表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
45/46

蓬莱の玉の枝・6

 柳水亭の隠居は長い夏風邪から起き上がり、臥せっていた八畳の離れは隠居の道楽部屋に戻っている。

 女将を診たあと、刹那は離れに招かれた。

 芸事や風流にはとんと疎い『医者頭』でも、ここの庭は美しいと思う。

 色づく紅葉の庭を格子のはまった丸窓から臨み、茶会や囲碁の会も催される部屋は、内緒ばなしにもってこいである。

 刹那は先ほど仕入れたばかりの名前を、本所の生き字引きたる隠居に尋ねた。


「龍宮、ねえ……」


 隠居は酒まんじゅうにひと口かぶりつき、甘さを味わいながら「龍宮、龍宮……」と頭の中を探るが、あきらめて薄めの茶で飲み下した。


「うーん、聞いたことないねえ」

「変わった料理を出す店らしいんですが」

「長くやってる店なら付き合いもあるが、若い人が出した新しい店なんかは、うちみたいなとことは付き合わないからねえ」


 どうやら隠居でも知らぬ店のようだ。


「女将なら新しい店も気にするから、何か知ってるかもしれんが」

「いえ、そこまでは」


 臥せっている女将を起こしてまで訊くようなことではないと、刹那は首を振った。

 女将の志づ香は、母屋の部屋で憔悴していた。

 町方に詰め寄られ、吉次が死んだ原因は自分ではないかと己を責める女将に、弥九郎を下手人扱いする腹立たしさも込めて刹那は、


「町方は、楽にことを済ませたいだけです。気に病むことはありません」


 と、梅酒を見舞いに差し入れた。

 蒸した(なつめ)と青梅を焼酎に漬けておいたもので、不安や気鬱からくる胃腸の痛みを抑え、気持ちを安定させる薬酒である。

 甘いものが好きな女将のために、金柑と白梅花の砂糖漬けも持参した。

 甘味は気の病みによい。沈んだ心をほっと暖めてくれる。いつぞやの砂糖はこうして役に立っている。

 

「変わった料理を出す、付き合いの悪い外道な料亭か……。早々に潰れる気しかしませんが」

「花火みたいな店だね。景気よくドンと咲いて、あとは散るだけ、か」


 次郎吉と隠居の話を合わせると、話題性だけの中身のない店、という印象だ。知る人ぞ知る、といえば聞こえは良いが。

 目立つ料理で稼ぐだけ稼いだら、町方に睨まれる前にトンズラしそうである。町に愛されたいという人情味を感じない。


「盛り場の店みたいだね。両国なんかそうだろう」

「ああ、そういえば、一昨日あった店がもうなくなって、新しい店になってました」

「愛されなければ料理屋じゃないよ。大金を積んだお大尽ひとりの満足より、皆に美味しいと言ってもらえる、皆が満足する店の方が私は好きだね」


 隠居の言葉に刹那は、柳水亭が愛される、番付に載るわけを知った気がした。

 柳水亭なら不老不死の秘薬など扱わなくとも、皆に愛される料理を出すだろう。

 特別高価なものでなくていい。日々をつましく暮らしている庶民が、ちょっとだけ奮発して食べられる料理があればいいのだ。

 龍宮は、それとは対極的な店であると次郎吉は言っていた。


「先生は、その店の料理に興味があるのかい?」

「はい。薬膳だとしたら、どんな生薬を使ってるのか知りたくて」

「はあ、また薬の話かい? たまには美味しいもの食べにおいでなさいよ。弥九郎にも言われるだろう? 医者頭って」

「……いえ、あの、ひとりでは、その」

「うちもダメなのかい!?」

「……すみません」


 次郎吉に誘われたから、刹那は行く気になったのだ。知らない顔に囲まれて食べる飯など、緊張で何の味もしない。

 そもそも料亭は敷居が高い。足を運ぼうとも思わないし、料理をあれこれ語れるほど舌が肥えてもいない。

 食べ物は、だいたい美味い。それでいい。


「この、医者頭!」


 とは、弥九郎の言である。『医者馬鹿』とも言う。刹那にとっては褒め言葉であるが。


「はあ。そんなことでは、龍宮に着て行くものも揃えてないね?」

「え、着て行くものに決まりがあるんですか!?」

「……私のを貸してあげよう。じじくさいけど我慢しておくれだよ」

「とんでもないです、ありがとうございます」


 衝撃であった。

 今まで料亭に足を踏み入れずにいたが、そもそも足を踏み入れるまでに関門があったなんて。

 もしかしたら場違いな着物で大恥をかいていたかもしれないなんて。

 料亭恐るべし。ますます足が遠ざかる気しかしない。






 肌寒い風が大川から吹き込む両国広小路。

 ぷりんと可愛らしいお尻に男どもの目を集める水茶屋の看板娘は、その目がいつもの半分しかないのを不思議に思った。

 ひそひそと声がする店の外を見やる。


「いや、お喜多も可愛いんだがよ……」

「ありゃあ、どこの後家だ……?」

「馬鹿、衆道のモンだろ」

「色っぺえ……」

「あんな別嬪、見たことねえよ……」


 細身にすっきりと、紺と鼠茶色の唐桟(とうざん)縞。木綿ながら絹と見まがう光沢の(あわせ)は、着る者に大人の色気を纏わせていた。

 鉄色に近い藍無地の綿入れも、地味ながら品よく、流行の唐桟を引き立てている。

 正に、立てば芍薬。

 白の芍薬の花のような、慎ましさの中に艶のある美人が、茶屋の前で待ち合わせをしていた。


(ど、とこの後家さん……?)


 人目を集めて余りある立ち姿。

 その色気は、わざとお尻を振って接客する茶屋娘の比ではなかった。

 お喜多は敗北を悟る。悟って、団子をムシャアと食い千切るのであった。


「お待たせ〜。見違えたよ刹那さん、似合ってるね」

「次郎吉さん、今日はよろしくお願いします」


(逢い引きかあ……)


 そして、現れた身なりの良い若衆と、駕籠で『いずこか』へと去るのを見送るのであった。

 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ