気づいたの。ええ、目が覚めたって感じ……あ、覚めた! 覚めた!」


「怖っ……。いや、でもこれまで普通にやってきたじゃん……。おれのどこが嫌なんだよ。全然嫌われる覚えがないぞ……」

「十の二乗言えるけど、その時間をあなたに割くのがもう嫌」


「普通に百個でいいだろ」

「強いて言うなら……興奮すると膝が震えたり、呂律が回らなくなるところとか、勝手に話のオチを予想して先に言ったりするところとか。あと妙に先走ることも多いし、そのくせテンパって失敗して、あー嫌」


「内面のことばかり……。本気さが伝わってくるな」

「だからもう、絶対に別れてほしい! あなたには死んでも葬式に来てほしくないの!」


 女の鋭い声に空気がびりりと震え、男は一歩後ずさった。


「……あっ、でもそんなこと言って、実は他に好きなやつができたとかだったり……」

「ない。今はあなたと別れることで頭がいっぱい。悲劇の主人公気取りで棺桶に花を添えて、私の頬をそっと撫でたりなんかされたらもおおおおおおおおう!」


「お、落ち着けよ。みんな見てるぞ……」

「うちの親に彼氏面でお辞儀してさあああ!」


「するだろ。彼氏なんだから」

「親も親で、『娘はあなたと一緒にいられて幸せでした。ありがとう』なんて言ったりしてもおおおう! 詐欺に遭っているのを見ている気分だわ!」


「どんどん言うじゃん……」

「葬式後も、たまに写真眺めてため息をついたり、その様子を見て『まだ引きずってんだな……』とか声かけてくる友達も、もう殺したい……!」


「殺したいとか今、絶対言っちゃ駄目な立場だろ」

「病気が発覚する前に別れておけばよかった」


「はあ!?」

「一応キープしてたの。他に行けそうなのがいたら、すぐ切るつもりで」


「全然包み隠さないんだな」

「ええ、もうすぐ死ぬからね! だからその前にきっちり、あなたとのすべてを亡きものにしたいの! したいの!」


 女は叫ぶと同時に、ダン! と強く地面を踏み鳴らした。

 男はしばらく口を半開きにしたまま固まっていたが、やがてその口がぱくぱくと動き始めた。


「わ、わくっ、わかったよ! 別りりゃいいんだろ! じゃ、じゃあな!」


 男は舌をもつれさせながら、半ばやけくそ気味に吐き捨てた。そして彼女に背を向け、その勢いのまま駆け出していった――が。

 数秒後、下のほうから鈍い音が響いた。


 ――うわっ、あっ、おい!

 ――落ちた、落ちたぞ!

 ――ねえ、あなた大丈夫……?

 ――これ、死んでる……?


 階下からざわめきが立ち上り、冷たい風に乗って歩道橋の上まで届いた。

 女はゆっくりと手すりから身を乗り出し、下を覗き込んだ。

 階段の一番下に人だかりができている。女はしばらく無言でそれを見つめ、やがてぽつりと呟いた。


「えええ……そっち……?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ