梵鐘仇討暗夜行・前編
「豆腐小僧ってねえ、あんちゃんみたいな格好してるんだよお」
「…………」
今日の変装が、豆腐をすすめてくる童の姿をしたあやかしに見えたと知り、猿面冠者は困惑していた。
「あんちゃんは、べったら小僧だな!」
「やーい、妖怪べったら〜」
「…………」
しかも新種に認定された。
せめてもっと怖い要素のあやかしなら、脅かしてクソガキどもを追い散らしたのに。
編み笠を被り、盆に御札を乗せ、鳥居の脇にたたずんでいた。
恵比寿神社に参拝する浪人の風情。目立たない格好だと思ったのだが、容易く発見された。子供の目は侮れぬ。
足の踏み場もない賑わいの、日本橋は大伝馬町。
皆が手に持つのは、宝田恵比寿神社の祭りで売られる縄で縛った大根、べったら漬けだ。
恵比寿神社の祭は、十月二十日の恵比寿講である。
その前日の十九日に、打ち出の小槌、鯛の人形などの縁起物を売る市が立つのだが、宝田恵比寿神社だけは大根の浅漬け、べったら漬けを売る屋台が多く集まりだした。
腐市とも言われたが、べったら市で定着したのは自明の理である。
米麹と甘酒で漬けるため、大根のおもてがべったりしているので、そういう名らしい。
今では飴細工に刷毛売り、桶屋に唐辛子屋、あらゆる屋台の立つ大きな祭になった。飴が目当ての子供も来れば、べったら漬けで一杯やりたい呑ん兵衛も来る。
「べったら小僧、お盆に大根のっけなくていいのかあ?」
「きっと人混みで落としちまったんだ」
「ぎゃはは、まぬけー」
「…………」
こちらが手を出さないのを良いことに、笑いながら蹴ってくる。あやかしなら蹴ってよいと教えた親の顔が見たい。
猿面冠者は笠の下で、するりと猿の面を変えた。
耳まで裂けた真っ赤な口、ぎょろりとした一ツ目小僧に。
「喰っちマう、ぞ」
「わあああ――!!」
「ばけものだ――!!」
クソガキどもは火がついたように泣き出した。思ったより効いた。
子供の悲鳴に耳を傾ける大人もいたが、彼らが振り返る頃には既に、面は猿に戻っている。
泣いて逃げだす子供たち、ハテサテ誰の仕業やら……。我関せずを決めこむ猿面冠者である。
猿面冠者、という名は気に入っている。
袖触れ合うも他生の縁とはよく言ったもので、ほんのわずか邂逅したチンピラに呼ばれた名だ。奴は渾名をつけたていどのことかもしれないが、嬉しかった。
あるじの意休にも感じたことのない『恩人』であるとすら思う。
物心ついた頃には、意休と行動を共にしていた。
武士の主従関係ほど明確ではないが、率いる者と率いられる者、との関係が刷り込まれている。
名など呼ばれない。意休にとっては手駒のひとり。自分も既に元の名を忘れていた。
共に意休に率いられていた名もなき者らは、足抜けしたり、使い捨てられたりした。
足抜けしても、意休は追わない。追う労力より日々の快楽を優先させるからだ。ただし何処かで見かけたときは、何食わぬ顔で首を狩る。
昔、小田原の城が落ちたとき、隠れ里の者らは散り散りになった。
やがて江戸の町が大きくなると、自然とそこへ流れていった。木の葉を隠すなら森の中。様々な来歴の者が集まる江戸は、隠れ住むにはうってつけだった。
心得のある者は鍛冶師や薬屋に、ない者は盗賊に。名もなき者たちは、江戸のゆるやかな闇を枕に代を重ねて生きた。
猿面冠者は、笠をずらして鳥居を見上げた。
千社札に混じって、書き付けが柱に貼られている。
盗みに入る屋敷の名前と決行の日にち。忍び込む手筈を整えろ、という指示が崩し字で記してある。
意休が今どこにいるかなど知らないし、知る気もない。この神社の鳥居にこうして指示書きが貼られるが、いつ貼るかはわからない。
意休も、猿面冠者がいなければひとりで盗みに入る。いれば楽、というだけだ。追っ手を押し付けられる。かつての大蔵のように。
(五日後、カ……)
日本橋の武家屋敷の名が書かれている。河岸を持ち、領地からの潤沢な産物で富を得ている家だ。
あとは紙を剥がし、立ち去るだけ……と思ったところで、隣に人が立つ気配を感じた。
思わず、ぎょっとした。並んだ草履が、猿面冠者を小判とすれば、隣は大判ほどに違う。
(……でカ、い)
信じられないほどの巨体、突き出た腹。雲漢とはこういう男を言うのだろう。
笠の下から見えるのは縞の袴だが、この巨体は間違いなく、力士だ。
「珍しいな」
頭の上から遠雷にも似た低い声がする。
「俺が隣に立って、見上げなかったのはお主が初めてだ」
自分にかけられた声だと猿面冠者は理解したが、こちらは賊徒だ。見上げることは顔を晒すこと。
「……それハ、できぬことダ。――雷電」
「おお。俺を知ってはいるのか」
「……戯れるナ、有名人」
巨体が愉快そうに、だが隙なく、静かに笑う。
雷電為右衛門は、古今無双との呼び声高い人気力士であった。
六尺をゆうに越える巨体と怪力。あまりの強さに怪我人が出る騒ぎとなり、技を四つも禁じられた。
三年ほど前に四十八歳で引退し、お抱えである出雲松江藩から、新弟子の勧誘や相撲興業などを任されている。
巡業に向かうのか、雷電もまた編笠の旅装束であった。
「先ほどの面を変える早業は見事であった。子供を泣かすのは感心せんが」
見られていた。いや、見えていたのは、さすがである。
「……相手ガ髷を掴んできても、お前ハ許すのカ」
「ふふ、なるほど。お灸を据えるな」
他愛のない話を振ってくるが、腹を探られているのだと猿面冠者は心得ていた。
雷電は黙して隣にたたずむ。
江戸で知らぬ者はない男がここにいるというのに、客はべったら漬けに夢中。小柄な豆腐小僧と、人には見えぬ巨体のあやかしが並んでいるようだった。
ちらり。雷電の目が、猿面冠者の笠の上、鳥居を捉えた。
「ところで、気になるものが見えるのだがな」
「…………」
来た。猿面冠者は身構える。
さすがに意休も、この身の丈は想定外である。
お触れを記した高札でもあるまいし、ほとんどの者は見る気もない高さの貼り紙も、雷電には真正面から見えてしまっていた。
意休の狙う武家屋敷。それは雷電を抱える、松江藩の中屋敷であったのだ。
ぬう、っと大きな掌が猿面冠者の頭上を過ぎり、貼り紙を剥がす。眉を歪めてそれを読むと、雷電はぐしゃりと握り潰し、猿面冠者の盆に置いた。
こうなるぞ、という見せしめのように。
「人足の姿にでもなれば、忍び込めなくはないがな」
「……俺ハ、ヤめておく」
さらりと一抜けを口にする泥棒に、雷電は意外といった顔をする。
「仲間を見捨てるか?」
「……その前に、いマ、お前ガ俺を逃がすマい」
「そうだな」
ずん、と猿面冠者が背を預ける鳥居が揺れた。
雷電が鳥居に掌底を喰らわせたのだ。禁じられた四つの技のひとつ、鉄砲である。
賊相手に禁じ手を使わぬ理由もない。雷電は左腕で賊の逃げ道を封じると、右手で編笠をすくい上げ、鼻先に面を突きつけた。
「舐めるなよ」
鬼瓦のごとき形相で睨みをきかせる。
気弱な泥棒なら改心していたであろう迫力だが、猿面冠者は動じない。
赤い猿の面とにらめっこしているだけの雷電が、先に折れた。
「怖がらぬか……」
「……ガキ扱いするナ」
猿面冠者のクソガキ対処と同じことをしている。
賊の笠をもとに戻し、雷電は苦笑いを浮かべた。
「とはいえ俺も、泥棒退治どころではないのだ。江戸を去らねばならんからな」
「……え?」
賊にあるまじき素直な返事であった。言外に「お前ほどの者が、何故」という戸惑いがある。
雷電は寂しげに、虚空を見上げた。
「江戸払い、との沙汰を受けたのだ」
「……!」
それは雷電が罪を犯し、刑罰を受けたという意味。江戸市中から追放する刑である。
猿面冠者は、雷電の旅装束の意味を知った。
先ごろ、松江藩と縁のある報土寺が火事で焼けた。
寺の再建にあたり、雷電は梵鐘を寄贈した。知己である大田蜀山人のすすめで意匠を凝らしたのだが、幕府のお偉方がそれに難癖をつけてきた。
三河岡崎藩主、本多忠顕。
あの徳川四天王、本多平八郎忠勝から続く本多宗家を、養子に入って継いだ男である。
「……国家安康、とでも書いタのカ?」
「書くわけがあるか、そんなもの」
雷電が、肩を揺らして苦笑う。
徳川と梵鐘といえば、これにつきる。
豊臣秀頼が造らせた鐘に入ったこの文字は、本来なら「国家が安らかに、無事であるように」との意味のはずであった。
それを東照大権現さまは、『家康』の名を裂いている、呪詛に違いないと言いがかりをつけ、豊臣を滅ぼす大阪冬の陣のきっかけとした。天下を担おうという男のせせこましい顔が出た一件である。
「……徳川の忠臣の家ナラ、難癖ハ伝家の宝刀ダナ」
「こらこら、少しは言葉に気を使え。同心にでも聞かれたらどうする」
一応は士分の雷電は周りの耳を気にしたが、忠誠心のない猿面冠者はどうとも思わない。庶民もこれくらいのお上批判は平気でする。
雷電は、ふう、と気苦労の多そうなため息をついた。
「まあ、もともと反りが合わんのだ。何かにつけて松江の殿に当たる奴でな。……だが、そうだな。国家安康への報復を真似たのかもしれん。寺の再建に尽力してくれた旦那衆のひとりが捕らえられ、獄中で死んだ」
「…………」
雷電の眉間と同じく、猿面の中の眉間にもシワが寄る。胸の悪くなる話である。
大名が城を修復するのにも幕府の許しが要る。崩れた城壁を直しただけで改易された家もあるほどだ。
『寺院鐘楼新造の禁令』なるものがある。寺や鐘楼を建てるのも罪と言っている。それが罪なら、おのれが庇護する寺社を幕府の威光を示す名目で持て囃す徳川に、どれほどの罪人がいるのだろうか。
クソガキにも似た陰湿な嫌がらせだ。人ひとりの命を、気に入らぬ者に対して投げつける汚物のように扱った。
寺の再建がなり、新しい鐘が吊られたところで、その本多に何ほどの損があろうか。
まさか寺を建てる金があるなら幕府に寄越せとでも言うのか。いや、言うのだろう。それが徳川幕府だ。
理不尽。それが雷電を裁いた奴の名である。
「そういうわけで、俺は鐘を造った罪人だ。……吊られた鐘が誰を殺すのかは知らんがな」
固く引き結ばれた雷電の口端が物語る。
悔しい、と。
「……仕事マで、日ガ有る」
「ん?」
静かに己の独白を聴いていた男が、ぽつりと言った。
依然、周囲は黒山の人だかり。喧騒に紛れそうな声であったが、雷電の耳は拾っていた。
「……ついでに、ダガ」
少しばかり、照れも含んでいた。
「…………お前の代ワりに、本多何某の横っ面を、張り倒してきてヤる」
「……!!」
雷電の憔悴した面に、ひとすじの光がさした。
身分、立場、人の目、忠義……様々なものが枷になって動けぬ自分に代わろうなどという変わり者がいる。
雷電為右衛門という英雄には許されぬ蛮行を、託せる奴がいる。
「仇を」と、言いかけて、雷電はそれを飲み込んだ。危ない橋を渡れとは言えなかった。嬉しさを噛み殺し、無理やり笑った。
「無茶は、せんでくれよ」
「……ついでダと、言っタ」
「ああ。ついででも、だ」
あくまでついでだと言い張る小柄な泥棒に、雷電の心は、雲が晴れた月のようであった。
「袖触れ合うも、他生の縁……感謝する」
薄っすらと、雷電は目を潤ませた。
未練がないとは言えぬ。けれど、これで思い残すことなく江戸を去ることができる。
なに、江戸市中に住めないだけで、松江の屋敷にも、べったら市にも、顔は出せる。
お節介な泥棒にも、また遭うこともあろう。
「礼がしたいが、大根ではな……」
いま目の前に溢れるほどあるべったら漬けを、何本贈れば礼になるのか。しかし、
「……頼みガ、アる」
意外なことに、泥棒の方からそれを切りだした。
「…………世話になっタ奴に、大根を、贈りタい。良いものを、選んでくれタラ……助カる」
「お前、大根を盗もうとは思わんのか?」
猿「……盗んダものを、人に贈るナど、非常識ダ」
雷「エセ泥棒め(ほっこり)」




