表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46/59

蓬莱の玉の枝

(ここで選ばれなければ、俺は終わりだ)


 料理人の吉次(きちじ)は、腕を振るった膳を抱え持ったまま、襖の向こうに呼ばれるときを待っていた。

 膳の上には金の蒔絵が描かれた漆塗りの椀が三つ。蒔絵は、高砂(たかさご)(じょう)(うば)を描いたもので、長寿を願う柄である。

 しんと薄暗い大広間。裸足に染み込む畳の冷たさが、言いしれぬ不安を煽る。


(大丈夫だ、自信はある)


 俺より、客人たちを満足させられる料理を出す奴は、おるまい。



 柳水亭の板場で、板長とはそりが合わなかった。吉次のやることを何かにつけ、あれは違う、これはこうしろと、頷かれたためしがない。

 板長など柳水亭に入って長いだけで、どうみても俺の方が腕は優れているじゃないか。

 吉次は、何故自分を板長にしてくれないのか、柳水亭に不満を持っていた。

 そしてその不満を女将にぶつけてしまい、暇を出されたのだ。

 


 吉次は前の日、一通の文を拾っていた。

 仕込みのために朝一番に板場に入ったところ、窓の格子に挟まれていたものだ。

 誰が出したのか、誰宛てかも書かれていない。

 『料理の腕を競い、一等となった者には大金を約束する』とあった。

 作れと指示されているのは、椀物。

 しんじょ、煮物などのことである。料理人の腕の見せどころともされる。

 うさんくさく思ったが、


(これで一等を取れば、柳水亭の皆も俺のことを褒めそやすに違いない。俺こそが板長にふさわしいと)


 吉次は、誰にも見せず文を懐に入れた。


 

 記された日時に、記された建物を訪れた。

 これしかない、と厳選した食材をしっかりと胸に抱いて。

 板場は好きに使えと記されていた。

 吉次は初めて来た建物だ。深川に生まれて四十を過ぎたが、こんな大店は知らない。

 料亭だろうか。客どころか仲居など奉公人の姿もなく、しんとしている。

 廃墟になりたての豪邸、といった趣きだ。古さ、埃っぽさは少しもない。

 履き物を脱いで上がったところに虎がいて驚いた。

 何千何万本の金糸で虎が縫い取られた、六畳ほどもある波斯(ペルシア)絨毯だ。

 みえるところの調度は舶来物で揃えられていて、しかし竹林や菖蒲を描いた襖とは不思議と喧嘩していない。

 黒光りするほどに磨き上げられた回廊に、吹き抜け天井から吊り下げられた金色唐草と紅い硝子(ガラス)洋燈(ランプ)が、映り込んでいた。

 吉次は、ふと、お膳の椀を見た。

 洋燈が椀を照らしている。鬼火のような、(あか)であった。



「どうぞ、中へ」


 ドキリとした。

 音もなく、す、と襖が開けられ、信じられないほど美しい女が吉次を呼んだ。遊女のような華やかな美しさではなく、陰の色香薫る美しさだ。

 女の横顔に見惚れつつ、吉次は気を引き締め、襖の内へと進んだ。す、と、また音を立てずに、女が襖を閉めた。


 女の先導で、細い廊下を進んだ。

 左手には障子が連なり、部屋の中は伺えぬ。

 右手には洋燈のある吹き抜けとはまた別の吹き抜けがあった。吉次の歩く三階から、下の小さな池へ白糸のような滝が落ちている。

 こんな豪邸を貸し切りにできるなんて。

 勝者への大金といい、俺を呼んだのはいったいどんなお大尽なのだろうか。

 

「お伝え申します」


 女が足を止めたのは、ひときわ絢爛な襖の前であった。

 金泥に牛車と紫雲、天上に向かう高僧の行列が描かれた襖である。


「椀物が参りました」


 女の言葉に、吉次は少しだけ、むっとした。


(参ったのは俺だ。椀じゃねえ)


 だがまあ、料理の腕試しを催すお大尽なら、待っているのは確かに料理だけなのだろう。

 まさか椀物ひとつのための豪邸とは思わない。自分以外の料理人が、焼き物や香の物などを任されているのだろうと、吉次は考えた。

 誰が何を出してきても、俺が勝つがな。

 膳を握る手に自信をみなぎらせ、吉次は中へ入った。


(こ、これは……!)


 季節外れの紅白の桃が、ぼんぼりの仄かな灯りに浮かび咲き誇っている。

 花器にいけられた孔雀の羽、金屏風にあるのは深山幽谷。舶来の伽羅(きゃら)のかぐわしい香りが霧のように部屋に立ち込めている。

 この部屋が、神仙の住まう桃源郷のようであった。

 一段高い上座と、その下にふたりの男が膳を前に座していたが。

 その膳が、薄い羽衣を纏っただけの裸の女である。

 つくりものめいた白い肌の三人の女には、乳房、へその上や太ももに、(なます)、魚を炙ったもの、飾り切りなぞが乗っている。

 紅の鮮やかな唇までもが、一品の料理であるかのようだ。

 

(こいつは、まずいぞ)


 吉次は、ぶわっと大量の冷や汗を噴き出す。


(これじゃ、()()()じゃねえか)


 先導してきた女が椀を三人のもとへ運ぶ。高砂の蒔絵に、三人は何の興味も示さない。

 

「これは」


 三人の中のひとり、白い桃の花を背にした男が扇子で椀を指し、吉次に訊いた。

 食傷気味といった訊き方であった。皆が皆、高砂の器でくるので飽きているのだ。

 そう受け取った吉次は、精一杯の自信を声に搾り出す。

 俺は大丈夫、中を見てもらえればわかる、と。

 胸を張り、吉次は応えた。


「蓬莱の玉の枝と、名付けました」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ